前橋工科大学の北西に前橋市民体育館があります。その北西の外周道路には両側に水路があります。
昨日の昼休み、この水路のある道を散歩しました。
南側の水路は体育館のフェンス沿い。ことらはたくさんの水が流れています。どう見たって、農業用水路ですね。
この水の流れている水路は上佐鳥町にあります。
反対側の水路、これは六供町になるのですが、水は全く流れていません。もともとは、田んぼの水を排水する排水路だったのでしょうが、今、南町や六供町に残っている田んぼはほんの僅か、宅地開発された地域の雨水を排水するために使われているのだと思います。
用水路には、ところどころに分水のための水門があります。分けられた水は、南に向かって流れています。
水路の流れが、西方向から南に曲がるところにこんもりとした杜があります。ここは、もう上佐鳥町でなく、西隣のぬで(橳)島町になります。
瓦を葺いてある鳥居、2本の大きな椎の木にはさまれた小さな社殿、旧橳島村の村社、飯玉神社です。
祀られているのは保食命(ウケモチノミコト)で、人間の食物の起源となった神さまなんです。そして、お蚕をネズミから守るために猫を使わせてくれた神さまとも言われています。
<そうか、猫は、保食命に使わされた神使なんだね。あだやおろそかにしちゃいけないんだよ、罰が当たるから…>
まずかったかな、キキに余分な知識与えちゃったかな…。
社殿の奥に、もう一つ小さな祠があります。『弥功霊神』を祀っている祠です。
弥功霊神は、江戸時代に橳島村に駐在していた前橋藩の代官の何とかさんの霊だと聞いた覚えがあります。
疫病の流行で大きな被害を受けた橳島村の復興を命じられた代官は、全身全霊をささげて復興に努力したんだって、悪代官でない、立派な代官様だったんですね。
後に、その代官の遺徳をしのぶ村人の手で、小さな祠が作られ、その霊が祀られたと聞きました。
立派な代官の名前を思い出せません。調べて見ます。分かるかな…
飯玉神社の脇を水路は南へ流れて行きます。橳島町から公田町にかけての田んぼに水を送っているんですね。
<あんね、ちょっと解説しとくね。橳島の「橳」の字はさ、漢字表に載っていない「表外漢字」という普通使われない漢字なんです。それで、現在の町名では平仮名が使われます。橳は、ウルシ科の植物のヌルデ(白膠木)が転じたという人もいますが…、分かりません>
水のない排水路の方は、飯玉神社の西で、利根川に流れ落ちています。ニセアカシヤの花房が大きく膨らんでいました。
散歩の終わりは、排水路脇の政次郎のパン屋、調理パンと飲み物を買って、店の外のベンチで一人昼食です。
いい気持ちだけど、少し暑かったな…
真夏の暑さだったいね、戻ったまちでは、みんな半袖の夏姿でした。実は、ヒゲも夏のスーツ着てお仕事に行ってました。
夕食は、サクラマスのカルバッチョ、オリーブオイルが苦手の伯母さんはお刺身です。
トマトと卵のスープ、それとサクラマスのフライです。おいしくできました。
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神社明細帳にはこちらの祠の記述が無く、どのようなものなのかわからずにいたのですが、おかげさまで由来がわかりました。ありがとうございます。
上川淵小学校の端毛川を挟んだ西にある『上川淵地区郷土民俗資料館』(毎週水曜・土曜:午前10時~午後4時開館、℡027(265)1836 )でこの地区の神社を調べた展示を見たことがあります。もっと正確で、詳しい由来をご存知の方がいると思いますので、お暇なときにお訪ねになられてください。