What’s ノーマリゼーション?

福祉について考えるUMEMOTOのブログ

認知症治療に朗報か?!

2007-03-26 21:03:51 | 認知症
少し前まで、認知症とは治らない病気だと言われていた。アリセプト(塩酸ドネペジル)を服用しても、認知症(特にアルツハイマー病や脳血管性認知症)の進行を遅らせることはできても、治らないと言われている。

認知症は告知などの問題も含めて、癌と比較されることがある。両者とも進行が遅く(個人差がある)、介護する側に大きな負担を強いることになる。癌は進行とともに強い苦痛を伴うが、比較的最期まで意識は保たれている。しかし、認知症は進行とともに人格に変化をもたらしたり、最期には最愛の人までも認識できなくなる点では、癌よりも苦しい病気なのかもしれない。

しかし、その認知症治療に大きな光明が見え始めている。ワクチン療法である。
ワクチン療法には大きく分けて能動免疫療法、受動免疫療法、粘膜免疫療法とがある。
能動免疫療法はインフルエンザ予防接種と同じで筋肉注射をすると、体内で抗体が作られるというもの。2001~2002年にはヨーロッパで300人のアルツハイマー病患者に臨床試験を行ったが、うち6%にあたる18人に副作用として髄膜脳炎が発症したため、試験が中止になったのは有名な話である。
成果としては、ワクチンを投与されたうち3割程度に抗体が作られ、その人たちは認知症の進行が止まっているというデータが発表されている。

現在、開発が急ピッチで進められ、最も早く世に出てくると言われているのが、体内に直接抗体を投与する受動免疫療法である。マウスを使った実験では、投与後老人斑がきれいに消えて無くなっているのが確認されている。しかし、血管から体内に出血しやすくなるなどの副作用も報告されている。
また、1ヶ月に1回程度はワクチン投与を続ける必要があり、医療費にも影響してきそうだ。

現在、研究段階であるが、ウイルスベクター(治療用遺伝子)を体内に投与する粘膜免疫療法の臨床試験がアメリカで始まろうとしている。マウスや猿を使った実験では、脳炎などの副作用もなく、全例で抗体ができているという報告がある。また、老人斑もきれいになくなり、投与も1年に1回程度でよいとされている。

ワクチン療法が認証されると、治療すれば認知症の発症を止めることができるようになる。そうなると、いかに認知症を早期発見するかが鍵になってくる。乱暴な話をすれば、60歳になったらすべての人が認知症の検査を受けるようにすれば、確実に認知症の発症を抑えることが可能になるのである。
当然、認知症による介護や継続的な治療がなくなり、介護や医療にかかる費用が抑えられることになる。

しかし、ワクチン療法を待つことができない人たちが大勢いるのも事実である。ある専門家は「認知症は治らないという前提を捨てることが大切だ」と言っている。「どんな脳でも学習することができる。そのためには意志の力が必要だ」と。
脳の研究が進み、脳の細胞はある年齢以降壊れていくのみではなく、記憶を呼び起こす働きをする海馬(かいば)だけは神経細胞が新生されることが分かっている。適度な運動時には神経細胞を作るホルモンが発生するという。つまり、心地よく脳を働かせれば脳の機能が保たれるという。

また、食事や睡眠、運動などの分野でも認知症にならないための研究が進められている。すべてのことを実施するのは難しいかもしれないが、努力によって認知症になるのを防ぐことが可能になっているのである。

平成19年度の認知症対策等総合支援事業

2007-01-22 19:16:54 | 認知症
現在の全国で認知症高齢者は170万人いると言われている。20年後には倍の数になるという統計まである。
また、認知症とはいえなくても、その予備軍である軽度認知障害(MCI)の人は認知症と診断を受けている人の3倍(現在は400万人以上)はいると言われている。

65歳以上の10人に1人、85歳以上の4人に1人は認知症であり、認知症対策は目下の課題である。そこで、厚労省では認知症対策として『認知症対策等総合支援事業』を計画し、予算化している。
平成18年度の予算額が15億5千万円だったのに対し、平成19年度の予算案では20億8百万円と増額している。それだけ、国も認知症対策に力を入れているという表れであろう。

