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時空トラベラー THE TIME TRAVELER'S PHOTO ESSAY

歴史の現場を巡る旅 旅のお供はいつも電脳写真機

都市のランドマークとしての駅舎建築(Tokyo Central Station & Grand Ce

2013年04月11日 | ニューヨーク/ロンドン散策
 戦争中の爆撃で破壊され、建て直しか、復元か、戦後ながらく懸案だった名建築東京駅赤煉瓦駅舎の復元が遂に完成し、東京の新たな観光名所になっている事は周知の通りだ。歴史的な建築物が建ち並ぶ丸の内地区は丸ビル、新丸ビルのリニューアルに続いて、東京駅が復元され、ついこの間は駅前の東京中央郵便局跡にJP Towerも完成し、ショッピングモールKitte、オフィスビルとしてオープン。このように東京駅丸の内口の再開発が進み、従来あまり観光客や買い物客が集まる場所ではなかった東京駅周辺がにわかに「賑わいの場」として脚光を浴びている。

 再開発には破壊が伴う事が多いのだが、近代建築物を歴史的な遺産として保存/修復しようという動きが高まっている事は良い事だ。しかし,その手法には様々なバリエーションがある。駅前のランドマークであった丸ビルや新丸ビルは、旧ビルの面影を多少デザインに残してはいるが、完全立て替えで近代建築保存の手法はとられていない。JP Towerは、完全立て替えの予定で工事が進められていたところ、ご存知の通り某担当大臣の一声で、かろうじてファサードに外壁の一部が薄皮仮面のように残された。中身は全く残ってない最近流行の「なんちゃって保存」ビルだ。そういえばつい最近リニューアルオープンし、こけら落とし公演が始まっている銀座の歌舞伎座も、てっぺんにglass and steel高層ビルが生えた。それらに比べると東京駅舎はほぼ完全オリジナル復元ビル。これには感動。出来上がってみると、周りの高層ビル群の中に埋もれて、高さでは目立たず、たしかに内部は今の駅舎やビルの基準からみると狭く,スペース効率が悪いが、この土地一升金一升の丸の内に、経済効率一本やりでないある種の贅沢な余裕を感じる。それが新たな経済効果も生み出しているのだから、「経済合理性」の考え方も変えなくてはいけない。

 東京駅は、官営鉄道の起点であったであった新橋駅と、民営鉄道の起点であった上野駅とを結ぶ線の建設に伴って、その間に東京中央停車場(Tokyo Central Station)として1912年着工、1914年に完成したのが始まり。したがって新橋や上野のようなterminal(終着駅)ではなく、station(停車場)である。東京帝国大学の辰野金吾博士の設計になる赤煉瓦造り3階建ての建物は、にぎやかな八重洲、京橋側ではなく、何も無い原っぱであった丸の内側、すなわち皇居の真っ正面に中央玄関を設けた。国の威信をかけた帝都東京のシンボルとして建設されたものだ。戦時中の米軍による爆撃で、駅舎が破壊され、戦後はとりあえず3階建てを2階建てに補修して再スタートを切ったが、その後の経済成長のなかで、常に取り壊し再開発議論の対象となった。しかし、市民の熱心の保存復元運動の結果,駅開業100年目の2012年に元の美しい姿を取り戻すことが出来たわけだ。何でもすぐに壊してしまうこの時代に喜ばしい限りだ。現在東京駅自体は、プラットホーム数日本一で、JRの在来線が地上5面10線、地下4面8線、新幹線が地上5面10線。また東京メトロが地下1面2線、というビジーな駅となっている。また日本の鉄道の起点になる0キロポストがあり、東京駅を起点とした「上り」「下り」路線表示が使われるなど、文字通りの日本のCentral Stationだ。

 一方、ニューヨークのシンボルであるグランドセントラル駅(Grand Central Terminal)は御影石造りの壮麗な駅舎である。1871年に最初の駅が建設され、1913年に完全改装。今の駅舎の原型が出来上がった。今年で100周年を迎える。この駅も1966年には取り壊し再開発の計画が持ち上がったが、ニューヨーク市民、ジャックリーヌ・オナシスなどの反対運動で保存が決まり、1998年にリニューアルオープンにこぎつけている。2014年には,同じく100周年を迎える東京駅と姉妹駅になるそうだ。

