気ままな日々を 思いつくままに

旅の様子や
今日の庭
思いついたことなどを
気ままに 気楽に綴ります

75歳に成ったても 塀を乗り越えているか

2006-07-27 17:32:21 | 我が家の庭
5日ぶりに、一応の庭仕事が終了した。一番大切なときに約2ヶ月も放置したあとだけに、大変な目にあったといえる。考えようによっては、自分が今必ず、しなければ成らない事は、いまや庭仕事しかないのだから、為さなければ為らない事が有ることだけ ある意味、幸せなのかもしれない。勿論一年間 ほっておけば、草は枯れ、元に戻ってしまうそこまで放置できる覚悟が有ればそれはそれで成り立つのだが・・・ 我が家ではどうしての隣家に剪定した枝などが落ちてしまうところが、一面ある。一方は道だし、生垣のある面は、むかし奥の家が使っていた水路跡で今は全く利用されていない。だからこんな都会地でも、この面は隣家と接していないのです。もう一方は我が家が何も植えていない。今日もピラカンが伸びているので、切り詰めました。当然隣家の敷地にも枝が落ちます。そこで塀を乗り越えて、落ちた枝を回収に行きます。当然のことです。塀には藤が絡まっているのでスムースに足が上がりません。少しばかり苦労して塀を乗り越え、落ちたピラカンの枝を回収しました。
終わってふと考えました。75才になっても、塀を乗り越えることが出来るだろうかと・・・・ こんなことを思ったのは初めてのことです。今まで塀を乗り越えることなぞ、全く眼中にありませんでした。ピラカンやシュロの手入れをすればそれが一部隣家の庭へ落ちるのは当然であり、それをとりに塀を乗り越えて掃除するのは当たり前だったからです。今回はややとり辛い所に落ちたので苦労したといえますが、まさか10年後にも塀が、乗り越えられるかどうかなぞ、考えもしませんでした。考えてみると、65歳の爺さんが塀を乗り越えていることも、決して見よいものではないでしょうが・・・・ こんなことを思ったのは、アルバイトへ行った時の31ショック・・・ 要するに昨年まで2・3人はいたはずの昭和11年生まれの人達が全く見えなくなっていたことに有ります。勿論正規の雇用ではなく、経験を買われて、週に何回か働いていたのでしょう。32年入店の人達には、何人かに会いましたし、元気に働いているようでした。まさか来年になったら全員が居なくなっていたなどということは無いよね・・・・ 自分の同期で亡くなった人も、会社・学生時代の同期を問わずもう10指を使わねばならないほどになっています。前後の世代を比べても、決して少ないほうではありません。しかしそれでも自分的には、人の寿命について、何も感じることはありませんでした。病気を持っている人が身の回りに居ても、若いときからあれこれ行っていたからとか、少し運が悪かった、位の感覚でした。 ところが75歳になった時に、この塀を乗り越えて枝を拾いに行けるだろうか??? 突然こんな問いかけを自分が自分自身に発していたのです。75歳までの10年間長い!! と感じました。初めてのことです。自分としては70歳までの目標はありました。70歳の時には合気道の帯の色を変えていると言う目標でした。ふと それ以降の目標が立てられていないことに、今日気付かされてしまいました。若いときと違い、全てに『今は』と言う言葉をつけなければ為りません。しかしそれを乗り越えるために何をしたら良いか、考えてみようと思います
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今年のブルーベリーは 不味... | トップ | 気持ちのゆとり »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

我が家の庭」カテゴリの最新記事