グループホームポラーノの芋煮会に参加しました。
美味しそうですね。
ぽらんデイサービスの記念樹を思い切って剪定してみました。
サトザクラという八重桜の一種です。
またまた切り過ぎてしまい、毛刈りした羊のようになってしまいました。
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ニューフェイスが二台、やってきました。
シルバーのタントと、もう一台はWill Vi。
シンデレラのかぼちゃの馬車をイメージした、トヨタのコンセプトカーでした。
翌年のTは登板するたび初回から打ち込まれることが続き、シーズン終了後には戦力外通告を受けた。
ただ、彼の実直な人柄を惜しんだ二軍監督の口利きで、Tは球団職員としてホエールズに残れることになった。
彼は懸命に働いた。
当時まだ手書きだったスコアボードの点数板を掛け替えたり、イベントでぬいぐるみの中に入ったり、選手用のマイクロバスの運転手も進んで務めた。
そうこうしているうちにTはスコアラーとして連日一軍ベンチ入りするようになり、歴代の監督やヘッドコーチから重用された。
さらに時は流れ、球団は大洋ホエールズから横浜ベイスターズに衣替えし、本拠地も川崎から横浜に移転したが、Tは相変わらず誠実に仕事を続け、やがて球団グッズの企画販売を行なう子会社の社長に登りつめた。
それを機に、彼は郷里けせもい市から老母を呼び寄せて横浜球場近くに購入したマンションへ住まわせた。
また、彼は自分と同じように大成しなかった元選手たちへの再就職のあっせんなど、親身で組織的な支援を早くから提唱し、球界きっての人格者との尊敬も集めていた。
ある日ふとTは、秘書が中身を補充してくれた名刺入れから、一枚自分の名刺を取り出して見つめた。
球団のロゴと、代表取締役社長の肩書きがくっきりと印刷されている。
なんという不思議な、遅咲きの人生だろう。
あの対談がなければ、あの名刺の一件がなければ、東北の片田舎からスパイクとグローブを包んだ風呂敷一つで都会に出てきたオレの人生は、きっと始まりもせずに終わっていたに違いない。
彼は目を閉じるとあの美しい歌手の面影を胸に思い浮かべ、頭を垂れた。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
東北の片田舎の県立けせもい高校でピッチャーだったTは卒業と同時に上京し、大洋ホエールズの入団テストに合格して念願のプロ野球選手になった。
とはいえ、甲子園を経験しているわけでもなければ、天賦の才能の持ち主でもない。
二軍のグラウンドで毎日白球が夜の闇で見えなくなるまで練習に明け暮れる生活だった。
翌年、二十歳になった年の夏、成人を迎えた各界の若者たちの対談企画が、とある新聞社から球団に持ち込まれ、なぜかTに白羽の矢が立った。
彼の相手は売出し中の女性歌手だった。
着慣れない背広姿で会場に入って行くと、相手はもう到着していた。
椅子から軽やかに立ち上がった様子は、夏らしい薄手のワンピースから足がすらりと伸びていて、きれいなひとだな、というのが第一印象だった。
彼女のマネージャーは、ウチの大事なタレントを待たせるなんて生意気な、と聞こえよがしに文句を言った。
どちらも多弁な方ではなかったが、かろうじて記事一本分の量がとれ、ちょうど予定の時刻に対談は終了した。
歌手はこれからラジオの収録があるとのことで、マネージャーに急き立てられるようにして退室して行った。
ふと見やると、テーブルの下にTの名刺がぽつんと落ちていた。
オレとは世界が違うからな。そう思うことにした。
けれども、その数日後、二軍の寮に歌手本人から電話があった。
あれから帰ってあなたの名刺を見ようとしたら、落としてきたことに気がついた、本当に失礼してしまい、申し訳なかった、お詫びがてら試合を観に行こうと思う。
Tは驚きながらも、次の登板日を教えた。
当日、バックネット裏に彼女の白い顔を見つけた時はさらに驚いた。
本当に来てくれたんだ。彼は胸が熱くなった。
でも、あれでは日焼けしてしまい、あの厳しいマネージャーさんに叱られてしまうだろう。
