「ノーマリゼーション」を考える時に、「平等」という考え方も重要になってきます。
なぜ、デンマークなどの北欧の福祉先進国の人たちは、すべてが自分たちのためにはならないと分かっていながら高い税金を払っているのか?
そこには、「平等」という考え方に日本と大きな違いがあるのです。
日本でいう「平等」とは、「かたよりや差別がなく、みな等しいこと(大辞泉)」となっています。
つまり、3人でケーキを分けるとしたら、3等分するのが日本の「平等」です。
デンマークなどの国ではどうかというと、「必要な人に必要なだけ」というのが基本的な考え方です。
3人でケーキを分ける時には、まず3人で話し合います。そこで、お腹の空いている人には多めに、甘いものが苦手な人には少なめに、など話し合い納得したうえで分けるのです。
そこに、20~21世紀的自由の社会権的基本権の考え方があります。
つまり、「より必要な人」に「より多く」与えることで、実質的な平等を確保しているのです。
日本はというと、3等分することが平等という、形式的平等なのです。
この考え方は、自由権的基本権といい、18世紀~19世紀的自由であるとされています。
つまり、時代遅れということです。
この「平等」の考え方はいろんな機会に目にすることがあると思います。
例えば、特別養護老人ホームなどでよくみられる光景として、入浴に対する平等があります。
基本的に皆が週2回お風呂に入ることが平等で、それ以上入ることも、それ以下というのも、不公平だから…と認められないことが多いのです。
そういうところに限って、利用者本人にはどのくらい入りたいのか聞いていないところが多かったりします。
皆さんのところは、形式的な平等になっていませんか?
なぜ、デンマークなどの北欧の福祉先進国の人たちは、すべてが自分たちのためにはならないと分かっていながら高い税金を払っているのか?
そこには、「平等」という考え方に日本と大きな違いがあるのです。
日本でいう「平等」とは、「かたよりや差別がなく、みな等しいこと(大辞泉)」となっています。
つまり、3人でケーキを分けるとしたら、3等分するのが日本の「平等」です。
デンマークなどの国ではどうかというと、「必要な人に必要なだけ」というのが基本的な考え方です。
3人でケーキを分ける時には、まず3人で話し合います。そこで、お腹の空いている人には多めに、甘いものが苦手な人には少なめに、など話し合い納得したうえで分けるのです。
そこに、20~21世紀的自由の社会権的基本権の考え方があります。
つまり、「より必要な人」に「より多く」与えることで、実質的な平等を確保しているのです。
日本はというと、3等分することが平等という、形式的平等なのです。
この考え方は、自由権的基本権といい、18世紀~19世紀的自由であるとされています。
つまり、時代遅れということです。
この「平等」の考え方はいろんな機会に目にすることがあると思います。
例えば、特別養護老人ホームなどでよくみられる光景として、入浴に対する平等があります。
基本的に皆が週2回お風呂に入ることが平等で、それ以上入ることも、それ以下というのも、不公平だから…と認められないことが多いのです。
そういうところに限って、利用者本人にはどのくらい入りたいのか聞いていないところが多かったりします。
皆さんのところは、形式的な平等になっていませんか?