その中身は、これまでの医療体制の充実、認知症ケアの質の向上等を柱とした事業を継続して推進していくとともに、新たに「権利擁護に関する取り組みの充実」「地域における総合的な支援体制の構築・充実」を推進していく内容になっており、6つの事業に分かれている。
以下、6つの事業を簡単に紹介したい。

1.認知症介護実践者等養成事業
 認知症介護の質の向上を図るため、認知症介護指導者の養成や介護従事者等に対する研修を行う事業。認知症介護研究・研修センターで行われている指導者研修や、県単位で行われている実践者・実践リーダー研修等。
 実施主体:都道府県・指定都市
 負担割合:国1/2 都道府県・指定都市1/2

2.認知症地域医療支援事業
 地域における認知症発見・対応システムを充実するため、認知症の主治医(かかりつけ医)に助言等を行うサポート医を養成するとともに、主治医に対し、認知症の診断や相談等の対応の向上を図るための研修を行う。
 かかりつけ医に対して、適切な認知症診断の知識・技術や家族からの話・悩みを聞く姿勢を身に付けてもらい、認知症の早期発見・支援の体制をつくる。
 実施主体:都道府県・指定都市
 負担割合:国1/2 都道府県・指定都市1/2

3.認知症地域支援体制構築等推進事業(平成19年度新事業)
 各都道府県のモデル地域を選定し、認知症への対応を行うマンパワーや拠点などの「資源」をネットワーク化し相互に連携することができる体制をつくる。具体的には、地域包括支援センターと連携して地域資源マップの作成したり、認知症の専門的な相談に対して助言をすることができる体制、徘徊高齢者のSOSネットワーク等、専門知識のあるコーディネーターが中心となり構築していく。そのモデル地域の取り組みを分析・評価し、情報提供していく。
 実施主体:都道府県
 負担割合:国10/10 ※2年間限りのモデル事業

4.高齢者権利擁護等推進事業(旧:身体拘束廃止推進事業)
 介護施設・サービス事業従事者に対する権利擁護意識の向上を図るための研修を行うとともに、各都道府県内における、高齢者虐待を中心とした権利擁護に関連する専門的相談・支援体制を構築する事業。
 実施主体:都道府県
 負担割合:国1/2 都道府県1/2

5.認知症理解・早期サービス普及等促進事業
 認知症の理解を促進するための普及啓発や、認知症予防・早期対応等の先駆的な活動事例の収集・紹介。認知症の本人や家族が、認知症の本人や家族が地域の経験者等と交流を持つことができる相談窓口の設置や、家族向けの研修会・交流会の開催。
 実施主体:都道府県・指定都市
 負担割合:国1/2 都道府県・指定都市1/2

6.認知症介護研究・研修センター運営事業費
 認知症介護の質の向上を図るための研究や研修を行う「認知症介護研究・研修センター」(全国で3ヶ所(東京・仙台・愛知県大府市))の運営費。
 実施主体:各3ヶ所の法人
 負担割合:定額(10/10)

以上が、来年度の事業内容である。1の認知症介護実践者等養成事業以外は予算が増えている。
実施主体を見ても分かる通り、ほとんどが都道府県が行うため、まずは都道府県が手を挙げ取り組む意志を示す必要がある。そうして初めて市町村が取り組むことができる。つまり、いくら市町村にやる気があっても都道府県にやる気がなければどうしようもないのである。

近年、認知症の当事者が声を上げ始めたことで、認知症に対する関心が高まっている。これを気に、少しずつでも認知症の人が地域で暮らし続けることができるような支援体制が構築されることを願うばかりである。

認知症の告知について考える

2006-11-15 22:16:06 | 認知症
若年性認知症という言葉を聞いたことがあるだろう。65歳未満で発症した認知症を若年性認知症と呼んでいる。全国で約4万人の患者がいるとも言われている。

