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「いくつかの場面」野次と罵声の中で司会者に呼びもどされた理由

2021年03月19日 | JULIE メモリーズ

いくつかの場面で「野次と罵声の中で 司会者に呼び戻された」歌詞の意味がわかりました。

昨日、初めての方からブログにコメントを頂きました。それが、2016年12月のブログへのコメントで、5年も前のブログに今頃 何で?と、思わず不安を感じてしまいましたが、それは違っていました。ジュリーファンにとって、大変に有難い情報をお寄せ下さっていたのです。


コメントを下さったのは、ムラさん⇒いくつかの場面(2016-12-29 )

以下は、2016年12月のブログを要約しました。

『いくつかの場面は河島英五さんがジュリーの為に書いた曲ですよね? ずっ〜〜と前に、河島さんの娘のあみるさんが〔いくつかの場面〕は沢田さんもカバーされてます〜と言われてたので… 河島英五さんの曲なんで、カバーには違いないですが。ファンとしては大きく違うように思ってしまいます。』というコメントを2016年に頂きました。

もちろん「いくつかの場面」はジュリーが河島さんの曲をカバーしたのではない、ジュリーの為の曲だと信じています。

実際、河島英五さんは、1975年4月「何かいいことないかな」でレコードデビュー。デビュー間もない河島英五さんのこの曲を、ジュリーはとても気に入りレコーディングしたということです。』

これに対して、「ジュリーの為の曲です、ジュリー自身がそう話していました」「ジュリーが、河島さんが、とっても いい曲を書いてくれたと話していました」「河島さんが、この曲はジュリーにプレゼントした曲ですと言っていました」等、沢山のコメントを頂きました。それは間違いない、しかし世間はどう思っているのか、ファンだけがそう言っているのはスッキリしない('_')・・と思う気持ちは片隅に残っていました。



昨日、2016年のブログにコメントを下さったムラさんは、河島英五さんのファンの方です。読んでいて、河島さんご自身のエピソードに胸がつまる想いがしました。太平サブローさんも「いくつかの場面」をCDで発売されています。

いくつかの場面 (ムラ)
2021-03-18 01:39:02
こんにちは、英五さんのファンです。
来月、京都で催される河島英五展のイベントの1つに 太平サブローさんも参加され歌われるというので、英五さんとサブローさんの関係について検索していて ここにたどり着きました。

結論から言って「いくつかの場面」は、沢田研二さんに提供した歌だと 英五さん自身がライブで何度も言われながら唄われていましたので 決してカバー曲ではありません。あみるさんがまだ生まれる前の話ですから 多少は大目に見てあげてください。
ただ歌詞の中にある『野次と罵声の中で司会者に呼びもどされた』というのは英五さんの実体験です。
グループで活動していた1970年頃、岡林信康さんのライブの前座として出演された際に(どういういきさつか忘れましたが)楽器のチューニングが合ってなくて そのまま歌っていたら会場から「帰れ帰れ」コールがわき起こり、マイク等の電源を切られ 司会者に呼びもどされたという話です。

ジュリーがライブで「いくつかの場面」を唄う映像等を見たことがありますが、感極まっているシーンではこちらも胸が熱くなります。』


私は、「野次と罵声の中で司会者に呼び戻された 苦い想い出のある町」という歌詞を聴くたびに、ザ・タイガース解散後のPYG時代に、ジュリーたちが観客から帰れコールを浴びたシーンを思っていました。(ただ、司会者に呼び戻された、というのはどういう事なのか?という小さな疑問はありましたが)

ジュリーの音楽人生で、それまでに辿ったいくつかのシーンが、ドラマチックに交錯する歌詞。ジュリーに関わった多くの人たちと多くの思い出が、歌うジュリー自身を取り囲む。まさにジュリーを描いた、ジュリーの為の曲と思っていますし、これからもそうですが、河島さん自身の苦い思いが投影されていた歌詞であったのですね。


ジュリー祭りの感動が蘇ります。歌い出しの「いくつかの場面があった・・」歌い出しの声を聴いただけで、胸が震えました。

そして、若く美しい1975年のジュリーの「いくつかの場面」をアルシオネさんが⇒「愛をもとめて♯いくつかの場面」1975年12月1日放送

2016年のブログのコメ欄に書いて下さったのは、☝この放送で話していることですね。ジュリー『河島英五さんがハートがある歌を作ってくれた、・・後半むせび泣いております。大野さんがよしとして、泣いているところを出すことになった』


太平サブローさんがこの曲をカバーされたのは、もちろん サブローさんの芸人人生の辛い時期ともリンクする曲だったからだと思います。太平サブローさんはNHKの大阪局で「ぐるっと関西おひるまえ」という情報番組を、河島英五さんの娘の河島あみるさんと二人で、もう長く続けています。カバーされたのは、そういう二人の関係も有ったのかも知れません。

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