What’s ノーマリゼーション?

福祉について考えるUMEMOTOのブログ

生活保護ケースワーカーの資質

2007-07-31 23:13:02 | ノーマリゼーション
北九州市が揺れている。
福祉行政においては、先進的な取り組みが注目されることの多い北九州市だが、昨年から生活保護については、批判の矢面に立つことが多くなっている。

7月10日にミイラ化した状態で見つかった男性(52歳)は、生活保護の辞退を強要された疑いが持たれている。それを裏付けるような男性の日記が、本日公開された。

(4月5日から5月25日の間)
せっかく頑張ろうと思った矢先 切りやがった。生活困窮者は、はよ死ねってことか

5月25日
小倉北の職員、これで満足か。人を信じる事を知っているのか。3月、家で聞いた言葉、忘れんど。市民のために仕事せんか。法律はかざりか。書かされ印まで押させ、自立指どう(導)したんか

その後、6月5日に「ハラ減った。オニギリ食いたーい」という言葉を最後に、男性は亡くなっている。市によると辞退届の提出は今年4月2日で、10日付けで保護を廃止。「(本人が)自発的に出した」と説明していた。

九州は旧産炭地が多く、生活困窮者が多い。当然、生活保護世帯の割合も多く、財政を圧迫しており大きな課題になっている。
だからといって、必要な人の生活保護を勝手に打ち切ってよいということにはならない。生活保護の締め付けはなかったのか。ケースワーカーにノルマのようなものを課していなかったのか。第三者委員会による検証に期待したい。

生活保護ケースワーカーは高い専門性が要求される職種である。しかし、行政の職員でどれだけの人が、専門性とモチベーションを持って取り組んでいるだろうか。
今回、問題になった男性は仕事ができる年齢とされ、自立指導の対象となる。一言で自立指導といっても、その人の能力、疾病、社会状況などさまざまな問題を複合して捉え、指導していく必要がある。そのためには高い専門性と経験、社会状況を見極める視点、自立までのマネジメント能力が必要になる。ただ「仕事をしろ」と言えばよいものではない。

全国にはまじめに日々努力しているケースワーカーが多くいる(と信じたい)。このようなことはもう二度とあってほしくはない。今はまだ専門性が不十分なケースワーカーでも、人間として当たり前の感覚だけは持っていてほしいと願うばかりである。

憲法記念日に思うこと

2007-05-03 21:23:20 | ノーマリゼーション
憲法が制定されて60年が経過した。
安倍首相になってから、憲法改正論議が加速して、国民投票法案も衆議院で可決されてしまった。

私は2004年10月から『What's ノーマリゼーション(ノーマリゼーションとは何か?』を求めて、主に福祉や医療の動きや、それらについての私見を書いてきた。
いま、この憲法改正論議や集団的自衛権の範囲拡大の動きを見ていると、ノーマリゼーションを確立するためには、その根本にある『人権』や『平和』を見過ごすことはできないということを強く感じてしまう。

私は戦争を体験したこともなければ、1960年代の安保闘争も経験したことがない。日本国憲法は生まれたときから、そこに存在し、意識することがないまま生活をすることができた。
自衛隊も矛盾は感じながらも、憲法解釈を変えることで対応してきた経緯を見てきていることもあり、それがいま、憲法を改正すると言われても、あまり実感がないのが正直なところで、20代、30代の多くはそう感じているはずである。

ただ、憲法9条を中心に改正しようという流れは漠然と不安を感じるのである。振り返れば、日本が戦争をしていないのは、第二次世界大戦後からの60年強で、それ以前は戦争を繰り返してきた経緯がある。
世論調査で約8割の人が、平和に貢献してきたと感じる憲法9条を改正するということは、今後の日本が戦争を推進していく国家になっていくことが予想されてもおかしくはない。この60年あまりの平和は決して自然に発生したものではなく、人々が願い作り上げてきたものであることを、もう一度考える時期にきたのかもしれない。

憲法改正論者の中には、憲法9条だけでなく、環境権などさまざまな権利を盛り込んでいく必要があると唱えている人もいる。しかし、13条の幸福追求権がすべての権利を根拠になることは、憲法研究者の間でも言われており、他の権利を憲法に記載する緊急性は今はないと言える。

