seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

移ろいゆくもの

2022-01-21 | 日記
 私の住んでいる町には3軒の書店があるのだが、そのうちの1軒の店先に「今月末日をもって閉店いたします」との貼り紙がしてあった。理由は特に書かれていないので憶測するしかないのだが、結局、客足の減少に伴う売り上げ減、すなわち経営難ということに尽きるのだろう。
 いわゆる町の本屋さんという感じの比較的小さな書店だったのだが、品揃いが工夫してあってたびたび寄らせてもらっていた店だった。こうした書店の経営が立ち行かなくなっていく背景には、いわゆるネット販売の増加や電子書籍の普及、読書離れによる書店での購買層の減少等があるというのは一般的によく言われることである。これに対し、何かよいアイデアがあるかと言われれば口を噤むしかないのだが、町の中からこうした場所が少しずつ失われていくことは寂しいものである。
 書店、本屋は地域の文化の拠点であり、公共財的な価値を持っていると言っても過言ではないのである。

 少し話は変わるのだが、そんな矢先、1月11日に神田神保町の岩波ホールが本年7月29日をもって閉館するとの発表があった。ここは客席数200余の小ぶりなホールであるが、開館から54年を経ての閉館という事態には誰もが言葉をなくしてしまうようなインパクトがあった。それだけこのホールはわが国における「文化創造の根拠地」として実に大きな働きをしてきたのだ。
 私もまた岩波ホールで上映された数々の映画によって蒙を啓かれた者の一人であるが、映画以外にも、演劇シリーズの一環として上演された鈴木忠志演出の「トロイアの女」(1974年12月10日~1975年1月31日)と「バッコスの信女」(1978年1月4日~1月31日)の両作品は深く記憶に刻まれている。いずれにも能楽の観世寿夫師が出演されていて、その所作や声の圧倒的な響きと強靱さは今も忘れることが出来ない。
 それはまさに、伝統芸能と現代演劇の融合により新たな地平を切り開こうとする試みだったのである。当時は、現在各地に整備されているような公共劇場はほとんど存在せず、それだけに岩波ホールが果たした文化芸術における創造拠点としての働きは計り知れない価値を持つものだったのだ。

 さて、岩波ホール閉館の理由は、「新型コロナの影響による急激な経営環境の変化を受け、劇場の経営が困難と判断した」とされている。民間劇場・ホールの宿命として、採算性を度外視して経営するわけにいかないのは理解できるのだが、それにしても公共的な財産として、存続するための何らかの手立てはなかったのかとため息をつかざるを得ない。とりわけ、昨年2月には耐震性の強化やスクリーンを新しくするといった改修工事を経てリニューアルオープンしていたばかりでもあり、関係者の無念、心中は察するに余りあるのだ。

『サラエボのゴドー』のことなど

2021-08-31 | 日記
 この一週間近くの日々、ひどい倦怠感に見舞われてほとんど何もせず横になっているという時間を過ごしていた。明らかに薬の副作用なのだが、点滴で体内に注入する薬は悪い細胞を攻撃すると同時に健全な細胞にも影響してしまうのである。そのほか毎日のように服薬する薬の注意書きを読んでも、そのどれもが副作用として発熱、喉の痛み、出血、体のだるさ、めまい等々が並べ立ててある。これでは病気になるために治療しているようなものではないのかと言いたくもなるのだが、従順かつ素直な患者である私はそんな不満を押し隠して日常を送ることになる。

 早朝の夢見心地の中で、いま書きあぐねている小説や芝居の場面を断片的に抜き出してブログにメモとして残すという考えが浮かぶ。それは作品からかけ離れたものとなるかもしれないが、それはそれで面白いと思われたのだが、所詮それは夢の中での思い付きに過ぎない。

 昼寝をしていて、夢の中で弟と会話をしている。今から20年以上も昔のことになる。スーザン・ソンタグがボスニア戦争の最中に現地で「ゴドーを待ちながら」を演出し、地元の俳優たちとともに上演したという話にインスパイアされ、山口県宇部市在住の劇作家広島友好氏が書いた戯曲「サラエボのゴドー」の上演許諾を得て、私が制作・演出・出演して高円寺の小さな劇場で上演したことがあるのだ。その時の私が演じているある場面について、「あのシーンだけで40分もかかるのは時間をかけ過ぎじゃないか。見ていてしんどい……」といったダメ出しを弟がして、それに対して私が何か言おうとした瞬間に目が覚めたのだ。その時、私が何を言おうとしたのか、まったく覚えていないのだが。
 
 YouTubeで「ゴドーを待ちながら」の様々な映像を見る。総じて日本人が日本語でこれを演じるのは難しいという印象を持つ。それにしても今は便利になったものだ。ベケット本人が演出した舞台上演(スタジオ上演?)の様子まで見られるというのは凄いことである。20年前には想像も出来なかったことだ。見た中で一番面白そうなのは、イアン・マッケランとパトリック・スチュアートが出演したブロードウェイの舞台の断片映像である。自然で弾けていて滑稽さと悲しみがほどよく混ざり合って、その世界にいつまでも浸っていたいと思わせる魅力に満ちている。

 聞きかじったところによると、ベケットは「ゴドーを待ちながら」をフランス語と英語の両方で書いたそうなのだが、英語版もフランス語からの単なる翻案ではなく、別ものとして書いたと思わせる仕掛けがあるようなのだ。それはどんなものなのだろう。目を閉じて想像してみるのだが、言葉の分からない私にはその想像すら的外れなものに思えてくる……。