 こちらは地下駅で地上にはホームも線路も無い。駅舎はマンハッタンの中心を南北に貫く大通り、Park Avenueの真上に通りをブロックするように立っている。ホームと線路はこのPark Avenueの真下に2層になっており、29面、46線を有するという巨大なターミナル駅だ。そもそもPark Avenue自体が鉄道の線路上にフタをして出来た大通りだそうだから、道路下を掘って地下駅を作った訳ではない。逆なのだ。通りを歩くと分かるが、歩道の側溝の金網の下に線路が見えている!さらに我々日本人の感覚では信じられない事だが、Park Avenue沿いの高層ビル群のすぐ真下が空洞になっていて、線路やホームや待避線が地下を縦横に走っているのだ。しかも、かつては機関車で牽引する列車だったことから,地下に広大な方向転換して入線するためのループ線まで残っている。この御影石造りの堂々たるグランドセントラル駅舎自体もこの空洞の上部に鎮座ましましている。岩盤の上に街を築いたマンハッタンとはいえ、この都市の構造は我々には信じられない。今は、主にWestchesterやConnecticut方面に向かう近郊通勤電車の始発駅だ。私もNY時代に毎日利用した。当時はNYには日本人駐在員が大勢いて、みな郊外に住み、夜になると帰宅する日本人サラリーマンで溢れる電車だった。いわゆる「Orient Express」だ。日本が元気な時代であった。ちなみに車両は川崎重工製。ワシントンやボストンなどの大都市間を結ぶ長距離列車やアムトラック(Amtrak)はペンステーション(Penn Station)が拠点となっている。アメリカが誇る高速鉄道アセラ・エキスプレス(Acela Express)もペンステーションが始発だ。

 このように,両駅はその生い立ちも役割も少しずつ異なるが,東京とニューヨークを代表するのランドマークである点は共通だ。そして、いずれもその駅舎は地域の再開発のために一度は取り壊しの対象となり、いずれも市民の運動で破壊を免れたという歴史を有する。鉄道という19~20世紀の公共輸送手段は、航空機や自動車の発達に伴い、その交通体系におけるドミナントな地位を失ってしまった。特にアメリカでは、その開拓フロンティアを支えて来た鉄道はその役割を終えた感すらある。それでも、単に輸送手段としてだけではなく、こうした歴史的な駅舎や、人が集まる場所としての魅力、情報が集まる場所、金が集まる場所としての仕掛け造りが、再び駅を蘇らせ、賑わいの場になり、都市の顔としての役割を復活させている。そうしたなか、観光やエキナカビジネスや、さらには乗車券の代わりのカードを利用した決済ビジネスを生み、レガシーな鉄道と駅舎+IT+リアルという、新しいエコシステムを生み出している。そうした「時代の変遷」という視点からも東京駅とグランドセントラル駅とがともに開業100周年を迎え、来年姉妹駅になるコトは嬉しい事だ。21世紀の新しい鉄道の時代に向けて出発の時を迎えている。

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 皇居から続く広い行幸通りも整備し直されて、東京駅赤煉瓦駅舎を正面から見る絶好の場所となった。

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 新装なったJP Tower(旧東京中央郵便局)の6階展望デッキからは、赤煉瓦駅舎を見下ろすことが出来る。

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 南北のドームの下は、駅の改札エリア。

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 ドーム天井はオリジナルのデザインで復元された。仮復元時代のパンテオンもよかったが。

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 Grand Central Terminal正面。Park Avenueの南側から姿。右の橋桁はPark Avenueを通る車両が駅舎ビルを左右に通り抜けるためのもの。

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 駅ビル正面のマーキュリーの像。後ろはMetlifeビル。昔のPanAmビルだ。

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 1950年代後半、私の父が撮影した当時のGrand Central Terminal。今と違って黒っぽく煤けた感じだ。。

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 内部は神殿のように広く厳か。星条旗が常に掲げられている。

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 コンコース。中央は駅の観光案内所。待ち合わせの目印にする人が多い。







秋のニューヨーク アート散歩 ー アート表現手段を我らの手に!ー

2012年10月16日 | ニューヨーク/ロンドン散策
 今年の秋のニューヨークツアーは、私達夫婦にとってなかなかにノスタルジックな出来事であった。思いがけないところで思いがけない人にばったり出会ったり、旧友の家族とリラックスしたディナーを楽しんだり、昔の職場の仲間が集まってくれたり、ニューヨークが私にとってかけがえの無い故郷になっている事に改めて気付かされた旅であった。もちろん結婚してこちらで暮らしている娘夫婦に会えるという事が,13時間の飛行という長旅にもかかわらず、旅立ちを決断させる最大のインセンティブである事は間違いない(妻にとっては特に)。

