書籍化の前、文藝春秋に発表された記事を紹介している、New York Timesの記事。
朝日、毎日、読売、産経ではどういう報道をしたのだろうか、しなかったのだろうか。
Hirohito asserts that if he had tried to stop the attack on Pearl Harbor in 1941, "it would have led to a coup d'etat" in which he likely would have been assassinated." That would have been fine," said Hirohito, who died in January 1989 at age 87. But even if he had been killed, he said, "eventually a very violent war would have developed" in which "Japan could have perished." (...)especially because they make it clear that he had a fairly detailed understanding of what the military was planning.
"Once the situation had come to this point, it was natural that advocacy for going to war became predominant," Hirohito said. "If, at that time, I suppressed opinions in favor of war, public opinion would have certainly surged, with people asking questions about why Japan should surrender so easily when it had a highly efficient army and navy, well trained over the years." It would have led to a coup d'etat," Hirohito concluded.
In the interviews, Emperor Hirohito described his own powers as weak, constrained by the Meiji Constitution that then governed Japan just as his ancestors were constrained by powerful shoguns. "It was unavoidable for me as a constitutional monarch under the constitutional polity to do anything but give approval to the Tojo Cabinet on the decision to start the war," he said, referring to Gen. Hideki Tojo, the wartime Prime Minister. "If I approve what I like, and do not approve what I do not like, I will be no different from an absolute monarch."
本からの引用より英文引用を引くのは、「昭和天皇独白録」は昭和史研究家、半藤一利氏による解説の流れの上に乗せられて提示されているからである。英文ではそれが省かれている、その分simpleでstraightである。当然のことながら「四方の海」に関する御発言も平和愛好もない。日本人の手になる補筆は邪魔なのだ。「満座粛然,しばらくは一言も発するものなし」どころか「クーデターが起こったであろう」というご自分の立場の弱さを強調されている。
40年以上昔からそしてTel Quel Japonを通しても欧米人と議論をする過程で、日本人保守が持つ情報と欧米人がもつ情報の違いにより、こちらの主張に正当な資料的根拠のないことに直面せざるを得なかった経験が何度かあった。また同胞の日本人が、ときには保守の日本人が足を引っ張る場面も甚だ多かった。保守の中に於いても議論や論拠に全く整合性がないのだ。とにかく虚言を排すること、そして国家として少なくともある程度はコンセンサスを獲得して、教育界もマスコミも政府も国民ももっと整合性のある見解を同じベクトルで発信しなければ、少なくともその準備を微かにでも整えないことには、海外発信したところで、相手に届く前に、悲しいことに同胞の(しかも保守の)日本人勢力によって、人の声はかき消されてしまうのだ。何度悔しい思いをしたことだろう。私が今虎のつもりでひとり咆哮するのはそのためだ。鯨になって体当たりするのは、いつまでも「だまくらかし」にすがりつかないで、覚醒して欲しいからだ。一日も早くワンパターンと無思考に気づいて欲しいからだ。たとえば「お話じいさん」の虚言を拝するのでなく、虚言を排して欲しいからだ。
「ご聖断は見事だった。それだけ権威のある人間でありながら何故、開戦、即ち真珠湾攻撃をやめさせることができなかったか」そのBonner Fellersの問、そしてその問いに応える意味からこの「昭和天皇独白録」はスタートしたという事実がある。日本人は「その問い」さへ思いつかない、思いつけない。「矛盾をつく目」を持ちましょうと繰り返し呼びかけるのはそのためだ。
日本人は抑圧される前に「矛盾をつく目」を持つことを、すでに国民的習性として相互監視で自制している。
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・・・・・追記:2014年1月18日・・・・・
原文と訳文を様々に読んできて、時にひどい致命的間違いを結論付ける翻訳者および読者がいることに気づいた。それは現地滞在年月とか、学歴とか、語学的知識とかによるものではないようだ。例として上の文を論じてみる。天皇陛下のお言葉は「もし真珠湾攻撃を自らが阻止したとしたら、クーデターが起きただろう。おそらく自分は軍部によって暗殺されただろう。」「殺されてもかまわないとして、たとえ殺されても、いずれにせよ戦争は勃発していただろうし、結果として日本国は滅びてしまっただろう」をはじめとして、全部が全部仮定法なのだ。日本語を母国語とする日本人は「ああそうか、止めていたら陛下は殺害されていて、それでも戦争が起こって敗北することには変わりはないのだ」と理解する。欧米人はそういう結論は出さない。なぜならそれは仮定法だからだ。仮定法は理解をする上で、歴史解釈には採用しない。ここから読み取るのは「天皇は真珠湾攻撃を知らなかった、という弁明も実はあるが、本当は知っていたのだ。そして開戦にvetoを発しなかった。勿論その証拠は開戦の詔勅である」そう認識するだけだ。歴史に「もし」はない。仮定法の連続は、まさに「言い訳の羅列」でしかありえない。「昭和天皇独白録」の英語版は日本でもアメリカでも本として出版されることはないだろう。ただし日米関係が破綻したら、真っ先に出版されることは間違いない。
日本人は日本語の本を読んで、日本人風に理解して「そんなことは、知ってるよ」と平然と言えるように、この本を読んで準備しておかなければならない。でないと、弱り目に祟り目、孤立し衰弱している日本にとって、第三の原子爆弾にもなりかねない。
参照:仮定法過去完了: