What’s ノーマリゼーション?

福祉について考えるUMEMOTOのブログ

無届け施設の存在をいかに掴むか

2007-03-09 19:40:06 | 福祉雑記録
千葉県浦安市の無届け有料老人ホーム「ぶるーくろす癒海館(ゆかいかん)」で入所者への虐待の疑いが持たれている問題で、毎日新聞が、全国47都道府県に調査を実施した。
その結果、34都道府県が実態調査をして計625件の無届け施設を把握していたことが判明した。その後の指導で届け出ていたのは、3分の1強の243件にとどまっているという。

今回の問題では、虐待行為そのものも問題にすべきことで、虐待(拘束)をした職員やその職場環境をきちんと調査し、原因を検証する必要がある。そうすることで、今後同じような被害に合う人を少なくすることができるだろう。
別の側面では、どのように虐待行為を発見するのかという大きな問題もある。平成18年4月に施行された高齢者虐待防止法では、虐待を受けている高齢者を発見した者には、高齢者の状態に応じて通報の義務もしくは努力義務が課せられている。しかし、施設内の虐待は外部には見えにくく、雇用されている職員や家族を預かってもらっている家族にとっては訴えにくい力関係が存在している。
さらに、届出を行い行政が把握できている施設かそうでないかによって、さらに虐待行為の発見や事実確認が遅れる可能性が指摘されている。届出がされていれば、行政は指導という形で内部に入ることも可能になる。

そもそも何をもって『有料老人ホーム』というのだろうか。有料老人ホームの定義は、老人福祉法の第29条に「老人を入居させ、入浴、排せつ若しくは食事の介護、食事の提供又はその他の日常生活上必要な介護の供与を行う施設(後略)」とされている。つまり、高齢者が生活するように便宜をはかり、そのための職員もいれば有料老人ホームであるということだ。
そして、「有料老人ホームの設置運営標準指導指針について(厚労省老健局通知)」では、上記の定義に当てはまるものは届出義務がある、とされている。
届出をした施設は、正式に『有料老人ホーム』と名乗ることができる。その反面、行政の監査・指導を受けなければならなくなる。

今回のように無届け施設が出てくる背景には、需要が多く『有料老人ホーム』という看板を掲げなくても利用者が集まってくる状況がある。
また、何を持って『有料老人ホーム』とするのかという定義の解釈が、各都道府県によって異なる現状もある。そのため、一度届出をしても、都道府県から「それは有料老人ホームにあたらないから届ける必要がない」と返される例もある。
一時、厚労省の指針でも「高齢者以外が入居できる施設は有料老人ホームにあたらない」などと都道府県に対して説明をしている経緯もあるという。

今回の毎日新聞の調査でも、調査していない13都県においても、「定義が難しく調査の手法も検討がつかいない」、「無届け施設があるかどうかも分からない」という理由が挙げられている。
現実問題として、市町村単位で把握し、都道府県に情報を提供していくしか方法はないだろう。市町村には各種情報が入ってくるはずである。いかにアンテナを張り情報を掴んでいくかが今後の鍵になるだろう。

払えぬ?払わない!治療費・国保料の滞納

2007-02-15 19:31:49 | 福祉雑記録
治療費を払わない患者が増えている。

全国の6割以上の病院が加入する四病院団体協議会(以下、四病協)は、未払い患者が加入する国民健康保険などの保険者に肩代わりを求める方針を固めているという。
2004年までの3年間での未集金額は、把握しているだけで426億円に及んでいる。未収金の原因は、治療費さえ払うことができないほど生活が困窮している例もあるが、最近では、支払能力があるのに治療費を何度も踏み倒したり、患者を入院させて行方不明になる家族など、モラル低下に伴う悪質な例も目立ってきている。各病院は、治療費の徴収努力にも限界があり、今回の決断に踏み切っている。

そもそも、保険者に肩代わりを依頼することは可能なのだろうか。そこは両者で見解が分かれているところだ。
国民健康保険法と健康保険法には「医療機関が相当の徴収努力をしたにもかかわらず、患者から支払いを受けられない場合は、保険者が医療機関の請求に基づいて患者から徴収できる」と規定されている。これを根拠に「保険者に請求をできる」と四病協は解釈しているが、厚労省は「診療行為は、医療機関と患者の契約」という立場で、肩代わりをする義務はないという考え。

