What’s ノーマリゼーション?

福祉について考えるUMEMOTOのブログ

シリーズ デンマークの教育① 『デンマークの教育のおこり』

2004-10-30 01:01:30 | 教育について
これまで何度かデンマークの生活や福祉について触れてきましたが、その根本となる教育について、そして日本におけるこれからの課題について何回かに分けて考えていきたいと思います。

以前にも書きましたが、デンマークでは民主主義が徹底されています。その徹底振りは、子どもの頃からその教育現場で民主主義とは何であるかを教えていることからも伺えます。彼らにとって民主主義とは、我々日本人のように与えられたものではなく、みずから闘い勝ち取ったものであることが大きく影響しているのです。
自ら民主主義を勝ち取ったデンマークでは、その民主主義を守ろうという強い気持ちが教育現場に表れています。民主主義を表現する言葉に、自由、平等、連帯、共生などがありますが、私たちはその言葉の意味は理解していても、実際の生活においては自分たちのものになっていません。それは、敗戦後日本は民主主義という言葉は与えられたものの、経済大国の道を歩み始め、競争原理に基づいた教育をしてきたため、私たちに根付くことなくここまで来てしまったからです。

では、デンマークではどうなのでしょうか。そのデンマークの教育の歴史を少し紐解いていきたいと思います。

デンマークは1814年に世界で一番最初に教育を義務化した国です。デンマークでは「義務教育」とは呼ばず、「教育の義務」と呼んでいます。それは、すべての国民が教育を受ける義務はあるものの、必ずしも学校に行く必要はないということを表しています。もし学校の教育に不満がある場合は、学校に行かずに家庭教師による教育でもよいのです。そこには、どんな教育を受けるのか、選択の自由が保持されています。
以前は、このような家庭も結構あったようですが、今はほとんどの子どもが学校にいっているようです。
1900年代の初め頃には、日本の中学校のような制度もできたが、1972年には統一されて9年生までになっています。
1960年代んは幼稚園クラス、1970年代には10年生クラスが始まりました。
「教育の義務」の場は『国民学校』と呼ばれ、現在1~9年生(日本の小学校・中学校を合わせたもの)となっています。その前後に1年ずつ義務ではありませんが、幼稚園クラスと10年生クラスが設けられています。幼稚園クラスは学校準備のための期間で現在約98%の生徒が、10年生クラスは、その上の高等学校や職業専門学校に進むのが不安な生徒約50%が在籍しています。

デンマークの教育で特徴的なのは、文部省の規定により試験を課してはいけないことになっていることです。つまり、「教育の義務」の場では、試験がなく順位をつけられることがないのです。なぜなら、学問は試験や資格を取るためにするものではなく、自分の人間形成のためにするものだという考え方が当たり前になっているからです。デンマークの教育の場では、「対話による相互作用」を重んじており、教師と学生の間には授業中絶えず会話が持たれているのです。こうした共同社会である学園生活を通して、個人が社会の中で責任を果たし共生していくという民主主義の考え方を身に付けていくのですが、詳しくはまた次回に・・・。

参照:千葉忠夫「デンマークの教育調査 福祉国家デンマークの教育 ~日本の福祉教育への提言~」

介護と看護について考える。

2004-10-26 00:08:50 | 福祉雑記録
介護職と看護師の対立というか、仲の悪さはどこにでもある問題ですよね。本当によく耳にします。特に福祉施設というのは、その問題が起きやすい環境なんでしょうか。皆さんも自分の施設のことを考えてみてください。
今回は、高齢者施設(主に特養)を舞台に少し考えてみたいと思います。

本来、介護と看護は、利用者や患者を一個人としてサポートしていく、という同一線上にいる存在であるはずです。つまり、視点は違えど同じ目的のために協力していく関係。少なくとも私たち介護職は学校でそう習いました。
でも実際はそうではなく、力関係というかバランスが崩れ、看護師の意見が強くなっています。というか、看護師が強く意見を言っているのが現状のような気がします。