若年性認知症が知られるようになってきた一つには、映画『私の頭の中の消しゴム』や、『明日の記憶』の影響があるだろう。20歳代から認知症になる例も報告されているし、『明日の記憶』で渡辺謙、樋口可南子が役づくりのために参考にしたのも実際の若年性認知症の夫婦の姿だという。
もう一つの要因は、若年性認知症になった本人が、自分の言葉で話すことを始めたことにある。
徐々に失われていく記憶や、愛する人への想い、仕事を辞めざるを得なくなったことでの厳しい経済的負担。本人たちの言葉には、専門家が想像で考えていた言葉よりも遥かに重みがあり、認知症の人や支える家族、介護職などに大きな影響を与えている。

当事者がそのような活動をすることができる背景には、『告知』の問題がある。本人に告知をするということは、早い段階での発見が欠かすことができない。その後、まだ何年もある生活をどのように送るのか。医師や家族、その他多くの関係者がどのように支えていくのか。
告知には、その人や周りの人のその後の人生を大きく変える力がある。

告知というと真っ先に思い浮かべるのは『癌』である。癌患者に対する告知もさまざまな問題を多く孕んでいるが、全体的には告知をするという方向に向いてるのではないだろうか。
一つには、癌は治る可能性もあるということ。もう一つの理由は、医療界におけるインフォームドコンセントの普及である。事前に事実を適切に伝えなかったことに対する、医療裁判の増加の影響もあるのかもしれない。

そう考えると、認知症においても告知をしていくながれになるのかもしれない。しかし、癌と認知症の大きな違いは、認知症は今はまだ治らない病気だということ。数年後にワクチン(根本治療薬)が開発されるかもしれないが、現状では告知をすることで大きな絶望を与えかねない。
また、癌は最期まで自分らしさを保つことができるが、認知症は自分を失っていく恐怖と向き合わなければならない。本人の絶望は計り知れない。
当然、誰でも告知をすればよいというものでもないだろう。本人を支える家族の存在や環境、もちろん本人の気持ちというものもある。

長崎県諫早市に住む若年性認知症の当事者である太田正博さん(56歳)は、初診から告知まで2年半かかった主治医に対して次のように語っている。
「先生も悩んでいるのが見えていました。また、うすうす自分が認知症ではないかと感じていたこともあったものですから。告知は、もう少し早くてもよかった。」

若年性認知症の人は、自分で病状から認知症であることを調べる能力を持っていることも多い。不正確な情報や他人からの情報で、自分が認知症であることを知るよりは、主治医から適切に伝えてもらったほうがよいのかもしれない。
そして何より、太田さんの言葉にもあるように、一緒に悩んでくれる医師の存在が重要なのは言うまでもない。

いつだって心は生きている ~認知症の絵本~

2006-11-01 18:41:57 | 認知症
『いつだって心は生きている』

このタイトルに、伝えたいことはすべて凝縮されている。
認知症について書かれた本はたくさんあるが、子どもたちに向けられた本はほとんどない。それだけ、認知症という病気が身近ではないということだろう。
それゆえに、地域の中での認知症に対する偏見はなかなか消えることはない。隣近所でおかしな言動をする高齢者がいれば、危ないからすぐに施設に入れたほうがよい、という意見を聞くことがある。
また、認知症の家族が恥ずかしいからと家に閉じ込め、介護サービスも使わずに自分たちだけで介護をしようとする家族も多い。認知症が病気ということすら知らない人も多い。

いつだって一番苦しいのは認知症になった本人なのに、その本人の気持ちなどは無視して、家族の辛さが前面にきてしまう病気。知識がないために、本人も家族も辛いという状況を作ってしまっている。

この絵本を作成した大牟田市の認知症ケア研究会は、絵本を使って、市内の小中学校で絵本教室を定期的に開催している。事前に子どもたちに絵本を読んでもらい、どのように感じたのか感想を書いてもらう。