 また、今回のニューヨークへのショートトリップはアートな旅でもあった。フォトグラファーとしての活動に取り組んでいる娘夫婦が参加している、The New York Art Book Fair 2012がちょうどLong Island CityのMOMA PS1で開催されていており、彼等の案内でツアーを楽しむことが出来た。写真やデザインや絵画そのものだけでなく、写真集や画集、デザインブックといった「本」がそもそも,新しいアート表現となっていることに気付かされる。特に最近のトレンドになっているZineやSelf publishing作品が数多く出展されており大変興味深い。

 IT(Information Technology)の発展、とりわけ、PCやスマートホン、安価で高性能なデジタルカメラ、高精細インクジェットプリンターといったデバイスや、高速インターネット、ソーシャルネットサービス(SNS)、デスクトップパブリッシング(DTP)、ストーレージサービス、クラウドサービスなどの技術とサービス、その可用性(availablity)が急速に発達したことが、こうしたトレンドに拍車をかけている事は間違いない。

 例えば、今までは写真家が写真集を世に出すためには、出版社にまず認められなくてはならなかった。出版は大変にコストのかかる「事業」であった。つまり、平たく言うと、出版物として商業的に成功する作品のみが世にでる。このため、学生や写真を志す若手や、私のようなシロウトフォトグラファーの数多くの、ユニークな作品や表現が世の中に知れる事はまず無かった。インターネット基盤とした、いわゆる「ネット」がこうした、いわばロングテール作品を数多くの人々に観てもらう新たな媒体となった。いこのネットがマーケティングの世界でロングテール市場とロングテールニーズをマッチングさせる媒体となっている事は世に知られているが、これはこうしたアートの世界でも同じ事。出版社や新聞や放送のような一方通行のマスメディアに対する、インターネットそれをベースとした双方向型ソーシャルメディアが生まれたインパクトは大きい。そこではあらゆるUser Generated Contentsが主流になる。あたらしい表現者が新しい表現を自由に発表し流通させる事が出来る。

 こうなると、アートブックやフォトブックは、廃れるどころか、ますます表現者の手に戻ってくる。それがZineであったりSelf Publishingであったり、Digital Fotobookであったりする。また、さらにはその最終成果物だけでなく、その制作過程にある、校正版やアイデアノートのような物がまたアート表現の一つになる。この世界の伝道師、Victor Siraは、これを「book dummy」と呼んでいるが、これがまた面白い作品だ。これまでの出版概念では絶対なかった。

 このようにメディアを表現者の手に取り戻し、多様な表現手段を駆使する新しいアートの世界が広がっている。こういう表現手段にあらたな価値が見出されてきている。これは、ネットでのいわばバーチャル世界の表現と,自作の印刷物となり、書店店頭に並ぶという、リアルの世界での表現が共存する事を意味している。そのインタラクティブな関係性がまた新たな表現世界を生み出す。

 そして、意外に日本では知られていない事は、日本はこの分野では先駆的なのだということ。しかも、こうしたアートシーンは東京ばかりではなく,京都や福岡といった特色ある地方都市での活動が注目されてきているということ。今回のNY Art Book Fair 2012でも福岡の若者達の作品と活動が取り上げられていた。また、去年秋、金沢の21世紀美術館を訪問した時には、Zineの特別企画展が催されていた。アートの「地方分権」は当然なトレンドだろう。世の中に認められるためには東京へ出て、メジャーデビューしなくては,というモデルは前世紀的なモデルになりつつある。

 かつて、生産手段を労働者の手に取り戻し、自由を我らに、富の再配分を公平に、というカール・マルクスの主張は、21世紀になってもまだ実現出来ていないが、表現手段をアーチストの手に取り戻し、自由な表現、表現機会を公平に、は実現に向けて着々と進んでいる。テクノロジーイノベーションがアートイノベーションを生み出している。

 もちろんアーティストが商業的に成功して生活が豊かになるかどうかは、別の問題である。しかし、これも新たな事業モデルが生まれつつある。Google やAppleが提供する「プラットフォーム」がロングテール市場ののビジネス革命を引き起こしている。音楽におけるCDや、ビデオのようなパッケージメディア、書籍,雑誌や新聞、テレビのようなオールドメディアが、その事業モデルの大きな変換点に立たされている時に、こうしたネット文化がビジネスに大きなインパクトを与えている事は間違いない。テレビでやっているから素晴らしい。大手出版社から出されている本だから面白い、有名人だからスゴイ、という与えられた一方通行の評価基準ではなく、自ら発信者であり受け手でもある「我々」が持つべき価値の評価基準にもイノベーションが求められている。マネーはそれについてくる。それがビジネスモデルイノベーションだ。