その理由はいくつか考えられますが、まず大規模な高齢者施設が病院をベースに作られているという歴史が考えられます。自然、業務の組み方が病院的であり、看護師と介護職の関係も、看護師と看護助手という上下関係が持ち込まれたように思います。
もうひとつは、資格の問題です。看護師の資格は介護福祉士などの資格と比べて歴史もあり、かつ資格があることでしか出来ない業務というものが明確に位置づけられています。一方、介護職は誰でもできる仕事(本来はそうではないと思うけど・・・)として位置づけられているのです。専門的な知識の量も違うし、今の介護職がどれだけ独自の専門知識を持っているかというと首をかしげざるをえません。自分自身の反省も含めてですが・・・。
この差が、看護師から強く言われてしまう現状を作り出しているように思うのです。

されにあげれば、“高齢者の生活を支える”ことと“その施設”のことを理解できていない看護師が多すぎます。(もちろんそうでない看護師もいますが)
急性期の患者ではない高齢者が求めているのは、治療ではなく生活だということです。
“生活”ということを考えずに、「医療的に必要だから」といって時と場合を考えずに処置を行う様子からは、本当に利用者個人をみているのかと感じてしまうこともあります。その人が生活を送るために必要なことを、生活の流れに合わせて行う。それだけでいいのですが・・・。

以前、初めて特養で働いたという看護師が言っていたのは「病院ならもっといろいろ(処置を)してあげられるのに・・・」ということでした。病院と施設の違いに相当悩んだいたようで、目の前にいる利用者に対して歯がゆい思いをしていました。最終的にその看護師は「私には(施設は)向いていない」と口にするようになりました。
今は人員配置基準により看護師という資格で採用しているところが多いでしょうが、実際は人間ですから“合う合わない”という問題もあるでしょう。教育の現場で、もっと高齢者の生活を支える看護、そしてその現場で働くということを教える機会もつくるべきだと思います。これからは、介護職も看護師も人間性が問われてくる時代になってくると思います。そうなる前に、私たちが出来ることはまだまだあると思います。お互いを知り、尊重し、自分自身をより高めていくことが急場できることなのではないでしょうか。

高齢者の身体拘束について考える。

2004-10-23 17:43:42 | 福祉雑記録
19日の朝日新聞【朝刊】の生活面に、群馬県の特養で身体拘束が行われていた記事がありました。
http://www.asahi.com/national/update/1015/020.html

記事によると、職員の少ない時間帯に、徘徊する入居者の胴体を車椅子ごと手すりやベッドに縛りつけたりしていたようです。また、つなぎ服を着せられ寝かされっぱなしにされていたことを家族に指摘されると、「便利だから・・・」と受け流されたり。
身体拘束だけでなく、プライバシーも守られていなかったようで、入浴の際は浴場のカーテンは開けっ放しでいつも廊下から見える状態。男性入居者が入浴中に、女性入居者を裸にして脱衣室に待たせることもあったといいます。
入居者からは「私だって人間ですからね・・・」とつぶやく声が聞かれたり、入居者の居室からは「私も人間として生きてみたい」というメモ書きが見つかったりしているとのこと。

少し前にも虐待をしている特養が内部告発されたことがありましたが、今回のことも人権侵害という虐待だと思います。おそらく、これらも氷山の一角に過ぎないと思ってしまいます。
なぜそう思ってしまうのかというと、自分自身も同じような施設で働いている身として、こういう記事を読むと少なからずドキッ!としてしまうものです。ここまで露骨な人権侵害ではないにしろ、知らないうちに「自分もしているのかも・・・」という不安があるからです。もちろん常に注意はしていますが・・・