街を歩く

2021-08-21 | 日記
 今日(8月20日)は通院のため新宿まで朝の通勤電車に乗る。少しばかり心配していたのだが、お盆休みの企業がまだあるのか、あるいはテレワークが思いのほか進んでいるのか、電車の中は思っていた以上に空いていた。誰とも接触せずに、その気になれば立ったまま本が読めるほどの混雑具合だ。
 いま私の生活は、3週間ごとの通院と2週間ごとの施設入所している母親とのガラス窓越しの面会、毎週の母親の家の掃除と郵便物チェック、そして毎日のわが家での家事というルーティンワークによって規定されている。その合間に本を読み、必要な物を書き、散歩し、映画やドラマをテレビ画面で見るという生活だ。
 ルーティンワークは極めて重要な位置づけを与えられている。これがうまくいくか、いかないかは、その後の生活リズムに甚大な影響を及ぼすからだ。ルーティンをうまくこなせない場合には、何もかもが台無しになってしまう。それほどの重大事なのである。

 こうした生活に不満はないけれど、何か足りないのも確かだ。それは何なのか、考えたって分かるわけはないので、そうした無駄な時間を費やすのはもったいないこと甚だしいのだが、それでも考えてしまう。そして、さびしくなるのだ。

 久しぶりに新宿の街を歩きながら空を見上げてみると、高層ビル群と空が思いのほか綺麗で驚いてしまう。昨日から続く強い風のせいなのか。都市の風景の中に身をゆだねてしまうと不思議に心休まることがある。よけいなことを考える必要がなくなるからだろうか。





川べりを歩く

2021-08-19 | 日記
 ここ何日かまったくの引きこもり状態でかえって体調がおかしくなりそうだ、ということで久々に荒川の土手まで散歩に出た。私の家から歩いて20分で川べりに出る。荒川と隅田川の分岐点まで行って帰ってくると、おおよそ1時間、6000歩足らずといったところだ。
 もちろん川沿いに歩いて行こうとすればどこまでも行けるのだけれど、そこは体力と相談しながらの散歩である。

 暑さがぶり返してきたけれど、風が強いのでさほどには感じない。影が濃くなって秋の気配を感じるようになった。平日ということもあり、ほとんど人はいない。数人の釣り人が思い思いに釣り糸を垂れているだけだ。

 水門と空の色のコントラストが美しい。写真では肉眼で見たような色合いは出ないのだが。



 西の空には天使の羽のような雲が浮かぶ。逆光に輝いて、慰撫されるような心地がする。



 いろいろなことが思い浮かんでは消えてゆく。何か大事なことを思い出したり、言いかけたりということを繰り返しながらただ歩くのだ。

映画館に行きたい

2021-08-18 | 日記
 今日発表の東京都の新型コロナウイルス新規感染者数は5386人、大阪府でも2000人超えなど、収束どころか減少の兆しも見えない状況が続いている。私自身はほぼ一歩も外に出ない日がここ何日か続いているのだが、おかげで体調がまったくすぐれない。これはひとえに自粛生活の運動不足のせいなのだ、と自分に言い聞かせている。
 私が昨年まで所属していた団体でも陽性者が複数発生しているようだ。居住地の保育園などでも園児の感染報告があるようだ。家庭内感染の拡大が懸念される。少し前までは実のところまだまだ遠いところの話と思う部分がどこかにあったのだが、今やコロナウイルスは私たちのすぐ側にあっていつ感染してもおかしくない状況だと実感する。
 親子3人が感染し、自宅療養していた40代の母親が、容体が急変し亡くなったとの痛ましい報道があったばかりだ。医療体制の整備が急務であることはみな分かりきっているのになかなか進まない。その要因分析と対策の構築、早急な実行を政府も各自治体も着実に進めてほしいと願うばかりだ。
 組織が機能していないとか、トップがバカだとか、あれこれと非難を浴びせて留飲を下げることはいつでもできるのだが、今はとにかく目に見える形での対策の実現こそが求められているのだ。

 毎週いくつかの新聞の土曜版に書評欄が掲載されているのだが、それをまとめて読むのを楽しみにしている。今の私にとっては、書店や図書館を巡って、本の背表紙を眺めたり、時に立ち読みしたりという時間が何よりの楽しみなのだが、コロナ禍で思うようにならない現在、新聞や雑誌の書評欄は、未知の本との出会いや発見をもたらしてくれる貴重な機会だ。実際にそれらの本を手にする機会はほぼ皆無であるとしても……。

 群像9月号の三浦哲哉氏の批評「『ドライブ・マイ・カー』の奇跡的なドライブ感について」を読んだ。この濱口竜介監督・脚本の映画の素晴らしさについては、様々なところで目にするのだが、三浦氏によれば、「どこもかしこも繊細きわまりなく、観察することがよろこびでしかない、とびきり幸福な映画」とのこと。これはもう観るしかないのだが、今の自分にコロナ禍をものともせず映画館まで出かけていく元気のないのが問題である。