繰り返しになるが、『人権』と『平和』が保障されずしてノーマリゼーションはありえない。今の世の中は、そのどちらの実感も希薄で、さらには放棄しようとしているとしか思えない。
憲法が制定されてから60年という節目に、もう一度私たちは、今の平和な世の中がどのように作られてきたのか、思いをめぐらせ、何もせずにこの平和が続くことはありえないことを肝に銘じる必要があるのではないだろうか。

高齢者の検挙率が高まる背景には

2007-01-12 23:29:28 | ノーマリゼーション
65歳以上の高齢者が加害者になる犯罪が増加しているという。ある県では、謙虚された65歳以上の高齢者が10年前の6倍、全検挙数に占める割合が2.8%から8%まで増加しているという。

内容はさまざまで、夫婦間の殺人事件もあれば、老人ホーム内で入居者の男性が別の入居者をナイフで刺してしまった事件、介護疲れによる介護殺人・・・。
それらを伝える記事は、「長く勤めた職場などに代わる『自分の居場所』が見いだせず、閉塞感から突発的に罪を犯す人が多いのでは」と伝えている。
果たしてそうだろうか。

冒頭で示した数字では、数としては6倍なのに対して、割合(%)としては、2.5倍程度の増加でしかない。
この10年間で高齢者数もかなり増加しているし、全人口の20%程度が65歳以上であることを考えると、高齢者の検挙数が増えるのはおかしいことでもなんでもない。
年齢別の検挙率データがないので何とも言えないが、『自分の居場所』という問題で片付けてしまっては、物事が見えにくくなるおそれがある。

高齢者の犯罪件数が増えたことを問題にするのではなく、その理由を問題にすべきだろう。例えば、老人ホーム内の死傷事件が目立つのは、今までそのような事件があまりなかったことが原因の一つである。
なぜあまりなかったのかというと、老人ホームの数が少なかったからである。近年、元気なうちから入居する有料老人ホームが増えたことで、身体的にも精神的にも元気な高齢者が一つ屋根の下で生活する環境が生まれている。
いくら個室になっているとはいえ、一つずつが家として独立しているわけではないので、食堂などで顔を合わせる機会も多いだろう。折り合いが悪くなったり、ぶつかり合うのも不自然なことではない。

介護疲れが原因の介護殺人は、その根本的な理由を取り除くことが先決であり、『介護殺人』として社会問題化していかなければならない問題である。
認知症の理解や支援する体制、正しい介護の仕方や適切な情報提供など課題は山積みである。

また、高齢者が交通事故の加害者になるケースも増えているだろう。車社会の中で、運転する高齢者も増えており、高齢者が安全に運転できる環境づくりも待ったなしの状態である。

一言で高齢者の事件と言っても、さまざまなケース・原因があり、並べて論ずることはできない。一つずつ解決していくのが、早道になるだろう。

人に求めるか 制度に求めるか

2006-09-27 20:43:49 | ノーマリゼーション
今年1月、山口県下関市でJR下関駅の駅舎が焼けた放火事件、放火の罪に問われている被告が事件前日に北九州市の福祉事務所の相談窓口を訪れていたことがわかった。
被告は「(出身地の)京都に帰りたい。お金はなくなった」と保護課で相談。話を聞いた職員は市の「行旅困窮者旅費」の取り決めに従い、隣接する自治体の役所までの交通費として、JR西小倉駅から下関駅までの回数券1枚と、下関駅から下関市役所までのバス賃190円を手渡した。
被告は同夜下関駅に降り立ち、「刑務所に戻る」ために放火したとされる。被告はその1週間前に刑務所を出ており、出所時は所内の労働で得た20万円を持っていたが、ほぼ1週間で使い果たしている。

上記の福祉事務所職員の対応に、福祉関係者からは「下関市に追い払ったようなもの」との指摘も出ているというが、問題はそんなに簡単ではない。
ここ最近、北九州市の生活保護に対する姿勢や対応が新聞などで批判を受けることが多かったことが、今回の事件を見えにくくしているように思われる。

今回の事件は、放火という犯罪で幕を閉じたことで、福祉事務所職員の対応がクローズアップされる結果となったが、本人の意思と市の制度の中で対応した結果であるため、それを批判することはできない。
問題は他の部分に多いように思われる。例えば、本人の性格の問題。刑務所を出た後の就労の問題。刑務所内での更正教育の問題。さまざまな問題が絡み合っていることを忘れてはならないだろう。

