昨日の朝、上泉町で見た赤城山、手前は桃ノ木川の土手に茂る萱です。見事な草もみじ…
ご用をすませて通りかかった下沖町の農家の庭先、柿の実が摘まれずに付いたままです。もう熟しているみたいだけど…
自転車をこぎながら見回すと、あちらの家の庭にもこちらの庭にも柿の木があります。農家でない家の小さな庭にも植えられています。
子どもの頃、群馬大学(現県民会館)の東の清王寺町(現日吉町三丁目)で暮らしてました。前橋の市街地の東のはずれでした。その東は三俣の田んぼ、その先に下沖の集落がありました。田園地帯だったんです。
1960年代から、このあたりはほとんどが宅地化され、住宅地になりました。
写真は、下沖町から三俣三丁目に入って、以前前橋市立養護学校があったあたりの住宅地です。それにしても、柿の木が多いです。
こうなったら、柿の木のある風景を片端から撮って行くことにしました。それにしてもあるな、三俣町三丁目…まんなかの家なんか2本ありますね
小さな柿の木にも実がついています。きれいに実を摘んで、枝に一つしか残ってない木もありました。
右の柿の木、東部バイパスのマックのあるチョイ東の道端の大きな柿の木です。はい、これで三俣三丁目が終わり、バイパスの向うは日吉町二丁目です。
東部バイパスを渡って、紳士服の量販店「アオキ」の駐車場から2本の柿の木が眺められました。実を摘んだあとは見られません、ならせっぱなし…
勢多農林北の住宅地、ここも柿の木がありました。新しい住宅なんで、まだあまり大きくないです。でもね、好きなんだね、このまちの人は、柿の木が…
恵風会、昔の前橋養護老人ホームまで来ました。ここにも柿の木、ほんと、10メートル走らないうちに自転車止めてます。降りずにサドルに腰乗せたままとり続けてます。
みずき通りを渡ると城東町1丁目、昔の栄町です。ここでも柿の木はしっかり暮らしてます。それにしても、木によって、葉っぱの色がずいぶん違いますね…
城東町一丁目で見た最後の柿の木です。向うに、前橋郵便局の建物が見えています。郵便局のあるところは、その昔は製糸工場、その後、前橋の青果市場、それが東片貝町へ越して、郵便局がやってきました。この柿の木、下沖から数えて、35本です。
これでおしまいにしようと思っていたら、ベランダの干し柿が目に飛び込んできました。いいな、でも、このお家には柿の木はありませんでした…
お昼を食べた青井食堂のおばさんに、このまちは柿の木が多いねと言ったら、「私も大好きだもん」だってさ。こういう簡単な結論の出し方、ひげにはできねえんだいな…
これはおまけです。城東町三丁目、十六本橋のちょっと上流の広瀬川の畔に暮らしている柿の木です。
柿の木の数だけ、柿の木のある家族の暮らしがあるんですね、
午後は、城東小学校の寺子屋教室のお手伝い、キキにご挨拶して出かけました。
日が傾いた頃、校庭の隅でかがんで遊んでいる子どもたちがいます。何をしているのでしょうか…、見せてもらいましょう…
どろだんご作っているんですね。「〇〇ちゃんはじょうずなんだよ…」だってさ
<克子さん、丸型爪とぎとハローインのプレゼント届けてくれてありがとうございました。おヒゲが留守してたんで会えなかったけど…>
<中のお菓子、今日お稽古にくる糸駒さんの小さなお弟子さんに分けてあげようと思ってます>
クリックックして 、ランキングに参加してます、ご協力を、ブログ村へ行って「戻る」ボタンでお帰りください…
柿が山のように売られていました、
植えるだけで 余り手のかからない果物、
群馬+前橋の住人にはぴったしかな。
そうか、柿は手がかからないって利点がありましたね。
でもね、この街を仔細に見ていると、1970年代までに作られた住宅地には柿の木が結構あるんですけど、1980年代以降に住宅地化されたり、区画整理事業で整備された住宅地にはほとんど柿の木が見られないんですよ。
うちのあたりでいうとね、広瀬川の北側の城東町には柿の木がたくさんありますけど、南の区画整理をした朝日町にはほとんどないんです。どうしてかな…
そうですね、干し柿作る人は減りましたね、タクアン漬ける人も減ってますから…
柿の需要は減退してますかね…
とにかく、実を摘んでない家が半数以上のような気がします。
でもね、佐渡の「おけさ柿」とか、福島の「会津見しらず」とか、和歌山の「紀ノ川柿」とか、山形の「庄内柿」…、ブランド柿は高価な価格で売れてるんですよね。変なの…
妹尾河童さんの「ピエンロー」、支持率№1ですか、さすがだな…