欧州で、ゴーストフライトという現象が起きているそうです。
ゴーストフライトとは、乗客が一人もいないのに飛行機が飛ぶということ。まるで幽霊船のようで、そ
れでゴーストフライトというわけでしょう。
新型肺炎の感染拡大によってキャンセルが相次ぎ、ついには乗客が一人もいなくなる。その状態で、飛行機が飛んでいるのです。
誰も乗客がいないなら、フライト自体をやめたほうがよさそうなものですが……なぜこんなことが起きるかというと、制度上の問題が背景にあるようです。
各航空会社は欧州各地の空港に発着枠を確保していますが、その発着枠の割り当ては、前年の実績によって決まるといいます。もしフライトを大量にキャンセルした場合、飛行実績が減少し、発着枠を競合他社に奪われるかもしれない――そのため、乗客がいなくても飛行機を飛ばし続けなければならないというのです。
結果、誰も乗客がいない飛行機を飛ばして、大量の燃料を無為に消費してしまっています。
なんだか、それはおかしな話じゃないか……と、誰しもが思うでしょう。
私もそうです。
前回は、報道のあり方について書きましたが、この数十年の間に築き上げられてきた経済システムもまた、今回の新型コロナウィルスの挑戦を受けているようです。
結果として、いわゆる新自由主義――弱肉強食の競争型経済――がはらむ矛盾が、今回のコロナ禍であらわになっているように思えます。
グローバル競争のなかで、経済最優先、効率最優先で、“無駄”なものをそぎ落としてきた社会が、その弱点をウィルスに突かれているのではないか。
日本もそうでしょう。非正規雇用の増加、その結果として、低賃金での労働を余儀なくされる労働者――このことが、緊急事態に対してきわめて脆弱な社会構造を作ってしまっているように思えるのです。
新自由主義によって、資本主義経済はみずからの首をしめはじめ、内側から崩壊し始めているのではないか。皮肉なことに、社会主義という対抗思潮の衰退によって、資本主義もまた瓦解にむかいつつあるのではないか……
だとすれば、ゴーストフライトはその象徴でしょう。
誰も乗客を乗せずに飛ぶ飛行機――本来の目的を離れ、ただそれ自体のために回り続け、止まることのできない歯車。現代の資本主義は、そんな虚しい営みになってしまっているのではないでしょうか。