ホームレス対策でも同じことが言えるが、本人の意思・希望というのは何にも増して重みがある。相談を受けた職員が良かれと思っても、本人の意思が伴わなければどうしようもなく、板ばさみに悩むことも多い。
本人の意思を無視して対応すれば一定の問題は解決される反面、本人の心理に影を落とす危険性もある。一部からは「公務員の公権力の行使」「民事介入」という批判の声が上がる可能性もある。

公務員は制度・法律に則って対応している。むしろ制度・法律に則ってしか動くことができないとも言える。それゆえに、私たちの生活を守るためにさまざまな制度や法律が整備されてきているのである。堅実な(石橋を叩いて渡るような)対応が公務員の信頼につながっている側面もある。
しかし最近は、問題が複雑化していることもあり、制度・法律の枠内だけでは対応できないことが増えており、融通が利かない対応を非難されることも多くなっている。

『人に求めるか 制度に求めるか』

私たちの目の前にある課題である。制度や法律で対応しきれない問題の解決を、相談に対応した『人』に求めるのか、『制度』に求めるのか。人に求めれば、対応する人の裁量に大きく左右されることになり、安定さを欠くことになる。制度に求めれば、制度化されるまでに時間を要することになる。
結局は、人と制度のバランスの問題ではあるが、このような状況を認識しておく必要はあるだろう。
状況を踏まえずに、単に『人』を批判することだけは避けたい。

増税・保険料増!あえぐ高齢者

2006-08-13 09:13:35 | ノーマリゼーション
将来介護が必要になったときに、安心して介護を受けることができるように国民の保険料で制度を運営する『介護保険制度』は、いくつかの課題はありながらも定着したと言っていいだろう。介護保険料の納付も一定の理解を得られている。

しかし、ここにきて保険料の増額が各地でみられている。それに加えて税制改正により、高齢者の住民税・所得税が増え、さらには国民健康保険料、介護保険料も大幅な増額になっている。なぜこのようなことが起きるのか。

まず、介護保険料は3年毎に見直すことになっており、平成12~14年度が第1期で全国平均が2,911円。平成15~17年度の第2期が平均3,293円。今期(第3期:平成18~20年度)が4,090円となっている。毎回、増額になるのは、介護を利用する人が増えていることもあるが、施設入所が多かったり、当初の見込み違いにより次期で増額せざるを得ないことなど理由はいくつかある。
第3期の最高額は沖縄県与那国町の6,100円で、離島や過疎地などが高額になる傾向がある。最低額は岐阜県七宗町の2,200円で、その差は3,900円(年間46,800円)になる。保険料が安い要因としては、介護サービスがあまり多くなく(施設がなかったり)、高齢化があまり進んでいないなどの要因が考えられる。

ただ、これらの介護保険料は基準額(非課税世帯が対象)で、収入に応じて増減がある。住民税課税世帯になると、課税額に合わせてさらに何千円かずつ増していくことになる。
そこで影響してくるのが、2004年の税制改正だ。2005年1月から
①公的年金等控除の上乗せ廃止
②老年者控除全廃
などが決まり、今年度の住民税から課税額が変わってきている。

例えば、高齢者夫婦二人暮しで年金収入が年間277万円の場合。
・公的年金控除が144万円から120万円に縮小されるため、所得額の計算が133万円から157万円にアップ。
・老年者控除が廃止になり、48万円が控除になっていたのが控除なしになる。
その他の控除などの結果、前年度の課税対象額が0円に対し、今年度が59万円となり、
*住民税は4,000円から31,100円に増額
*所得税は0円から42,000円
*国民健康保険料は21万円から24万5千円
*介護保険料は5万円から7万円
年金額は変わらないのに、納める税金が多くなるため、生活に大きな影響を受けることになる。

小泉内閣が高い支持率のもと、痛みを伴う構造改革を断行した結果、今になって高齢者など社会的立場の弱い人たちに大きな負担が重くのしかかってきている。
今回の税制改正で多くの増税を余儀なくされた人たちも、その当時の内閣を支持していたのかもしれない。大した国民的な議論もないまま、勢いに乗って改革をしてきたつけは国民が払わなければならない結果となっている。
もうすぐ、自民党総裁選があり、首相も変わることになる。その時にはぜひ社会保障や年金・税のことも議論の場に上げてもらいたい。私たちはその意見を吟味して、今後の行く末をしっかりと見守りたい。

誰のための生活保護か?

