今日のニュースで、JR東海が列車や駅でのハンドル型車椅子(スクーターのようなもの)の利用を一律で拒否していることが重大な人権侵害にあたるとして、大阪法務局より改善勧告が出されていることがわかりました。
事の発端は、昨年2月にハンドル型車椅子を使用している男性(62歳)が新大阪駅内にあるJR東海の駅長室を訪ねようとしたところ、構内に入れてもらえなかったということです。
ハンドル型車椅子は現在約6千人の利用者がおり、街中でも高齢者が乗っているのを見かける機会もあります。それだけ浸透している移動手段として、国土交通省でも駅での利用が可能になるように、順次バリアフリー化を行っている矢先の出来事だといえます。
ハンドル型車椅子の何が問題とされているかというと、その回転半径がスティックで操作するタイプの電動車椅子より大きくなってしまうということです。JR東海側としては、狭い車内や駅構内で移動するのは困難などの理由で利用を認めていませんでした。
今回何が問題だったのか。それは、JR東海の職員の意識、ひいては私たちの障害者を人事としか思っていない感覚のせいではないでしょうか。障害をもっている方の生活、移動の手段にあまりにも無関心すぎた結果が今回のことにつながっているように思えます。
なぜ駅の構内に入れることさえさせなかったのか。確かに、移動が困難な駅や車両はあるでしょう。しかし、全部の駅・車両がそうではないはずです(現にJR各社では対応を行っているのですから)。今回のような申し出があった時に、駅員がひとり付き添って安全を確保するということもできたはずです。できなければ、人員不足などの理由を伝えるべきでしょう。しかし、それすらもしなかったというのは、会社が決めているからという理由に過ぎないからでしょう。今回の男性も言っているように、「移動の自由は基本的な人権だ」という当たり前のことを、“障害”“車椅子”という価値観のフィルターを通して見てしまったために、見過ごしてしまったのではないでしょうか。
何も全部の施設で利用を認めないとする必要もないし、少しでも利用してもらえるように可能な部分から少しずつでも開放する努力をしなかったのは、配慮がなさすぎると言われても仕方のないことです。
私の知り合いで、車椅子を使用している人がいるのですが、その人の話。
現在、車椅子の方が電車を利用する時、その駅がバリアフリー化されていないと、駅員が車椅子を載せたまま階段を上り下りできるキャタピラーの付いたリフトで移動を手伝ってくれることになっています。降りる駅の駅員もその情報を受け、ホームで待っています。
ある日、その人がちょうど朝の混雑している時間に電車を利用しようと駅に行くと、駅員が露骨に嫌な顔をしてこう言ったそうです。「何もこんな忙しい時間にこなくてもいいのに。」皆さんはどう思いましたか。車椅子に乗っている障害者は、健常者に気を使って朝のラッシュアワーを避けるべきでしょうか。障害者は電車を使わずに、車で移動するべきでしょうか。障害者の時間の都合はまったく関係ないのでしょうか。
駅員の無理解、それに輪をかける私たち健常者の無理解が今回のニュースにつながっているように思えて仕方がありません。
最後にもう一人の障害をもっている方の話。
ある日、左半身に軽い麻痺がある方が駅のエスカレーターに乗っていた時、後ろから「何で右側に立ってるんだよ!」とボソッと言われたそうです。エスカレーターに乗るとなぜか左側に立つということが当たり前になっていて、それがマナーのようになっています(関西では逆)。しかし、世の中には右側にしか立つことのできない人がいます。私たちはそれを忘れていないでしょうか。そういう人がいることを知っているでしょうか。
もう一度、考えてみてはいかがでしょう。
事の発端は、昨年2月にハンドル型車椅子を使用している男性(62歳)が新大阪駅内にあるJR東海の駅長室を訪ねようとしたところ、構内に入れてもらえなかったということです。
ハンドル型車椅子は現在約6千人の利用者がおり、街中でも高齢者が乗っているのを見かける機会もあります。それだけ浸透している移動手段として、国土交通省でも駅での利用が可能になるように、順次バリアフリー化を行っている矢先の出来事だといえます。
ハンドル型車椅子の何が問題とされているかというと、その回転半径がスティックで操作するタイプの電動車椅子より大きくなってしまうということです。JR東海側としては、狭い車内や駅構内で移動するのは困難などの理由で利用を認めていませんでした。
今回何が問題だったのか。それは、JR東海の職員の意識、ひいては私たちの障害者を人事としか思っていない感覚のせいではないでしょうか。障害をもっている方の生活、移動の手段にあまりにも無関心すぎた結果が今回のことにつながっているように思えます。
なぜ駅の構内に入れることさえさせなかったのか。確かに、移動が困難な駅や車両はあるでしょう。しかし、全部の駅・車両がそうではないはずです(現にJR各社では対応を行っているのですから)。今回のような申し出があった時に、駅員がひとり付き添って安全を確保するということもできたはずです。できなければ、人員不足などの理由を伝えるべきでしょう。しかし、それすらもしなかったというのは、会社が決めているからという理由に過ぎないからでしょう。今回の男性も言っているように、「移動の自由は基本的な人権だ」という当たり前のことを、“障害”“車椅子”という価値観のフィルターを通して見てしまったために、見過ごしてしまったのではないでしょうか。
何も全部の施設で利用を認めないとする必要もないし、少しでも利用してもらえるように可能な部分から少しずつでも開放する努力をしなかったのは、配慮がなさすぎると言われても仕方のないことです。
私の知り合いで、車椅子を使用している人がいるのですが、その人の話。
現在、車椅子の方が電車を利用する時、その駅がバリアフリー化されていないと、駅員が車椅子を載せたまま階段を上り下りできるキャタピラーの付いたリフトで移動を手伝ってくれることになっています。降りる駅の駅員もその情報を受け、ホームで待っています。
ある日、その人がちょうど朝の混雑している時間に電車を利用しようと駅に行くと、駅員が露骨に嫌な顔をしてこう言ったそうです。「何もこんな忙しい時間にこなくてもいいのに。」皆さんはどう思いましたか。車椅子に乗っている障害者は、健常者に気を使って朝のラッシュアワーを避けるべきでしょうか。障害者は電車を使わずに、車で移動するべきでしょうか。障害者の時間の都合はまったく関係ないのでしょうか。
駅員の無理解、それに輪をかける私たち健常者の無理解が今回のニュースにつながっているように思えて仕方がありません。
最後にもう一人の障害をもっている方の話。
ある日、左半身に軽い麻痺がある方が駅のエスカレーターに乗っていた時、後ろから「何で右側に立ってるんだよ!」とボソッと言われたそうです。エスカレーターに乗るとなぜか左側に立つということが当たり前になっていて、それがマナーのようになっています(関西では逆)。しかし、世の中には右側にしか立つことのできない人がいます。私たちはそれを忘れていないでしょうか。そういう人がいることを知っているでしょうか。
もう一度、考えてみてはいかがでしょう。