リマ観光の翌日、いよいよマチュピチュへ。クスコまで飛行機で行くのですが、ストがあるという情報が入った為、予定より早めて始発の飛行機で・・ということで、午前3時出発となりました。アンデス山脈は午後から気流が激しくなるので、大量の飛行機が朝飛ぶようです。実際空港の電光掲示板には15分に1本飛行機が出ていました。まさにラッシュアワー。
クスコは標高3400m。酸素の薄い土地に急に移動するわけですから、行動はゆっくりゆっくりとアドバイスを受けます。飛行機を降りた瞬間、くらっと一瞬目まいがしたのですが、すぐに治ったのでほっとしていたところ、空港から外に出るとあくびがとまりません。眠たくなる人も居ると聞いていたので、これも高山病かしらん?と思っていたのですが、どうもエネルギーの濃いところへ来た時の私の症状(あくびとは少し違ったもので眠くはならない)と全く同じ事から、クスコがよっぽどエネルギーの高いところなんだと分かったわけです。実際、この日からずっと毎晩の瞑想では大地にすごく早く繋がれました。
この日はクスコに宿泊でなく、ここからマチュピチュへ。ストにも合わずラッキーだった私たちは余った時間でオリャンタイタンボの遺跡も見学できました。そして、オリャンタイタンボの街からマチュピチュのふもとの村、アグアスカリエンテスへ列車で移動。この列車、国鉄から数年前にオリエンタル急行の会社に売られたようで、中でオヤツや飲み物も出され、乗務員のアルパカ製品のファッションショーまでありびっくりしました。(アルパカ製品はショーの後、ワゴンで売られていました)
アグアスカリエンテスというふもとの町で一泊し、翌朝早くからバスで20分ほどのマチュピチュへ。山のお天気は変化が激しいといわれながら、私たちが居る間は全くの晴天・・参加者それぞれが「やっぱり私ハレ女だわ。ハレ男だ」と言ってました。言ったもん勝ちです。
今、ざっと地球の歩き方を読んでいると、私が聞いたガイドさんからの説明とかなり違います。本の方がもっとスペインからみた歴史観のような気がします。実際、文字を持たなかった為、解明のしようがないのが実際のところですが。
最大1万km2もあった巨大なインカ帝国時代、文字を持たない彼らの伝達手段はキープという縄にいくつかの結び目を作ったものをチャスキという飛脚がクスコと各都市間を運んでいたらしいのですが、途中6000mも越える山並みがある中、この飛脚たちは一体どれだけの速さで走ったのだろう?と誰もが思います。
インカ時代の石の組み方、石と石はぴったりとくっつきカミソリが入る隙間さえありません。現代の科学では不可能な技術といわれています。
でも、私たちの現在の技術が最高の物だっておこがましいのではないのかな?って思います。これって自分達が一番優れているっていうのが前提ですよね。
私は、反対に今の私たちはとても制限を受けていると思います。例えばオリンピックで一番早く走る人は何秒・・だから、それより早い人は居ないのだと。でも、そんな事知らなければもっと人間は早く走れるのではないでしょうか。
石垣も「できる、できない」で判断するのが私たちの現代社会ですが、「できない」という観念がない人達にとってはできるのが当たり前なのではないでしょうか。
制限をつけているのは私たち。「できる、できない」の二つがあるので、「できない」と思われているものをするのにはすごい勇気や頑張りが要るし必死にならないといけない。「どんなことも可能!」という世界に生きていれば、難なくできることかもしれません。
インカの人達は自分達が太陽の子孫だと思っていたようで、どの遺跡にも太陽を崇拝、繋がっていた石があります。他にも聖なる岩、コンドル神殿、日時計などを見学しましたが、面白かったのは写真のインカ橋。チャスキ(飛脚)たちが通ったインカ道。今では手前でストップですが、こんなところを全速力で走っていたんですねえ。
クスコは標高3400m。酸素の薄い土地に急に移動するわけですから、行動はゆっくりゆっくりとアドバイスを受けます。飛行機を降りた瞬間、くらっと一瞬目まいがしたのですが、すぐに治ったのでほっとしていたところ、空港から外に出るとあくびがとまりません。眠たくなる人も居ると聞いていたので、これも高山病かしらん?と思っていたのですが、どうもエネルギーの濃いところへ来た時の私の症状(あくびとは少し違ったもので眠くはならない)と全く同じ事から、クスコがよっぽどエネルギーの高いところなんだと分かったわけです。実際、この日からずっと毎晩の瞑想では大地にすごく早く繋がれました。
