昨日、GWの一日を利用して、宗像大社に行ってきました。
宗像大社といえば、近年世界遺産にも指定されたところですが……
そもそもどういう存在なのかというのがなかなか複雑なので、はじめに、その点をちょっと説明しておきましょう。
私も今回行ってみてはじめて知ったんですが、「宗像大社」という一つの神社があるわけではないんですね。
沖ノ島にある「沖津宮」、大島にある「中津宮」、九州本土にある「辺津宮」の三つをあわせて、「宗像大社」といっているんです。つまり、本土と二つの島に散らばって存在する三つの神社を、まとめて宗像大社というわけです。これは、全国的にみてもなかなか独特なんじゃないでしょうか。
なかでも重要なのは、沖津宮がある沖ノ島。
海上にぽつんと浮かぶこの島は、古来航海者にとって重要な目印だったらしく、そのことから、航海を守る女神が祀られるようになったそうです。
古代の日本にとって、大陸との交易は重要でした。その交易路の要衝に位置しているということで、朝廷にとっても沖ノ島は特別な意味を持っていたようです。三つの神社に祀られる三人の女神は天照大神を守護する存在ということで、宮司である宗像氏は皇室とも深いつながりを持っていたといいます。
ただ、沖ノ島に上陸はできないので、ここには行けません。
私が今回行ったのは、大島のほう。
大島へは、神湊港からフェリーで。
およそ20分ほどで到着します。
島にはレンタル自転車があり、これで移動しました。
すべて電動アシスト仕様になっていて、なぜだろうとはじめは思ったんですが……島内を移動してみればその理由はわかります。とにかく坂道が多く、電動アシストがなければとても無理なんです。
以下、島をおよそ一周して見たものを紹介していきましょう。
中津宮の隣には、湧水が出ているところがあります。
なかなか雰囲気が出ていていいと思います。
中津宮を出ると、島の北西部へ。
山中の道を自転車で進み、北側の海岸に出ます。
ここには、洞窟があります。
ただし、自転車ではいけません。崖を開いてつくった階段を徒歩で降りると、海面近くまで降りたところに入り口が。
洞窟といっても、おそらく自然にできたものではなく、人が掘ったもの。江戸時代にキリシタンが潜伏していたそうです。
そこから、海岸線にそいって東へ移動すると、風車があります。
その近くには、砲台の跡。
戦前には、ここに砲台が置かれていたそうです。
この画像に映っているのは、あるいは後に復元されたものかもしれませんが……
日露戦争時の日本海海戦があったのはこの近海。近くには、日露戦争戦没者の慰霊碑もありました。
ここからは、島の中央部へ。
中央部へ行くほど標高は高くなり、電動アシストがあっても自転車ではかなりきつくなってきます。
最後の心臓破りの坂を上り切ると、そこにあるのが御嶽山神社。
同じ名前の神社は日本各地にあると思いますが、山岳信仰ということでしょう。
この日は周囲がかすみがかかっていて、神秘的な雰囲気でした。
アスファルト舗装された道路はここを終点として行き止まりになっている(ただし、遊歩道で南海岸に抜けることは可能)ので、いったん北の海岸に戻ります。
島の北部には、遥拝所があります。
沖ノ島にはそうそう行けないわけなので、ここから沖ノ島を拝むことができる、という施設です。
こういうさびれた廃墟感はいいですね。
さらに東のほうにまで海岸は伸びていますが、今回は、時間の都合で島の東半分は断念。ここから、南へ戻ります。
南東海岸にある、海の小道。
干潮時にしかあらわれない道といいます。
その近くにある、夢の小夜島。
飯尾宗祇が歌に詠んだのだとか。
南海岸に戻ってきたところで、フェリーで本土へ帰還。
帰路、道の駅むなかたに寄ってきました。
そこで売っていたソフトクリーム「玄海の塩」です。
本土にある、辺津宮にもいってきました。
本土にあるだけあって、中津宮と比べるとだいぶ敷地が広いです。
奥のほうには第二宮、第三宮というものがあって、ここに参拝すると沖津宮、中津宮も合わせて参拝したことになるといいます。
なんという裏技……
だったらわざわざ大島に行く必要ないんじゃないかという話になってきますが、私個人の感想としては、大島には行く価値が十分にあると思います。
北部海岸の崖や岩塊の存在感は、ここに載せた画像ではなかなか伝わりません。あれは、その場で体感してこそ価値があると思いますね。
ただし、自転車でまわるのはかなりしんどいので、大島に行こうと考えている方には、フェリーで車を持っていくことをおすすめします。
