<ぼくが住んでいるとこの向かいに、通り抜けできる路地があるよ。一度通り抜けて見たら…>、三河町の顔見知り猫に薦められました。
猫が薦めてくれた路地の入り口です。北から南へ向かって抜けてみることにしましょう。
路地の幅は1mありません。傘をさしていると建物にぶつかってしまいそうな幅しかないです。
私の歩幅は約70㎝です。5~6歩歩いたら、目の高さでまっすぐ前を見て写真を撮ることにしました。
最初の5歩、右側の家の通用口の手前、また5歩、左側の二軒目の家の家の門扉の手前、向こうが明るく見えます。
次の5歩、右側が2軒目の家になりました。家の前に植えられた木が路地に出張ってます。その向こうの左手は、なんか空き地みたいです。
前橋市立図書館の資料室に『前橋新風土記』(酒井松男編・前橋風俗研究会刊・昭和28年)という書籍があって、当時の前橋の町について書いています。もちろん『芳町』というタイトルの編もあります。
次の5歩5歩、ベンガラ色のトタン塀の
向かいは空き地、トタン塀の先の家は誰も暮らしてないみたい…
『芳町は八間道路から東へ、広瀬川と馬場川に挟まれながら伸びている。広瀬川寄りに萱町がだいぶ喰い込んでいるが、而して、だいたい四角な感じといってよい。』前橋新風土記の『芳町』の書き出しです。読みながら行きますか
その先の5歩5歩、空き地を過ぎると路地は二軒の家の間に入るみたいです。
『古謡に、ペンペンチャカチャカ板屋町(立川町)十八郷には蔵がない、と歌われている位で、昔からあまりぱっとしない町であった。』(前橋新風土記『芳町』)、そうか、昔からパッとしなかったんか…。でも、ペンペンチャカチャカって、なんちゅうはやし言葉だろう
次の5歩5歩、古い板張りの外壁の家の間です。
『十八郷とは、十八の郷に分かれていたというほどの意味であろうが、』(前橋新風土記『芳町』)
そうか、昔の芳町は『十八郷』と呼ばれていたんだ。
次の5歩5歩、左側は木の外壁から錆びたトタンの外壁の家に変わって、右側は立派なブロック塀です。まっすぐ行くと青いトタンの塀にぶつかる…
『ともあれ、竹藪や葭に囲まれた荒涼たる村落であったことが偲ばれる』(前橋新風土記『芳町』)、そうか、十八郷と呼ばれていたころの芳町界隈は農村集落だったんだ、面影ないな、偲べないな…
<ここまででね、約60歩、40mほど路地を歩いてきたわけですけど、長くなりそうなんで今日はここまでにします。
続きは、また明日…>
<おヒゲのお昼はね、ホウレンソウのソースのスパゲッティー、夕食はね、ブロッコリーのソースのカレーでした。
ブロッコリーはね、近所の小さなお友だちからのいただき物なんだけど、昼も夜も緑の料理、春だいね…>
直派若柳流舞踊会『美登利会』は、この春、71回目を迎えます。前橋の春の催事として、みなさまに支えられて、長く続けてまいりました。今年は、4月6日に前橋市民文化会館で開催いたします。
今回は、フィナーレで『ぐんまちゃんダンス・ミンナノグンマ』をやることといたしました。ぐんまちゃんにも特別出演していただきます。
どうぞよろしくお願い申し上げます
直派若柳流 若柳糸駒
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そうですよね、この70メートルほどの路地に、かつては20軒ほどの家が並んでいたと思います。今、人が暮らしている家は、半分の10軒ほどではないかと思います。そこには、いろいろな暮らしがあって、いろんな家族の歴史が刻まれているはずです。
今暮らしているのは、お年寄りが中心、この写真を撮っていた時に、出口で出会ったのはデイケアのお迎えの車でした。このあたりで、子どもの姿を見たことはないです。昔は、」お友だちの家もありましたけど…
青い塀の続きは、明日書きます。