詩集「2N世代」

詩作品、短編、評論、エッセイ他: Blogタイトルと内容がこの数年異なってきた。タイトルを変えたほうがいいかもしれない。

昭和天皇独白録 文藝春秋社 1991年ー3

2014年01月18日 17時27分59秒 | 保守の致命的怠慢
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書籍化の前、文藝春秋に発表された記事を紹介している、New York Timesの記事
朝日、毎日、読売、産経ではどういう報道をしたのだろうか、しなかったのだろうか。
Hirohito asserts that if he had tried to stop the attack on Pearl Harbor in 1941, "it would have led to a coup d'etat" in which he likely would have been assassinated." That would have been fine," said Hirohito, who died in January 1989 at age 87. But even if he had been killed, he said, "eventually a very violent war would have developed" in which "Japan could have perished." (...)especially because they make it clear that he had a fairly detailed understanding of what the military was planning.
"Once the situation had come to this point, it was natural that advocacy for going to war became predominant," Hirohito said. "If, at that time, I suppressed opinions in favor of war, public opinion would have certainly surged, with people asking questions about why Japan should surrender so easily when it had a highly efficient army and navy, well trained over the years." It would have led to a coup d'etat," Hirohito concluded.
In the interviews, Emperor Hirohito described his own powers as weak, constrained by the Meiji Constitution that then governed Japan just as his ancestors were constrained by powerful shoguns. "It was unavoidable for me as a constitutional monarch under the constitutional polity to do anything but give approval to the Tojo Cabinet on the decision to start the war," he said, referring to Gen. Hideki Tojo, the wartime Prime Minister. "If I approve what I like, and do not approve what I do not like, I will be no different from an absolute monarch."
本からの引用より英文引用を引くのは、「昭和天皇独白録」は昭和史研究家、半藤一利氏による解説の流れの上に乗せられて提示されているからである。英文ではそれが省かれている、その分simpleでstraightである。当然のことながら「四方の海」に関する御発言も平和愛好もない。日本人の手になる補筆は邪魔なのだ。「満座粛然,しばらくは一言も発するものなし」どころか「クーデターが起こったであろう」というご自分の立場の弱さを強調されている。
40年以上昔からそしてTel Quel Japonを通しても欧米人と議論をする過程で、日本人保守が持つ情報と欧米人がもつ情報の違いにより、こちらの主張に正当な資料的根拠のないことに直面せざるを得なかった経験が何度かあった。また同胞の日本人が、ときには保守の日本人が足を引っ張る場面も甚だ多かった。保守の中に於いても議論や論拠に全く整合性がないのだ。とにかく虚言を排すること、そして国家として少なくともある程度はコンセンサスを獲得して、教育界もマスコミも政府も国民ももっと整合性のある見解を同じベクトルで発信しなければ、少なくともその準備を微かにでも整えないことには、海外発信したところで、相手に届く前に、悲しいことに同胞の(しかも保守の)日本人勢力によって、人の声はかき消されてしまうのだ。何度悔しい思いをしたことだろう。私が今虎のつもりでひとり咆哮するのはそのためだ。鯨になって体当たりするのは、いつまでも「だまくらかし」にすがりつかないで、覚醒して欲しいからだ。一日も早くワンパターンと無思考に気づいて欲しいからだ。たとえば「お話じいさん」の虚言を拝するのでなく、虚言を排して欲しいからだ。
「ご聖断は見事だった。それだけ権威のある人間でありながら何故、開戦、即ち真珠湾攻撃をやめさせることができなかったか」そのBonner Fellersの問、そしてその問いに応える意味からこの「昭和天皇独白録」はスタートしたという事実がある。日本人は「その問い」さへ思いつかない、思いつけない。「矛盾をつく目」を持ちましょうと繰り返し呼びかけるのはそのためだ。
日本人は抑圧される前に「矛盾をつく目」を持つことを、すでに国民的習性として相互監視で自制している。
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・・・・・追記:2014年1月18日・・・・・
原文と訳文を様々に読んできて、時にひどい致命的間違いを結論付ける翻訳者および読者がいることに気づいた。それは現地滞在年月とか、学歴とか、語学的知識とかによるものではないようだ。例として上の文を論じてみる。天皇陛下のお言葉は「もし真珠湾攻撃を自らが阻止したとしたら、クーデターが起きただろう。おそらく自分は軍部によって暗殺されただろう。」「殺されてもかまわないとして、たとえ殺されても、いずれにせよ戦争は勃発していただろうし、結果として日本国は滅びてしまっただろう」をはじめとして、全部が全部仮定法なのだ。日本語を母国語とする日本人は「ああそうか、止めていたら陛下は殺害されていて、それでも戦争が起こって敗北することには変わりはないのだ」と理解する。欧米人はそういう結論は出さない。なぜならそれは仮定法だからだ。仮定法は理解をする上で、歴史解釈には採用しない。ここから読み取るのは「天皇は真珠湾攻撃を知らなかった、という弁明も実はあるが、本当は知っていたのだ。そして開戦にvetoを発しなかった。勿論その証拠は開戦の詔勅である」そう認識するだけだ。歴史に「もし」はない。仮定法の連続は、まさに「言い訳の羅列」でしかありえない。「昭和天皇独白録」の英語版は日本でもアメリカでも本として出版されることはないだろう。ただし日米関係が破綻したら、真っ先に出版されることは間違いない。
日本人は日本語の本を読んで、日本人風に理解して「そんなことは、知ってるよ」と平然と言えるように、この本を読んで準備しておかなければならない。でないと、弱り目に祟り目、孤立し衰弱している日本にとって、第三の原子爆弾にもなりかねない。
参照:仮定法過去完了