宗像大社といえば、近年世界遺産にも指定されたところですが……
そもそもどういう存在なのかというのがなかなか複雑なので、はじめに、その点をちょっと説明しておきましょう。
私も今回行ってみてはじめて知ったんですが、「宗像大社」という一つの神社があるわけではないんですね。
沖ノ島にある「沖津宮」、大島にある「中津宮」、九州本土にある「辺津宮」の三つをあわせて、「宗像大社」といっているんです。つまり、本土と二つの島に散らばって存在する三つの神社を、まとめて宗像大社というわけです。これは、全国的にみてもなかなか独特なんじゃないでしょうか。
なかでも重要なのは、沖津宮がある沖ノ島。
海上にぽつんと浮かぶこの島は、古来航海者にとって重要な目印だったらしく、そのことから、航海を守る女神が祀られるようになったそうです。
古代の日本にとって、大陸との交易は重要でした。その交易路の要衝に位置しているということで、朝廷にとっても沖ノ島は特別な意味を持っていたようです。三つの神社に祀られる三人の女神は天照大神を守護する存在ということで、宮司である宗像氏は皇室とも深いつながりを持っていたといいます。
ただ、沖ノ島に上陸はできないので、ここには行けません。
私が今回行ったのは、大島のほう。
大島へは、神湊港からフェリーで。
およそ20分ほどで到着します。
島にはレンタル自転車があり、これで移動しました。
すべて電動アシスト仕様になっていて、なぜだろうとはじめは思ったんですが……島内を移動してみればその理由はわかります。とにかく坂道が多く、電動アシストがなければとても無理なんです。
以下、島をおよそ一周して見たものを紹介していきましょう。
中津宮の隣には、湧水が出ているところがあります。
なかなか雰囲気が出ていていいと思います。
中津宮を出ると、島の北西部へ。
山中の道を自転車で進み、北側の海岸に出ます。
ここには、洞窟があります。
ただし、自転車ではいけません。崖を開いてつくった階段を徒歩で降りると、海面近くまで降りたところに入り口が。
洞窟といっても、おそらく自然にできたものではなく、人が掘ったもの。江戸時代にキリシタンが潜伏していたそうです。
そこから、海岸線にそいって東へ移動すると、風車があります。
その近くには、砲台の跡。
戦前には、ここに砲台が置かれていたそうです。
この画像に映っているのは、あるいは後に復元されたものかもしれませんが……
日露戦争時の日本海海戦があったのはこの近海。近くには、日露戦争戦没者の慰霊碑もありました。
ここからは、島の中央部へ。
中央部へ行くほど標高は高くなり、電動アシストがあっても自転車ではかなりきつくなってきます。
最後の心臓破りの坂を上り切ると、そこにあるのが御嶽山神社。
同じ名前の神社は日本各地にあると思いますが、山岳信仰ということでしょう。
この日は周囲がかすみがかかっていて、神秘的な雰囲気でした。
アスファルト舗装された道路はここを終点として行き止まりになっている(ただし、遊歩道で南海岸に抜けることは可能)ので、いったん北の海岸に戻ります。
島の北部には、遥拝所があります。
沖ノ島にはそうそう行けないわけなので、ここから沖ノ島を拝むことができる、という施設です。
こういうさびれた廃墟感はいいですね。
さらに東のほうにまで海岸は伸びていますが、今回は、時間の都合で島の東半分は断念。ここから、南へ戻ります。
南東海岸にある、海の小道。
干潮時にしかあらわれない道といいます。
その近くにある、夢の小夜島。
飯尾宗祇が歌に詠んだのだとか。
南海岸に戻ってきたところで、フェリーで本土へ帰還。
帰路、道の駅むなかたに寄ってきました。
そこで売っていたソフトクリーム「玄海の塩」です。
本土にある、辺津宮にもいってきました。
本土にあるだけあって、中津宮と比べるとだいぶ敷地が広いです。
奥のほうには第二宮、第三宮というものがあって、ここに参拝すると沖津宮、中津宮も合わせて参拝したことになるといいます。
なんという裏技……
だったらわざわざ大島に行く必要ないんじゃないかという話になってきますが、私個人の感想としては、大島には行く価値が十分にあると思います。
北部海岸の崖や岩塊の存在感は、ここに載せた画像ではなかなか伝わりません。あれは、その場で体感してこそ価値があると思いますね。
ただし、自転車でまわるのはかなりしんどいので、大島に行こうと考えている方には、フェリーで車を持っていくことをおすすめします。