子どもたちは物語の中から、おばあさんの「いいとこ探し」をすることが大切ということや、徘徊はおじいさんいとっては「冒険」なのではないかという本人視点の大切さを学んでいく。
絵本教室の当日は、絵本の朗読から始まり、認知症は病気だということを子どもたちが興味を引くやり方で話をしていく。その後、少人数のグループに分かれて「認知症とはどのような病気か」「自分たちには何ができるのか」を話し合い、最後に発表をする。

なぜ子どもたちと認知症の勉強をするのか。
それは、認知症は家族だけで支えられるものではないからだ。最終的には、地域の見守りの目や支える手が必要になってくる。その時に、子どもたちは大きな力になるのである。
子どもは純粋なので、しっかりとした知識があれば、先入観なしに接することができる。また、子どもが変われば、親も変わっていく。子どもを中心に、その輪が少しずつでも広がっていけば…というねらいがある。

そして何より、認知症の人を支えるということを真剣に考えると、認知症だけにとどまらず、人(相手)を理解しようとすることにつながっていく。隣に座っている友だちも『いつだって心は生きている』んだということに気付いていく。
認知症の絵本は、「思いやりの心」を教えてくれるのである。

最近の認知症についての話題

2006-08-21 22:41:02 | 認知症
認知症の人が運転する車の4割が事故に合っていることが、高知大医学部の研究でわかった。
認知症で運転免許証を持つ83人のうち、41%にあたる34人が58件の事故を起こしていた。うち人身事故は14件。42人は運転免許の更新手続きを行い、全員が成功していることもわかった。
道路交通法の改正で、運転に支障がある認知症の人は公安委員会が免許を取り消すことができるようになったが、現在は自己申告制を元に判断しているため、処分は年間数十件にとどまっている。
認知症になると、赤信号とわかっていても「赤=止まる」という判断ができなくなってしまうことがある。時折、高速道路で逆走した車を運転しているのも認知症の人が多いという。

               *    *    *

長崎市にある病院で医師が認知症の患者から無断で採血をしたとして、家族から抗議を受けていたことがわかった。患者が認知症のため、意思表示ができない状態だった。
医師は大腿骨の骨折手術を受けた患者の回復状態を調査し、学会で発表する予定で、無断で採血をされた人も大腿骨の骨折手術を受けていた。
医師は「家族と連絡が取れなかった」と釈明している。

               *    *    *

認知症の進行を抑えることを目的に、簡単な計算や音読を中心にした『学習療法』に取り組む高齢者施設が全国で300施設になるという。
個々の能力に応じて、誰でも100点満点が取れるような問題を用意し、スタッフは目の前ですぐに採点し、「よくできましたね」などとほめる。それを1日10分~20分をできるだけ毎日取り組む。
効果として、認知機能に改善傾向がみられたり、笑顔や会話が増えているという。しかし、スタッフとの交流が効果として現れているのではないかと、学習療法の効果を疑問視する声もあがっている。

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これらの話題は認知症というキーワードのもと、ここ1ヶ月程度で話題になったことである。どれだけ認知症という病気が理解されておらず、まだまだ研究が未発達な分野であるかが分かる。
それは兎にも角にも、「脳」自体の研究が発展途上の段階であることも影響している。脳の機能はまだまだ分かっていないことも多く、その上に立っている認知症ケアはまだまだ不安定な部分が多いとも言える。
しかし、脳が萎縮していようが、損傷を受けていようが、人間であることには変わりない。一人の価値ある人間として、医師や警察、研究者、そして看護師や介護士などの認知症に関わる人が向き合っているか。それだけのことでもある。

一人の変わらない人間として関わっている人がどれだけいるのだろうか。最近のニュースで虐待が取り上げられることが多いのも気になる。
とどのつまり、私たちは『人間』というものを理解していないだけなのかもしれない。

