ぼけ~~~っと人生充電記!

こんな時だから、こんな時だからこそ、色んな事を書き残していきます。

平昌五輪複合代表の男逮捕、福島 郡山、客引きの疑い

2019-11-29 22:00:00 | スポーツ

 福島県警郡山署は29日までに、通行人に「キャバクラいかがですか」などと声を掛けたとして、郡山市客引き防止条例違反の疑いで、平昌五輪でノルディックスキー複合の代表だった渡部剛弘容疑者(26)=自称、猪苗代町=ら3人を現行犯逮捕した。残る2人は33歳と36歳の飲食店従業員。
 逮捕容疑は27日夜、JR郡山駅近くの路上で、通行中の男性を相手に客引き行為をした疑い。
 同署によると、渡部容疑者は容疑を認めている。
(https://news.livedoor.com/article/detail/17456090/)


五輪代表になるほどの実力の持ち主。
そんな彼が客引きをしなければならないのが問題。
厚い援助が必要なのかも、、。
                          4758号
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中曽根康弘元首相が死去 101歳

2019-11-29 12:30:00 | 時事ネタ

「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄の民営化や日米安全保障体制の強化などに取り組んだ、中曽根康弘元総理大臣が29日、東京都内の病院で亡くなりました。101歳でした。
中曽根元総理大臣は、大正7年に、群馬県高崎市で生まれ、昭和16年に旧東京帝国大学を卒業し、当時の内務省に入ったあと、太平洋戦争中は海軍の士官を務めました。
そして、昭和22年の衆議院選挙で、旧群馬3区に、当時の民主党から立候補して初当選し、その後、自民党の結成に参加して、20回連続で当選しました。
この間、昭和34年に第2次岸改造内閣の科学技術庁長官として初入閣し、防衛庁長官、運輸大臣、通産大臣のほか、自民党の幹事長や総務会長などを務めました。
また、改進党に所属していた当時、被爆国の日本でも、原子力発電に向けた研究開発が不可欠だとして、原子力関係の予算案の提出を主導したことでも知られました。
中曽根氏は、当時の佐藤栄作総理大臣の長期政権のもと、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫と並んで、いわゆる「三角大福中」の一角をなし、「ポスト佐藤」の候補として、党内の実力者のひとりに数えられるようになりました。
昭和57年11月、自民党の総裁予備選挙で、河本敏夫氏、安倍晋太郎氏、中川一郎氏を抑えて、第71代の内閣総理大臣に就任し、「戦後政治の総決算」を掲げて、懸案の解決を目指しました。昭和60年8月15日には、戦後の総理大臣として初めて、靖国神社に公式参拝しましたが、中国などから強い批判を受け、それ以降は参拝を見送りました。
中曽根氏は、行政改革などに尽力し、第2次臨時行政調査会、いわゆる「土光臨調」の土光敏夫氏と二人三脚で、「増税なき財政再建」に取り組み、当時の「国鉄」、「電電公社」、「専売公社」の民営化に取り組みました。
一方、外交面では、総理大臣就任からまもない昭和58年1月に、当時、関係がぎくしゃくしていた韓国を訪れて関係改善に道筋をつけて、そのままアメリカを訪問し、レーガン大統領との間で強固な信頼関係を築きました。互いを「ロン」「ヤス」と呼び合うレーガン大統領との関係は、中曽根外交の基盤となり、昭和58年11月にレーガン大統領が日本を訪れた際には、東京 日の出町のみずからの別荘「日の出山荘」でもてなし、中曽根氏がほら貝を吹く姿も話題になりました。
昭和60年3月には、旧ソビエトのチェルネンコ書記長の葬儀を利用して、ゴルバチョフ新書記長との首脳会談も実現させました。
一方、中曽根氏は、私的な諮問機関を設けることで、大統領型のトップダウン政治を目指したほか、日米貿易摩擦をめぐる記者会見では、みずからグラフを指し示したり、水泳や座禅をする様子を公開したりするなど、パフォーマンスのうまさでも知られました。
昭和61年には、「死んだふり解散」、「ねたふり解散」とも呼ばれる、衆参同日選挙を行い勝利を収め、党総裁としての任期が1年延長されました。しかし、昭和62年4月の統一地方選挙で敗北し、みずからが目指していた売上税の導入を断念し、その年の10月には、当時、「ニューリーダー」と呼ばれた、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の3氏の中から、竹下氏を後継総裁に指名し、11月に退陣しました。