確かに、契約の側面はあるが、病院は救急であれば受け入れざるを得ず、毎回支払い能力の有無を調べてから治療を行うことができるわけではない。
医療は欠かすことのできないセーフティネットである。セーフティネットであれば、国や各保険者は病院まかせにはできないはずである。未収金の増加により、医療機関が潰れるようなことがあれば、私たちの生活の根幹に関わる一大事である。

その医療を受ける前提に関わるもう一つの問題として、国民健康保険料の滞納による個人の預金口座や不動産の差し押さえが増加しているという。
国民健康保険料の滞納者に対し、自治体は預金口座や保険、不動産などの差し押さえができると地方自治法に定められている。この数年で、差し押さえをしている自治体も39%から55%に増加している。つまり、それだけ滞納者が増えているということである。
滞納者は、差し押さえに先立ち保険証を返還させられ、代わりに「資格証明書」をもらうことになる。その状態で受診すれば、いったん全額自己負担になってしまう。

滞納者が増える背景には、高すぎる保険料と低所得がある。差し押さえでは何も解決にはならず、生活の根本的な問題を解決しなければならない場合が多い。

一方、前者の問題と同じように、モラルの低下による悪質な滞納も目立つという。支払う能力がありながら、滞納している場合には差し押さえは有効な手段と言える。保険料によって医療が受けられる状況にあり、なるべく多くの人から徴収しなければ、適切な医療を受けられなくなる状況に陥ってしまうかもしれない。

今の医療費をめぐる現状からセーフティネットの構造的な変革と、私たちのモラルの向上が求められている。

これからの生活を支えるためには…

2006-10-18 21:44:30 | 福祉雑記録
最近はいろんな商売があると関心していたが、亡くなった人の『遺品整理サービス』なんてものまであるらしい。

引越しをしていた会社が、遺品の整理を頼まれることが多くなったのをきっかけにサービス化したそうだ。家具などの大きいものから、食器、衣類など身の回りのものまで生活の跡をそのまま請け負っている。中には、仏具関係のものまであり、お寺さんに処分を頼むなどの適切な処理をしているとのこと。

家族の形態は時代とともに変化してきている。三世代家族から核家族へ。兄弟の数も少なくなり、夫婦共働きの世帯も増えている。
家族のかたちが変わっただけでなく、家族に対する考え方も変わったように感じるのは私だけだろうか。
自分のことは自分で。親のことよりも自分たちのこと。
遺品整理サービスがクローズアップされることは、家族のつながり、意識というものの変化を感じさせる。

成年後見制度や地域福祉権利擁護事業のニーズが高まっているのも、社会全体の方向性が個人主義に向かっているからかもしれない。
家族、親戚がいても関わることを拒否することはめずらしくない。親を思う気持ちよりも、煩わしさのほうが勝るのだろう。
日本の法律には、養護者を定める法律はない。相続権や順位などは決められていても、親族だからといって養護する義務はないのが現状だ。

判断能力が衰えても、自立して暮らしていくための方法の一つとして期待されている成年後見制度だが、問題も露見している。
制度利用者も増え、広く知られるようになってはきているが、その分さまざまな人が法を悪用するようになってきている。
代理権があることを悪用し、自らの利益になるように財産を操作したり、サラ金業者と結託し、認知症の親族からお金を騙し取ったりという事件が連日報道されている。
また、職業後見人(弁護士、司法書士、社会福祉士など)と呼ばれている人たちの数が圧倒的に不足していることも問題になっている。今後、身寄りのない人や、いても誰も面倒をみないような人が増えてくることを考えると、急務の課題である。

これからの社会において、生活を支えるための手立てはないだろうか。
金銭管理だけでみれば、地域福祉権利擁護事業の機能をより拡大・強化し、判断能力の有無に問わず、利用ができるようにすることはどうだろうか。
また、後見人が不足していることに対しては、一般市民から募集・養成した市民後見人を起用する動きはすでに始まっている。
最も有効なのは、自らが来たる時に備えておくことかもしれない。信用できる人を任意後見人にしておいたり、早めに住み換えをするなど自分たちができることはまだまだある。
制度などが分からなければ、まずは相談をすることが第一歩だろう。