いかに地域に馴染むのか? ~運営推進会議~

2006-07-27 22:49:36 | 認知症
4月の介護保険改正により、グループホームは2ヶ月に1回以上『運営推進会議』を開催することが義務付けられた。

運営推進会議とは何か。
さまざまな課題が指摘されてきたグループホームにおいて、それらの課題を解決する糸口になるのではないかと期待されている反面、実際には、未だに開催されている施設のほうが少ない状況である。
現場においては、何をしてよいのかという戸惑いも大きいのかもしれない。今一度、なぜ運営推進会議が義務付けられたのかをよく考えてみたい。

運営推進会議の構成メンバーとしては、
・利用者
・利用者の家族
・行政職員または地域包括支援センターの職員(事業所が所在する場所の)
・地域住民の代表者 等
となっている。

運営推進会議においては、
・通いサービスおよび宿泊サービスの提供回数などの活動状況報告
・活動に対して評価を受ける
・要望、助言を聞く機会を設ける
ことなどをすることとされている。会議の内容は、記録を作成し、公表することとされている。

このように書くと、運営推進会議がオンブズマンなどの評価機関だけのように思われてしまうが、実際にはそれは一面でしかない。
本来は、グループホームは地域住民の一員として、地域のさまざまな活動に参加し、その地域で生活をしていかなければならない存在である。そうしなければ、入居している人が地域で生活することはありえない。
グループホームが地域の中に馴染むことによって、その機能を地域住民に還元し、さらには認知症という病気やその対応方法などを体験として知ってもらうことができるだろう。
そして、地震や火災などの災害時に自治組織の一員として助け合うことなどが期待できる。

これらの効果は、これまでグループホームの課題として挙げられていたものである。地域に対して閉鎖的、質が確保されていない、地域の人が使えない・・・。そのような課題があったグループホームが、無理にでも地域へ扉を開かざるを得ないような仕掛けがこの『運営推進会議』なのである。
地域住民に知ってもらうことにより、応援してもらえるようになれば、施設側も心強いだろう。もちろん、劣悪な施設においては、監視的な役割が大きくなる。そのための義務付け、会議録の公表である。

2ヶ月に1回というのは思っているより早く来るものである。最初の1・2回はよいとしても、毎回報告だけをするわけにもいかない。
例えば・・・
・メンバーに対しての認知症講座
・お茶やお菓子をつまみながらの交流会
・実際の行事への参加
・グループホームの食事を紹介しがてら、入居者と一緒に食事をとる
・避難訓練を一緒に行う 等
いろんなことを行ってよいのではないだろうか。
堅苦しく考えず、とにかく「洗いざらい、一緒に」がキーワードのようだ。

アルツハイマーのワクチン開発なるか?!

2006-06-22 19:19:02 | 認知症
1999年にアリセプト(塩酸ドネペジル)が発売されて以来、その他のアルツハイマー型認知症の治療薬はまだない。日本においてはだが。

他の国では、塩酸ドネペジル以外の薬も併用され、その結果一定の改善効果を示しているものもあるが、日本ではまだ発売されていない。

アルツハイマー型認知症の記憶・知能障害は、脳内の神経細胞末端ら出るアセチルコリンが不足し、ベータアミロイドと呼ばれるタンパク質が蓄積(老人班)して起こるといわれている。アリセプトの効果は、アセチルコリンが酵素によって分解されるのを妨害して、結果的にアセチルコリンの作用を強めることにある。
ベータアミロイドは若い頃からでも徐々に蓄積され、一定以上蓄積されてその症状が現れる。アリセプトを使用しても、アセチルコリンの働きを一時的に強めることはできるが、ベータアミロイドの蓄積を抑えるものではないため、いずれ効き目が薄れてくる結果となる。

ベータアミロイドそのものを減らすことが根本治療には欠かせず、そのワクチンの研究に力が入れられていた。しかし、これまでは臨床試験で一部の患者に髄膜脳炎の副作用が出て治験が中止されていた。
ワクチン治療薬ができるのは時間の問題と言われていたが、このほど東京都神経科学総合研究所とスイスの国際チームが開発に成功したという。

