What’s ノーマリゼーション?

福祉について考えるUMEMOTOのブログ

シリーズ デンマークの教育③ 『障害者教育』

2004-11-24 22:49:10 | 教育について
前回の項(シリーズ デンマークの教育『幼年期の教育』)でも少し触れましたが、デンマークでは教育の場において障害を持った子どもへの取り組みが早くからされていました。しかし、デンマークでも様々な紆余曲折があって、現在の形にたどり着いたことを最初に言っておく必要があります。
前項では、一般の児童と障害を持った児童が早くから同じ環境にいることで、障害者への偏見をなくす、ということを書きましたが、現在では必ずしもそのような考えではなくなっているようです。

まず、デンマークの障害者教育が日本やその他の国と大きく異なるところは、デンマークには障害児のための教育に関する特別な法律はない、ということです。すべての子どもが平等に国民学校で教育を受ける権利があるのです。ノーマリゼーションの考え方が浸透しているデンマークでは障害者教育は特別なことではなく、ひとつの教育のあり方という考え方なのでしょう。
平等といいましたが、ここでいう平等とは障害の度合いに関わらず全く同じ教育を受けなければならない、ということではありません。障害者に障害者教育に熟知した学級や学校があってもいいのです。障害者教育を含めて、教育には各々の個性(障害も個性ととらえている)に適した教育の場が存在して然るべきなのです。
日本においても、障害をもつ子どもを一般の学校に入れることが平等だと思い入学させる家族もありますが、それが本当にその子のためになっているのかはもう一度よく考えてみる必要があると思います。没個性の教育をしてきた日本の学校で、障害を持った子どもを教育できる先生が何人いるのか?その環境が整っているのか?答えは「ノー」と言わざるを得ません。そのような環境が整った学校はほんのわずかにすぎないでしょう。

ノーマリゼーションはデンマークから始まっていますが、その当時知的障害を持つ子どもの親たちは、自分の子どもを普通の学校に入れることがノーマリゼーションだと思っていました。しかし、今では知的障害者は知的障害者のための特殊学級、あるいは養護学校で教育を受けさせるのが最適だという理解に達しています。また、身体障害者の場合は、普通の学校での授業を理解できる者は補助者を付けて通学できるようになっています。
障害を持った子どもを教えるには、相応の専門知識が求められます。知的な障害に限らず、身体的な障害にも心理面のケアが重要になってきます。日本の学校に身体的な障害を持った子どもが行こうとしても、補助者がいたってどうにもならない建物ばかりなのも問題です。学校の建物の基準も国がきっちりと指導して、融通がまったくきかない建物ができてきた流れがこの結果です。今、三位一体の改革とかなんとかで、教育の権限を地方自治体に移すかどうか(表立っているのは金の話ですが・・・)の話し合いをしているようですが、自由に児童に合わせてバリアフリーの建物を作れるような制度になってほしいものです。

参照:千葉忠夫「デンマークの教育調査 福祉国家デンマークの教育 ~日本の福祉教育への提言~」

デイサービス(高齢者施設)における「しつらえ」について考える。

2004-11-12 21:25:19 | 福祉雑記録
今日、街中を歩いていると平屋のデイサービスセンターがあったので中をちょっと覗いてみました。そこは、市が運営しているデイ単独の施設で、時間が遅かったため利用者は誰も中にはいませんでした。
窓から見えたホール(日中利用者が居させられる場所)には、天井に色とりどりの万国旗が飾ってありました。おそらく、運動会シーズンということで、日中はデイ利用者の運動会でも中で行っていたのかもしれません。そして、1週間は同じ「しつらえ」で同じ運動会をしているのかもしれません。「運動会なんかしたくない」と思っている利用者や、週何回も利用している利用者はたまったものではないでしょう。何と言っても、逃げ場がどこにもないのですから・・・。しかしどうでしょう?多くのデイサービスが同じような「しつらえ」、サービスをしているのではないでしょうか?

