ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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文書改ざん問題に新たな動き

2020-03-19 19:48:44 | 過去記事
 
文書改ざん問題を振り返る

過去記事です。ちょっと前にも書きましたが、去年の今頃は、森友問題に関する文書改ざんが問題になってたんですよね……それが何事もなかったかのように忘れ去られ、いままた統計不正が......
 

 

過去記事の振り返り……の振り返りです。

今から2年ほど前の記事ですが、この件について大きな動きがありました。

話題の週刊文春は、売り切れなのか、このあたりでの発売が遅いのか、まだ手に入れることができていないんですが……これは読んでおこうと思ってます。

この件は、絶対にうやむやに終わらせてはいけない話です。

振り返り記事のほうにも書いていますが、文書改ざん事件の翌年には統計不正という問題もありました。そしていま、検察官の定年延長問題があり、新型肺炎の検査の問題があり、それらについて法相の不適切な答弁、厚労省の不適切なツイートがあったりします。

さんざんいわれていたとおり、放置することによって事態はどんどん悪化していっているのです。

このエスカレートを止めるためには、騒ぎ立てて、大事にしないといけないんです。なので、このブログで、もいま一度この件を取り上げました。

 


東京事変 - 閃光少女

2020-03-17 16:56:02 | 音楽批評


先日このブログで、東京事変のツアー中止に関する記事を書きました。

そこでは新型肺炎のことがメインでしたが……今回は、音楽記事として東京事変について書きます。

東京事変。
いうまでもなく、椎名林檎さんのバンドです。

哲学的な歌詞。
独特な歌唱法だけでなく、ファッションやステージパフォーマンスも含めた唯一無二の個性……そして、今回のライブ決行にもみられた、物議をかもす言動。
それらはたぶんに唯美主義的な傾向を帯びた危険な臭いがしますが、その危険なにおいが一つの魅力ともなっています。私なんかは、これは危ういなと思うこともよくあるんですが……それでも離れることはできない何かが、椎名林檎というアーティストにはあります。

その林檎さんが、ベースの亀田誠治さんを筆頭とした超絶ミュージシャンたちを集めて作ったのが、東京事変。
その音楽は、あれこれと理屈を論じたり留保をつけたりすることを拒絶するような、というよりも、そんなさかしらを吹っ飛ばしてしまう圧倒的なリアリティを持っています。

 

「閃光少女」は、亀田さんが作曲、林檎さんの作詞になる歌です。
余談ながら、私がいまやってるバンドでやってたりするんですが……おそらく、東京事変の代表曲の一つでしょう。

そのPVです。


東京事変 - 閃光少女


そのタイトルは、閃光のように今の一瞬を燃焼しようということでしょう。
以下、歌詞を一部抜粋してみます。


  今日現在(いま)が確かなら万事快調よ
  明日には全く憶えて居なくたっていいの

  今日現在(いま)がどんな昨日よりも好調よ
  明日まで電池を残す考えてなんてないの  

  焼き付いてよ、一瞬の光で
  またとないいのちを
  使い切っていくから
  私は今しか知らない
  貴方の今を閃きたい

  これが最期だって光って居たい


こういうモチーフは、椎名林檎さんの歌詞にたびたび出てきます。
明日のことは考えない。とにかくいまという瞬間を生きる――その考え方は、今回のライブ決行にも通ずるところがあるかもしれません。

ただ、今般のコロナ事情においては、さすがにちょっと厳しいところがあったようです。

海外では、再結成レイジ・アゲンスト・ザ・マシーンがツアーを延期するなど、大物アーティストでも公演の延期・中止を余儀なくされています。
今回の「イベント自粛」は東日本大震災のときとちがって、単に「不謹慎」ということではなく、感染症という科学的な問題でもあって……ちょっと押し切るのは難しかったというところでしょう。

ただ、それであれだけ叩かれるというのは、やっぱりちょっと異常ですね。

「ロックは炭鉱のカナリヤだ」と私はいってきましたが……その観点からすると、今回の一件は、新型肺炎によって日本社会が冷静さを失ってしまって酸欠気味になった状況を映し出しているんじゃないでしょうか。



F.W.クロフツ『樽』

2020-03-14 17:34:10 | 小説

 

F.W.クロフツの『樽』を読みました。

以前、松本清張の『点と線』について書きましたが、その解説に語られるところによると、清張は、ミステリーを書くにあたってクロフツに影響を受けているそうです。そこで、ミステリーキャンペーンの一環としてそのクロフツの代表作とされる『樽』を読んでみようと思いました。

恥ずかしながら、この作家の作品を読むのは初となります。

しかし、それもやむをえない点はあるでしょう。
私が読んだ新装の文庫には有栖川有栖さんが文章を寄せているんですが、それによると、近年クロフツという作家は埋もれた存在になっているそうです。かつて『樽』は「古典ミステリートップ100」のような企画をやるとトップ10に入っていたといいますが、今では知る人ぞ知る作品という感じになっているのです。

まあ、そんなもんでしょう。

音楽でいえば、バーズみたいなことじゃないでしょうか。かつて一世を風靡したけれど、時代が進むにつれて時の流れのなかに埋没していき、今では一部のマニアのあいだで語り継がれるばかりという……

