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『ゴジラ2000 ミレニアム』

2023-09-22 23:06:35 | 映画

今回は、ひさびさに映画記事です。

このカテゴリーでは、ゴジラシリーズ作品を紹介するというのをずっとやっていて、前回は『ゴジラFINAL WARS』をとりあげました。
FINAL WARSは、いわゆるミレニアムシリーズの最終作。順番は前後することになりますが、そのミレニアムシリーズの第一作である『ゴジラ2000 ミレニアム』が今回のテーマです。

『ゴジラ2000 ミレニアム』 | 予告編 | ゴジラシリーズ 第23作目

ちなみにこの作品は、先日の東京ブギウギの記事ともちょっと関係してきます。

服部良一さんの服部家が音楽家一族で、そのなかに服部隆之さんがいるわけですが……この隆之さんは、ゴジラシリーズでも音楽を手がけています。
一つは、第二シリーズの『ゴジラVSスペースゴジラ』。
当初はゴジラ音楽の大家である伊福部昭にオファーしたものの、脚本を読んだ伊福部さんがこれを断ったため、別の作曲家に依頼しなければならないということで服部隆之さんに話がいきました。これはいわばピンチヒッターということだったわけですが、その数年後、ふたたび隆之さんにゴジラ音楽のオファーがきます。それが、『ゴジラ2000』だったのです。


個人的な話になりますが、これは私がリアルタイムで観た最後のゴジラでもあります。
なぜこれが最後なのかというと……これを観て、以降のゴジラ作品を観る気がしなくなったからということです。
それぐらい、その当時の私にとっては評価が低かったのです。

しかしながら、いま観返すと意外と悪くないと思います。

観ていると、ちょっとエヴァを意識したようなところがあるのは、時代でしょうか。
この頃は、エンタメのあらゆるジャンルにエヴァンゲリオンが大きなインパクトを与えていて、ネコも杓子もちょっとエヴァっぽい演出を取り入れてました。そして、ゴジラ2000における「エヴァっぽい演出」は、その種の演出の多くがそうであったように、いささか中途半端で、上滑りしているようにも感じられるのです。

しかし、こうした演出は、新時代の新たなゴジラ像を作り出すという制作側の意欲を感じさせるものでもあります。
大河原孝夫監督は、「造型も、シナリオも出来るだけ見つめ直して、今まで見たことの無い絵を盛り込んでやろうと、新しさを最大の武器にしようという思いでしたね」と語っています。
「今まで見たことの無い」という点に関しては、たしかに監督の意図は達成されているといえるでしょう。

造型という点に関しては、実際かなり変わっています。
参考として、ミレニアムゴジラのソフビの画像を載せておきましょう。



もっとも目立つ変化は、背びれでしょう。見ようによっては、これもちょっとエヴァっぽく見えるのではないでしょうか。



そして、外見だけでなく、ゴジラのキャラクターというか、位置づけにも変化がみられます。

ミレニアムシリーズのゴジラは、よく“台風のような”と表現される存在となっています。
つまりは自然災害のようなものであり、本作の主人公は、トルネードを観測するような役回りになっているのです。

ただし、核の恐怖というゴジラが背負っているイメージは、一定程度踏襲されています。
本作では、根室に出現したゴジラがむかう先が、茨城県の東海村。
くしくも、1999年は、東海村の臨界事故が起きた年です。タイミング的にいって、あの事故が映画に反映されているかどうかはわかりませんが……「ゴジラは人間の作り出すエネルギーを憎んでいるのか」というせりふがあったりして、核の脅威というモチーフは継承されているのです。

その東海村で、ゴジラは謎の岩塊と遭遇し、交戦。

実は『ゴジラ2000』はVSものであり、この岩塊が、今作でゴジラの対戦相手となる宇宙生物です。
はるか昔に地球に飛来し、眠りについていた宇宙生物は、ゴジラの生命力を利用して肉体を得ようとするのです。
そうしてできあがった怪獣が、「オルガ」です。
おそらく、ゴジラシリーズに登場する全怪獣のなかでもっともマニアックなものの一つでしょう。
はっきりいって、噛ませ犬以外の何物でもありません。
新宿における最終決戦では、ゴジラのエネルギーを吸収してゴジラ化しようとするものの、その過程で死滅。いかにゴジラが強大な存在であるかということをしらしめるためだけの存在なのです。

ちなみにこのオルガという怪獣は、1998年版ハリウッドゴジラをモデルにしているといわれます。
98年版のゴジラは日本ゴジラのミレニアムシリーズにおいてちょくちょくネタにされている、と以前書きましたが、オルガもその一つです。ゴジラのエネルギーを吸収しようとしてゴジラになろうとしたけれど、そのエネルギーに耐え切れずに死滅……という展開は、このことを念頭に置いてみると意味深でもあります。そもそも、98年のGODZILLAがファンの間でも不評だったことから新たな日本ゴジラシリーズがはじまったという経緯があったりもするわけです。

そして、ここからのエンディングが本作の斬新なところとなっています。
これまでのゴジラシリーズであれば、ゴジラが敵怪獣に勝つということは、たいていの場合ゴジラが人類の側についているということを意味しているのですが、ゴジラ2000ではそうではありません。
ミレニアムゴジラはあくまでも人類にとって脅威であり、敵の宇宙怪獣を倒してもそのまま海に帰っていったりはしないのです。
オルガを倒したゴジラは、そのまま東京で暴れまわり、その姿を描きながら映画は終了します。
ゴジラが封印もされず、海に帰っていきもしない。なんの解決も与えられず、ゴジラが破壊のかぎりを尽くす状態で終了――これは、ゴジラシリーズ全作品のなかでも唯一のエンディングです。
人間との妥協の余地は一切ない、そういう新しいゴジラ像を打ち出しているのです。
エヴァの90年代を通過した、ミレニアムのゴジラがこれだということでしょう。
後になって俯瞰してみると、そういう意図が浮かび上がってきて、その着想自体は決して悪くはなかったんじゃないかという感想もあります。ただ、それまでのゴジラの歴史というところから考えると、あまりそのあたりに共感してもらえなかったようで……はじめに書いたように、私もまた、リアルタイマーとしては本作を決して高く評価してはいなかったわけですが、世間的にも評判はいまひとつで、興行的には厳しい結果となりました。そして、このときのファーストインプレッションをその後の第三シリーズ作品も引きずっていったように見えるのは、ゴジラ作品にとって不幸なことだったかもしれません。




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