 こうしてニューヨークの街を歩いていると,この街にはそこここにアートが潜んでいる。ともすれば観光案内や絵はがき的になりがちな風景や、街の佇まいを,自分なりの視点で写真に切り取ってみる楽しみが増えた。私のようなシロウトフォトグラファーにとって自分なりの表現手段を獲得出来るという事、そしてそれを大勢の人々に観てもらうことが出来るという事は,とてもワクワクドキドキする。


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(ニューヨークともしばしの別れ。マンハッタン、JFK空港を望む)

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(撮影機材:Fujifilm X10, X-Pro1, 35mm, 18mm,60mm Macro.このセットは街歩きのベストパートナーだ)



Narita-JFK Flight   Is 13 hours flight boring? 

2012年10月12日 | ニューヨーク/ロンドン散策
 成田/JFK間の飛行時間は約13時間。米国法人の社長をやっていた時を含め、出張でプライベートで東京/ニューヨーク往復を何度やった事か。もっぱらANA便を利用するフリークエントフライヤーだ。別にANAになにか義理がある訳ではないがマイレージプログラムのせいだ。それと後発で国際線市場に参入した,という点でなにか共感するところもあった。ANAのニューヨーク便初フライトにも搭乗した。

 ANA10便は成田を午前11時に出発。飛び立つとすぐに太平洋に出る。水平飛行に移ると食事(何メシなのか不明だが)になり、やがて窓の外は暗くなり、カムチャツカ、アラスカ上空では真っ暗になる。そしてカナダ上空ハドソン湾あたりから夜が明け始め、五大湖上空にさしかかる頃にはもう着陸準備だ。ほとんどが地球の夜の時間を飛行する。明け方のカナダ上空の光景は美しい。同日の午前10時半頃JFKに着陸だ。日付が戻るので得をするが、その分一日が長い。

 逆にJFKからは、ANA9便は午後12時半に出発。マンハッタン、ウエストチェスター郡、ハドソン川に架かるタッパンジーブリッジ、コネチカット州グリニッチを見下ろしながら、やがてカナダのハドソン湾上空にさしかかる頃までには昼食が終わる。窓の外はいつまでも明るい。機内は睡眠をとる人のために窓のシェードを降ろさせられるが、実は成田到着まで,地球の真っ昼間を飛行する。翌日の午後3時半頃成田着だ。逆に一日損をするが、その日はすぐ寝る時間になる。

 偏西風、ジェットストリームの影響で西向きに飛ぶ成田方向の方がJFK方向よりもやく一時間強余分に時間がかかるが、いずれにせよ12~3時間の長い長いノンストップフライトだ。以前は(1980年代初頭まで)は、ニューヨーク便もロンドン等の欧州便も、この大圏コースを取る場合は、必ずアラスカのアンカレッジでワンストップして給油していた。眠い中降ろされて、トランジットロビーでボーッとするしかなかった。外は凍てつく寒さだが,青空。マッキンレー背景にダイアモンドダストが眼にしみた。あとロビー内の立ち食いうどんと仁王立ちの北極熊の剥製がアンカレッジ空港の名物だった。

 もっとも,さらに昔(1950年後半)、父母達の旅は、羽田からJALのDC6プロペラ機で、ウエーキ島、ホノルルで途中給油しながらサンフランシスコまで飛び、そこから国内線に乗り換えミネアポリス経由でニューヨークへ、という24時間以上の長旅であった事を思い起こせば、13時間なんてどうという事も無い。当時の博多/東京間の寝台特急あさかぜ、さくら、みずほ、はやぶさ、がだいたい14時間ほどであった。

 話を戻して。しかし、私にとってこの時間はとても貴重で,ある意味忙しい時間だ。もちろん出張の時は、資料に目を通したり、会議原稿やメモを作成したり。機内で無線LANによるインターネットが利用出来た。これは良かった。この飛行時間と時差を有効に使えるからだ。メールを読んだり、返事を送ったり。ウエッブで検索したり。しかし、これで私の部下はかなり迷惑したようだ。ボスが出張で飛行中の13時間はは静かな時間であったはずが、その間にもメールが飛んでくる... もっとも、逆に機内からも衛星電話がかけられるので、私の東京のボス(S社長)の秘書からのメールで、電話しなくてはならない事もたびたび。やがて、いつの間にか機内無線LANサービスは無くなった。社員の苦情が原因だったのか? ちょっと残念だ。