2006-07-19 23:00:34 | ノーマリゼーション
生活保護に対する不満が増加している。

生活保護の申請を却下されたり、受給額を減らされたりした人が、処分取り消しを求める不服申し立ての件数が全国的に増えている。2003年には370件だったのが、2005年には835件と2.2倍になっている。【朝日新聞7/16朝刊】

福祉事務所や役所の保護課において、なるべく申請を受けつけないように、理由をつけて何度も追い返しあきらめさせる『水際作戦』をとっているところが少なくないようだ。
今年5月下旬には、北九州で生活保護を申請しようとした身体障害者の男性が、申請書を渡してもらえず、自宅で亡くなっているのが見つかっている。
同様の孤独死の事例が相次いでおり、厚生労働省も調査に乗り出す姿勢を見せている。

また、今年2月に京都で起こった介護殺人の加害者である息子も、認知症があり介護が必要な母を殺す前に、生活保護の申請を申し出たが、受けれないとして帰されている。
上記の事件を、すべて生活保護の担当者のせいにすることはできないが、何らかの要因があったことは確かなことである。
実際に、生活保護の窓口の対応は冷たい。冷たいだけでなく、そこには権力が隠れているように見える。

誰のための生活保護か?

弱者が生活保護を受けることができずに亡くなる一方で、不正に受給している人がいるのも事実だ。
実際は働けるのに、働けないふりをして、いつまでも生活保護をもらっている人もいる。

だからといって、一行政職員が人の死を早めてよいということにはならない。生活保護は、人が生活を送る上での最低限の権利として保障されるべきものである。
すべてを認める必要はない。本当に必要な人に必要なだけの保障をするべきである。そのためにも、生活保護のケースワーカーなり相談員は、専門的な福祉の視点を持つべきだろう。自分の生活が当たり前だという感覚は、相談者を必要以上に切り捨てる危険性がある。世の中には、どうしようもできない現実があることを知ってほしい。

生活保護のケースワーカーが、その他の支援を教えることなく相談者を帰してしまうことにも問題がある。生活保護に該当しないなら、その代替の支援サービスなり、その担当部署を教えることが必要だろう。
また、4月にできた地域包括支援センターには、間に入って調整をする役割が期待される。地域包括支援センターの多くは委託であるのは残念だが、設置主体が市町村であることを強みに、生活保護が必要なのか、その他の支援で大丈夫なのか、対象者を中心に判断し調整を図る機能・能力を発揮してほしい。

生活保護を受給できずに死んでいく人がいる一方で、国は財政再建の名のもと社会保障費を1.6兆円削減する案を出している。その中には、生活保護費の削減も見込まれているだろう。財源を都道府県に移譲し、そこから生活保護費を捻出するようにする動きもある。そうなると、生活保護の出し渋りにますます拍車がかかる可能性がある。
お金がないことで死んでいく国民がいるのが今の日本であることを国は自覚してほしい。自分たちで勝手に作った枠組みの中で、いくら歳出削減のパズルをしたところで到底私たちは納得することはできない。

福祉タクシーを地域支援事業に

2006-06-13 21:07:40 | ノーマリゼーション
介護保険対象者に車への乗降から移動までのサービスを提供する「介護タクシー」は、値段も通常より安く、介助付きとあって通院に介助が必要な人にとっては大きな需要がある。しかし、現在は要介護1以上でないと利用できない。

今年4月の改正により、要介護1の人の半数以上が要支援になることから、今まで介護タクシーを利用していた人が利用できなくなり、困惑しているようだ。

2004年4月に政府が条件付きで、営業用ではない白ナンバーの車での介護タクシーを認めるように制度を改革したことから、参入業者が相次ぎ競争も激しくなっている。
許可を得ていない白ナンバーでの有償運送は「白タク」と言われ、法律で禁止されている。
しかし、介護タクシーの運転手は介護技術が一定ではなく、乗降介助を断られたり、病院までの付き添いという部分では不十分な面が多い。
実際には、要支援の人でも必要な介護タクシーが必要な人は多く、困っている人は多い。