高齢者虐待防止法 5ヶ月・・・

2006-09-04 22:23:56 | 福祉雑記録
高齢者虐待防止・養護者支援法が施行されてはや5ヶ月。これまでのところ、それほど劇的な変化の兆しはない。
市民の間に、この法律の影響があることはまだ実感できない。それは、高齢者虐待防止法自体がメディアで扱われないことにもよるだろう。そもそも、高齢者虐待は児童虐待とは異なり事件になりにくく、表面化しにくいという面があった。それに加えて、高齢者の虐待がまだ社会問題化する前の法施行ということもあって、未だに市民に認知されるには至っていない。
果たして、本当に法施行の影響はみられないのだろうか。

この5ヶ月の間にも、高齢者虐待防止法に違反する事件は多数起きているが、法律には虐待行為そのものに罰則規定がないため、報道にもその文字は出てこない。
『介護殺人』や『介護心中』という名でメディアを騒がす事件も、高齢者の虐待であることには変わりない。また、施設における身体拘束も虐待に当たる。
身体拘束においては①非代替性、②切迫性、③一時性の3要件をすべて満たさなければ、虐待に当たる。その上、本人や家族に説明し、記録もしっかりととることが要求される。
施設における虐待事件が報道された時は、さすがに法との関連性にも触れていることが多かった。

高齢者虐待防止法では、高齢者を65歳以上と規定しているが、65歳未満の人が虐待を受けた場合はどのように対応するのか。
その答えは『介護保険法』にある。介護保険法には、保険者の責務として虐待を防ぐことが明記されている。介護保険の被保険者は40歳以上であるから、市町村は40歳以上でも虐待に対して責任があることになる。また、被虐待者が障害者であれば『障害者虐待防止法』が適用されることになる。児童であれば『児童虐待防止法』だ。

そもそも、虐待とはどのような行為のことを言うのだろうか。
法では、養護者が高齢者に対して以下のような行為をすることを虐待としている。
①身体的虐待・・・殴る、蹴る、つねる、閉じ込める・閉め出す、身体拘束等
②心理的虐待・・・暴言、無視、友人から遠ざける等
③世話の放任・・・治療や薬を与えない、介護をしない等
④性的虐待 ・・・わいせつな行為をする・させる等
⑤経済的虐待・・・年金を勝手に使う、必要な生活費を渡さない等
ここで問題になってくるのは、養護者(介護している人)ではない人の虐待行為はどうなるのか。しかしそれも、上記のように介護保険法やその他の法律に基づき、市町村としては適切に対応することが望まれる。

今回の法施行の一番効果は、高齢者虐待における市町村の責務が明確になったことだろう。地域包括支援センターが同時期に創設されたことも相乗効果になっている。
事件にまではなっていないが、地域における高齢者虐待は確実に市町村まで届くようになってきている。法律ができたことで、行政の職員が無視できなくなってしまったのだ。相談窓口としては地域包括支援センターでもよいが、最終的な責任はやはり市町村が担わなければならない。
直営の地域包括支援センターでは、これまでよりもすばやい連携が可能になったことで、迅速な対応が期待できるだろう。問題は、すべての地域包括支援センターが委託しているところである。現場の職員と行政の職員の間の温度差が悲劇を生まないように、連携体制を構築していく必要がある。

介護施設の新しい経営理論

2006-08-01 21:15:55 | 福祉雑記録
株式会社が介護の世界で活躍している。

介護保険制度スタートと同時にコムスンが福祉業界に参入し、注目を集めたのは記憶に新しい。
その当時のコムスンは、ヘルパー事業所と居宅介護支援事業所を全国津々浦々、すみずみまで整備し、数の論理で経営を行ってきた。
それにより、コムスンのブランドイメージは一気に顧客に定着し、今でも第一線を走っている。当初の計算とは違い、撤退した事業所も数多くあったが。

そのコムスンが、関東を中心に35ヶ所の有料老人ホームを経営する日本シルバーサービスを買収した。買収額は62億円。これでコムスンの所有する老人ホームは50ヶ所となった。
コムスンとしては、老人ホームのブランド『桜湯園』が欲しく、経営がうまくいっていないところを買収した形になる。

福祉業界は社会福祉法人しか参入することができない閉ざされた世界であった。閉ざされた世界の中で、必ずしも健全とは言えない発展の仕方もしてきている。
社会福祉法人のこれまでの役割を批判するつもりはないが、税金が免除され、お上(国や県)の顔色を伺いながら運営してきた社会福祉法人に「甘え」はなかっただろうか。いつまでも自分たちがアンタッチャブルな存在であるという・・・

