小さな城下町にある私の実家は、町一番の旧家に仕える家老のような役割りを代々務めてきた。
その家の家督が進学すると、我が家の長男が学友として同じ学校へ進学する。
父もそうだった。
父が仕えた方は政界へ進出し、参議院の副議長(野党議員としては最高位)まで登りつめた。
その後、選挙区の定数削減があり、副議長が引退すると、後継の子息は県議会に活路を求めた。
兄もまたその方に仕え、選挙の時などは事務所や旅館に寝泊まりして何日も家に帰らないことがしばしばだった。
困ったものだねえ、と母はこぼす。
「選挙と葬儀は多くの男性にとってワンダーランドでしょうから」と私は笑いながら擁護する。
昨年、県議は再度転身し、僅差で現職を下して郷里の町長になった。
すごいじゃない、と驚く私に、お父さんが参議院で息子さんが町長じゃねぇ、と母はため息をついたが、世の中すべてがスケールダウンしつつあるわけだし、そのくらいがちょうどいいのではないかな、と私は肯定的に捉えている。
「明日は、当ホームに先日入居された利用者様の初めての一時帰宅で、私が同行する予定となっています。
入居当時はとても帰宅願望が強く、どうなるものかと案じていましたが、少しずつ、信頼関係を築く事ができていると思っています。
『諦めてここに居るしかないか~アハハ』と話されることもあり、このまま、ホームでの生活を受け入れていってくだされば良いなと思います。」
「その方は今、境目のところにいるのだろうね。
きみもホームが長くなっているので分かっているだろうけど、家に帰って、そのあとホームへすんなりでも泣き泣きでも、戻っていただけたら、これはもう大丈夫だ。
初めてのホームを開設した年、僕は職員と二人で、帰宅願望を頻繁に口にされていた利用者様を空き家になっている自宅までお連れした。
濡れ縁に腰掛けて景色を眺めながら、ホームから持参したポットのお茶を飲み、庭の柿をもぐなど一時間ほどいて、帰ってきた。
それで納得されたのか、以後ホームを自宅と思っていただけるようになった。
たぶん、さまざまな思いがあっただろうに、それを全部飲み込まれて、こらえていらしたのだろうね。
偉いなあ、と思って僕はいつも敬意を持ってその方に接した。懐かしい思い出だ。
また、その時同行してくれた職員は後年、管理者になった。とにかくよくできた女性で、僕は掌中の玉のように彼女を大切にした。」
本当にびっくりした。
NPO法人なごやかの理事長に同行して出席した外部会議が長引いたため、終了後、カレー専門店でお昼をごちそうになったのだが、私より先に食べ終えた相手のお皿がとてもきれいなことに。
ソースポットとライスが別々に出てくる本格的なお店で、私はビーフカレー、肉を食べない理事長は野菜カレーをそれぞれオーダーしていた。
私は自分のお皿と見比べて、ひどい敗北感を味わっていた。
それを正直に話すと、彼は吹き出した。
悪い悪い、そんなつもりはなかったのだよ、ふだんからなるべく皿や箸先を汚さずに食べることを心がけているだけ。
でも、スパゲティなどは最初から無理だし、目玉焼きも難しいけれど、カレーは意外に簡単で、特にソースポットからレードル(スプーン状のお玉)でライスにかける方式のものは、このようにコンスタントにきれいにできる。
あらかじめルーがかかっているものに関しても、ルーとライスの水打ち際からスプーンですくうようにして食べ、さりげなくライスの山を手前に曳いてくるのを繰り返すといい。
ひと匙ごとに二つをからめるひとがいるけれど、そうすると食べるのに時間がかかるし、スプーンが汚れるので、皿もきれいにはならない。
僕はたまたま、子供のころからそういう習慣がなかったのが幸いしているのだろう。
ただしこれはあくまで僕個人の観念と作法なので、相手の皿が汚れていようと何も思わないし、責めるものでも強要するものでもないことは、話しておくね。
そう言われながらも、私は若干ひいてしまっていた。
成人式の日、薔薇の花束を抱えて歩く振り袖姿の女性を見かけた。これから贈るのだろうか、それとも贈られたのか。
薔薇の大きな花束は特別なもので、圧倒的に美しいと長く思っていたのだけれど、自分自身で贈ってみて初めてわかったのは、贈られた薔薇の花束を抱えているひとこそが美しいということだった。