そんな余計な心配をしながらも、Tは腕がちぎれるくらい全力で剛速球を次々投げ込んだ。
試合後、川崎球場近くの中華料理店で一緒に食事をとった。
歌手は野球のルールをほとんど知らなかったが、それでもTが各バッターに真剣勝負を挑んでいたのは十分感じたらしく、あなた立派ね、を連発していた。
そんなことが何度か続いた。
ところが、その年の十月、寮の食堂で彼が手に取った新聞の経済欄に、大手ホテルグループの御曹司とあの歌手が婚約した、との短信が掲載されていた。
(つづく)
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
思い立って、地域包括支援センターの敷地内にある大小3本の桜の木を剪定した。
土地建物を購入した際にすでにあったもので、真ん中の6メートル超の大木が前後の2本に覆いかぶさるように枝を伸ばしており、毎年ほとんど花を咲かせることがなかった。
地域包括とデイサービスの建物に挟まれているという条件の悪さも災いしているのかもしれない。
それでも、咲かないのはつまらないので、手を掛けることにした。
毎日のウォーキングに充てている昼の約30分をその作業に振り替え、おもに手ノコと高枝切り鋏でのチャレンジだ。
5日もすると、いつもの自分の癖のように、心配なほどスカスカになってきた。
真ん中の木の大枝を落とすと、2本の間から日差しが入り込んでとてもいいカンジだ(自己満足?)。
枝払いが(道具が届く高さまでは)一段落したので、今日は切り落とした大小の枝を丸ノコで切り揃えている。
薪にしたらいい香りがするだろうけれど、住宅街の一角だし、もうそんな時代でもない。
ちょっと残念だが。
このあと根の周りに肥料を埋め、それで今年は終わりにしよう。
来年は、2棟の建物の二階から、窓越しに枝を払ってやろうかと考えている。
40年以上前、ライブ友達のアパートへ遊びに行ったところが、本棚にカーソン・マッカラーズの「心は孤独な狩人」(河野一郎訳、新潮文庫)があってひどく驚いた。
僕も同じものを持っている、映画(「愛すれど心さびしく」)も観た、と話すと、彼女はしげしげと僕の顔を見つめた。
さらにそのころ、ロードショー公開されたトリュフォーの「隣の女」や、リバイバル上映された「突然炎のごとく」などを観ているうちに、僕はこれらの物語に描かれた愛というものが自分の中にあるのかどうか、わからなくなった。
そんな自分が欠陥品のように思えて、「僕は愛がよくわからない」がいつしか口癖になってしまっていた。
先月、村上春樹がマッカラーズの「結婚式のメンバー」(2016年)、「心は孤独な狩人」(2020年)に続いて「哀しいカフェのバラード」を新たに訳出した。
「哀しいカフェのバラード」、「悲しき酒場の唄」はつい昨年、ちくま文庫から「マッカラーズ短編集」として別の方が新訳を出版したばかりで、いわば屋上屋を架す形になっても、村上はやりたかったのだろう。
僕は村上の作品を初期の数冊しか読んでおらず、よく知らないが、彼が次に何を訳すか、今なら当てられるような気がしている。
なにせ、(彼がこれまで訳してきた)フィッツジェラルドやカポーティ、マッカラーズ、加えてテネシー・ウイリアムズなど近代アメリカの作家群は、僕の書斎の文脈棚の根幹だから。
本命は、キャサリン・アン・ポーターの「花咲くユダの木」だ。
ヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」は、2017年に小川高義が新潮文庫から新訳を発表したので、可能性がなくなった。
大穴は、メアリー・マッカーシーの「グループ」。
まさかと思うけど、ダシ―ル・ハメットの「血の収穫」。
さあ、どうでしょう?
1958年刊。
映画「回転」(1961年)。脚本トルーマン・カポーティ。
傑作だが、死ぬほど怖いので観ない方がいい。
監督はジャック・クレイトン。のちにクレイトンが監督した「華麗なるギャツビー」は
当初カポーティが脚本を書いたがボツになり、コッポラのものが採用されている。