           *  *  *  *  *

介護が必要な高齢者や障害者をNPO法人などが有料で自動車で運送するサービス(「福祉タクシー」)が、今年の4月から許可制になったが、使用できるのは福祉車両だけと限られている。
実際には、市町村や都道府県などが関係車らで構成する運営協議会を設置し、そこでの承認を得た上で国土交通省に許可を求めることになっている。
しかし、現状では顧客減少を恐れるタクシー業界の反発に合い、全国約2千ある市町村のうち、約1割の市町村でしか、運営協議会が設置されていない。

タクシー業界は不況で、そこでの労働者の雇用状況は安定していない現状はある。しかし、自らの利益だけを追求する姿勢だけでは、いずれ顧客は離れていってしまうだろう。
「福祉タクシー」は、介護タクシーが使えない人にとっては、貴重な資源である。そして、その市場は介護タクシーよりも大きい。
ここで、利用者を無視した状況が続くのは好ましくない。

やはり、運営協議会の設置は、公的な行政が積極的に行う必要があるだろう。運営協議会を設置した上で、市内の全車両を管轄するセンターを設置し、そこで一括して車両の手配をするという案もある。
低所得者も利用できるように、地域支援事業もしくは福祉事業に位置づけ、一定の予算がつけば利用の幅は広がるだろう。

さまざまな利用者がいる中で、当然ニーズも多種多様である。公的に裏づけされたセンターが利用者のニーズに合った車両を手配することで、公平性も得られるだろう。
タクシー業界にとってもみても、自社だけのネットワークで顧客を待つよりは、顧客獲得の機会が増えるのではないだろうか。
ぜひ、市町村には、検討してもらいたい課題である。

格差社会は到来したか?

2006-02-08 21:38:28 | ノーマリゼーション
今国会の予算審議の中では、格差社会の原因の追求もテーマの一つになっている。某IT企業の崩落と共に、一気に噴出した感もあるが、一般市民の間では格差が広がっているとう感覚が広がっているのではないだろうか。

2/5付けの朝日新聞の朝刊一面の見出し「さよなら一億総中流」には、久しぶりに胸を打たれた。この見出しから、少しの希望と大いなる不安を読み取ったのは私だけだろうか。
同社では同時に、所得格差に関する意識調査もおこなっており、全体の74%が『格差が広がってきている』と思っており、さらにそのうちの7割が『問題あり』と思っているという結果になっている。また、81%の人が『お金に困るかもしれな不安』を感じ、「勝ち組」「負け組」に二分する傾向には58%の人が抵抗を感じていると回答している。
さらに調査結果をみると、二分化に対しての抵抗は20代男性が最も少なく38%で、若い世代ほど格差社会に順応していることがわかっている。しかし、将来のお金の不安は50代、60代が最も高く、差し迫った目の前の問題であることが伺える。

これらの調査結果をみても、一般市民の間には格差が広がっていると感じていることが数字でも表れている。他のデータとしては、生活保護受給率の増加があげられる。
生活保護受給率が年々増加しており、全人口における生活保護受給者の全国平均は、2000年では0.84%、04年では1.11%となっている。都道府県別でみると、最も高いのは大阪府の2.32%で、次いで北海道、高知、京都、福岡の順になっている。
全国的にみても、都市部に多く大阪市では3.81%となっている。都市部には高所得の人が多くいる反面、少ない人の割合も多くなっているということだろう。都市部ほど二極化が進んでいる傾向がある。

私の住んでいる市の保護率は2.7%とかなり高い割合になっている。これは、旧産炭地の特徴で、以前は多くの人が働き所得を得ていた場所がなくなり、仕事にあぶれる人が増えたための結果である。そのような土地柄も生活保護受給率には関係している。

この保護率の増加についても、一部高齢者世帯が増加したためという見方もある。だから仕方がない、というような雰囲気もそこから感じ取ることができる。しかし、高齢者世帯が増加するから低所得世帯も増えるという短絡的な見方もどうなのか。これから益々高齢者世帯が増えれば、保護世帯も増えてしょうがないと捉えるのだろうか。
別に統計をとったわけではないが、今の若い世代と高齢者とを比べたときに、高齢者のほうが蓄えや年金がしっかりしているように感じる。今の給与水準の低い若い世代やニートやフリーターと呼ばれる人たちが、これから年を重ねていったときに待っている生活はどのようになるのだろうか。

そのころには、これまで日本が経験したことのない格差社会になっているかもしれない。人が集まる都市部には、格差社会の象徴であるスラム街ができていることだろう。その中で、“福祉”の持つ意味も大きく変わっているに違いない。

市民後見人とは?

