ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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Dixie Chicks, 'I Hope'

2017-10-11 15:42:32 | 音楽批評
 


このブログでは、音楽批評を一つのジャンルとしています。
これまでは、拙著『ホテル・カリフォルニアの殺人』ゆかりの曲ということで、イーグルスの曲だけを紹介してきました。

しかし、これからは、もう少し幅を広げていこうと思います。

その手始めとして、今回取り上げるのは、以前イーグルスの「魔女のささやき」について書いたときに名前が出てきたディクシー・チックスです。
彼女らの I Hope という曲について書きます。


ディクシー・チックスが、「ブッシュは恥」と発言したことで強いバッシングを受けたことは、以前にも書いたとおりです。

それは、殺害の脅迫などもふくむものだったようで、ミュージシャンとしての活動も危うくなるレベルでした。

しかし、彼女らは、それに押しつぶされはしませんでした。

その数年後に発表したアルバム"Taking the Long Way"で、グラミー賞の「最優秀アルバム賞」などを受賞したのです。


この受賞は、アメリカ社会がイラク戦争の過ちを認めざるを得なくなったことと関係しているともいわれます。
当人たちは、そういうことは関係ないといっているんですが、しかし中には、過去の因縁を思わせる内容の歌もあります。

たとえば、アルバムの一曲目に収録されていて、先行シングルとしてもリリースされた Not Ready to Make Nice という曲があります。

make nice というのは、「愛想よくふるまう」といったような意味です。
表面上お行儀よくして、面倒な衝突は避ける……そんなふうにするつもりはないと、この歌で彼女らは宣言しています。ロックですね。


また、Lubbock or Leave It という曲があります。

Lubbock というのは、ディクシー・チックスのリード・ボーカルをつとめるナタリー・メインズの出身地であるテキサス州ラボックのことですが、この町は伝説的なロックンローラーであるバディ・ホリーの出身地でもあります。で、バディ・ホリーの銅像が建っているんですが、そこに至るまでの歳月に、ロックの面白い歴史があります。

じつは草創期には、ロックンロールという音楽は保守層に忌み嫌われていて、ロックンローラーは悪魔扱いされていました。
今では信じられないことでしょうが、エルヴィス・プレスリーなんかも、デビュー当時は大人たちの激しい批判にさらされていて、エルヴィスの人形を路上で燃やしたり、レコードを踏みつぶすなどということが行われたといいます。

そんなふうに、昔の大人たちは、ロックンロールという音楽を毛嫌いしていました。
ところが今では、ロックは広く浸透し、エルヴィスはまるで古き良きアメリカのようなイメージで語られ、ラボックにはバディ・ホリーの銅像が建っています。
悪魔と呼ばれたロックンローラーたちが、いつしかヒーローになっているわけです。

このことを、ディクシー・チックスは「私たちも銅像を建ててもらえるかしら」と皮肉をこめて歌っています。あきらかに、自分たちのレコードが踏みつぶされるという目に遭ったことを念頭においたものでしょう。


さて、そんなアルバムの最後に収録されている曲が、I Hope です。

曲は、次のようにはじまります。


日曜日の朝 牧師がこういうのを聞いた
Thou shalt not kill.(汝、殺すべからず)と
kill という言葉について私はそれ以外のことを聞きたくない
それが神の意志だなんてことは

この一節は、神の名のもとに殺戮が行われている状況を嘆く歌詞ととらえることができます。

アメリカの共和党支持者のなかにはキリスト教を基盤にした保守層がかなりいて、その人たちがイラク戦争を支持していました。

いっぽう、イスラム過激派は彼らの神の名のもとにおいてテロを起こしています。

キリスト教の神もイスラム教の神も本来同じ存在なのですが、その神の名のもとに殺し合いが行われているのです。

「汝、殺すべからず」というのは、いうまでもなく十戒のうちの一つです。

キリスト教、イスラム教、そしてユダヤ教にとって根本的な経典である旧約聖書の、もっとも根本的な教えである十戒に「汝、殺すべからず」と書いてあるじゃないか。どうしてその神の名を語りながら人を殺すことができるんだ……そういう素朴な問いが、ここで投げかけられています。

そして、歌はこう続きます。


子供たちは私たちを見ている
私たちを信頼している
私たちと同じように育つ
歴史から学んで 違うやり方をしよう


ナタリー・メインズは既婚者で、子供もいて、子供にむけた歌を歌ったりもしています。
そういう彼女だからこそ、こう歌ったのだと思います。

これまでと同じやり方をしていていはいけない。
神の名のもとに血が流されるような世界は、間違っている。そういう状況は変えなければいけない……そういうことでしょう。

I Hope というのは、「私は望む」ということですが、この歌に彼女らの希望が託されています。

歴史から学んで、違うやり方をしよう。

このメッセージは、今なお……いや、今だからこそ、切実に響いてきます。
神の名のもとに殺し合いが行われる状況は、この歌が発表された当初よりももっとひどくなっているからです。
こんな世界を見て育った子供たちが、大人になってまた同じことを繰り返す……そんなことにならないように、いったい何が間違っていたのか、歴史から学ばなければいけないんじゃないでしょうか。