 いつか再び、映画館や劇場で心置きなく映画や演劇、音楽にどっぷりとつかることのできる日々のくることを夢に見る……。

すべって転んだ

2021-08-16 | 日記
 朝、雨はやんでいる。出かけようとして、居住している集合住宅の1階に降りたところで、用事を思い出し、もう一度部屋に戻るついでに郵便受けの新聞を取りに行こうとして、そうだ、今日は新聞休刊日だった、と思い直して振り返った瞬間に足を滑らせて転倒してしまった。一瞬何が起こったのか分からないのだが、床面が濡れていて滑りやすくなっていたらしい。誰にも見られていなければよいのだが、と思ったその時、後ろから「大丈夫ですか?」と管理人のKさんがさほど心配もしていない様子で訊いてきた。どうやら一部始終を見られていたらしい。その場は笑ってごまかしたものの、後になって手首と右の足首、膝が少しばかり痛んでいる。
 以前、母親がよく近所に買い物に行っては途中で転倒したという話を聞いては、「何でまたそんなところで転ぶんだよ」と𠮟りつけるように言ったものだが、自分がいつの間にかそんなふうに、いつどこで転ぶか分からない年齢になってしまっていたのである。最近コロナの影響もあり、外出を控えるようになって散歩の機会も減ってしまい、足腰が弱っているのは間違いないのではあるが。
 何故か梶井基次郎の「路上」を読みたくなった。中学だか高校の国語の教科書に載っていた短い小説だが、時たま無性に読みたくなることがある。雪が降った時に必ず読みたくなるのも同じ作者の「泥濘」である。どちらも泥や雪に滑って転ぶ場面が出てくる。

 用事を済ませてから、図書館に立ち寄る。スーザン・ソンタグ「サラエボでゴドーを待ちながら」と小泉八雲「心」(平川祐弘個人完訳コレクション)とCDを借りる。

 昨夜はスーザン・ソンタグ「隠喩としての病」を読んだのだが、本書はソンタグ自身の癌体験を踏まえて書かれたエッセイである。訳者、富山太佳夫氏のあとがきには「結核と癌という二つの病を取り巻く言語表現のテクストを読み解きながら、そこにひそんでいる権力とイデオロギーの装置を解体してしまおうとする努力」とある。ソンタグがめざしたのは「人間の体に起こる出来事としての病はひとまず医学にまかせるとして、それと重なりあってひとを苦しめる病の隠喩、つまり言葉の暴力からひとを解放する」ための批評なのである。
 すでに43年も前の著作であり、病気に対する治療も当時とは比較にならぬくらい進歩しているはずだが、自身が病を得た身となって読んでみると、なかなか面白く首肯するところが多い。治療が進歩しているとは言え、先の見えないなかで、どうしても自分の置かれた状況を物語化したり、運命論に偏った妄想を抱いたりしてしまう、そうした虚妄を客観視し、解体する力を本書は今も持っているように感じるのである。


再定義する世界の中の日本、とは

2021-08-15 | 日記
 朝から強い雨が降り続く。これでは散歩にも行けないなあなどと思いながら窓の外を見やったりしている。わが家の南側には保育園があり、北側には中学校があるのだが、日曜ということもあって、いつもはにぎやかな子どもたちの声は聞こえず、園庭も校庭も水たまりが出来ている。
 こうした天候は気分も沈んでしまう。この時間に勉強が出来れば良いのだろうが、なかなかそうしたことに気持ちが向かっていかないのは困ったことだ。
 
 東京五輪をきっかけとして、この国が抱える病理が露わになったという意見が目に付くが、当事者たちがそれをどれほど自覚していたのかどうか、社会もまたそれを許容していたのではないか……、そこに深い問題があるように思える。
 とりわけ問われているのは、この国に蔓延する人権意識、人権感覚の鈍麻である。女性蔑視発言、いじめ問題、ホロコーストをネタにしたお笑い、名古屋出入国管理局施設内でのスリランカ国籍女性の死亡事件に対する国や入管サイドの対応等々、これらは五輪・パラリンピックを開催する当時国に突き付けられた極めて深刻な問題であるはずだが、これを自分事として捉え直し、どうすればよいのかを考え続ける必要があるだろう。

 別の観点だが、8月12日付毎日新聞オピニオン欄「激動の世界を読む」のアジア調査会会長・五百旗頭真氏の論稿に「……個々の身近なことも日本社会という入れ物の中での出来事であり、さらに日本社会の出来事も世界という大きな入れ物の中での営みなのである。世界の中の日本という視点を見失うと国民生活が立ち行かなくなることが、時に劇的に示される」とある。
 この論稿の主眼は、「周辺国の大軍拡と支配拡大意思に対し、それをさせない方途が平和のために必要であり、攻めず攻められない関係をいかに築くか」ということであり、そのために「世界の中の日本を再定義する必要は、かつてなく高まっている」と言うのだが、この問題と、五輪を契機として問われているこの国全体の、つまりは私たち一人ひとりの人権感覚は実は一つながりの同根なのである。そのことを深く理解したうえで世界の中の日本を再定義し、平和にために力を尽くし、発信していくことが求められているのだろう。そのために時に青臭いと思われることも真っ当なこととして言い続ける必要があるのである。
 