2005-12-23 15:17:08 | ノーマリゼーション
『市民後見人』という言葉が、少しずつ聞かれるようになってきた。東京都でも来年3月をめどに50人を養成するとしている。(asahi.com)
また、高齢者NGO連携協議会が主催で、同じ時期に全国規模で市民後見人を養成する講座が始まるという。
判断能力がなく、自ら法律的な契約行為がでない人をサポートする成年後見制度において、今後市民後見人はどのような位置づけになっていくのだろうか。

(1) 市民後見人を必要とする背景
平成12年4月、介護保険制度の開始に伴い、介護サービスの利用が措置から契約へと移行した。認知症高齢者が介護保険制度を利用しようとする場合、契約時には後見人を立てなければならず、そのため成年後見制度と介護保険制度は補完関係として同時に施行されている。
丸5年を経過した現在、介護保険制度の利用者は400万人に迫ろうとしているが、それに比較して成年後見制度の利用は約7万人と低迷している。
現在の認知症高齢者数は約170万人で、この全ての人々は成年後見制度を利用する可能性を十分に持っている。この人数と約40万人の知的障害者を合わせると、この制度の利用者数は210万人になる。さらに10年後には、認知症高齢者数は270万人になるともいわれている。これらを考えると、成年後見制度の利用者数は驚くほどの数字になることが予想される。
一方、この制度を利用しようと思った場合、相談相手は弁護士、司法書士、社会福祉士等の内、この制度を勉強した人ということになるが、受け入れ体制が最もしっかりしているリーガルサポート(司法書士)でもその体制は3,500人である。一人がサポートできる人数は、多くて20人と言われている。ぱあとなあ(社会福祉士)では、1,345人が登録をしているが、自分の仕事と兼務している状態もあり、一人がサポートできる人数は多くないと思われる。それらを合わせても、何百万人といった利用予定者をサポートすることはできない状態である。
平成18年4月から地域包括支援センターが立ち上がり、成年後見制度の窓口としても機能することになる。その際、相談を受けてもそれを受任する後見人がいない状況は避けなければならない。また、金銭的な理由から専門職の後見人に依頼することができないケースも多くなることが予想される。

(2) 市民後見人養成の目的
以上の観点から、成年後見制度についての知識を持った人を養成し、この制度の利用をサポートできる体制を整える必要がある。すなわち、急増する利用予定者を考えれば、この制度の利用をアドバイスしたり、場合によっては後見人を引き受けることができる「市民後見人」の養成が急務ということになる。また、5年経過した現時点での成年後見開始の申立件数の内訳は、後見と保佐が全体の94%であった。介護保険制度がスタートすることを鑑み新たに設けられた補助と任意後見は、わずか6%となっている。この数字からも、成年後見制度に関するマンパワーを多く養成する必要性があると思われる。
市民後見人養成を目的とした養成講座を実施することによって、市民後見人を多数輩出すれば、制度の広報、制度利用の促進が大いに推進されることが期待される。

(3) 市民後見人の定義
市民後見人とは、市民後見人養成講座を修了し、その後所定の後見実務コースを修了し、後見事務能力を備えたことを高齢社会NGO連携協議会が認めた者をいう。
また、市民後見人は、高齢社会NGO連携協議会が認める成年後見制度の利用推進を目的とした団体に所属し、常に研鑚を積み後見活動を行わなければならない。
市民後見人は、今後の需要を鑑みこれから創設される新たな枠組みであるため、現状において法的な位置付けはされていない。

(4) 市民後見人の位置付け
市民後見人は、弁護士や司法書士のように成年後見制度に職業として関わるのではなく、ボランティアで後見活動に関わる人たちであり、親族後見人と専門職後見人(弁護士、司法書士、社会福祉士等)の間の存在として位置付けられる。
しかし、市民後見人が持つ知識や経験は、専門職と比較すれば明らかに低いため、専門職との緊密な連携、専門職からの手厚いバックアップが必要となる。また、活動内容としては専門性、倫理性を問われる財産管理よりも、身上監護を主体として活動することが考えられており、法律が関わることなどは専門職のサポートを受けることになる。そういった状況を創り出すために、両者が関わる協議会の創設と、各地域に市民後見人が所属する団体の創設が必要と考えられている。市民後見人はその団体に属して後見活動をすることによって、責任体制を明確にしていくことになる。