中曽根氏の総理大臣としての在任期間は1806日と、当時としては異例の5年におよび安倍、佐藤、吉田、小泉の4氏に次ぐ、戦後5番目の長期政権となりました。
総理大臣退任後、リクルート問題で、平成元年5月に衆議院予算委員会で証人喚問を受け、党を離れましたが、2年後に復党しました。
そして、平成8年の衆議院選挙では、小選挙区制度の導入に伴い、当時の党執行部から、比例代表の終身1位で処遇することを確約され、小選挙区での立候補を見送りました。翌年には、大勲位菊花大綬章を受章したほか、国会議員在職50年の表彰も受けました。
しかし、平成15年の衆議院選挙の際、当時の小泉総理大臣が、比例代表の73歳定年制の例外を認めず、中曽根氏は立候補を断念して、56年に及ぶ国会議員としての活動に幕を閉じました。
中曽根氏は、政界引退後も、安全保障や国際交流のシンクタンクの会長を務め、内政や外交をめぐって積極的な発言を続け、みずからの心境を、「くれてなお命の限り蝉しぐれ」と詠んでいます。
とりわけ、憲法改正には強い意欲を示し、新しい憲法の制定を目指す、超党派の国会議員らでつくる団体の会長を務めてきたほか、おととし5月に出版した著書では、戦力の不保持などを定めた9条2項を改正し、自衛隊の存在を憲法に位置づけるべきだなどと提案しました。
葬儀は近親者のみの家族葬 後日 お別れの会開催 葬儀は近親者のみの家族葬 後日 お別れの会開催
中曽根氏の長男で自民党の中曽根弘文元外務大臣は、自民党の関係者などに対して訃報を出し「父は、本日、永眠致しました。葬儀につきましては近親者のみによる家族葬にて執り行い、後日お別れの会を開催する予定でございます。永年に亘りますご厚誼に対しまして、故人に代わり衷心からの感謝を申し上げます」としています。
またNHKの取材に対して、中曽根弘文元外務大臣は「多くの皆さんに支えてもらい、国のことを思いながら人生を全うした。悔いのない人生をおくることができたのではないか。家族として皆さんに感謝している」と述べました。
そのうえで「父は戦争から引きあげて、昭和22年に国会議員に出た。焦土と化した国土を見て、どういうふうに復興していくかというのが、父の政治家としての出発点だったと思う」と述べました。
また「家族に対しては、あまりあれこれ言う人ではなかった。本当に一生懸命勉強する人で、息子が言うのもおかしいが、あんなにも勉強する人は知らない。飛行機の中でも、汽車の中でも、船の中でも、いつも努力をする人だった。スポーツしたり、水泳したり俳句をつくったり、趣味の広い人でもあり、自分の時間を有効に使い、健康にも自分で気をつけて、101歳まで元気でいられたんだと思う」と述べました。
孫の康隆議員「最後まで日本の未来考えていた」 孫の康隆議員「最後まで日本の未来考えていた」
中曽根元総理大臣の孫で、自民党の中曽根康隆衆議院議員は記者団に対し「おかげさまで101年という人生をやりきった。ずっと元気で、即位礼正殿の儀(そくいれい せいでんのぎ)のニュースを見て喜んでいたし、新聞も読んでいた。われわれも驚くくらい生命力が強いというのは感じていた。ずっと『国家が体に宿っている』と本人は言っていたが、最後の最後まで日本の未来のことを考えていた」と述べました。
また、中曽根元総理大臣との思い出について「初当選の直後、事務所に報告に行った際に、開口一番『しっかり歴史を勉強しなさい。政治家は先見性を持つために過去を知らなければいけない』とするどい目つきで言われた。私も思いを引き継ぎ、しっかり国会議員として頑張りたい」と述べました。
(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191129/k10012195791000.html)


中曽根さんといえばタカ派の大物、ロンヤス、国鉄民営化、田中曽根内閣、憲法改正論者、無念の引退「政治的テロみたいなものだ」、大勲位。
101歳、でもやり残したことはあるんだろうな。安らかにお眠りください。

ご逝去を悼み謹んでお悔やみ申し上げます。
                          4757号
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令和になって初、子どもの名前ランキング首位は【蓮】と【凛】