 最近、川端康成文学賞受賞作品を少しずつ読んでいる。1999年発行の全作品集の「Ⅰ(1974~1986)」を先日読み終わり、今は「Ⅱ(1987~1998)」を読み始めたところ。
 昨夜は眠る前に読んだのは、古井由吉の「中山坂」。これは1986年の発表だから、もう35年前の作品ということになる。400字詰め原稿用紙で40枚足らずの中に切り取られ、交錯する登場人物たちの姿が鮮やかだ。選者の意見など読むと、その独特の文体に戸惑う意見もあるようだが、後年のさらに先鋭化した小説と比べるとはるかに読みやすい。
 このほか、スーザン・ソンタグの「隠喩としての病」を少し読み進める。

五輪後の日常、とは言え

2021-08-14 | 日記
 朝から雨。九州地方及び広島では大雨特別警報が発出され、避難指示が相次ぐ。私の住んでいる地域では比較的穏やかな雨模様だが、当該地のことは気になる。友人が九州に住んでいて温順な気候だとは聞いているのだが心配である。
 今日は新聞と昼食を調達に近所のコンビニとスーパーに出かけただけだ。そそくさと店に入り、さっさと出てくる。もちろん誰とも口をきかず、スーパーでもセルフレジを使う。何だかなあと思いつつ、自分で身を守れと言われているしなあ、と思い直し外出のままならない日常を受け入れている自分を嘆く。

 昨夜はビデオでコーエン兄弟の映画「ファーゴ」を見た。最近、エリザベス・ストラウトの「オリーヴ・キタリッジふたたび」を読んだばかりで、「ファーゴ」に出ているフランシス・マクドーマンドがその前作にあたる「オリーヴ・キタリッジの生活」をドラマ化した作品に出ていると聞いて、急に彼女の出ている映画を見たくなったのだ。奇妙な味わいのブラック・ホラー・サスペンスコメディとでも言えばよいのか。面白く見たけれど、精神状態によっては後味が良くないと感じてしまうかも知れないな。

 文學界9月号に載っている武田砂鉄×能町みね子の対談「逃げ足オリンピックは終わらない」を読む。共感しながら読んだのだが、これが文芸誌に載っている意味を考えてしまった。
 朝から鬱々として寝てばかりいる。合間に溜めておいた新聞記事を少し読む。7月28日付の毎日新聞のオピニオン欄では、柳田邦夫と残間里江子両氏が東京五輪をテーマに論稿を寄せている。すでに2週間以上も前の記事だが、オリンピックが終わった今でも同感しかない。五輪があぶり出したわが国の病理は根深い。その他、新聞書評欄を読む。

 先ほど書いた九州・大分県に住む友人からLINEが来て、演劇鑑賞団体の市民劇場で富田靖子と松下洸平が出ている「母と暮らせば」を観てきたとのこと。羨ましい。彼は地方では観たい芝居が観られないとよく嘆いているのだが、私の何倍も生の舞台を観ているのだ。
 その友人が昨日同じく共通の友人から送られてきた詩集「この世の焚き火」の感想を書いてきた。私も詩集を繙いて読む。中に詩人である友人がかつて住んでいた家のことを書いた「あの家」という作品がある。結婚して移り住んだ場所で借りた家のことが書かれているのだが、家を中心とした自分史であり、家族の物語でもある。ドラマにもなり得るし、長めの小説にもなるようなテーマで胸に沁みる作品だ。
 まとまった読書をする気力がない。「更級日記」を少しずつ読み進める。

詩集が送られてきた

2021-08-13 | 日記
 朝から雨模様。九州、広島を中心とした西日本では大雨警報が出され、心の痛むような状況が続いている。コロナ禍も災害級という表現がされるような様相だが、それに自然災害が加わった状況は言葉にならない大変さだろう。
 コロナの感染状況に関して、新聞には「制御不能」「医療、機能不全」等の見出しが目に飛び込んでくる。これに対応した具体的な対応策が国からも都からも発信されないのがもどかしい。
 今日は最近の猛暑から一転して気温が下がり、いささか寒く感じる。人間の体感というものは実にデリケートなものだ。

 高校時代からの友人で、群馬県在住の陶芸家で詩人の中村利喜雄君から詩集が送られてきた。「この世の焚き火」というのが詩集のタイトルである。中に同名の詩が収められている。彼が個人詩集を出すのは昨年に続いて2冊目だ。一昨年に群馬県文学賞(詩部門)を受賞したのがきっかけなのだが、それにしてもすごいペースである。
 あとがきに「この詩集は、今でも未熟さを自覚する(もう手遅れかも知れませんが)高齢者が、半径五百メートル位の生活圏をもぞもぞと暮らすほぼ一年を中心に、過去の記憶も織り交ぜつつ記録したものです」とある。この言葉だけで深く共感するものがある。
 作品のいくつかはもう40年も昔、彼が業界紙の記者をしながら一人暮らしをしていた頃から、結婚して東京を後にしたあたりのことがモチーフになっている。
 同じ時代に同じ空気を吸い、同じ人たちと話をした、あの時代の記憶が甦る。もちろん、その受け止め方も生き方も迷い方も選択のあり様も人それぞれではあるのだが。
 これからゆっくり時間をかけて詩集を読むことにしよう。

図書館まで散歩【日記】

2021-08-12 | 日記
 このところ気力、体力の減退もあり、なかなかまとまった文章が書けなくなっている。コロナ禍のもと、思うように出かけられないこともあり、薬の副作用もあり……、ということで家に閉じこもってばかりの生活である。もともとこの《めもらんど》は自分のための備忘録として書き溜めているものなのだが、少し肩の力を抜いて日記を書いてみることにする。何の変哲もない日常生活を書き連ねることにも何らかの意味があるかも知れない。文字数も一日当たり400字前後が目安である。