以上が市民後見人とは何かを、分かりやすくまとめたものである。まとめるにあたって、高齢者NGO連携協議会の資料を参照させていただいた。

なぜ、市民後見人という、まだ認知もされていない仕組みを積極的に作ろうとしているかというと、外国(特にドイツ)ではそれが常識になっているからだ。国民全体における成年後見制度利用者は、スウェーデンでは1.6人。ドイツでは1.3人。日本はというと、なんと0.05人。
ドイツを参考にした介護保険。今度は成年後見の仕組みを参考にしていく必要がある。

タウンモビリティとは何か

2005-10-28 19:16:09 | ノーマリゼーション
『タウンモビリティ』という言葉を聞いたことがあるだろうか?
直訳すると「まち(=タウン)の移動(=モビリティ)」ということになるだろうか。そのままでは分かりにくいので、財団法人国土技術研究センターが開設しているタウンモビリティのホームページの言葉を借りると、
「タウンモビリティとは、電動スクーターや車イスなどを長距離の歩行が困難な人に貸し出して、町の中を自由に移動できるようにし、買い物や散策などを楽しんで頂くというものである」
ということになる。

本来は、イギリスで『ショップモビリティ(まちの中心部にある事務所に電動スクーターや車イスなどの移動用機器を備え、常時または一時的な移動の困難を持つ人に貸し出すシステム)』として取り組まれているもので、日本ではショップ(=商店街)という枠組みを、タウン(=まち)と広げて、取り組みが始まっている。
イギリスでは移動に困難を持つ人々は人口の約12%,けっして小さな数字ではない。これらの人々が買物だけでなく,銀行・郵便局・役所・図書館・美術館・飲食店などへ出かけ,自ら日常生活を営むことの社会的意義はきわめて大きい。くわえて,これらの人々は「社会経済の重要な構成員であり,有望なマーケットである」と欧州では広く認識されている。

日本においては、1996年頃より取り組まれた。さまざまな地域や店舗内での実験を経て、現在は、いくつもの地域において電動スクーターや車椅子を常設する事務所が開設されるに至っている。しかし、実際は認知度は低く、利用量も増えていないのようだ。先進国のイギリスとの比較において、違いが多く課題もみえてきている。

まずは、まちの形成の違いが大きい。イギリスにおいては、まちの中心部がコンパクトに形成されており商業施設や文化施設など便利がよい。また、その中心部から自家用車を締め出すという目的があって始まっている。しかし、日本においては、まちの中心部がどこなのか明確でないことが多い。また、以前は中心部であった商店街は、郊外に大型店の出店によりシャッター通りとなってしまっている。今や元気な商店街を数えるほうが容易い状況である。

次に、自宅から中心街までの交通の整備の問題がある。イギリスでは、交通のバリアフリー化も進んでおり、身体が不自由でも自宅から中心街へのアクセスが比較的容易であるのに対し、日本ではその部分の整備が不十分である。まちに行く手段がなければ、タウンモビリティを利用することもできない、というわけである。

最後に、ボランティアの整備があげられる。身体が不自由な人がタウンモビリティを利用するのだから、当然そこには人の手助けが必要な場合もある。イギリスにおいては、ボランティアやチャリティーが社会システムの中に組み込まれており、用意に助けを得ることができ、また助けを受けるほうにも抵抗感は少ないという。非本においては、最近になってようやくボランティアの考え方が浸透してきてはいるものの、まだまだ社会システムとしては動いていない。また、助けを受ける方にも抵抗感が残っている現状がある。

これらの理由から、日本においてはまだまだ浸透はしていないのが現状である。そもそも国状が違うため単純に比較することは難しく、そのまま取り入れても無理が生じてくる。しかし、バリアフリーや環境にやさしいなど考え方はわかりやすく、将来的には必要なシステムである。
また、浸透していない要因の一つには、広報の仕方があるだろう。せっかく良いシステムでも、知らなければ利用はできない。まずは、このタウンモビリティというシステムが広く知られるようにさまざまなPR活動が必要である。日本では、まだまだ生まれたばかりのシステムを、ぜひ大きくさせていきたいものである。