ただ、そういうアーティストが実は後世につながる重要な要素を残していたりします。

クロフツの場合でいえば、この人は「アリバイ崩し」の祖といわれているそうです。
『樽』にも、そういう要素は出てきます。鉄壁のアリバイをどう崩すか……そして、そのアリバイ崩しという部分が、清張の『点と線』につながっているわけです。捜査者が電車の時刻表とにらめっこするところなんかは、その顕著な例でしょう。
そしてもう一つ、ふたたび有栖川有栖さんによると、クロフツはミステリーにリアリズムを持ち込んだ作家ということです。
この点も、清張につながってくるでしょう。シャーロック・ホームズのような天才的な探偵ではなく、ごく一般的な人物が地道に歩き回って手がかりをつかみ、推理していく――という趣向。これもまさに、清張ミステリーの世界です。

ここで、作品の内容についても書いておきましょう。

タイトルが示すとおり、「樽」が重要な役割を担います。
港での荷役作業中、樽に詰められた女性の死体が発見され、その謎をめぐって物語が展開していくのです。
その導入は秀逸ですが、しかしこの部分には、見過ごせない瑕疵が指摘されており……そんなところも、『点と線』と共通しています。
清張のことを意識して読むと、文章の構成なんかも似ているような気がしてきます。ただ、やけに冗長な部分があったり、かと思えば、本来数ページ費やしてしかるべきところがさらりと書き飛ばされている箇所があったりと、文章はあまりこなれていない感も。

最終的な解決については、ネタバレになるので書きませんが……
複雑そうにみえて実はシンプルな解決です。ただ、アリバイ崩しのほうについては、いささかぬるい気がしました。特に、電話の件は記録を調べればわかったのではないかという疑問も……

しかしながら、細かい部分はともかくとして、新しい趣向を取り入れた点において、この作品がミステリー史における記念碑的な存在であることはたしかでしょう。




コロナ禍のなかでの3.11

2020-03-11 21:22:13 | 時事


今年も3月11日がやってきました。

東日本大震災から9年……

新型肺炎の流行という、もしかしたら経済的なダメージはあの震災よりも大きくなるのではないかという災難に見舞われるなかでの、3.11。

依然として、原発事故の処理は途上であり、復興は道半ばです。
そんななかで、法務大臣が「震災のときに検察官が逃げた」と国会で答弁し、それを「個人の見解」として撤回する……
残念ながら、これが日本という国の現実です。
その現実を踏まえたうえで、これから日本をどうしていくかということを考えないといけないんでしょう。

最近の記事で書いてきたように、新型コロナウィルスによって、あたかも現在の社会システムがテストされているようです。政治・経済・社会福祉といったあらゆる面で……
そしてどうも日本の場合、今のやり方ではだめだという結論が示されているように見えます。
今回のコロナ禍が、せめて社会のシステムを改善するきっかけになってくることを願うばかりです。



資本主義のゴーストフライト

2020-03-10 18:28:46 | 時事



欧州で、ゴーストフライトという現象が起きているそうです。

ゴーストフライトとは、乗客が一人もいないのに飛行機が飛ぶということ。まるで幽霊船のようで、そ
れでゴーストフライトというわけでしょう。
新型肺炎の感染拡大によってキャンセルが相次ぎ、ついには乗客が一人もいなくなる。その状態で、飛行機が飛んでいるのです。

誰も乗客がいないなら、フライト自体をやめたほうがよさそうなものですが……なぜこんなことが起きるかというと、制度上の問題が背景にあるようです。
各航空会社は欧州各地の空港に発着枠を確保していますが、その発着枠の割り当ては、前年の実績によって決まるといいます。もしフライトを大量にキャンセルした場合、飛行実績が減少し、発着枠を競合他社に奪われるかもしれない――そのため、乗客がいなくても飛行機を飛ばし続けなければならないというのです。
結果、誰も乗客がいない飛行機を飛ばして、大量の燃料を無為に消費してしまっています。

なんだか、それはおかしな話じゃないか……と、誰しもが思うでしょう。

私もそうです。

前回は、報道のあり方について書きましたが、この数十年の間に築き上げられてきた経済システムもまた、今回の新型コロナウィルスの挑戦を受けているようです。

結果として、いわゆる新自由主義――弱肉強食の競争型経済――がはらむ矛盾が、今回のコロナ禍であらわになっているように思えます。

グローバル競争のなかで、経済最優先、効率最優先で、“無駄”なものをそぎ落としてきた社会が、その弱点をウィルスに突かれているのではないか。
日本もそうでしょう。非正規雇用の増加、その結果として、低賃金での労働を余儀なくされる労働者――このことが、緊急事態に対してきわめて脆弱な社会構造を作ってしまっているように思えるのです。
新自由主義によって、資本主義経済はみずからの首をしめはじめ、内側から崩壊し始めているのではないか。皮肉なことに、社会主義という対抗思潮の衰退によって、資本主義もまた瓦解にむかいつつあるのではないか……
だとすれば、ゴーストフライトはその象徴でしょう。
誰も乗客を乗せずに飛ぶ飛行機――本来の目的を離れ、ただそれ自体のために回り続け、止まることのできない歯車。現代の資本主義は、そんな虚しい営みになってしまっているのではないでしょうか。