 昨日は午後、思い立って徒歩で往復2000歩圏内の書店と図書館に出かけた。いつもうっかり寝てしまう時間帯にあえて出かけるというのは、案外良いことかも知れないのだが、どうだろう。書店では「群像9月号」を買った。すべて読めるはずもないことは分かっているのだが、あとで後悔するよりは、という思いで買う。気がかりは小遣いのことであるが、まあ、それはそれで……。
 図書館では、トーマス・マンの短編集をチェック。そのほか旧約聖書など。
 相変わらずの猛暑ではあるのだが、意を決して出かけてしまえば何とかなるものである。問題は、新型コロナウイルスへの対策である。蔓延しつつあるデルタ株のウイルスは、これまで報告されていなかったような場所でも感染するという話もあり、図書館にしろ、書店にしろ、多くの人が出入りする場所であることに変わりはないのである。
 今日発表の東京都の新規感染者数は4989人。重症者数も218人と増加の一途を辿っており、対策は急務なのだが、どうにも歯がゆいものがある。

 午後、「文學界9月号」に載っている映画「ドライブ・マイ・カー」に関する濱口竜介監督と仏文学者・野崎歓氏の対談と瀬尾夏美氏と佐々木敦氏の批評を読む。面白い。演出論、演劇論としての映画論とでもいえばよいのか。映画はまだ観ていないのだが、映画自体が演出や演劇を通してひとの声を聴き、共振することの意味を問いかけるものであるようだ。
 映画は今月20日に公開とのことだが、見に行けるかな……。



組織と人材

2021-02-18 | 日記
 この数日、引きこもりのように家から外に出ずにいるのは、コロナ禍のなか、感染リスクを怖れてのことでもあるのだが、何より薬の副作用のために言いようのない倦怠感や疲労感が重しのようにのしかかって身体全体から力を奪い取り、能動的に動こうとする気力を吸い取られているような気分なのだ。
 こうした状態では、ひたすら眠りこけるか、読書(それもあまり小難しくないもの)に耽溺するか、テレビを見るしかなくなるのだが、そもそも気力や集中力の削がれたような今の精神状態では、結局、呆けたように終日テレビ画面を見るともなく見続ける羽目になる。番組視聴率のアップに人知れず貢献しているというわけである。

 そんな次第で、最近見たテレビ番組の中で記憶に残ったものをメモしておく。
 その一つが、2月15日(月)の放送されたNHKの「逆転人生」で、「コロナ禍でも黒字のイタリアン 大逆転の秘けつとは」というタイトルがつけられている。
 今回の主人公は、世界的料理ガイドブックで10年連続一つ星のレストランを経営するイタリアンシェフの村山太一さんである。自らの厳しい修業時代の経験から、絶対的リーダーとして君臨するスタイルで店舗スタッフにも服従を求め、厳しく叱り飛ばす毎日だったが、意に反して客からの酷評が相次ぎ、赤字に転落。原因はチームワークの崩壊だった。
 そんな村山さんが覚醒したきっかけはファミリーレストランでのバイト。少ない人数ながらスタッフ同士が信頼しあい、協力しながら店を切り盛りする姿に感銘を受け、さらにスタッフの意見を吸い上げるフラットな組織のあり方に目覚め、方針を大転換したのだ。そこにはコロナ禍を乗り切るヒントが……、という内容である。

 さらにもう一つは、1月7日(木)放送のNHK「クローズアップ現代」で、「緊急事態宣言 雇用を守る現場の模索」というテーマだった。
 「雇用の危機」が続く2021年、新たな雇用を生み出している現場がある。大阪市のお好み焼き専門店は「地方」進出で新たな客層をつかみ、社員5人だった福島県内のプラスチック部品メーカーは専門分野の異なる企業とM&Aをした結果、互いのノウハウを生かして新製品を生み出し、従業員数を6倍にまで増やしている。取材から見えてくるのは、社会の変化を的確に捉え、平時では思いつかなかった発想の転換で活路を見いだしている点だ。始まった模索から厳しい時代を生き抜くヒントを探る、というもの。

 詳細は省くけれど、これらの取材から浮かび上がってきたものは、一方的なトップダウンによる命令や指示に服従させるのではなく、フラットな信頼関係に基づき、互いのノウハウを生かすとともに、ボトムアップにより知恵を出し合い問題解決を図るという組織運営の重要性である。
 さらには、「苦境の時こそ人材育成」というキーワードに見られるように、雇用した人を使い捨てのコマのように扱うのではなく、組織の財産として大切に育てていこうとする姿勢である。このことは、非正規社員を正社員として採用することに転換した会社の姿勢にも表れている。

 組織改善や経営改革という名のもとに行われる取り組みの多くが、効率化の名のもとに行われる雇止めだったり、単なる経費の切り詰めであったりするなか、ビジョンを共有しながら信頼関係を築き、人を大切にするという経営哲学の重要性をこれらの番組で紹介された事例から知ることができる。
 今、苦難の時代だからこその組織運営のヒントがそこにあるように感じる。