 もちろん機内での過ごし方は,こうした仕事がらみばかりではない。食事も大事。映画も見たい。CAさんとの他愛のない会話も楽しい。したがって、あんまり寝ている時間はない。人によっては、機内で寝れたかどうかが重要と考える人もいるが,私は、ニューヨーク行きは朝着くので、少し仮眠出来ればいい。東京行きは夕刻着くので全然寝なくてもいい、という風に考えている。

 今回みたいにプラーベートな旅ではなおさら。機内で何をしようかわくわくする。このフライトでは、日頃見たいと思いながら、なかなか見る時間がなかった映画「Red Cliff」を鑑賞した。前編、後編あわせて5時間になるという超大作だ。こういう長時間フライトの機内でないとなかなか見れない。そしてこういうエンターテイメントが入ると、あっという間に13時間は経ってしまう。

 ジョン・ウー監督の「Red Cliff(赤壁)」は三国志のクライマックスである赤壁の戦いを題材とした映画。これをニューヨークへ飛ぶ機内で見る醍醐味は格別だ。時代は3世紀初の後漢朝末期。魏呉蜀が覇権を争う三国時代へと遷りゆく戦乱の時代だ。東海に浮かぶ倭国でも、倭国大乱を経て、邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢し、親魏倭王の印を親授された、と魏志倭人伝に記されている。
 
 主人公は後漢の丞相曹操(後の魏の創始者と言われている)、蜀を建てる聖君子劉備、その軍師諸葛亮孔明、そして呉の始祖孫権。この三人が覇権を争う物語りである事は言うまでもない。史書としての「三国志」は、後の晋の時代になって(晋は魏から政権の禅譲を受けたとされている)の陳寿が編纂したものだ。日本について記述された最古の歴史資料である、いわゆる「魏志倭人伝」の編者として知られているあの人物だ。比較的丹念に信頼出来る事実を拾い集め編纂された国史として後の世に評価されている。

 一方、庶民に人気のある物語り、三国志は、こうした史実をもとに後世に創作された「三国志演義」がベースになっている。もちろん物語りを面白くするための脚色がいたるところにちりばめられており、時代考証についてもおおいに異論があるわけであるが、英雄伝として現代まで親しまれている。

 話の軸は、悪玉:曹操と、善玉:劉備の戦い。劉備の稀代の名軍師諸葛亮が、孫権との反曹操同盟を成功させる。関羽や趙運、張飛といった伝説の英雄達が登場する壮大な軍記物語りだ。客観的な史実よりも,ワクワクする物語りの方が人気があるのは洋の東西を問わず同じだ。

 この映画「Red Cliff」も、この伝統的なシナリオに沿った筋立てとなっており、諸葛亮と名コンビとなる、劉備の総司令官周瑜とその妻小喬。それに懸想して略奪を狙う曹操。女だてらに敵地に乗り込み大活躍し悲恋に泣く劉備の妹尚香、といったヒロインの登場人物も物語りに色どりを添えている。諸葛亮役の金城武が好演している。いいな。そして、いよいよクライマックスの赤壁の戦いを迎える。壮大なセットと見事なカメラワーク。

 と、面白くてあっという間に時間が経ってしまったが、この中国映画もアメリカ映画同様、スペクタクルなスケールとするために使った「カネ」と「火薬」の量は半端でない。しかも、殺される人の数もハンパでない。戦いの中で虫けらのように人の命が扱われ、映画の部材として消費されて行く。使われた火薬の量に比例しての死屍累々にはうんざりした。

 映画の時代考証は、かなり脚色があって史実には必ずしも即していないだろう。しかし、奴国、伊都国や邪馬台国や、これらと争っていた狗奴国が名を連ねる倭国の時代でもある3世紀初頭。その同時期の中国大陸で、このような大規模な戦いが繰り広げられ、使われる戦術、武器、軍船、砦、衣装、食事、楽器、茶道等の大道具、小道具を見るとその素晴らしさに驚いてしまう。このあいだ見学した吉野ヶ里遺跡や、ヤマトの纏向遺跡を思い浮かべるとなおさらだ。映画だよ,とわかっていても時空を超えて、3世紀の東アジア世界を垣間みたような気にさせられた。

