猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

4月4日に開かれた第77回美登利会の舞台、二年ぶりの春の舞姿をご覧ください。

2021-04-13 08:08:36 | あんじゃあない毎日

昨年の4月12日に開催予定で延期を余儀なくされてきた第77回美登利会は、この4月4日にようやく開催することができました。
開催に当たり、私は、新型コロナウイルス感染防止対策について手伝いました。開催後も不都合な知らせが届くことを案じ続ける毎日でした。開催から8日を過ぎて、どなたからも、どこからも、何の連絡もなく、ようやく、ほっとしております。無事で良かったと…

 今回の美登利会は、客席を二分の一にするよう指導を受けました。お客さまを減らすのであれば、出演者や裏方さんなども当然減らす必要があります。人の密度を適正に管理し、人と人との接触機会を少なくすることが感染予防の基本です。主宰者の吉駒には、まずは出演者とスタッフの皆さんをしっかりと守るようにお願いしました。
結果、長唄などの生演奏は断念、番数も減らしてもらいました。それでも、若いお弟子さんを中心に、一生懸命稽古してきた舞踊をしっかりとご披露できたと感じています。今日の記事は、いつもと少し違った形で、第77回美登利会の舞台の様子をご覧いただきます。コロナ禍の下で、一年間、様々な問題を抱えながら、開催にこぎつけた美登利会です。

 


第77回美登利会の幕開けは、長唄『七福神』、立ち方は高橋岳玖こと若柳糸玖です。
『七福神』、いつごろ作られたかよく分かっていません。作詞者不詳、作曲は杵屋宇右衛門と伝えれれています。長唄の中では最も古いものの一つだそうです。

  題は『七福神』ですが、中身は恵比須様の生い立ちだけが語られます。いずれにしてもおめでたい舞です。
糸玖は高校三年生、大学進学の勉強をしながら吉駒の下へ通ってきています。その吉駒は、一昨年の『名流推薦舞踊会』(国立劇場)でこの曲を踊っています。

 

 
二番目の出し物は、「こども花舞台」と題して、吉駒の稽古場に通い始めてまだ間もない子どもたちの踊りを四つ続けてご覧いただきました。最初は、『絵日傘』、5歳の小野里木葉實です。美登利会では初舞台です。

 
『菊づくし』を踊るのは、小野里碧千花です。木葉實の従姉です。
吉駒は、前橋文化協会主催の「ふれあい体験教室」で子どもたちの指導を20年続けてきています。昨年は、群馬県の日本文化体験シリーズ「初めての日本舞踊」の指導も務めました。幼稚園教諭免許1級も持っていて、幼稚園の主任教諭の経験もある日本舞踊の師匠です。

 
『桜禿』は、関口英理華です。
「花のかむろが文(ふみ)づかひ、あどけなりふりしなもよく、袖に銀の鈴が鳴る…」、禿(かむろ)と呼ばれる少女が手紙を届ける使いをする姿を描いた舞踊小曲です。

 
『元禄花見踊り』は、佐藤真綾です。竹柴瓢助 (たけしばひょうすけ) 作詞、3世杵屋正次郎 (きねやしょうじろう) 作曲の歌舞伎舞踊、明治11年(1878)東京新富座で初演されました。元禄時代の上野の山の花見を題材に、遊女・武士・若衆などが集まってにぎやかに踊る花見踊です。

 


三番目は、清元『四君子』、立ち方は若柳糸昭です。鍵田徳之助作詞、二世清本梅吉作曲で、1897年(明治30年)に初演された曲です。四君子とは、梅、竹、蘭、菊の四つの植物のことです。

  初日の出から梅の香る早春、蘭草の名をもつ藤袴、菊の故事を語り、此の君と言われる竹の末永き繁栄を祝して舞います。優美な踊りです。

 


長唄『祇園の四季』を三人立ちで構成した舞踊です。立ち方は、芸妓が若柳糸侑美、舞妓が生方文子と晶子姉妹です。京都も祇園の風景を描いた、竹山亘作詞、松島庄十郎作曲の長唄です。

  
祇園の正月風景kらはじまり、桜をめでる春、祇園祭や鴨川の夕涼みの夏、西山の峰に映える秋、心に沁みる爪弾きの音で静かに更け津冬の夜、祇園の四季の移ろいを華やかに舞いました。

 


長唄『五条橋』は、言わずと知れた牛若丸と弁慶の大立ち回りです。立ち方は牛若丸が小菅あおい、弁慶が若柳糸玖です。1900年代の初めに作詞三宅豹隠、作曲十三代目杵屋六左衛門により作られた曲です。京の五条の橋の上で小さな牛若丸が小太刀、弁慶は大薙刀、大チャンバラ活劇です。

  
飛んだり跳ねたり、結局小さな牛若丸が対決に勝って、弁慶は家来として終生の忠誠を誓うのでありました。二人とも立ち回りの振りをよく覚えましたいね。怪我なくて良かったです。

 


