2月23日付け朝日新聞(朝刊)に、人口増加率の落ち込みに関する記事が載っていた。人口増加率が0.05%まで落ち込んでおり、出生児数から死亡者数を引いた自然増も10万2千人と戦後最低になっている。つまり、まもなく人口が減り始める「人口減少社会」が到来するということだ。現在の人口は1億2768万7千人(04年10月1日)。
人口問題は、社会全体に大きな関わりを持っているが、特に社会保障に対する影響は大きいものがある。身近な問題としては年金がある。年金は、現役世代(20~70歳未満)が高齢者世代(65歳~)を支える世代間扶養の考え方で運営されている。そのため、人口問題とは切り離せない問題なのである。
このままでは年金制度が立ち行かなくなるとして、昨年より年金制度改革の論議が本格的に始まったのは記憶に新しいところである。その結果、年金給付金を現役世代の収入の50%以上を確保するとして、保険料を上げ、給付金を下げることにして年金改革法案が成立したのである。しかし、今年に入ってからは野党である民主党が審議を拒否しており、改正論議は始まっていない。
国立社会保障・人口問題研究所によると、少子高齢化は予想を上回るスピードで進んでいるという。これをうけ、総務省は「出生率が低調なうえに、平均寿命が延びているため」と分析している。このままいくと、年金制度を改正する前に制度自体が立ち行かなくなってしまうというのも大げさな話ではない。
日本人は、税金や社会保障に対する関心が薄いと言われている。特にサラリーマンにとっては、給料から天引きされており、数字のうえでしか確認しないため、実感を伴わないという現実がある。そのためこのような状況になっても、私たち国民はあまり騒ぎ立てることはない。そのためだろうか、国会議員があまり危機感を持たずにいるように思えてしまう。
生活大国であるスウェーデンでも02年に年金制度改革を行っている。しかし、こちらの場合は人口推計予想を基に、10年以上の歳月を掛け話し合われた結果によるものである。つまり、現在の日本のように逼迫した状況ではないが、100年先を見越しての制度改革なのである。日本で言っている「100年」とは重みが違う。
なぜこのような違いが出てくるのだろうか。
年金制度が生まれたのはヨーロッパからである。そもそも年金は起源は、兵隊が貰う糧からきていると言われている。除隊した後でも、その保障としてお金を貰えるように運動を起こした結果、現在の年金制度の原型ができたのである。民主主義が発達しているヨーロッパにおいては、自ら勝ち取り作り上げた制度として年金制度が成り立っている。そのため、ヨーロッパ諸国では社会保障に関するデモにおいても、とても大規模なものになってくる。
一方、日本においては国が整備し国民に強制加入させるという方式をとっている。そもそも、年金制度成立の背景がまったく違っているのである。そのため、税金や社会保障に対する関心に違いが出てくるのである。
今回の年金制度改革では、抜本的な改革を期待したい。今最も国民が関心のあることとして、年金の問題が挙げられている。それだけ注目されているにも関わらず、国会においては実のある論議はされていない。国会議員のつまらないプライドや私欲のために、私たちの将来を間違った方向に持っていってほしくはない。法案を成立させるのを急がず、じっくりと論議し本当に「100年」継続できる制度を作り上げなければ、私たちのみならずこれから生まれてくる子どもたちにも大きな負担を負わせることになってしまうだろう。本当に国民が納得できる制度であれば、保険料アップも年金給付のダウンも受け入れることができるはずである。そのような年金制度を望みたい。
人口問題は、社会全体に大きな関わりを持っているが、特に社会保障に対する影響は大きいものがある。身近な問題としては年金がある。年金は、現役世代(20~70歳未満)が高齢者世代(65歳~)を支える世代間扶養の考え方で運営されている。そのため、人口問題とは切り離せない問題なのである。
このままでは年金制度が立ち行かなくなるとして、昨年より年金制度改革の論議が本格的に始まったのは記憶に新しいところである。その結果、年金給付金を現役世代の収入の50%以上を確保するとして、保険料を上げ、給付金を下げることにして年金改革法案が成立したのである。しかし、今年に入ってからは野党である民主党が審議を拒否しており、改正論議は始まっていない。
国立社会保障・人口問題研究所によると、少子高齢化は予想を上回るスピードで進んでいるという。これをうけ、総務省は「出生率が低調なうえに、平均寿命が延びているため」と分析している。このままいくと、年金制度を改正する前に制度自体が立ち行かなくなってしまうというのも大げさな話ではない。
日本人は、税金や社会保障に対する関心が薄いと言われている。特にサラリーマンにとっては、給料から天引きされており、数字のうえでしか確認しないため、実感を伴わないという現実がある。そのためこのような状況になっても、私たち国民はあまり騒ぎ立てることはない。そのためだろうか、国会議員があまり危機感を持たずにいるように思えてしまう。
生活大国であるスウェーデンでも02年に年金制度改革を行っている。しかし、こちらの場合は人口推計予想を基に、10年以上の歳月を掛け話し合われた結果によるものである。つまり、現在の日本のように逼迫した状況ではないが、100年先を見越しての制度改革なのである。日本で言っている「100年」とは重みが違う。
なぜこのような違いが出てくるのだろうか。
年金制度が生まれたのはヨーロッパからである。そもそも年金は起源は、兵隊が貰う糧からきていると言われている。除隊した後でも、その保障としてお金を貰えるように運動を起こした結果、現在の年金制度の原型ができたのである。民主主義が発達しているヨーロッパにおいては、自ら勝ち取り作り上げた制度として年金制度が成り立っている。そのため、ヨーロッパ諸国では社会保障に関するデモにおいても、とても大規模なものになってくる。
一方、日本においては国が整備し国民に強制加入させるという方式をとっている。そもそも、年金制度成立の背景がまったく違っているのである。そのため、税金や社会保障に対する関心に違いが出てくるのである。
今回の年金制度改革では、抜本的な改革を期待したい。今最も国民が関心のあることとして、年金の問題が挙げられている。それだけ注目されているにも関わらず、国会においては実のある論議はされていない。国会議員のつまらないプライドや私欲のために、私たちの将来を間違った方向に持っていってほしくはない。法案を成立させるのを急がず、じっくりと論議し本当に「100年」継続できる制度を作り上げなければ、私たちのみならずこれから生まれてくる子どもたちにも大きな負担を負わせることになってしまうだろう。本当に国民が納得できる制度であれば、保険料アップも年金給付のダウンも受け入れることができるはずである。そのような年金制度を望みたい。