現在はまだ動物実験の段階だが、アルツハイマー病のマウスに投与してベータアミロイドの蓄積を調べたところ、投与しなかったマウスに比べて1/3~半分程度に減っていたという。
長期間投与しても、免疫に関する細胞の過剰な活性化や副作用はみられていない。

このワクチンが完成・発売されれば、アルツハイマー病は不治の病ではなく、治る病気となる。
本人や家族、また認知症ケアの関係者にとっても大きな転換点となるだろう。
本人や家族にしてみれば、大きな不安が取り除かれ、これからの生活に光が差し込むことになる。
認知症ケアの関係者にとってみれば、これまでの対応だけでは不十分で、治療につなげる役割もより重要になるだろう。早く発見すればそれだけ治療も早く行えることを考えると、『早期発見』のもつ意味合いも大きくなってくる。

今後、アルツハイマー型認知症のケアは必要なくなるかもしれない。しかし、そうなると今度は前頭側頭型認知症やレビー小体型認知症などのその他の認知症に対するケアの専門性が求められてくるだろう。
その頃には、それらの認知症に対する根本治療薬もできているかもしれないが。

認知症コーディネーター

2006-05-29 21:17:21 | 認知症
デンマークには、認知症コーディネーターと呼ばれる職業がある。

これは、認知症になってもできるだけ住み慣れた町で、安心して暮らし続けることができるようにするためのサポート体制の一役を担う職種である。

デンマークの福祉事情については、以前もエントリーしたので参照していただきたいが、認知症に限らず誰もが安心して暮らすことができるノーマリゼーションの国である。
デンマークの介護現場に従事する職員は、すべて専門教育を受けた専門職であり、その中から一定の経験年数を経た人が認知症コーディネーターの研修を受講する資格を得ることができる。

認知症コーディネーターを日本にある職業の中から分かりやすく言うと、ケアマネジャーとソーシャルワーカーと認知症ケアのスーパーバイザーをすべて混ぜ合わせたような知識と専門性を有した職種である。
経験ある専門職が100時間以上の講義を経て、認知症コーディネーターとなるのである。

認知症コーディネーターは、地域高齢者精神医療班という組織に属することになる。そこには他に、専門医、看護師がおり、認知症になった高齢者を地域で支えるべく、介護施設や介護職のサポートを行っていく。
また、介護職のサポートだけではなく、本人やその家族にまできめ細かいサポートを忘れない。

例えば、地域高齢者精神医療班に属する医師の役割として、相談があってから、①3日以内に訪問をし、②ホームドクター(かかりつけ医)へ投薬などの助言を行う。③身体状況(認知症と同様の症状を示すもの)の確認を行い、④認知症の診断を行うことになっている。
日本では、まだまだ専門医の診断を受けるためには、患者が病院に行かなければならないことが多く、医師のあり方ひとつとってみても大きな違いがある。

日本にも認知症介護指導者研修という認知症介護研究・研修センターで実施している研修制度はあるものの、その受講者が現場実践、特に地域において活躍をしているという現状はまだない。まだ、さまざまな研修の場での講師という役割のみである。
それだけ、日本の認知症ケアの専門性がまだ低いということが言えるのかもしれないが、ただの知識の伝達だけではもったない。
一人でも多くの認知症の人が、安心して暮らしていけるように、専門職が地域で活躍できる仕組みづくり急がれる。

広まれ!認知症の取り組み

2006-05-22 22:02:03 | 認知症
「たとえ認知症になっても、住み慣れた地域で安心して暮らしたい」

全国各地で取り組まれている認知症への取り組みは、この一言につきるのではないだろうか。
一昨年から始まった認知症になっても安心して暮らせる町づくり100人会議では、各地の取り組みを公募し、表彰を行っている。

あるグループホームを中心とした小さな地域での取り組みから、市・町単位の広域にわたる取り組みまでさまざまな取り組みが表彰されている。
どの取り組みも一本の揺るぎのない芯が通っている。決して賞を受けることが目的になってはならないが、このように世間に広く伝えることができる手段としては、表彰というのはよい考えである。