コロナ禍と演劇

2020-05-25 | 日記
夏日が続いたと思ったら今度は日照時間が極端に短い時期が続いたりと、体調管理に気を遣うこと甚だしい。
そんなこんなでストレスが溜まったせいなのか、街には急に人が溢れはじめたように感じる。スーパーマーケットや書店には人が集まっているし、昼から飲める立ち飲み系の居酒屋は呑兵衛たちで密になっている。週明けの25日にも緊急事態宣言解除との観測が出され、一気に緩みはじめたのだろうか。
そういう自分も図書館や美術館のオープンを心待ちにしている一人ではあるのだけれど…。
一方、劇場や映画館の再稼働の時期をいつにするかは難しい判断だろう。とりわけ劇場の再開時期は、制作に手間も時間も要する演劇という特殊性もあって、1週間後に劇場を開けるからといってすぐさま公演が打てるわけではないのだ。
今後何より課題となるのは、コロナウイルスが完全に収束、終息することが困難であり、ウイルスとの長期的な共生が余儀ないものであるとするならば、感染のリスクをいかに最小にとどめながら、劇場を運営するのかということである。安心して観劇できる環境をつくるためにぜひとも専門家の科学的な所見を聞きたいものだ。

雑誌「世界」6月号に劇作家・演出家の谷賢一氏が「コロナ禍の中の演劇」という論考を寄せている。
その言葉一つひとつに深く頷くしかないが、まさに今、谷氏の言うように演劇業界は焼け野原の中にいる。以下、引用。
「…この焼け野原に追い打ちをかけるのが、世間からの冷たい声だ。演劇界から窮状を訴えてみると、こんな言葉が返ってくる。『好きで選んだ仕事だろう』『演劇なんか、なくたって困らない』……。このような酷く冷淡な言葉を浴びせられ、さらには『河原乞食が、何を偉そうに』というような言葉まで投げつける人もいて、業界は萎縮している。…」

こうした意見、中傷に対し、谷氏は社会における演劇の必要性や演劇という芸術の特性、劇場の重要性を丁寧に説明してゆく。
「…劇場とは会話する場所であり、交流する場所である。そして会話と交流を通じて我々は新たな意識や価値観を得て、社会や日常を変革するエネルギーをもらう。そのために演劇はある。…」

これらの言葉が、果たして演劇人を中傷したり、演劇そのものに無関心な人々に届くのかどうか、それは分からない。
届かないかも知れないし、相手は聞く耳を持たないかも知れない、そもそも対話する気すらないのかも知れない。それでも諦めることなく言葉を発し続けることが必要なのだと思う。
谷氏が言うように、「失うのは一瞬だが、取り返すのには途方もない時間がかかる」のだから。

先週の22日(金)、演劇、音楽、映画の3ジャンルの団体が国に対し、「文化芸術復興基金」の創設を求める要望書と署名を提出し、その後、記者会見が行われた。
これも言葉を届けるための行動の直接的な表れであり、とても素晴らしい。とりわけライブハウスやクラブを含む音楽関係団体と演劇、映画関係団体の人たちが手を取り合い、連携したことの意味は大きい。さらに、これを国の省庁や政治家に直接訴えかけるという動きはこれまでになかったものではないだろうか。
演劇界でも著名で影響力の大きい人が個別に声を上げることも大切ではあるが、それぞれの業界の土台を支えているより多くの人々が連携し、団結することはさらに重要である。
心配なのは、各業界ともこうしたロビー活動や政治に訴えることに不慣れであり、政治的な駆け引きや勢力争いに巻き込まれる懸念はないかどうかということである。
そうしたことのないよう、政治家の皆さんにはこれらの声を真摯に受け止めていただくことを望みたい。

新しい働き方/古い働き方

2020-05-22 | 日記
この何日か3月下旬を思わせる天候が続いている。つい先日の夏日を経験した後では身体がなかなか適応してくれないようで、一日中眠くて仕方がない。
人出を避けて散歩をするように心がけてはいるのだが、3月以前の働き方や社会生活とは明らかに異なる移動手段や範囲と比べると運動量そのものが格段に少なくなっている。筋肉と神経はやせ細るが、反比例するように脂肪と体重は増え続けている。困ったものである。

さて、少し前の新聞になるが、5月9日の日本経済新聞の「今を読み解く」欄で甲南大学の阿部真大教授が「コロナ禍が問う働き方」について寄稿している。
この度のコロナ危機が、期せずして、テレワークやリモートワークといった「新しい働き方」の実効性を測る大規模な「社会実験」のようなものになったという前提に立ったうえで、現在巷間目にし、耳にもする「新しい働き方」が日本企業の「古い働き方」を変えられるのではないかという議論においては、「古い働き方」のメリットが見落とされがちであると指摘している。
以下、そのまま引用すると、「私(阿部教授)自身、勤務先の大学の要請でテレワークをはじめて気づいたことは、リアルな対面コミュニケーションのもつ情報量の豊かさと効率性である。今までリモートでも同じだと思っていた会議を実際にリモートでした時のコミュニケーションの困難さは、現在、多くの人が経験していることだろう。」「だからこそ、人々はテレワークにおけるコミュニケーションに、新しい種類の『疲れ』を感じはじめているのだろう。」