この日はクスコに宿泊でなく、ここからマチュピチュへ。ストにも合わずラッキーだった私たちは余った時間でオリャンタイタンボの遺跡も見学できました。そして、オリャンタイタンボの街からマチュピチュのふもとの村、アグアスカリエンテスへ列車で移動。この列車、国鉄から数年前にオリエンタル急行の会社に売られたようで、中でオヤツや飲み物も出され、乗務員のアルパカ製品のファッションショーまでありびっくりしました。(アルパカ製品はショーの後、ワゴンで売られていました)
アグアスカリエンテスというふもとの町で一泊し、翌朝早くからバスで20分ほどのマチュピチュへ。山のお天気は変化が激しいといわれながら、私たちが居る間は全くの晴天・・参加者それぞれが「やっぱり私ハレ女だわ。ハレ男だ」と言ってました。言ったもん勝ちです。
今、ざっと地球の歩き方を読んでいると、私が聞いたガイドさんからの説明とかなり違います。本の方がもっとスペインからみた歴史観のような気がします。実際、文字を持たなかった為、解明のしようがないのが実際のところですが。
最大1万km2もあった巨大なインカ帝国時代、文字を持たない彼らの伝達手段はキープという縄にいくつかの結び目を作ったものをチャスキという飛脚がクスコと各都市間を運んでいたらしいのですが、途中6000mも越える山並みがある中、この飛脚たちは一体どれだけの速さで走ったのだろう?と誰もが思います。
インカ時代の石の組み方、石と石はぴったりとくっつきカミソリが入る隙間さえありません。現代の科学では不可能な技術といわれています。
でも、私たちの現在の技術が最高の物だっておこがましいのではないのかな?って思います。これって自分達が一番優れているっていうのが前提ですよね。
私は、反対に今の私たちはとても制限を受けていると思います。例えばオリンピックで一番早く走る人は何秒・・だから、それより早い人は居ないのだと。でも、そんな事知らなければもっと人間は早く走れるのではないでしょうか。
石垣も「できる、できない」で判断するのが私たちの現代社会ですが、「できない」という観念がない人達にとってはできるのが当たり前なのではないでしょうか。
制限をつけているのは私たち。「できる、できない」の二つがあるので、「できない」と思われているものをするのにはすごい勇気や頑張りが要るし必死にならないといけない。「どんなことも可能!」という世界に生きていれば、難なくできることかもしれません。
インカの人達は自分達が太陽の子孫だと思っていたようで、どの遺跡にも太陽を崇拝、繋がっていた石があります。他にも聖なる岩、コンドル神殿、日時計などを見学しましたが、面白かったのは写真のインカ橋。チャスキ(飛脚)たちが通ったインカ道。今では手前でストップですが、こんなところを全速力で走っていたんですねえ。
マチュピチュいいなぁ…行って見たい。。
確かに制限を勝手につけてるのは僕たちですよね~不可能なことなんてないんだって最近よく思います☆
いまだに大量の夢を見るし、不安や執着などが大量になくなった。あれだけ宇宙と大地と簡単に繋がれる場所ってそうそうないと思うわ。
行けるというのはもっとすごい。何がなんだかよくわからないが、そこは本当に現実に存在するのか、て思っちゃうわ(笑) 伝説とか物語の中とか幻想の中にあるものみたいな感じさえする。
インドみたいに一生かけても行く人と行かない人がいる、のと同じぐらいのところ?
ごめ~ん、頭で考えてばっかりいる~。画面からでもすごいパワーにタジタジの私~、ひえ~。
また時間のある時にゆっくり見させてくださいね~
おみやげ話し楽しみにしておりま~す
うん、すごいよ。見るもの全てが今までの自分の知っている世界とは違ったし。北アメリカやヨーロッパやアジアとは全く違った。
インカ帝国は文字がなかった為、解明できないからそれも不思議でいいのかもしれない。すべて解明する必要もないし・・て私は説明をききながら思ってたんだけどね。
いつか一度行ってみて。すごい体験できること間違いなしです。
行くところ行くところ全てが「世界不思議発見」見てるんちゃうかって思いましたよ。次回の英語会には写真現像しておきますね。もうええっちゅうくらいペルーについて熱弁しそうです。