昨年、外食産業大手のワタミが介護事業に参入したことを覚えている方は多いだろう。若い社長がメディアの前で明確なビジョンを語っていた覚えがある。
そのワタミの介護施設は昨年度末で17拠点。2009年度末までに2.5倍の45ヶ所に拡大する方針を出している。建物は新築ではなく、既存の建築物を改装し投資額を抑えるという。
来月(8月)からは介護教育事業に参入する。まずは、ケアマネジャー育成の講座を開設し、来春には介護事業の教科書を出版する。2008年度までに学校法人として登録する計画のようだ。2011年には大学院を設立する計画を立てているという。

コムスンもワタミも「経営」戦略のもと、事業の拡大を目指している。そして、それだけではなく、理念も兼ね備えているように思われる。それが末端まで浸透しているかはまた別の話だが。
それに比べ、社会福祉法人はさまざまな合議を経て「運営」をしてきた歴史を持つ。そのため、社会福祉法人のトップに経営感覚を備えている人は少なく、お金儲けを「経営」と勘違いしている法人も少なくない。
規制緩和が進み、株式会社が福祉業界に入ってきた今、社会福祉法人が同じ土俵の上で戦っても勝てる見込みはかなり低い。
「経営」という言葉、姿に踊らされることなく、地域における社会資源としての役割を忘れることなく「運営」をしていくことが社会福祉法人の生き残る道だろう。顧客の絶対数は減ることはない。新たな住み分けの中で、現在の顧客に逃げられないようにすることが社会福祉法人における急務の課題である。

増える介護事故裁判

2006-05-06 15:59:51 | 福祉雑記録
1:29:300

この割合は、ビジネスの世界でよく使われている『ハインリッヒの法則』と呼ばれるものである。

ハインリッヒの法則とは、米国のハインリッヒ氏が労働災害の発生確率を分析したもので、保険会社の経営に役立てられています。それによると1件の重大災害の裏には、29件のかすり傷程度の軽災害があり、その裏にはケガはないがひやっとした300件の体験があるというもの。
同じように、ビジネスにおける失敗発生率としても活用されており、例えば1件の大失敗の裏には29件の顧客から寄せられたクレーム、苦情で明らかになった失敗がある。さらにその裏には、300件の社員が「しまった」と思っているが外部の苦情がないため見逃しているケース、つまり認識された潜在的失敗が必ず存在するといえる。

あるデータでは、不満を持った顧客の96%は、企業に対して何も言わず、一般にクレームが1件あると、問題を抱えた顧客が他にも24人存在することになり、そのうち6件は深刻な問題だという。
その他にも、苦情を訴えた顧客は、たとえその問題が十分に解決されなかったとしても、苦情を訴えなかった顧客よりも、その企業と継続的にビジネスをしようとする傾向があり、苦情を訴えた顧客の54~70%は、問題が解決されれば再びその企業とビジネスしようとする。特に問題が速やかに解決されたと顧客が感じるときには、その数字は95%にまで上昇する。

不満をクレームという形で表すことができる顧客が大切なのである。苦情対応の結果次第では、その顧客は他の顧客に対してもよい宣伝効果があることが分かっている。逆の場合もしかりである。

これらのデータがそのまま福祉の世界に当てはまるかは疑問だが、福祉業界でも真剣に考える必要があるだろう。
すでに「ヒヤリハット」や「インシデント」という言葉で、300のヒヤリを現している事業者も多くある。しかし、私たちがよく考えておかなければいけないのは、この法則はサービス供給側からの視点が主であり、利用者視点ではないということ。つまり、供給側から見れば300のヒヤリでも、利用者やその家族から見れば、表面には出ない多くの不満が内在しているのである。
売り手市場の介護サービスにおいては、どれだけ多くの人が不満を飲み込み、耐えているのだろうか。
家族からの不満は、年老いた親への無関心という形で、表に出てきにくい面もあることを忘れてはいけない。

                   * * * * * * * * *

介護保険が施行され、サービスが契約に基づくものになってから、多くの事業所でもリスクマネジメントが取り組まれている。
それと比例するかのように、介護事故による裁判も各地で起こされている。
・転倒・転落による事故
・誤嚥による事故
・徘徊による事故
・急変を察知できなかったことによる事故  ・・・等
この中で最も多いのが、転倒・転落による事故で、死亡につながる例も少なくない。また、その他の事故で裁判になっているのは、すべて利用者の死亡という悲惨な結末になっている。