長唄『雛鶴三番叟』は、立ち方若柳糸奏です。三番叟物では最古のものと言われている作品で、作詞者、作曲者は不明、上演経緯もよく分かっていないのだそうです。美しい舞です。

  
本来の三番叟物は、「翁」「千歳」「三番叟」の三人による祈祷、儀式性の高い演目ですが、この『雛鶴三番叟』は、優美で柔らかな曲想を持っているので、直派若柳流では娘姿のひとり立ちとして、それぞれを演じ分けてご覧いただく趣向となっています。とにかくきれいでした。

 


長唄『島の千歳』、立ち方は若柳華龍です。1905年(明治38年)に大槻如電作詞、五代目杵屋勘五郎作曲、囃子方の七世望月太左衛門の襲名披露を飾った曲です。「平家物語」に、‟島の千歳”と‟和歌の前”という二人の女性が舞ったのが白拍子のはじまりと記されていますが、その故事に取材した演目です。

  
白拍子の歌舞を取り入れた舞を、今回は素踊りの形式でご覧いただきました。

華龍の『島の千歳』で、休憩になりました。休憩の後は、『三代目若柳吉駒リサイタル』です。

 

 『三代目若柳吉駒リサイタル』の司会と、演目等の解説は、古典芸能解説者の葛西聖司さんにお願いしました。葛西さんは、元NHKアナウンサーで長く邦楽番組を担当されていました。著書は多数ですが、『名セリフの力 これで日本語の達人になる』 展望社、『文楽のツボ』(NHK生活人新書)、『僕らの歌舞伎ー先取り!新・花形世代15人に聞く』(淡交社)、『教養として学んでおきたい能・狂言』(マイナビ出版)『新版 ことばの切っ先』(展望社)等々…

 


リサイタルの最初の演目は、箏曲『万歳』です。三弦の演奏は箏曲家の鈴木創さんでした。作曲は初代中能島松声、正月に門付けして回ってくる太夫と才蔵の二人一組、鼓を打ちながら賀詞を謡い舞う万歳です。初春を祝うめでたい曲です。扇は初代吉駒の師匠の若柳寿慶師の形見の品と伝えられている扇です。

   
祖母の初代吉駒が、1976年(昭和51年)に群馬テレビの新春番組に出演を依頼されたときに、振付し、自ら踊った曲です。三代目も、初代の振り付けにより踊りました。45年振りの再演でした。
「おばあちゃんが踊らせてくれた…」、舞い終えた三代目はつぶやいていました。

 

 幕間には、葛西聖司さんと鈴木創さんのお話しを聞くことができました。楽しいおしゃべりで、客席から笑い声が沸き上がっていました。鈴木創さんの感想は、ブログの4月5日の記事「美登利会に出演させていただきました」をご覧ください。

 


リサイタルの二つ目の演目は箏曲『千鳥の曲』でした。
  しほの山 さしでの磯に 住む千鳥
        君が御代をば 八千代ぞと鳴く
前歌は、古今和歌集に収められている読み人知らずの歌です。

  
  淡路島 通ふ千鳥の鳴く声に 
       幾夜寝覚めぬ 須磨の関守
後歌は、金曜和歌集に収められている源兼昌の歌です。二世吉沢検校の曲を鈴木創さんが箏で演奏してくれました。振り付けは初代吉駒の長女の若柳吉啓です。千鳥を見たことのなかった吉啓は縁のあった湘南の海で千鳥の姿を追い、振付の想を練ったという話が遺されています。

  「弾いていると、目の前に本当に千鳥が飛び跳ねている様な気分になってきました」と、鈴木創さんがブログで書いてくれた吉駒の舞でした。

大勢によるフィナーレや、舞台挨拶もなく、第77回美登利会は静かに終わりました。
来春の第78回美登利会は、4月10日開催予定で会場を手配しております。また精進の日々が始まりました。

 

   4月4日に開催された第77回美登利会の舞台の様子をご覧いただきました。茂木勝彦後援会長と、三代目吉駒の挨拶です。写真をクリックしてポップアップ画面でご覧ください。先頭の写真は、昭和12年に柳座で舞踊会を始めた美登利会が、当時の舞台で使った引幕です。
(なお、掲載写真の無断転用は固くお断りいたします)

 

ちょっと場違いだけどヒゲおじさんの健康記録は掲載します
4月12日の体温  7:00 36.5℃  14:00 36.6℃  22:00 36.4℃

 4月13日 7:00  体温 36.7℃  血圧 最高 102  最低 61

 

 若柳吉駒でございます。
第77回美登利会の開催に当たり、多くの皆さまから温かなご支援とお励ましをいただき、また、なにかと心配の多い中をたくさんのお客様にお運びをいただき、ただただ嬉しく、心より感謝を申し上げます。
次回、第78回美登利会は、来春の4月10日開催の予定で会場を手配いたしました。会員一同、これまで以上に精進を重ねてまいりますので、なに程よろしくお願い申し上げます。

第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台はこちらでご覧いただけます
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧ください


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