群馬特産の小梅『織姫』です。5月30日に漬けこんでもう仕上がりました。早や漬けなんです。9日に10㎏を揚げたのですが、昨日残りの10㎏を桶から揚げました。これで小梅漬けの作業はおしまいです。
小梅漬けを揚げる前に、町内の青年会の資源ごみ回収に出す段ボールや新聞紙などをまとめる仕事をしました。COCOはビニールひも噛み切り係をしたがるのですが、必要なところで切ることができないので、監督係をしてもらいました。それで、少し不満げでしたけど私の作業を見張っていました。
桶の中の織姫です。桶から揚げた10㎏の織姫です。小梅とはいえ、小梅と思えない大玉です。色もきれいに仕上がりました。香りもすごくよろしいです。良い梅に出会えて幸せです。
300gの袋詰めにして28袋できました。梅酢も8㍑ほど確保しました。梅酢は、これから漬ける大きな梅の梅漬けで使います。残りは調味料になります。大きな梅は来週あたりに梅を探しに出かけます。
これは梅ではありません。ユキ子さんのところへ送られてきたサクランボです。梅の作業のあとの休憩のときにいただきました。おいしいですね。
日曜日の次の作業は、Wittgensteinさんからもらったルバーブをジャムに加工です。細かく刻んで、グラニュー糖をまぶします。ここで作業はいったん中断、2時間ほど置いて水が出るのを待ちます。
COCOはというと、変な模様の魚のぬいぐるみと一緒に昼寝してます。お尻のところにはレッドロブスター、後ろ足では猫のぬいぐるみです。私は、小梅漬けを宅配便で送るために梱包しました。ケーキの箱が好都合、でも白井屋ホテルの箱が届いて中から小梅だと「詐欺だ!」って叫ばれるかな…、少し心配です。
それから、野村たかあきさんのところやなんかへ小梅の配達です。野村さんちの近くで、道端で蓮を育てている家がありました。もう蕾がついていました。先っちょが紅色です。きれいだろうな…
広瀬川は水嵩が最高位になっているようです。強い風が吹いていて、川岸の木立の梢を泣かしていました。こども公園は賑やかでした。赤城山もしっかり見えていました。良い日になりました。
家に戻って昼食を済ませたころにはルバーブが水なしで煮られるほどに水分を出してくれていました。ヘラでまぜながら煮ると、ジャムの出来上がりです。色もきれい、酸味もすごく良いです。Wittgensteinさん、ありがとうございました。
ジャムをつくり上げてからちょいと用足しに出ました。赤城山がくっきりとその姿を見せてくれていました。風が強かったです。広瀬川の交水堰、水音がとても激しくなっています。風が梢を鳴らします。青嵐と瀬音、広瀬川の夏です。子どもの時にはこの川で泳いでたんですよ…
用事を済ませてから呑竜仲店のヤギカフェへお茶しに寄りました。冷たい紅茶とグランベリーの入ったバターケーキ、おいしい休息でした。土曜日に届けた小梅漬け、お客さんにも振舞ってくれてるみたい、火曜日に追加補給することにしました。
帰りに寄った三河町の正幸寺、本堂脇の大イチョウを見上げたら、もう青い実が風に揺れていました。きれいな実です。
東の空は真っ青、白い夏雲が湧いています。真夏の空だいね。十六本堰でも広瀬川の水の流れは賑やかに波立っていました。堰の水門を潜る激しい水音が響いています。下流の田んぼでは田植えが始まっているのですね。
夕食はスズキの香草焼き、出来立ての小梅漬けを刻み込んだドレッシングで和えた野菜サラダ、それと豚肉とトマトのスパゲティーを少々でした。スズキの香草焼き、おいしくできました。
今日は、朝は月曜日定例の買い出しをして、11時からDroitです。午後は小梅漬け手土産にKさんに会いに行こうかな…
三代目若柳吉駒でございます。1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会を承継しております。毎年春に開催しております舞踊会は、戦時中の開催禁止と一昨年のコロナ禍による延期を除いて、今年で78回を重ねることができました。来年は4月9日に第79回舞踊会を開くことといたしまして、会員一同精進を重ねております。引き続きご贔屓くださいますようお願い申し上げます。
《最近の美登利会と吉駒リサイタルの舞台をご覧になりたい方は…》
第78回美登利会と第3回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい。
第77回美登利会と第2回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい。
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルはこちらでご覧下さい。
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧下さい。
舟橋ってあちこちにあったんです。県内で有名なのは利根川の五料の舟橋と烏川の佐野の舟橋かな。烏川の佐野橋という木材を使った歩道橋が架かっているところにあったのが佐野の舟橋です。
かみつけの佐野の舟はしとりはなし
おやはさ(離)くれどわはさかるがへ
万葉集巻14の東歌です。佐野の舟橋のむこうとこちらに暮らす男女が恋に落ちます。二人は人目を忍んで、夜な夜な舟橋を渡って逢引きです。でも、それが親の許さぬところとなり、親は、二人が会えなくなるよう舟橋の板を外します。それを知らぬ二人は、舟橋から烏川に落ちて死んでしまいました。悲しい恋物語です。謡曲「船橋」の元になった古いお話です。能では「船橋」と表記しています、何故かな…。烏川の佐野橋、一度訪ねて見てください。驚くほど素敵な風景です。