訴訟を起こされるということは、苦情対応の仕方を誤ってしまったことにも原因があるだろう。裁判になると大きな労力と費用がかかり、精神的にも辛いものである。それでも利用者や家族が裁判を起こそうと決断だけのやりきれない気持ちと、不十分な対応があったのだろう。
リスクマネジメントは、事故を未然に防ぐだけではなく、事故後の対応まで含めたものでなければならない。
企業や組織の本質は、危機的状況に直面したときに現れるものである。ぜひ、自分たちの働く事業所を見つめ直してもらいたい。そして、自分自身の意識も。

在宅介護の暗い側面

2006-04-22 11:10:24 | 福祉雑記録
4月20日付け朝日新聞の朝刊に、『在宅介護担う65歳以上 3割死にたい』の見出しがあった。

記事は、厚生労働省が実施したアンケート結果を示したもので、昨年6月に高齢者らを自宅で介護する介護者8,500人から回答を得ている。
質問の「死んでしまいたいと感じることがあるか」の問いに、65歳以上の介護者の29%~32%が「ある」「少しある」と回答している。64歳以下では17%~22%だった。

その後、記事は「老老介護」の厳しい実態が浮き彫りになった、と続けている。
今回のアンケートは、SDSと呼ばれるうつ状態の自己診断表を含めており、介護者の年齢が上がるとともにうつ状態である人の割合が高く、平均23%であったという。
記事も、アンケートを実施した教授のうつに対する取り組みを重要視した発言で締めくくられている。


今回のアンケートが、うつ状態の自己診断表を含めていたとはいえ、老老介護の結果3割の介護者が「死にたい」と思う現状は、老老介護の厳しい実態というよりは、在宅介護の厳しさを表している。

在宅介護をしようと決断をすることは、やはり勇気が必要なことである。介護者のうつで多いのが、最初の想いが強ければ強いほど、それが挫折したとき(要介護者の状態の悪化など)に自分を責めてしまう傾向がある。
それは、プロの介護者にも言えることで、真剣に介護に取り組む人ほど、ストレスが過重にかかってくるのが介護である。

2000年に介護保険法が施行され、それ以降「介護の社会化」が進められてきたが、利用者の生の声を聞いていると、まだまだ家族の努力の上に成り立っていることが多い制度であることが分かる。
今回の介護保険法の改正においても、介護予防という自助努力は促しても、現在本当に困っている人たちの状況を改善する施策は何もない。
福祉施策は、全体の8割が満足していても決して充分ではない。少数の2割の人が満足して、初めて意味がある制度だといえよう。

厚労省は、今回の調査結果をうつの問題だけで片付けることなく、介護保険の不備・不足がまだまだ多いことを自覚し改善してもらいたい。

自分の子供に介護をされたいか?

2006-04-08 14:17:31 | 福祉雑記録
自分の子供に介護をされたいか?

そう聞かれて、何人の人が「はい」と答えるだろうか?

最近のある調査結果では、25~49歳の子供を持つ既婚の男女の68%が「ノー」と答えている。つまり、子供以外の人から介護されたいということだ。

具体的な意見の内訳を見てみると、子供の負担を気兼ねするもの、介護はプロがするものという意見が目立つ。
また、子供の負担を気兼ねする一方、子供の介護により自分たちが気を使ってしまうといった意見もあるようだ。

少し前までは、子供が親の面倒をみるのが当たり前だったことを考えると、この“68%”という数字は時代の大きな変化である。
時代の大きな変化というのは、急激に伸びた平均寿命、そして家族観の変化である。

今回、子供からの介護を「ノー」と答えた世代は、介護を経験した最初の世代である。核家族化が進み、長生きする舅や姑を1人で介護するということを多くの人が経験した人たちが、今度は介護を必要とする年代になっているのである。
もちろん、それ以前から自宅で高齢者を介護してきた人たちはいるだろう。しかし、今ほど平均寿命は長くなかったし、家族の人数も多かったため支える人は多かった。
「介護が大変」という印象は、1人で高齢者を長く介護してきた人たちが作ったといっても過言ではないのである。

また、「自分の幸福」という気持ちが強い団塊の世代にとって、自分たちの介護をしてもらうことで子供の幸福を邪魔するようなことは望まないだろう。
これらが、子供たちからの介護を望まないという声が多くなった背景だろう。

