むらぎものロココ

見たもの、聴いたもの、読んだものの記録

ワインズバーグ・オハイオ

2005-03-13 16:42:02 | 本と雑誌
anderson01
 
 
 
 
 
Sherwood Anderson(1876-1941)

「ワインズバーグ・オハイオ」(新潮文庫、講談社文芸文庫)

この小説の舞台となっているのはアメリカ中西部にあるワインズバーグという架空の田舎町である。アンダスンはそこに生活する人々を25の連作短篇で描き、そこにジョージ・ウィラードという、作家志望でローカル紙の新聞記者をやっている若者を登場させて諸短篇を貫く有機的な紐帯としている。
時代から取り残されたような閉鎖的な田舎町の、どうにもならない痛ましさを描いていくアンダスンの筆致はストイックなものだ。架空の町を舞台にした連作というアンダスンの手法はフォークナーに影響を与え、その乾いた文体はヘミングウェイに影響を与えたと言われている。
どの話にも誰からもまともに相手にされないような、孤独で、重い過去を引きずり、理解に苦しむ考えを持った偏屈な人物が出てくる。「ワインズバーグ・オハイオ」は因習に満ちた社会の中で、そのような人物たちが心の中に抱えている抑圧されたものをコントロールすることができなくなって爆発させる瞬間を劇的に結晶化したことによる強いインパクトを持っていて、読んでいるうちに偏屈な人物たちの暗い話に人生の真実みたいなものが垣間見え、「売り物にならないひしゃげた林檎の味のよさ」に思わず引き込まれていく。
ohioアンダスンは、都市化が進み、マスメディアが発達することによって、みんなが同じ記事を読み、同じように物事を考えるようになり、個人がどんどん均質化していくことに危惧を抱いていた。この小説の序章的なものである「グロテスクなものについての書」には、「世界が若かった頃は至る所に真理があり、それらは全て美しかった」とある。ところが、人間がそのうちのどれか一つを自分の真理と呼び、それに従って生きるようになると真理は虚偽と化し、グロテスクなものになると言う。アンダスンはそうしたグロテスクな人間の姿を冷徹に見つめながらも告発するようなことはせずに(なぜなら、そうすることは自らもグロテスクになることだから)この小説を書くことによって再び美しいものへと、真理へとかえしていくのだ。
ちなみに、新潮文庫の表紙は夏の終わり、思い出がゆらゆらと輪郭を失い、かすんでいくようなイメージがとても美しい。