もちろん入居施設においても同様の「しつらえ」をよく見かけます。どう見ても幼稚な飾り付け。しかし、デイサービスにおいてはその色が濃いような気がしてなりません。これは独断ですが・・・。また、通所施設ということで、入居施設に比べて生活感などは作りづらいということもあるかと思います。
今日見たデイサービスは幼稚園のように見えました。万国旗に限らず、季節感を出そうとして職員が描いたつたない絵、折り紙を壁に貼った飾り付け・・・。わざわざ季節感を絵で出そうとしなくても、ちょっと外に散歩に行けば済むことだし、そもそもデイサービスは送り迎えで街の様子が季節の移り変わりとともに見ることができると思うのですが。
どれも職員の「なんとかしよう」という想いから来ていることはとてもよくわかりますが、他に方法がないのか考える必要はあると思います。

「利用者それを望めばいいじゃない」という意見もあるかもしれません。でも、何でもいいというものではないでしょう。環境によって利用者の行動は大きく左右されます(これはグループホームや逆デイサービスの取り組みで実証済み)し、何よりケアをする職員の行動も影響されます。幼稚園のような環境で高齢者をケアすると、自然と子ども扱いしないとも限りません。
現に千葉県のあるデイサービスでは、『老稚園』という表現を使っているところがありました。実際の施設やサービスを見たことはありませんが、この名前を見ただけで高齢者を子ども扱いした施設やケアが目に浮かびます。この『老稚園』の管理者は、堂々とこの名前を使っていて少しの疑問も持っていないのです。皆さんはどうですか?自分の親に対して「お父さん、今日は老稚園に行く日だよ」と言えますか?

福祉施設はとかく内弁慶になりやすい体質といってよいでしょう。知らず知らずのうちに働いている私たちも周りが見えにくくなっているかもしれません。身の周りを見渡した時、これは・・・と思う「しつらえ」はありませんか?もし分からなければ、最近利用し始めた利用者に聞いてみるといいかもしれません。きっと当たり前の感覚で感想を言ってくれるでしょう。その言葉は何より大切にしなければならない言葉かもしれません。

介護保険施設における居住費・給食費負担増について考える。

2004-11-07 00:38:31 | 介護保険
現在、05年の介護保険改革に向けて、厚生労働省は特別養護老人ホームなど介護保険3施設の入居者に新たな負担を求めることを検討しています。
http://www.asahi.com/money/kaisetsu/TKY200410060096.html

その内容は、新たに居住費として約1万円の増額、食費(現在は材料費)に調理費を上乗せして約2万円の増額を検討しているようです。そうなると、多くの特養(新型特養は除く)において現在は毎月5.6万円程度で生活している入居者が、8.7万円になるという計算になります。
老健や療養型病床群ではさらなる負担になります。
なぜ、このような検討が始まったかというと、ひとえに介護保険の財政難があります。
介護保険制度の果たした役割やその意義、そして問題点はそれぞれありますが、今回はそこには言及せずに、なぜ厚労省は今施設入所者の負担増を検討しているのか、その理由について考えて生きたいと思います。

厚労省は、施設入所者の負担増に対してこのように言っているのです。
―自宅で介護サービスを受けている人との不公平の是正
厚労省が言うには、施設では毎月5.6万円負担している高齢者が、在宅では家賃や高熱費を自分で払っているため10.4万円程度になるというのです。その不公平をなくすためだと。
確かに、施設を利用したいのに出来ない人や、在宅において家族が介護の負担を受けている現状もあります。それはそれで解決していかなければならない問題として考えればいいのに、「不公平だから」と施設サービスの利用料を上げるのは、問題のすり替えとしか思えません。日本人のわけのわからない平等感を振りかざされても何の解決にもならないと思います。
実際、施設の入所者はそのサービスが必要だから入所しているのであって、怠けているわけでも、安くて得した、とも思っていないのです。必要だから仕方なく入所しているのに、それを保護しなくてさらに負担を強いる厚労省の考え方が理解できません。