 このような漢帝国崩壊にともなう、三国の戦乱の時代、なぜその魏の陳寿は中華帝国を取り巻く夷荻についての記述を国史に残したのか? 倭人/倭国については他の蛮夷の国々と比べ、比較的詳細に述べられている。一説には、当時の三国の緊張関係のなかで、蜀と呉に対峙する魏はその東の海に倭国という強力な同盟国(多少誇張してでも)を有している。その倭国は大乱の後に連合し、その王が魏の皇帝の徳をしたって朝貢して来た。倭国王すなわち邪馬台国の卑弥呼を親魏倭王として柵封体制に組み入れた事を天下に示しておく必要があった。というもの。いわば我々の背後に軍事同盟を持つ強国が居るぞ、というわけだ。

 その解釈の是非については何ともコメントするすべもないが、当時の華夷思想では、中華帝国/その皇帝の権威は、その皇帝の「徳」によるもの。その「徳」は遠く周辺の蛮夷の国々にも知れ渡り、その「徳」を慕った蛮夷の酋長や王が中国皇帝に朝貢してくる。その国々が遠ければ遠いほど、その数が多ければ多いほど皇帝の「徳」が高く、中華帝国を治める権威が備わっている,と考えられていた。三国が中華帝国中原を治める権威、レジティマシーを争っているなかで、魏の主張を史書の形で陳寿が明文化したとしても不思議ではあるまい。

 ちなみに蜀と呉を連合させた稀代の軍師、諸葛亮は倭国の事を知っていたのだろうか? 倭国を反曹操連合に組み入れ、挟み撃ちにする戦略を考えてみた事はなかったのだろうか? もしそうなっていたら東アジアの歴史は書き換えられていただろう。ひょっとしたら金城武の諸葛亮は倭国から渡来した人物じゃないか,などと、荒唐無稽な夢想も楽しい。

 ニューヨークへの飛行中に、ふと気付くと3世紀の三国志の時代、倭国の時代にタイムスリップしていた。全編を見終わった頃には、夜が明け始め、窓の外に朝日に輝く茜色の雲と、雲間から無数の湖沼が点在するカナダの大地が見える。間もなくJFKだ。他機が飛行機雲を一直線に引っ張りながら,高速でANA機とクロスして行った。NY上空はあいにく厚い雨雲に覆われている。今日はマンハッタンは見えないな。ANA機は幾重にも重なりあった雲の中をドンドン降下しながらJFKにアプローチする。まだ見えない,まだ見えない、地上が見えたと思ったら,あっという間に雨の滑走路にタッチダウン。

 さあ、三国志、魏志倭人伝という3世紀の世界に別れを告げて、いよいよ今度は21世紀のニューヨークへとワープするぞ。

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(撮影機材:FujifilmX10)


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(飛行ルート。いわゆる最短の大圏コースだ。)





私の知らないニューヨーク散策 ービレッジ、ソーホー迷宮彷徨ー

2011年10月25日 | ニューヨーク/ロンドン散策
 前回書いたように,私にとってのニューヨークとはミッドタウンであった。国連ビルのすぐ近くの我がアパートから休日に散策する場合でも南は34丁目辺りから、せいぜいマディソンパークまで。それより南にはあまり行った事がなかった。チャイナタウン、サウスストリートシーポート辺りは時々観光目的で行った。ミートパッキングディストリクトには仕事で行った事がある。150ハドソンには我が社のl重要施設があったのでよく行った。もちろんダウンタウン、ウオールストリート辺りは仕事でよく行ったが,その途中の通過スペースが全く私の頭の中では空白地域なのだ。

 グリニッチビレッジ、ソーホー、イーストビレッジ....名前は聞くがどの辺なんだ?その定義がハッキリしない。人によっては「何だもったいない,せっかくNYにいて」と言われそうだが。かつて東京から出張で来た本社の社長をビレッジの有名レストランへ案内した事があったが、リモドライバーが連れてってくれたので,今でもそれが何処なのか分からない。あそこは雰囲気抜群でロマンチックなところだった。ニューヨーカーが結婚のプロポーズする時に使うレストランだとか。少なくとも背広姿のオッサン達が集団でメシ食う所ではない。今から考えるとおかしな事を日本人サラリーマン達は場違いな場所でやってたんだな。銀座や原宿の中国人ご一行様を笑えない。

 そもそもミッドタウンから南へ下がり14丁目から西南へ向うと,いきなり通りが斜めに走り始める。ユニオンスクエアーまでは良いが、ワシントンスクエアーの西、ウエストビレッジ辺りになると,ミッドタウン的な整然とした東西南北の方向感がすっかり狂わされてしまい、自分が何処にいるのか分からなくなる。ルール違反だろうこの斜め45度の道は。しかも番号ではなく名前が一つ一つの通りについている。ブリーカーストリート。モートンストリート... 覚えられない...