もう一つ根が深い問題がこの調査から浮き彫りになっている。
それは、『介護』というものに対する誤解だ。

介護と聞いて、思い浮かべることは「辛く、汚く、臭い」という言葉ではないだろうか?そう思わなかった方は、読まずに飛ばしていただきたい。
これらの印象は、寝たきりの人のおむつ交換やお風呂に入れたり、ご飯を食べさせたり、という三大介護といった直接体に触れたりする介護からきている。これに認知症が加わってくると、これはもう大変!ということになってしまう。
これらの印象は、前にも述べたようにこれまで介護をしてきた人たちが作り上げたものである。
別に、これまで介護をしてきた人たちを非難するつもりはまったくない。そのような「辛く、汚く、臭い」介護をせざるを得なかったのは、日本の福祉政策の遅れとこれまでの日本人の価値観によるところが大きかったのである。

実際の介護は直接介護と間接介護の2種類に分けることができる。これは福祉を勉強した人なら最初に習うことである。
つまり、介護が必要な人と直接かかわりながらする介護を直接介護。そうではないものを間接介護というのである。
直接介護といっても、直に体に触れるものだけではなく、話をしたりただそばにいるだけでも直接介護になる。
間接介護とは、相手が心地よく過ごせるように掃除をしたり、料理を作ったりと生活の環境を整えること。
同じ掃除でも、相手と一緒にすれば直接介護になるのである。

「介護は家族でできる範ちゅうを越えるのでプロに任せたい」という意見が出てくるのは、間違いなく介護を直接介護(しかも三大介護)に限定して捉えているからだ。実際に介護の現場で働いている人にも、このような勘違いがよくあるのだから、一般の人がそう思っていても仕方がないのかもしれない。

これが北欧などの福祉先進国になると、「ケア(介護)は無理のない範囲で家族がする」ということになる。実際は、食事や入浴、排泄などの介護はプロが入り、家族は話し相手になるだけだったりする。かなり誇張して書いている部分はあるが、話し相手になることもしっかりケア(介護)と認識されていることが言いたいのである。

話を最初に戻すが、“68%”という高い数字は、日本人の介護に対する認識とそれに寄りかかってきた日本の福祉政策の甘さからものである。
家族同士が気兼ねし合ったり、いがみ合ったりするような『介護』ではない、ゆとりのある高齢社会に日本もなってもらいたい。

福祉施設での結婚式

2005-11-27 22:45:43 | 福祉雑記録
今日、私の勤める施設で、グループホームの職員同士の結婚式がおこなわれたので参加してきた。会場はデイサービスセンターのホールで、入居者とその家族を始め、施設関係者、地域住民、そしてもちろん両親と多くの人たちが参加していた。
職員同士と聞くと、私的なことでそれを職場でおこなうのは、公私混同というイメージを持つかもしれないが、この結婚式をおこなうためには、その点も含めて多くの議論がなされたという。

ことの発端は、自分たちの結婚を入居者の方々にお祝いしてほしい、という純粋な発想であった。普段、グループホームという場で共に生活をしている関係から、自然にわいた感情なのだと思う。また、認知症になると親族の冠婚葬祭の行事には呼ばれなくなり、自分の孫の結婚式も参加することができない状況があったのも、この結婚式実現に拍車をかけたのである。
こうして、「入居者とともに喜びを分かち合う」結婚式づくりがスタートし、今日を迎えることができのである。

式は、人前式でスタートした。和装姿で登場した新郎新婦を見たときの入居者の表情を見ただけで、見ている私たちも感動した。それぞれのテーブルから、すぐに自分たちの思い出話が始まったりして、ケアとしても最高の環境であったように思う。
式の途中で、入居者が力を発揮する場面が設定されており、三々九度の儀式や祝辞、はなむけの唄、余興などスタッフの力を借りながら、自らの役割を堂々とこなしている姿にまた感動。とても素敵な結婚式でした。

前にケアと記したが、この日のために入居者ひとりずつの「結婚式ケアプラン」を作成し、アクティビティの一環として位置づけていたのである。準備段階から、かかわりの中で、スタッフは専門的な視点も持ちながらおこなっていたのである。
手作りながら本格的な式、披露宴がおこなわれたのは、家族や施設側の理解があってこそだし、何より何ヶ月も前から準備をしてきたスタッフや大勢のボランティア、そして入居者の活躍のおかげなのだということがしみじみと伝わり、とてもよい一日だった。