身体拘束の問題を単純に「許すことができない!」と片付けてしまうのは、安易だと言わざるをえません。今回の記事からはどうかはわかりませんが、身体拘束をしている施設はやむをえない状況があるのかもしれません。もちろんそれで正当化できるものでもないし、頑張っている施設は同じような状況でも身体拘束ゼロで努力しているのですから。
しかし、人員配置や無理な勤務体制、ずさんな組織体系などシステムに問題がある場合も多く見られます。こうなると、いちケアスタッフの責任というより、管理者の責任が多いでしょう。施設の管理者はもう一度自分の施設を見直す必要があります。そして、現場のスタッフは無知・無関心でいることなく、自分の施設が置かれている状況を社会全般から見た広い視野で見極める必要があります。いつの日か、自分の親や自分が入るかもしれない施設なのですから・・・

高福祉、高負担?介護保険の見直しについても考える。

2004-10-18 19:00:31 | 介護保険
前にも書いたように、デンマークを含めた“福祉大国”といわれる北欧では福祉サービスが充実しており、それにともない収める税金も収入の約50%と高くなっています。
日本でこのことを紹介する時によく使われる言葉が『高福祉高負担』というフレーズ。皆さんも耳にしたことがあるかと思います。
“福祉大国”=『高福祉高負担』という図式で理解している私たちは、スウェーデンやデンマークのようにはどうしたって追いつけないし、そもそも日本にはなじまないと思ってしまいやすくなっています。
はたして本当にそうなのでしょうか?

まず、なぜ日本ではなじまないと思ってしまうのか。それは日本人の税金に対する考え方が、北欧諸国とは大きく異なる点があげられます。日本において収めた税金は、それが何に対して使われるのかがはっきりとわかりません。医療や福祉、教育などに使われているだろうということは頭では分かっていますが、不透明な部分も多く、納得はできていない状態だと思います。
そのような状況のなかで、税金を上げましょうという話になると、国民からは反対の声があがります。最近では、福祉目的税として消費税を上げようという話も出ていますが・・・。
そこで出てきたのが“介護保険”です。これまで税金でやりくりしていたのが難しくなり、“保険”というシステムでなら、国民の理解を得やすいと考えたのです。“保険”であれば、何に使われるのかが明確であり、安心して払えるという国民感情に即しているのです。
“介護保険”の見直しを来年度に控え、保険料を20歳代から徴収するかどうかとか、障害者の支援費制度との一本化などさまざまな議論がされていますが、“保険”と“税金”が複雑に絡み合っている現状の福祉制度では、無理があるといわざるを得ません。
“介護保険”の議論の中で出てくる意見のなかに、“保険”制度で行うことでサービスの質が確保される、ということを耳にしますが、サービスの質を確保することがそれほど単純な問題ではないと思います。“保険”だろうが“税金”だろうが利用する側が、当然の権利としてサービスを受けるような環境であればいいし、法律である程度の制約を設けるなど、サービスの質を確保する方法は他にもあるのではないでしょうか。
最近では“育児保険”という言葉も出てきており、児童・高齢者・障害者を縦割りにするのではなく、広くサポートしていく体制をつくるチャンスでもあると思います。そのときに、費用をどこから捻出するのか。これからよく考えていく必要があると思います。

話をデンマークなどの北欧諸国に戻すと、その国民のほとんどが『高福祉、高負担』とはとらえずに、『高福祉、高税』ととらえています。それは、決して彼らにとって高い税金が負担ではないからです。自分たちの生活を豊かにするために税金が使われていることを理解していますし、例えそれが見ず知らずのホームレスに使われるとしても不満は出ません。
それは、民主主義の教育が徹底して行われているからだといえます。日本のような資本主義経済における競争原理の民主主義ではありません。共に生活するというのはどういうことか、という『ノーマリゼーション』の考えに即した民主主義なのです。