昭和天皇独白録 文藝春秋社 1991年ー終

2014年01月18日 10時51分04秒 | 保守の致命的怠慢
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昭和天皇独白録 文藝春秋社 1991年ー1、に「意外と「独白録」の存在を知らない人が多い。あるいは何かの理由で、保守によって、あって亡きもののように扱われていて、事実上の焚書にでもされているのだろうか」と書いているが、この本をこうして紹介したあとでも、この本を入手して読んでみようかなどと思ったひとは、ひとりいるかいないか、というところだったようだ。読まないからいつまでもワンパターン、お話じいさんの次元の「嘘の作り話」が延々と拡散され続けるのだ。
この本文にあるようなこと、英文の資料をあたっていると普通に何度も出会う、全部英文で既に読んだ記憶がある。あちこちに出ているのだ。GHQの記録にあり、既にあちらの新聞が報道した、天皇陛下のご発言、知らぬは日本人ばかりなり。欧米人と議論すると必ずこれを持ってくる。(ありもしない軍閥が)天皇陛下のご意志を踏みにじって領土拡大帝国主義戦争に暴走した軍閥が、いるではないか、そんなことも知らないのか、中国では関東軍が暴走したではないか、原爆のおかげで、敗戦してはじめて反省し、平和と民主主義を得たではないか、違うか?(挙げ句の果てには)南京や慰安婦だって、政府も民間人も心ある人は謝罪しているではないか?何?嘘?違う?聖戦?侵略戦争をアジアの解放だと?言い逃れする気か?とくる。そばに日本人がいると、その日本人も必ず欧米人の側にたって、頭がおかしいのではないか、反省というものをしらないのか、学校で勉強しなかったのか、とくる。
やれ武士道だ、やれ「海ゆかばだ」やれ「祖国のためにみごとこの命散らせてみせます」に感激して「やはり日本は偉大だ」などと酒に酔えるのも「居酒屋の宴会」なればこそ、仲間の内々なればこそ、と知るべきだ。「東京裁判なんて、あんなものはイカサマだって、みんな知ってるよ」「そうだ、そうだ」などといっても、そんなものは歴史認識の見直しにはなんのツッパリにもならない。「南京虐殺、そんなものはなかったと保守のあいだでは、すでに自明の理だ、定説だ」などといったところで、酔っぱらいの戯言以上の効力はない。これからクリスマスに忘年会、居酒屋の宴会保守はますます気勢を上げるだろう。そして焚書などしなくても、この本を手に取る人はほとんどいない状態が永遠に続くだろう。昔にくらぶれば保守勢力は確かに増えたが、歴史認識には四捨五入して70年、全く何の変化も改善も見られない。保守の近似値100%がこの本について議論することから完全遁走しているからだ。今回はTel Quel Japonからも遁走した保守が多かったので、ちょっと愚痴ってみた。