財政難はあるでしょう。そのため、介護保険の徴収を20歳以上にするという案もあるようです。当然反発は予想されます。“保険”という名において、自分が高齢者になることを想像できない若者が払うというのに抵抗があるに決まっています。
私は、その解決法として税金しかないんじゃないかと思います。今の使い道が曖昧な税金の徴収ではなく、福祉目的税としての徴収。現在の無駄をなくす努力も必要ですが、増税もやむなしと思います。福祉・年金は今国民が最も関心を抱いているものです。弱いところからさらにお金をとるようなことはせずに、皆が広く浅く負担してはどうでしょうか。
消費税の増税も近い将来行われるでしょう。ただ増税が嫌だと言うのではなく、その時その税金を何に使うのか、を今から真剣に考えなくてはならない時に来ているのだと思います。

シリーズ デンマークの教育② 『幼年期の教育』

2004-11-01 10:27:23 | 教育について
デンマークでは、教育の場において民主主義を教えることが中心であることは前項でも述べました。それは、0~7歳までの子どもに対する教育からもみることができます。

デンマークにおいては、ほとんどの子どもが0~3歳まで保育園(保育ママ)、3~6歳までは幼稚園に通っています。これは、デンマークが女性の社会進出が世界一であることも無関係ではないでしょう。
この就学前期間中には原則として読み書きを教えないことになっています。なぜなら、子どもが家庭から出て初めて接する社会が保育園・幼稚園であるので、皆と仲良くなることが大切とされているからです。早く皆と仲良くなれるには、読み書きよりも遊びを優先することと考えられているのです。
ですから、デンマークの保育園・幼稚園では、子どもたちは一見放任されたように遊び呆けていますが、実は遊びを通して自由を学んでいるのです。そして勝手気ままに遊んだ後は、おもちゃの後片付けをさせたり、大きい子は小さい子の面倒をみるというように、自由には責任が伴うということを理解させ身に付けるのです。そのため、年令を統合した保育園・幼稚園も数多くあるのです。
ここで日本の場合を考えてみると、反対に教育の低年齢化が進んでいることに目がいきます。幼年期から塾に行き私立小学校の受験に備えたり、英語を教えたり・・・など早くから読み書きを教えることが子どものためによく、それが教育と考えられているように感じます。しかし、本当に子どものことを考えるなら、読み書きを教えるよりもまず人とのコミュニケーションがとれるようにしたほうがいいのではないでしょうか。子どもの頃から読み書きを詰め込まれた子どもが大人になった時のことを考えると、不安を感じずにはいられません。

さらにデンマークでは、障害者への差別や偏見を持たせないようにするため、なるべく早い時期から障害を持った子どもと可能な限り同じ施設に通園させるのが良いとされています。小さい時から障害者と接することにより、子どもたちはこの世の中には男や女や老人や子ども、体の不自由な人など、いろいろな個性を持った人がいることを理解するのです。
この『ノーマリゼーション』の考え方に象徴されるように、デンマークには障害児のための教育に関する特別な法律はありません。なにも特別なことではないからです。

国民学校の1年生の前に、幼稚園学級というものがあります。これは6~7歳までの子どもが通う0年生学級のことで、この学級でも読み書きは原則として教えないことになっています。しかし、生徒が希望する場合にほ教えてもかまわないことになっています。この学級の目的は、子どもたちが国民学校1年生に抵抗なく入れるための準備期間とされています。
つまり、就学前教育(0~7歳)は、子どもたちを早く社会の一員とするためのものであって、その名の通り勉強以前に必要ないろいろなことを教えるための期間なのです。
こうして、生活大国であるデンマークの基礎はつくられているのです。

参照:千葉忠夫「デンマークの教育調査 福祉国家デンマークの教育 ~日本の福祉教育への提言~」