※デンマークでの教育に関しては、また今後触れたいと思います。

デンマークの福祉事情 その3。

2004-10-14 22:39:57 | ノーマリゼーション
今日はデンマークでの、障害者の生活支援について触れていきたいと思います。

デンマークの障害者の経済基盤は『早期年金』となっていて、就労者の平均的な収入額が「給与」として支給されるので、就労が困難な障害者も安定した生活を営むことができます。
また、電動車椅子などの生活に必要な用具は、特別な手続きをせずに市の『補助器具センター』から借りることができます。
さらに自分に適したヘルパーを自分で募集し、公費で雇うことができます。このヘルパーは高齢者のホームヘルパーとは異なり、時間単位で交替するのではなく、障害者の“生活秘書”として、日常生活や職場での仕事をサポートし、旅行にも同行します。

例えば、デンマークにおいて24時間の全面介助が必要な障害者の場合、5人のヘルパーを自分で雇用し、その費用はコミューン(自治体)が負担します。ヘルパー1人の月額賃金は約40万円程だそうです。
例え全面介助が必要でも仕事をすることができるように、さまざまな用具が簡単に借りることができるし、ヘルパーも手伝ってくれます。当然、収入の半分近くは所得税として払います。

話を戻すと、重度障害者のほとんどが車椅子のまま乗れるリフトカーを個人で所有していて、ヘルパーの運転でどこでも好きなところに行ける状況です。
自力ではほとんど身体が動かせないほどの重度の障害があっても、在宅での生活が可能で、仕事や余暇などの機会は障害のない人と同じくらいなのです。

デンマークの福祉事情 その2。

2004-10-13 22:51:54 | ノーマリゼーション
この項では、デンマークの高齢者福祉事情について触れていきたいと思います。

デンマークの高齢者施設は、30年前設立のプライエム(高齢者介護施設、日本でいう特別養護老人ホーム)ですらすべて個室で、シャワーとトイレがついています。
しかし現在では、入所施設ではなく、一人当たり2DKが基準の高齢者住宅が作られています。
つまり、“入所施設”ではなく、“住人”として家賃を払い生活する“住居”という考え方なのです。だから、住所番地があり、ポストがある所もあるのです。
また、これは日本で最近言われているユニットケアの考え方にもありますが、デンマークでは早い段階から食事時間、食べるものも自己決定で自由になっています。カフェテリアがあるところは、そこで食べてもいいし、部屋に運んでもらってもいいことになっています。メニューも選ぶことができ、ワイン、ビールなどもあり、当然注文できるようになっています。カフェテリアは誰でも利用ができるので、地域の人はお金を払って食べに来ています。
プライエムや高齢者住宅の費用は年金でまかなうことができ、さらに数万円のお小遣いが残るという状況です。デンマークでは、年金も充実しているのです。

高齢者の生活支援に関しては、①人生の継続性、②自己決定の尊重、③自己資源の開発、の3原則が打ち立てられていて、あらゆるサービスが充実しています。

デンマークでは、無資格者が高齢者の介護をすることはありません。社会保健介護助手や社会保健介護士が担い手となっています。
前者は以前はホームヘルパーと呼ばれていて、7週間の講習でなれましたが(日本でいうホームヘルパー2級のようなもの)、1990年以降は1年2ヶ月の教育期間が必要となりました。後者は、それからさらに1年8ヶ月の教育が必要となっています。
介護の質というものを考えた時に、簡単に取れる資格をもとに誰でもできる仕事ではない、ということなのです。
今の日本にも同じことが言えると思います。当初は人材確保の為に資格要件を低く設定したものの、実際に動き始めるとそれゆえのほころびがあちらこちらに見え始めてきています。
つまりは誰でもできる仕事ではないからです。いくら専門知識をしっかり身につけたところで、人間性や向き不向きなどにより、福祉の仕事に会わない人も出てくるでしょう。
ケアマネージャーにしても、何人かの心もとない人の不正により、大きな問題になっています。
これから、介護の質をどのように考えていくかが日本にとっても大きな課題になってくるといえます。