スウェーデンでは認知症ケアの先駆者・推進者を表彰するクロッカルゴーデン賞クロッカルゴーデン賞があり、日本でも同様に表彰式が毎年行われている。
また、各新聞社においても福祉に貢献した人の表彰が行われているのは、紙面上で目にしたことがあるかもしれない。

一見、福祉は表彰とは縁がないように思われるが(実際に表彰されたくて福祉の仕事をしている人はほとんどいないかもしれない)、時には大きくアピールすることも必要である。マスコミは表彰式などの絵になるものが好きだし、それを利用しない手はないだろう。
黙っていればなかなか広まらないことでも、大きな声を上げると、水面に波紋が広がるように、その取り組みが普及することがある。
最近で急速に広まった、ユニットケアやグループホームなどの小規模ケアや、宅老所などの小規模多機能と呼ばれる施設が代表的だ。

大きな声を上げた人に対して、時に世間は冷たい視線を投げかけることもあるが、先駆者が道を切り開いたことの意味は大きなものがある。
私たちは、その切り開いた道を踏み固めて歩きやすくすることもできるし、道を広げ後から多くの人たちが通ることが出来るようにすることもできる。道端に花を植えることもできる。違う道を見つけることもできるかもしれない。

ただ、何もせずに道に唾を吐くのはやめよう。その道は私たちの通る道でもある。

当事者の声からみえてくるもの ~若年認知症~

2006-02-15 21:32:12 | 認知症
ここ数年、認知症当事者が自ら声を上げ始めている。これまで障害当事者やハンセン病の回復者、エイズ罹患者などさまざまな当事者と呼ばれる人たちが自らの姿、声を使って現状を訴えてきた。そして今、認知症になった人自らが声がどんな変化をもたらすのであろうか。

2003年、オーストラリアの元官僚だったクリスティーン・ボーデンさんが自らアルツハイマー病で辛い体験をしていることを赤裸々に語ったことは、世界に衝撃を与えた。翌年、京都でおこなわれた国際アルツハイマー協会の会議のため来日したのも記憶に新しい。
また時を同じくして、福岡県在住の越智俊二さんが認知症であること、そして記憶が失われていくことの辛さを語り、多くの人の涙を誘っている。テレビにも取り上げられ、何度か放送もされている。
その他にも広島や長崎でも認知症当事者が自らの声で、世間に訴えかけている。

これら当事者の共通点は、皆若年期に認知症を発症しているということ。40代、50代の働き盛りの時に発症し、仕事を辞めざるを得なくなっている。
彼らの話を聞くと、認知症の人たちがさまざまなことを悩み、考え、苦しんでいることがわかる。決してすべてのことを忘れてしまうのではなく、新しいことでも記憶に刻まれたものは覚えていたりする。これまで認知症の高齢者を介護してきた者にとっても、新たな気づきを与えてくれる。

しかし、当事者が話すことの一番の意味は、世間一般の人に広く病気の理解を広めることにあるだろう。これまでも多くの認知症高齢者が、家族から隠される存在であった。そのため、発見が遅れたり、満足な生活が送れずに苦しんでいる高齢者もいたし、現在もまだ多いだろう。
若年認知症ならではの悩みもある。それは、仕事を辞めざるを得ず、収入が途絶えてしまうことだ。特に男性で一家の大黒柱であった人が認知症になると、その家計は一気に火の車になってしまう。現在では、それを支えるのは7万円/月程度の障害年金のみ。しかし、そのお金も本人の介護費用などで消えてしまう。
また、介護者の問題もある。高齢者以上に同性介助が望まれるし、そもそも若年認知症の専門知識が広まっていない。
当事者の姿からは、さまざまなSOSが発信されているのである。

認知症は病気である。だから、認知症であることは残念なことではあるけれど、恥ずかしいことではない。そして、不幸なことであってはならない。早期に発見されれば、薬で進行を遅らせることができるし、しっかりと診断できれば治る認知症もある。正しい理解のもと、皆で支えあっていく社会にしていくことが必要だ。