2019-11-29 12:00:00 | 季節ネタ

 明治安田生命が、毎年恒例の『生まれ年別の名前調査』の結果を本日29日に発表。令和最初のトップは、男の子が昨年に引き続き2年連続となる【蓮(レン)】、女の子が【凛(リン)】(昨年5位)という結果に。男女共に、漢字一文字の名前が首位を獲得。さらに、新元号「令和」が日本最古の和歌集「万葉集」から採用された影響からか、女の子では5位の【紬(ツムギ)】(昨年9位)や20位の【詩(ウタ)】(昨年38位)など、“和”を連想させる名前の人気が上昇する結果となった。
■新時代への想いが込められた男女ベスト3 男の子は「新」が初のトップ10入り
 男の子の名前は、【蓮(レン)】が2年連続6回目の首位を獲得。植物の「蓮(はす)」は、泥の中で根を張り大地に力強く根ざすイメージを持つとともに、仏教の象徴的な花として寺院など日本らしさを連想させる花。元号が新しく「令和」に変わり新時代に突入する中、改めて「力強さ」と「日本人らしさ」の意味を併せ持つ点が、支持を集めた理由の1つと言えるかもしれない。
 続いて、同率の2位は【陽翔(ハルト)】と【新(アラタ)】。昨年の5位からランクアップした【陽翔】は、「陽」が「日の当たる明るい所」、「翔」が「空高く大きく羽ばたく」という意味を持つ。また、前回15位から大きく順位を上げ初のトップ10入りを果たした【新】も、新時代の始まりを連想させる希望に満ち溢れたイメージを持つ。「令和」への想いを感じさせる名前がベスト3を飾った。
 女の子のトップ3は、1位【凛】、2位【陽葵(ヒマリ)】、同率3位が【結愛(ユア)】、【杏(アンなど)】。1位の【凛】は、響きのかわいらしさと共に、「凛とした」、「凛々しい」など力強さを連想させる漢字。2位の【陽葵】の漢字は、男の子と同様ポジティブなイメージを持つ「陽」と、太陽の方を向いて育つ「向日葵(ヒマワリ)」に用いられる「葵」を使用。「人生に迷うことなく、明るく前向きに育って欲しい」という、親の願いが感じられる。
■男女共に漢字一文字が人気上昇 女の子は「和を連想させる」名前がランクアップ
 昨年に引き続き、男の子の名前には“漢字一文字”が人気。1989年の調査開始以来、過去最多タイとなる6つがトップ10にランクインし、50位以内には17の名前が登場。2位の【新】を始め、4位【湊(ミナトなど)】、【蒼(アオイなど)】、【律(リツ)】、7位に【樹(イツキなど)】。さらに、【陸(リク)】(13位)、【悠(ユウ)】(18位)が続き、【晴(ハルなど)】(22位)、【匠(タクミ)】(48位)など、昨年のランク外から大きく順位を上げた名前も。
 女の子で特徴的だったのは、「和を連想させる」イメージの名前が多数ランクインしたこと。日本が誇る織物の一種である【紬(ツムギ)】が5位、日本の四季を感じさせる【心春(コハル)】が、昨年の24位から8位へランクアップ。他にも【詩(ウタ)】が20位、【琴葉(コトハ)】が23位(昨年25位)など、日本らしい響きを持つ名前の人気が上昇した。
 【昭】や【翔平】、【成美】など、元号の漢字をそのまま名付けに使う傾向にあった「昭和」や「平成」と比べ、「令和」は直接漢字を使用した名前はトップ10にはランクインせず。文字の持つ意味がより強調される漢字一文字や、和を連想させる名前が選ばれたようだ。日本らしさや、新しい時代を力強く切り拓くイメージの名前が上位にランクインし、漢字の持つ意味に、新時代に育つ子供への親の想いを重ねる傾向が感じられる結果となった。
 生命保険加入者を対象に1989年から行なっている同調査は今回で31回目を迎える。時代を映し出した名付け方が見て取れることから、毎年注目を集めている。今年は男児8455人、女児8407人を対象に集計を行なっている。
(https://news.livedoor.com/article/detail/17452322/)


一応、読める名前なのがgood!
キラキラネームはちょっとなぁ。
蓮くん、凛ちゃん、響きもgood!
                          4756号
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