レジデンシャルケアとは何か

2005-08-31 08:02:21 | 福祉雑記録
すでに1ヶ月以上も前になるが、レジデンシャルケア研究(長野)会議に参加してきた。レジデンシャルケアという聞きなれない言葉ではあるが、すでに第5回を迎える会議で、参加者は800名ほど集まっていた。
「レジデンシャル」の意味は、そもそも「住居」「住まい」となっているが、これまでの日本では、「住まい」と「ケア」が一緒になる環境は「施設」しか考えられないような貧弱な環境にあった。そのため、「レジデンシャルケア」=「施設ケア」と訳している著作もあり、わが国においては新しい言葉であり、かつ理解されにくい部分が多分にあったことが伺える。
介護保険改正において「第三のカテゴリー」と呼ばれる特定施設や有料老人ホームなどの「新しい住まい」が位置づけられ、「地域密着サービス」のもとさらにその可能性が広がっており、ようやく「レジデンシャルケア」という言葉も現実味を帯びてきたような状況である。

「レジデンシャルケア研究会議」でいえば、介護保険が施行した2000年から福祉・保健・医療などケアのパラダイム動向を探るため、情報収集や多方面と議論をふまえて事業経営や運営、ケアのあり方など「レジデンシャルケア」の追求と制度政策への提案などを目的に年1回の会議を開催してきている(レジデンシャルケア研究会議レジュメより)としている。
今回は、介護保険改正を中心に、新しい住まいのあり方の紹介やケアマネジメントまで最新の情報満載で、言ってしまえば「何でもあり」の会議であり、それだけにまとまりのないものになってしまっていた。そもそも、まとまり自体を求めてはいないのかもしれないが…。

それでも随所に参考になる情報が散りばめられていた。新潟県長岡市にある高齢者総合ケアセンターこぶし園が小規模多機能施設を市内各地に配置して、住民の生活をサポートすることを目指したサポートセンター構想はこれからの地域福祉の新たな突破口になる可能性を十分に感じられた。実際に、震災で仮設住宅での暮らしを余儀なくされている住民をサポートする「仮設サポートセンター」も運営されており、本当に必要な人のための取り組みであることがわかる。阪神大震災でも住民互助の立場に立ったグループハウスがつくられるなど、本当に必要に迫られたときはそれ相応のサービスが提供されるのかもしれない。
また、興味深い数字として、日本における介護保険施設と第三のカテゴリーである特定施設や有料老人ホームなどの割合を他の国と比較したものがある。要介護者の人口に対する介護保険施設の定員の割合は3.2%で、外国(英国、スウェーデンは3%、デンマーク米国は5%)と比べても遜色ない数字となっている。それに比べ、シルバーハウジング、高齢者向け有料賃貸住宅、有料老人ホーム、経費老人ホーム、グループホームなどを含めた数は0.8%とごく僅かで、各国の5%台と比べると大きく水をあけられている。ちなみに、英国のリタイアメント・ハウジングが5.0%、スウェーデンのサービス・ハウスが5.6%、デンマークのサービス付高齢者住宅・高齢者住宅が3.7%、米国のリタイアメント・ハウジングが5.0%となっている。日本には高齢期になってから、家を住み替えるという発想があまりなかったためこのような数字になっているが、これからは当然ニーズは増えてくるだろうし、住み替えという発想も特別なものではなくなってくるだろう。
当然これからの流れとしては、これ以上施設を作るのではなく「新しい住まい」が主流となり増加することが考えられる。現在でもこれまで福祉とは関係のなかった業種の参入が目立っている中で、ケアの質をいかに保っていくのかが課題となるだろう。また、家賃の補助をどのようにしていくかも課題となる。ただ単に各国と数字を一緒に合わせても、お金持ちしか入ることができないようではしょうがない。スウェーデンやデンマークでは、低所得者の家賃補助がしっかりしており、部屋代がほとんどかからないうえに、2LDKくらいの部屋に住むことが可能になっている。わが国の8畳一間ユニット型個室の6万円(最大)の居住費と比べてみると、質・量ともに悲しいほどの差がある。
今後、新型特養のハードがスタンダードになり、お金がよりある人は「新しい住まい」に引っ越すことができるような体制(低所得者への補助など)を構築することが望まれる。