上の書籍と並行して読んでいただきたい資料。
参照:Saving the Throne
参照:Hirohito's struggle to surrender

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あなたの論破しなければならない相手は、さらにこういう教育を受けている。
1.フランスの歴史教科書
  フランスの歴史教科書 その後
  第二次世界大戦中の日本
2.田中上奏文
  田中上奏文(2)
  田中上奏文(3) 関連プロパガンダ映画3本
  田中上奏文(4) Homer Lea
3.The Tanaka Memorial
  Why We Fight: Prelude to War
  Why We Fight: The Battle of China
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月刊「WILL」の現代史見直しシリーズ、期待はできるが、ブレーキがかかって腰砕けになる不安もかなり大きい。年季の入った特に国家の上層部につながる本格派真正保守は、いまだに東京裁判を自分たちの力量の真価・成果そのものと心得ていて、証言者を探したり、資料を検証したり、すでにある歴史ストーリーの矛盾を突いたり、何人にも決してさせまいと強い決意を持っているからだ。彼らはパル判事さえも、鬱陶しい敵対者だと見ている。「WILL」も廃刊を覚悟で取り組まねばならないだろう。
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昭和天皇独白録、P.128。
「もし本土決戦となれば、敵は空挺部隊を東京に降下させ、大本営そのものが捕虜となることも考えられる。そうなれば、皇祖皇宗よりお預かりしている三種の神器も奪われることも予想される。それでは皇室も国体も護持し得ないことになる。もはや難を忍んで和を講ずるよりほかはないのではないか」
「伊勢と熱田の神器は結局自分の身辺に御移してお守りするのが一番良いと思う。・・・万一の場合には自分がお守りして運命をともにするほかはない」
終戦の決断が半年近くつけられなかった原因は、いかにして国体(3種の神器)を守るか、ということに尽きた。ソ連を仲介とする和平交渉が不発に終わった場合、しかも最悪の場合を想定して、天皇陛下は敗戦を決断された。いっぽう軍人はその使命は戦争に勝利すること、戦争が政治の延長であった時代、政治家にとっても、その究極の使命は戦争に勝利すること。天皇陛下の鶴の一声がなければ、彼らは永遠に敗戦を選択し得なかったに違いない。
然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所耐ヘ難キヲ耐ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ

独白録から遁走する必要などない。年季の入った特に国家の上層部につながる本格派真正保守も、この部分を盾とした理論を構築すれば「WILL」の「現代史見直し」に堂々と参戦できるのではないか。天皇陛下の靖国参拝も、9条の改正も、教科書の改正も、国家的誇りの回復も、乗り越えるべきものを乗り越えるための理論構築を怠り続ければ、あなたがたの夢は100年たっても夢のままで終わるしかない。それどころか、今のままではあなたがたはいつの日にか逆臣になるしかない。いつまでも見ざる言わざる聞かざるで、陛下の大御心の推移の襞を知ろうとしなければ、意見の乖離に気づく術もない。乗り越えるべき障害を目に入れもせず、何事もなかったように毎日お百度を踏んでいても、歴史は歪なまま固まってしまうだけだ。