詩集「2N世代」

詩作品、短編、評論、エッセイ他: Blogタイトルと内容がこの数年異なってきた。タイトルを変えたほうがいいかもしれない。

浅野七之助(ララ物資の父)

2012年05月23日 10時08分18秒 | Bruxelles talks

シャンソンのblogにLara Fabianのことを書き始めて、ふとララ物資のことを思い出した。
名前は知っているが内容は詳しくは知らなかった。私は社会の2科目を世界史と政治・経済&倫理・社会で受験したが、ガリオア・エロアは教科書に出てきたがララ物資は記述がなかったように思う。もっとも高校の政治・経済の授業は一日も出席していないので、実際の授業がどうであったかは、一切知らない。調べることにした。
戦後日本の飢餓を救った、浅野七之助(ララ物資の父)
なるほど。あまり知られていないのだ、筒井康隆氏の話だと、内容が伏せられていたようだし、番組の解説だと、アメリカの支援だということにされていたらしい。浅野七之助の名前をその後の日本は報道的には抹殺したわけだ。
「ララ物資」第一便が横浜港に到着した日
「ララ」物資!:
ところが、以下のあたりからおかしくなる。
かもめの水兵さん
香淳皇后御歌
 ララの品つまれたる見て
 とつ国のあつき心に
 涙こぼしつ
さらに刻まれたもう一首
 あたたかきとつ国人の
 心つくし
 ゆめなわすれそ時は
 へぬとも
ララ物資が到着した港に石碑が建てられ皇后陛下の御歌が刻まれてある。とつ国とは、外国を意味する。blogには「昭和22年に日本が食糧難で餓えていたときに、アメリカのララ基金(アジア救済公認団体)が救援物資を送っ てくれました。」と書かれている。浅野七之助たちの功績を抹消してGHQに加担している、なんという心無い捏造をする国なのだろう。誰一人、これを撤去せよとも言えないとは!

参照:日本が受けた援助の歴史

サンフランシスコ平和条約締結50周年に思う
{(ララ物資 & ガリオア・エロア )(↑元サイト)}
You Tubeではなく、こちらを先に読んでいれば、感想は変わるだろう。戦後日本はこのような歴史認識で進んできたのも事実だし、香淳皇后の歌碑の設置もこのような意図には合致して何ら矛盾はない。GHQにひたすら寄り添う姿は、東京裁判にも記録されている。「日本側としては、まず戦後復興援助に対して「感謝」を明確に表明して、日本人の品位と尊厳を確立することが先決である」というこの筆者の信念も認めたいと思う。しかしララ物資も何もかも混同されていると筆者が書いているのは「脱脂粉乳」に関してであり、浅野七之助が日本人として発する使命感に関してや、アメリカの行政と闘いながらも実行した同胞としての日本人精神に関しては、アメリカ国旗に自ら包んで区別していない。「誰一人、歌碑を撤去せよとも言えない」ようにその思考自体が仕組まれている。戦後の日本人は「浅野七之助」など日本人を決して讃えないように飼育されているのも事実である。筒井康隆氏ですら、正体不明と発言されている、原因はここにある。



さて、結論である。最近自らを真性保守と名乗り、保守と区別する人たちが数多く表れた、その特徴は、「日本側としては、まず戦後復興援助に対して「感謝」を明確に表明して、日本人の品位と尊厳を確立することが先決である。」とする従来の保守から明らかに距離を置こうとする強烈な反米思想である。A50の最近の活動はわからないが、もしまだあるとしたら、彼ら真性保守の攻撃の絶好の標的になるだろうことは間違いない。ただ真性保守はこのような歌碑を目にすると、塩を撒かれたナメクジの如くに萎れてしまうという体質を持つ。かくして保守は分裂することもなく、また思考を活性化させることもなく、歌碑を前にしても深く頭を垂れるのみで、永遠にすり替えに気づかないのだ。