話を戻すと、デンマークでは介護職の労働環境として、介護者の身体を傷めないように、持ち上げる動作は禁止され、押すか引くかの動作で介護をしています。
持ち上げるときは、リフトを使用しています。ベッドから車椅子への移乗もリフトを使用して、介護者の腰を守るようにされているし、事務用机なども、その人に高さがあわせられるようなつくりが義務付けられているのです。

デンマークの福祉事情 その1。

2004-10-12 22:10:53 | ノーマリゼーション
「ノーマリゼーション」が浸透している国、デンマークは福祉大国として知られていますが、実際はどうなのでしょうか。前項でも少し触れましたが、今回は少し掘り下げていきたいと思います。

まずは医療面ですが、医療費はすべて無料です。(歯科医療は18歳未満まで無料)
18歳以上の歯科、理学療法、脊椎指圧療法、薬局は一部自己負担があります。
旅行者も無料で治療を受けることができます。

病院はほとんどが県立で、一部私立もありますがごくわずかです。
そして、国民一人ひとりすべてにホームドクター、ケースワーカー(ソーシャルワーカー)がついていて、病気はまずホームドクターが治療します。
そこで治療が出来ない場合に、はじめて病院に紹介されるのです。
約80%がホームドクターで治療が終わる状況だそうです。

ケースワーカーは、福祉サービスが必要になった時に相談にのりアドバイスをしてくれます。
ノーマリゼーションの考えのもと、できるだけ在宅で生活ができるよう政策がすすめられており、またそれが可能なように手厚い福祉サービスが準備されています。
ホームドクターにしろ、ケースワーカーにしろ、生まれた時から個人の担当のようについてくれているので、何かあった時でもその人のことをよく知っているのです。
日本のように、生活記録やサマリーを急遽こしらえることもなく、自然にサポートしてくれる体制なのです。

医療費が無料ということは、すべて税金でまかなわれているということです。
前項でも書きましたが、所得税の約50%、消費税25%の高税がそれを支えています。
収入が決められているということは、支出も限界があるということです。
デンマークでも課題になっているそうですが、手術は順番待ち(ウエイティングリスト)で行われるため、すぐに手術が受けられないということもあるそうです。
そのため、お金を払って数少ない私立病院で手術を受けるという人も増えているとか…。

それでは、また次回以降に高齢者や障害者福祉について触れたいと思います。

平等の考え方。

2004-10-08 10:07:15 | ノーマリゼーション
「ノーマリゼーション」を考える時に、「平等」という考え方も重要になってきます。
なぜ、デンマークなどの北欧の福祉先進国の人たちは、すべてが自分たちのためにはならないと分かっていながら高い税金を払っているのか?
そこには、「平等」という考え方に日本と大きな違いがあるのです。

日本でいう「平等」とは、「かたよりや差別がなく、みな等しいこと(大辞泉)」となっています。
つまり、3人でケーキを分けるとしたら、3等分するのが日本の「平等」です。
デンマークなどの国ではどうかというと、「必要な人に必要なだけ」というのが基本的な考え方です。
3人でケーキを分ける時には、まず3人で話し合います。そこで、お腹の空いている人には多めに、甘いものが苦手な人には少なめに、など話し合い納得したうえで分けるのです。
そこに、20~21世紀的自由の社会権的基本権の考え方があります。
つまり、「より必要な人」に「より多く」与えることで、実質的な平等を確保しているのです。

日本はというと、3等分することが平等という、形式的平等なのです。
この考え方は、自由権的基本権といい、18世紀~19世紀的自由であるとされています。
つまり、時代遅れということです。

この「平等」の考え方はいろんな機会に目にすることがあると思います。
例えば、特別養護老人ホームなどでよくみられる光景として、入浴に対する平等があります。
基本的に皆が週2回お風呂に入ることが平等で、それ以上入ることも、それ以下というのも、不公平だから…と認められないことが多いのです。
そういうところに限って、利用者本人にはどのくらい入りたいのか聞いていないところが多かったりします。
皆さんのところは、形式的な平等になっていませんか?