 ビレッジ歩きのスタートは地下鉄BDFMのWest 4th Street駅!娘とその連れ合いが案内してくれた。彼等はグリニッチビレッジの住人なのでスイスイ歩き回る。この駅のすぐ近くに住んでいるのだが、私はいくら道を教えてもらっても、一人では娘夫婦のアパートにたどり着けない。ジェラート屋の角を右へまがり、パン屋の角を左へ入る。リゾットのおいしいレストランが見えたら、信号渡り緑の並木道の中を真っ直ぐに...なんて説明ではミッドタウンニューヨーカーは無理なのだ。数字で言ってくれ、37 and 1とか...

 ここへ来ると、ニューヨークは古い町だなあと感じる。ボストン、いやロンドンの下町にも劣らない歴史を感じる町並みだ。ロンドンのウエストエンド、メイフェアーほど都会的でハイソな雰囲気ではないが,都会の田舎,まさに村(ビレッジ)の雰囲気だ。カムデンタウン、ベルサイズパーク、ハムステッドって感じか?有名なアーティストの住宅やアトリエ、スタジオが並んでいる。セレブな街なのだろう。町並みはハーレムと似ている。古い4~5階建てのタウンハウスの連続だ。ただ違いは廃屋になってるか否か。そう言うとビレッジ住人の顰蹙を買うかもしれないが、もともとハーレムもオランダ系移民の高級住宅街だったんだって。しかも、今はアポロシアターはじめNYのもう一つの観光名所になっている。

 緑濃く、住民が顔見知りで緊密なコミュニティーを形成している地域だ。住民の職業も、ビジネスマンや勤め人,というよりは、様々なアーティスト、俳優、学生。あるいは高等遊民。金持ちではないかもしれないが,生活の質を重んじ楽しむライフスタイルの持ち主達。素敵なレストランや,カフェも成金趣味でない所が良い。何気ない街角のカフェに超有名人がこれまた何気なく座ってる雰囲気が良い。カップルも男女とは限らない。堂々とゲイの集会場もある。それがまた街の文化になっている。人々はフレンドリーで他人行儀でない。ミッドタウン程のオープンさはないのかもしれないが、一度住人になれば皆友達だ。京都の町家や江戸の下町、田舎のコミュニティーの色合いが残っているのかもしれない。やはりビレッジだ。

 ソーホーはファッショナブルな店が建ち並ぶ洒落た街だ。有名ブランド店も多くて原宿表参道的な雰囲気だ。
 イーストビレッジは最近日本食の店が増えて、チョットしたジャパンタウンになっている。中でも博多ラーメンの一風堂が超人気店で、店の前には行列ができている。中は入った事はないが、ランチミーティングも出来るそうだ。博多とんこつラーメンでランチミーティングってどうなの?と思うが、これがNY流のラーメン食文化の消化方法なのだ。しかしビックリした!スシに続いてラーメンがトレンディーな日本食になっている。別に良いんだ。本家博多のラーメン屋の常連であるだけに、そのギャップに少しクラっとしただけだが...

 茶庵というレストラン/ティーハウスも洒落ている。ちゃんとした茶室を備えていて要望に応じてお茶を立ててもらえる。今までのステロタイプの日本食レストランはもうニューヨーカーには飽きられて、こうしたおしゃれで素材を活かした食文化が受け入れられ始めたんだろう。昔はイーストビレッジと言えばインド料理店のイメージだった(単に私の中で、だが)、やはり歩いてみるものだ。

 これからはビジネスマンからアーティストに変身だ!? 今までオレはニューヨークの半分以下しか知らなかったって訳だ。久しぶりのNY散策。けっこう目から鱗の経験だ。ハマりそうだ。

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私の知ってるニューヨーク散策 ーミッドタウン徘徊ー

2011年10月20日 | ニューヨーク/ロンドン散策
 4年ぶりにニューヨークへ行った。ニューヨークにいたときはあれ程頻繁に東京と行き来していたのに、一旦日本へ帰ると、なんとニューヨークは遠い街である事か... 