これについて同感する部分は大きい。対面のコミュニケーションにおいては、相手の身振りや複雑な表情の変化、距離が醸し出す空気感、それらを感じ取りながら交わす会話のやり取り、それらをリアルにオンライン上で代替することは現状では困難なのではないか。
いま、私たちが目にする多くのテレビの報道番組やワイドショーなどで、各分野の専門家やコメンテーターがソーシャルディスタンスを保つため、離れた場所からパソコン画面を通じて会話をするようになったが、それをずっと見続けていると、妙な苛立ちや疲れを感じるのだが、それは音声の不備や画面を通じた表情の不明瞭さとともに、人と人の会話の合間に生じるコンマ何秒かの微妙な「間」に起因しているように思える。

これを「演劇」に引き付けて改めて考えてみると、「演劇」という芸術は、その微妙な「間」や表情が生み出す空気感を材料として成り立つものなのだ。これをオンライン上で現前させるためには、まったく新しい発想の演技や演出が求められるに違いない。

コロナ禍が収束に動きはじめた時、やはりリアルなコミュニケーションを求めて「古い働き方」に回帰するのか、あるいは技術の進歩を加速させ、よりリアルな「新しい働き方」をあくまで希求するのか、その議論の帰趨は、これからの社会のあり方そのものを問いかけ、予測するものとなるだろう。

話は変わるが、今日(5月21日)の新聞紙面は、例の黒川幹事長辞任の動向に関する話題が多くの紙面を占めている。
こうした報道の裏に何が起こっているのか、本当のところは何なのか、それを読み取るのはなかなか厄介なことである。報道は発信する人間がいて、その発信には何らかの意図があるはずなのだが、それは記事の字面からだけでは読み取れない。
それはそれとして感じたのが、当の黒川氏とマージャン卓を囲んでいたのが新聞記者であったということだ。その是非はともかくとして、問題は、こうした関係がこれまでニュースソースたる人物との接点を保持するために良しとされてきた「古い働き方」にあるのではないか。
報道する立場の人たちの「新しい働き方」のあり方について、これから議論が深まり、見直しがなされることを期待したい。

体重と神経

2020-05-10 | 日記
4月からそれまで所属していた組織を離れ、肩書きも名刺も持たない生活に入ったのだけれど、劇場にも映画館にも美術館にも図書館にも行けないという生活はまったく予期していなかった。
正直途方に暮れる感があり、体重は増えるが神経はやせ細る思いである。こうした機会に積ん読だけだった本に手を伸ばし、読み耽るのも良いのでは、とも思うのだが、哀しいかな、これがなかなか時間はあるようで読書に集中できないのだ。人間は移動する動物なのである。巣ごもり状態では出来ることも出来ないではないかと駄々っ子のように愚痴ってばかりで、時間だけが過ぎていく。
だからという訳ではないのだが、日記を書くことにしようと思う。
心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ、である。
これは私自身のリハビリであり、心の安定剤なのだ。

何日か前に沼田真佑著「影裏」を文庫版(文春文庫)で読んだのだが、その感想をなかなか言葉に出来ないでいる。この作品は表題作が芥川賞を受賞してすぐに出た単行本で読んだのだが、文庫には、芥川賞受賞後に書かれた2篇も収録されていて、併せ読むと作家の描く世界がより深まって感じられる。素晴らしい文章を味わい、再読、三読に値する小説であると思う。

坪内稔典著「正岡子規 言葉と生きる」(岩波新書)を読み始める。
「はじめに」の中に書かれている「…当時の彼(正岡子規)は、明日をもしれない命を自覚しており、食べることが一種の存在証明になっていた。…」という一節に惹かれる。
正岡子規は病を得て自身の命の有限であることを自覚しながら、やるべき事をやり、己の生を生ききった。がんサバイバーである私は、その泣き言もわがままも含めて共感を覚えるのだ。
同書の中で、正岡子規と同年生まれの南方熊楠のエピソードが興味深い。二人はともに子どもの頃から写本または筆写にのめり込んだのだが、熊楠はそれが桁外れなのだ。以下引用。
「小学生の熊楠は友人の家に遊びにゆき、そこにある江戸時代の百科事典『和漢三才図会』を読んだ。暗記して家に戻り。半紙を綴じた帳に書きつけた。図も暗記して書いた。熊楠は三年かけて百五冊のその百科事典を写してしまった。それだけでなく、中国の植物学の事典『本草綱目』五十二巻(二十一冊)も写した。古本屋から借りた『太平記』五十冊も写したし、『諸国名所図会』『節用集』なども写した。熊楠自身の言葉で言えば、『書籍を求めて八、九歳のころより二十町、三十町も走りあるき借覧し、ことごとく記憶し帰り、反古紙に写し出し、くりかえし読みたり』(『履歴書』大正十四年)ということになる。」
その天才ぶりには言葉もないが、まさにこの恐るべき筆写が熊楠の知の基礎になったのだ。
一方、子規の筆写の最たるものは明治二十四年頃から始めた「俳句分類」だが、これは古今の俳句を四季、事物、表現の形式、句調などによって分類したもので、明治二十六年に友人の竹村鍛にあてた手紙によれば、この半紙を綴じて筆写した俳句分類が、積み上げると子規の身長(163センチ)の高さになったという。
現在では考えられないこうした努力を彼らは必要に応じて、しかし楽しみながら日々積み上げていたのだ。

