水害予防のために減水していた広瀬川に水が戻ってきました。ビラカンサスの実も色づき始めています。
<おはようございます、朝から雨ですね…
雨なんで、お出かけ先に困っている人に、キキから耳寄りなお知らせです
たまには、こういうとこへお出かけになりませんか…>
<三河町の正幸寺の地蔵堂にきれいに幕が張られました。今日の、午後1時半から勝軍地蔵尊祈願会です。前橋藩ゆかりの勝軍地蔵さんへ、お参りいかがですか>
<白馬に跨った凛々しい若武者姿のお地蔵さんです。これが、正幸寺の勝軍地蔵尊です。1600年に平岩親吉により、徳川家康八男仙千代追善のためにまつられたのだって。平岩親吉は徳川家康の家臣で、家康が関東に封ぜられた時に、厩橋城主になった武将ですよ>
<滝沢住職さんのお話だとね、勝軍地蔵尊は、坂上田村麻呂が蝦夷征伐に向うときにも建立されたって伝えられてるんだって。それで、鎌倉時代以降、たくさんの武将たちの信仰を集めたお地蔵さんだけど、今はね、庶民のいろんな願い事を聞き届けてくれるお地蔵さんだってさ
キキも、かつお節いっぱい食べれるようにお願いするんだ>
<ついでにね、馬場川沿いの小道を散歩するといいよ、真弓の実も色づき始めているって
キキからの、前橋休日情報です…>
昨日は、お昼頃に前橋工科大学で非常勤講師をお願いしている人に会う用があったのですが、時間調整のため、利根川の西を回って、高崎の萩原町経由で自転車を走らせました。
川岸の木々にはたくさんの木の実、オナガの群れが賑やかでした。ホオジロの姿も見かけました。
上新田町の雷電神社です。昔、こっちで暮らしていた時、散歩がてらお参りしたお社です。
そのころは、体育推進員という役を仰せつかって、秋になると東地区(旧東群馬郡東村)運動会のお手伝いをさせられていました。
境内に『随筆たぬき汁とつり人の 佐藤垢石碑』というのがあります。『狸』と『若鮎』という二編の短い随筆が刻されています。
佐藤垢石は明治21年に旧上新田に生まれです。前橋中学でストライキを首謀して中途退学したって話です。随筆家、釣雑誌の編集者として有名な人ですが、私が子どものころに、NHKラジオの『話の泉』とか『二十の扉』なんかにも出ていたマルチタレントです。
旧報知新聞(読売新聞に併合された)の記者だったんですが、前橋支局長をしていたときに39歳の若さで退職、新聞記者を辞めています。『酒仙』と呼ばれるほどの大酒のみで、垢石が辞めた報知新聞前橋支局の金庫には金が一銭も残っていなかったという伝説が伝わってます。
前橋南部の田んぼは黄金色、あちこちで稲刈りをしています。前橋は、田植えが遅いのでもとから稲刈りは遅かったのですが、夏の高温対策で稲の品種を変えたら、更に遅くなりました。
土曜日なので、おじいちゃんの稲刈りを孫娘が手伝う姿に出会いました。
畦には、アカマンマやホトケノザが咲いて、大陸から戻ってきたツグミの姿もありました。風が冷たく感じられました。
前橋市文化協会の『ふれあい体験教室・日本舞踊』でお稽古してきたお友だちは、10月26日に前橋市民文化会館で開かれます前橋市民文化祭『日本舞踊』に出演いたします。私、糸駒も『常磐の庭』を舞います。それから、昨日は、前橋臨江閣で開かれました『和の文化のつどい』にお運びいただきありがとうございました(若柳糸駒)
『若柳糸駒日本舞踊教室のご案内』もごらんください
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