 私の活動拠点であったミッドタウンはビジネス、エンターテイメント、観光の中心だ。お金と時間さえあれば最高に楽しい所だ。逆にお金も時間もなければ冷たい街だ。ビジネスで成功して摩天楼のトップフロアーにオフィスを構えるのも,没落してホムレスになるのも紙一重。アメリカの繁栄の象徴かもしれない。その繁栄の輝きがまばゆい分、その影もはっきり見える街だ。世界経済の中心である金融街はダウンタウンのウオールストリートだと言われるが、最近は意外にミッドタウンに集まってきている。9.11以降特にその傾向が強い。日系の金融機関もミッドタウン集中だ。

 タイムズスクエアーは、ミュージカルと観光のメッカだが,ここにはモルガンスタンレー本社もナスダックもある。チョット場違いな感もしないでもないが、渦巻くネオン、いやデジタルサイネージのナカに株の値動きを流すティッカーや経済ニュースを流す電光掲示板(古い言い方だ!)が埋もれている事にご注意あれ。ウオールストリートで格差社会へのプロテストを呼びかけたデモ隊が集まっていたが、先週はこの一団がタイムススクエアーへ押し掛けた。これは単に人が大勢いる所でアピールしたいというだけでなく、金融業界の雄であるモルスタがいるからでもあろう。

 碁盤の目のような分かりやすい街路区画と林立する高層ビルが街の景観を形作っている。イエローキャブも最近はニッサンのハイブリッドに置き換わりつつあるようで,意外に奇麗な新車が走っている。これも街の景観を形付ける重要なエレメントだ。道路は相変わらずぼこぼこに穴があいている。所々赤白ダンダラ模様のチューブが路上に突っ立っていて,そこからスチームの白い蒸気が上がっている。ニューヨークの欠かせない光景の一つだ。 

 メトロポリタン美術館、近代美術館(MoMA)、グッゲンハイム美術館、フリックコレクションなどの世界の美を集めた施設も世界の富が集まるニューヨークを象徴する名所だ。目や、知性や、感性を楽しませるものだけでなく、人間の欲望の根源である食欲を満たす場所にも事欠かない。世界中のグルメを唸らせるレストラン。ビッグジューシーステーキ、オイスターバー、メインロブスター、ワイン、そして今やスシバーはニューヨークを代表する食のラビリンスになっている。路上ベンダーのプレッッツェルもホットドッグもワッフルもすべてアメリカサイズでカロリーオーバーは覚悟しなくてはいけないが...

 ともあれ、私にとってニューヨークと言えば,ミッドタウンのイメージだった。会社のオフィスも、ビジネスパートナーや取引先も、仕事もビジネスも,ショッピングも,エンタメも、観光も。そして住むのも... 何しろグランドセントラル駅から半径数キロ以内で生活していた。日本からの客がくれば観光も食事もこの辺で用が足りる。しかもほとんど歩いてまわれる範囲にあるのがうれしい。だからそれだけでこれがニューヨークだと思っていた。いや、これがアメリカだとさえ思っていた。

 セントラルパークはこのビルの林立するマンハッタン島の極めて人工的に切り取られた緑の公園だ。その自然とはかけ離れた長方形に区切られた「自然」がニューヨークらしい。ロンドンのハイドパーク、ケンジントンガーデン、リージェントパークとは成り立ちから違う。セントラルパークへ来ると、いたるところに大きな岩が露出しているのを目にする。このハドソン河とイーストリバーに挟まれた狭い島マンハッタンが、中洲などではなく、大きな一枚岩の岩礁である事を実感するだろう。

 別にここで観光ガイドを書こうという訳ではないが、やはりミッドタウンを描写しようとするとガイドブック的になる。それだけ皆に知られた世界的な街なのだ。欲望渦巻く街ミッドタウン、最高も最低も共存する街ミッドタウン、苦闘した街ミッドタウン、裏切りと背信の街ミッドタウン、ヤッターと叫んだ街ミッドタウン、楽しかったミッドタウン、思い出イッパイのミッドタウン。そういう感傷がガイドブックのナカにちりばめられた街ミッドタウン... 私にとってセンチメンタルミッドタウンになったのだ。昨今すっかり日本の影がこの街に薄くなってしまった分だけ余計に...

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