9日(土)午後7時30分からのNHKスペシャル「ふり向かずに 前へ 池江璃花子 19歳」を見る。水泳・池江選手の白血病からの再出発の日々を記録した番組。入院中の過酷な闘病生活や、退院から復帰に向けたリハビリの様子、そして406日ぶりにプールで泳ぐ姿をインタビューを交えて伝えている。
正直、日本新記録を出し続けていた頃と比べてあまりに痩せた姿に痛々しいものを感じたのだが、あくまで前向きに復帰に向けたトレーニングを重ねるその姿勢に心からの感動を覚える。年若い彼女から勇気を与えられた。

音楽と読書

2014-11-25 | 日記
 22日(土)、東京佼成ウインドオーケストラ定期演奏会を聴いた。(於:東京芸術劇場コンサートホール)
 指揮:シズオ・Z・クワハラ、ピアノ:ステュワート・グッドイヤー。
 冒頭の「ロッキー・ポイント・ホリデー」(作曲:R.ネルソン)が情熱的な指揮と統率された輪郭のクリアな音色が聴衆を引き込む。普段吹奏楽になじみのない私も思わず身を乗り出してしまった。
 休憩前の「春になって、王達が戦いに出るに及んで」(作曲:D.R.ホルジンガー)は、途中、演奏者の合唱とも呻り声ともつかない「声」が重要な要素として使われ、終盤で現れるカオス的音響=解説によれば「自由なアドリブで奏でられる反復動機を累積させたクラスター的音響」が、ザ・ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」を想起させて面白い。
 演奏会の白眉は何と言っても「ラプソディー・イン・ブルー」だろうが、ピアノとウインドオーケストラの競演が素晴らしい。
 まったくのありきたりな感想になってしまうが、豊かな音の饗宴を堪能することができた。たまにはこんな時間があってもよいだろう。

 その同じ日に読了したのがレイモンド・チャンドラーの「さよなら、愛しい人」(村上春樹訳)である。
 最近の私は集中した読書の時間をまったく取ることができない。この本も読み始めてから実は2か月程もかかっている。途中、別の本を何冊か読んだためもあるが、それにしてもかかり過ぎである。現実社会では実にリアルな切迫した事象が相次いで起こり、こうした小説世界がまるでメルヘンのように思えなくもない。それゆえご縁がなかったものと読むのを諦めかけたこともあるのだが、10分刻みの電車での移動時間を重ねながら、それでも最後の100ページは一気に読むことができた。集中できさえすれば、もちろん小説は面白いに決まっているのだが。
 同作を読みながら私と同世代以上の人は、今から39年前にロバート・ミッチャム主演で映画された「さらば愛しき女よ」を思い出すのではないだろうか。
 共演のシャーロット・ランブリングが魅力的だったし、その翌年に「ロッキー」で一躍スターになるシルベスター・スタローンがまだ無名のチンピラ役で出演していた。
 ヤンキースのジョー・ディマジオの連続安打記録に一喜一憂したり、暗い部屋の中で一人チェスに没頭するフィリップ・マーローの姿が面白く印象に残っている。

 さて、「さよなら、愛しい人」は先行する翻訳がいくつもある名作だが、新訳をあえて出す意義とは何なのだろう。
 旧訳が今の時代にそぐわなくなった、古くさくなった、というのが主な理由だろう。
 しかしながら、といつも思うのだけれど、オリジナルの原文はそのままで今の時代にも十分通用し、輝きを放っているのに、何故翻訳だけが古びてしまうのか、それが不思議でならないのだ。
 つまりそれは翻訳者もまた表現者であるから、ということに尽きるのかも知れない。今の時代と切り結ぶ表現を新たな創造行為として生み出そうとするのが表現者としての欲望なのだ。オリジナルは変わらなくとも、それを見るものの視点は時代に応じて変化する。その変化を言葉に変換するのが翻訳者なのだ。

 あるいはそれは演出家の視点とも似ているのかも知れない。
 今月いっぱい開催されている「フェスティバル/トーキョー14」の演目の一つ、薪伝実験劇団の「ゴースト2.0~イプセン『幽霊』より」のプログラムにこんなエピソードが紹介されている。
 ……今年、北京で学生向けの演劇鑑賞の場で、中国の古典悲劇「雷雨」が公演されたところ、会場が笑いに包まれたとネット上で話題になった。「テキストや演技がそもそも現代に合わない」「今の若者は古典の魅力が分かっていない」など、関係者からは様々な意見が飛び交った。……
 これに対し、問われた「ゴースト2.0」の演出家ワン・チョンは、「時代遅れの脚本というのはないと思っています。時代遅れの演出方法ということなんだと思いますね」と答えている。
 似たような話を思い出す。
 もうかれこれ25年も前の新聞に載っていたのだが、アメリカの地方都市の映画館でハンフリー・ボガート主演の「カサブランカ」(1942年製作)が上演されていた。
 場内にはポップコーンをぱくつきながら足を投げ出したような若者で溢れていたのだが、彼らは映画の主人公が話す名台詞の一言ごとに腹を抱えて大笑いしていたというのだ。彼らにとってはこの名作映画も憂さ晴らしの娯楽映画でしかないのだ。

 どんな名作映画も、小説も、時間という理不尽な荒波に洗われてみれば、滑稽な姿を露わにしてしまう。
 それを今の時代に即して適合したものに仕立て上げ、新たな意味や価値を付与するのが、ここで言うところの演出家であり、翻訳者の仕事なのだろう。
 あらためてそう思えば、形となって後代に残らないだけ、演劇という表現は幸福な芸術ジャンルであると言えるのかも知れない。