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金閣寺・嵯峨野・渡月橋

2007-12-10 21:09:41 | 二人の旅
この旅行に出かける前に、TVで金閣寺の紅葉を放映していたと言う。今までの実績からしてそれほど期待せずに、金閣寺へ向かった。相変わらず修学旅行生や、外人さんが多い。特に中国人(台湾人)らしい人も目立つ。しかしなぜか朝鮮系の人はあまり目立たない。参道の紅葉はまだ一部だが残っている。光の加減では、中々のものだ。入り口を入り、金閣が目に飛び込んでくる。池の緑、松の緑、空の緑、、それぞれにニュアンスの違う緑の中に、金閣と、鳳凰が燦然と光輝いている。そう、やはり松の濃い緑と、黄金色は良く似合う。それに雲ひとつ無い空の色と黄金色も良く似合う、さらにそれらを鏡のように映している、池の色も黄金色に映えている。正月には、雪をかぶった色の無い中の黄金を見て、今回はある意味錦秋の中の黄金を見ることが出来た。期待しなかっただけに幸せであった。やはり自然の中の黄金はすばらしい。金色がこんなにすばらしい色だなんて知らなかった。説明する言葉を持たないが、太閤秀吉の黄金の茶室とはまったく質の異なる美がここにはありました。なんといったらよいのでしょう。自分も年を取って澄んだ光を背景にした、金色の美しさを理解できるようになったのでしょうか。能楽が極端に単純化された様式美であるのなら、この光景もある種、様式化された音楽と言ってよいのかも知れません。色を一切拒絶したような雪景色のイメージが残っている中の、錦秋と松の緑に彩られた金閣は、同じ年に両方を見ることが出来た幸せとともに、ものすごく印象的なものでした。その後、嵯峨野へ向かい、清涼寺、二尊院、化野念仏寺のほか、入り口に、カメラ撮影のみは、入場禁止するとの張り紙のある小さな寺を見つけました。宝筐院なる所でした。入場の時に貰った案内に拠ると、宝筐院は平安時代に白河天皇(1053~1129)よって建てられ、善入寺と名づけられていたと言う。室町幕府二代将軍足利義詮がこの寺の伽藍の整備に力をいれ、義詮が没すると(1367)その菩提寺と、なり八代将軍義政の時代に、義詮の院号である宝筐院に改められた。室町時代には、幕府の保護もあり隆盛で有ったが、応仁の乱以降は衰微してゆき、幕末には廃寺となっていた。明治になってからの再興には、南朝・北朝の戦いや、楠木正行と言った人物が関連してくるらしいが、省略。いずれにしても再興がなったのが、大正六年で有ったとの事。庭園についてはこう記載されている。
書院から本堂の周辺は白砂・青苔と、多くの楓や四季折々の花木からなる回遊式の庭園が広がり、晩秋初冬には見事な紅葉を見せると・・・・・ここは来年にも行きたいところであった。二尊院を見た後、あだしの念仏寺へ狭い道をものともせずに行く。なんとここは受付が3時半終了。独特の雰囲気は持つ寺では有るが、もういいや・・・と思わせてしまうものがある。晩秋から初冬の風情を一日嵯峨野で楽しんだ。もっともっと時間をとっても良い場所かも知れない。
8日から嵐山地区一帯でライトアップが行われている。天竜寺や大河内山荘のライトアップにも興味があったが、今回は、渡月橋のライトアップに絞る。渡月橋と、川向こうの山をライトアップしようとする壮大な試みではあったようだが、はっきり言って期待はずれ。たかが橋一つ、岡一つをうまく照明できない。これはプロデューサーの力量の問題だ!! 来年はもっとまともにでいたらよいな・・・と思う。
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