むらぎものロココ

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カーペンターズ・ゴシック

2005-03-16 20:23:27 | 本と雑誌
gaddis 
 
 

 
  
William Gaddis(1922-1998)

ウィリアム・ギャディス「カーペンターズ・ゴシック」(本の友社)

カーペンターズ・ゴシックというのはアメリカ独自の建築様式で、新大陸で身近に手に入る材料と技術を使ってより貴族的なヨーロッパのゴシック様式を修正したものである。
<ahref="http://muragimo.blogzine.jp/muragimo/images/carp-goth.html" onclick="window.open('http://muragimo.blogzine.jp/muragimo/images/carp-goth.html','popup','width=204,height=165,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false">carp-goth「彼らが利用できたのは素朴だがたよりになる材料―つまり、木材とハンマーとノコギリと自分たちの荒けずりな創意工夫だけであった。彼らはこれらを用いて名匠が達した壮大なヴィジョンに自分たちのささやかな独自性を加えて、それを人間らしい規模にまで縮小させたのだった。要するに、奇想と借用と嘘の寄せ集めだった」
 
複雑化する社会と過剰な情報によって世界の全体像が把握できなくなってしまった。こうした状況のなかで、個人の主体性などあり得るのか、あり得るとしたらどんなかたちでなのかというのが、60年代くらいからのアメリカ文学の大きなテーマの一つだろう。無垢な状態への回帰を願い、秩序やモラルの回復を願ったりして、もう一度最初からやり直せたらどんなにいいだろうと不可能な夢を見たり、あるいは複数の自己といい、主体なき相互変換を地でいってみたりもするわけだが、いずれもさしたる有効性を持つとは思えないほどに現実は厄介なものだ。無垢な状態への回帰を志向することが、例えば原理主義的な狂信によるテロ行為と隣り合わせだったり、カメレオンのようにうまく泳いでいるつもりが泳がされているだけだったりということもあるだろう。ここで思考停止に陥らず、安易な答を求めることもなく、パラノイアックにありもしないものを捏造し、様々な陰謀説を実体化することもないバランス感覚が必要になるのだが、その基準自体が揺らいでしまっている。
小説はこうした複雑な社会をとらえようとするためにどんどん読み難いものになっていく。それはとらえがたい現実社会のアナロジーであり、謎が解決されない推理小説のようでもある。ただ、安易に答を与えないという点において、作家の誠実さがそこに担保されていると言えるだろう。
この「カーペンターズ・ゴシック」においても、噛み合わない会話がえんえんと織り成されることによって一義的に処理できないノイズめいたものがどんどん膨れあがり、何が正しくて何が虚偽であるかの判断も容易につかない事態に読む者も巻き込まれていく。

→マルカム・ブラッドベリ「現代アメリカ小説」(彩流社)
  第三章 レイト・ポストモダニズム