デンマークってどんな国?

2004-10-07 17:17:42 | ノーマリゼーション
「ノーマリゼーション」という言葉が生まれたのは、デンマークという北欧にある小さな国なんです。
どのくらい小さいかというと、九州とほぼ同じくらい。(フェロー諸島とグリーンランドは除く)
そこに約538万人の人たちが暮らしています。
デンマークという国には、よく『社会福祉国家』や『生活大国』という言葉が併せて用いられます。
それは単に社会福祉が整備されているという制度的なことだけではなく、実際の調査でも明らかになっています。
アメリカのペンシルバニア大学の調査によると、世界中で一番住みやすい国として、1位デンマーク、2位ノルウェー、3位スウェーデンとなっているのです。

よく言われることですが、デンマークでは医療費はすべて無料(歯科医療は18歳未満)で、旅行者も無料で治療を受けられます。幼稚園から大学までの教育費も無料で、さらには高校や大学では返済不要の奨学金6~8万円/月も希望によっては支払われます。
この「高福祉」を支えているのが、所得税平均50%と消費税25%の税金なのです。

デンマークを語る上でかかせないのが、民主主義に対する国民の意識です。
デンマークでは、日本の与えられた形だけの民主主義とは違い、自ら勝ち取って得たものなのです。それゆえ、いかに民主主義を守っていくかという観点から、教育も行われています。
「参加し協議して決議し、協議したことに責任を持ち、結果を共有する」という民主主義の教えが、家庭内でも学校内でも徹底して行われているのです。
それは、投票率という形にもあらわれています。
2001年の国政選挙の投票率は87%で、ここ20年でみても80%を下回ったことはないのです。
これだけでも、日本との大きな違いを痛感せざるをえません。

デンマークにおける「高福祉・高税」の考え方も、国民が皆で考えそれを支持している構造がわかると思います。
このことに関しては、次の項で詳しく書きたいと思います。

ノーマリゼーションとは何か。

2004-10-04 23:20:54 | ノーマリゼーション
1950年代にデンマークで生まれた言葉で、日本では1981年国際障害者年から広く知られるようになりました。「ノーマライゼーション」とは同義語。

「ノーマリゼーション」という言葉を生み出したのは、その父と呼ばれる故バンク・ミケルセンという人物で、知的障害をもつ子どもたちが生活している施設を何とか変えようと強く思ったのが始まりでした。

この言葉は、私たちが福祉の専門学校や大学で勉強すると、福祉の根底にある理念として必ず目にする言葉です。しかし、実際の現場ではほとんど聞かれることはなく、また改めて問われることがないのが現実です。しかし、とても大切な言葉であると同時に、今まさに私たちの現場に問われている問題そのものではないかとも思うのです。

では、その「ノーマリゼーション」とは何なのか。このブログを通して考えていきたいと思います。

最後に―
バンク・ミケルセンの言葉から

「学生時代には― ナチスに捕らえられ強制収容所にも入れられました。もし私が誇りにすることは何かと聞かれれば、それはナチスへの抵抗運動で強制収容所に入れられたこと、そこで悲惨な人間抑圧の実態を体験したことというのが答えです。」

「ノーマリゼーション― の考え方は、人間は、人種の違いや障害の状態がどんなであっても、すべて平等なのだという、人間尊重の考え方です。ですから、“ノーマリゼーション”とは、哲学的な難しい言葉ではなく、“ごく当たり前のこと”という一語につきるのです。」

「ノーマリゼーションとは― もし自分がその立場になったらどうあってほしいかを考えれば、そこから自然に導き出されてくる答えなのです。」

「『ノーマリゼーションの父』N.E.バンクミケルセンその生涯と思想」花村春樹 訳・著より