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福祉について考えるUMEMOTOのブログ

いかに地域に馴染むのか? ~運営推進会議~

2006-07-27 22:49:36 | 認知症
4月の介護保険改正により、グループホームは2ヶ月に1回以上『運営推進会議』を開催することが義務付けられた。

運営推進会議とは何か。
さまざまな課題が指摘されてきたグループホームにおいて、それらの課題を解決する糸口になるのではないかと期待されている反面、実際には、未だに開催されている施設のほうが少ない状況である。
現場においては、何をしてよいのかという戸惑いも大きいのかもしれない。今一度、なぜ運営推進会議が義務付けられたのかをよく考えてみたい。

運営推進会議の構成メンバーとしては、
・利用者
・利用者の家族
・行政職員または地域包括支援センターの職員(事業所が所在する場所の)
・地域住民の代表者 等
となっている。

運営推進会議においては、
・通いサービスおよび宿泊サービスの提供回数などの活動状況報告
・活動に対して評価を受ける
・要望、助言を聞く機会を設ける
ことなどをすることとされている。会議の内容は、記録を作成し、公表することとされている。

このように書くと、運営推進会議がオンブズマンなどの評価機関だけのように思われてしまうが、実際にはそれは一面でしかない。
本来は、グループホームは地域住民の一員として、地域のさまざまな活動に参加し、その地域で生活をしていかなければならない存在である。そうしなければ、入居している人が地域で生活することはありえない。
グループホームが地域の中に馴染むことによって、その機能を地域住民に還元し、さらには認知症という病気やその対応方法などを体験として知ってもらうことができるだろう。
そして、地震や火災などの災害時に自治組織の一員として助け合うことなどが期待できる。

これらの効果は、これまでグループホームの課題として挙げられていたものである。地域に対して閉鎖的、質が確保されていない、地域の人が使えない・・・。そのような課題があったグループホームが、無理にでも地域へ扉を開かざるを得ないような仕掛けがこの『運営推進会議』なのである。
地域住民に知ってもらうことにより、応援してもらえるようになれば、施設側も心強いだろう。もちろん、劣悪な施設においては、監視的な役割が大きくなる。そのための義務付け、会議録の公表である。

2ヶ月に1回というのは思っているより早く来るものである。最初の1・2回はよいとしても、毎回報告だけをするわけにもいかない。
例えば・・・
・メンバーに対しての認知症講座
・お茶やお菓子をつまみながらの交流会
・実際の行事への参加
・グループホームの食事を紹介しがてら、入居者と一緒に食事をとる
・避難訓練を一緒に行う 等
いろんなことを行ってよいのではないだろうか。
堅苦しく考えず、とにかく「洗いざらい、一緒に」がキーワードのようだ。

シリーズ 医療制度改革③ 「決断を迫られる療養病床」

2006-07-23 18:28:28 | シリーズ 医療制度改革
今回の医療制度改革の大きな目玉の一つに、療養病床の再編がある。少し前からメディアでも報道されていたので、ご存知の方も多いだろう。

現在、全国に約38万床ある療養病床のうち、医療保険の適用となっているのが25万床。介護保険の適用となっているのが13万床となっている。
それを医療保険のものを15万床に減らし、本当に医療が必要な人が利用することにし、残りの23万床を老人保健施設やケアハウス、有料老人ホーム、在宅療養支援拠点などにしようという計画になっている。期限は平成24年3月である。
今回の制度改革が、医療費の抑制を第一目的にしていることは前項でも記載したが、医療保険の療養病床を減らし、さらに、介護保険の療養病床もより安価な施設への転換を図る意味では一石二鳥的な考えである。

厚労省の示したデータによると、現在療養病床の平均在院日数は172.6日。全国平均の在院日数36.3日のおよそ4倍となっている。
また、入院患者のうち医療の必要がない患者は全体の5割に及び、医師が直接治療をするのが週1回程度の人を含めると8割になる。
これらの数字をみると、療養病床の必要性は限られてくるのがわかる。

療養病床は、今決断の時期を迎えている。

これまで療養病床の多くは、施設に入ることができない高齢者の受け皿になってきた経緯がある。現在のように、特別養護老人ホーム、老人保健施設、ケアハウスなどが整備される前は、病院がその役割を担ってきたのは、まぎれもない事実である。
しかし、その中で充分なケアが提供されてきたのかを振り返る必要があるだろう。医療という名のもとに、高齢者を縛ったり、安易にバルーンを挿入したり、訴えが多い高齢者を“うるさい患者”と片付けたりはしていなかっただろうか。
患者のプライバシーを保護していただろうか、自分たちの言うことを聞かない患者は“問題”というレッテルを貼ってはいなかったか。医療の場という言い訳とともに。

すべての療養病床がそうではなかっただろうが、環境面ひとつとってみても、多くの療養病床がまだ無機質の病院であることは間違いない。
在院日数が半年程度であれば、そこで過ごす時間は治療だけではなく生活である。
これまで患者のケアや生活、アメニティなどに注意を払わずに、ここにきて金銭の問題だけで療養病床の再編に反対と唱えるのは筋が通らない。

しかし、厚労省も言っているように、今後高齢者施設に転換していくにしても地域差を考慮に入れる必要は充分ある。
高齢者が今後も増加する都市圏はよいが、高齢者数の横ばいが予想される地方においては、療養病床の数も適切に判断する必要がある。また、団塊の世代が利用することも考慮に入れ、快適な空間を整備する視点も必要かもしれない。

ここにきて、国は再編に関する補助金を整備したり、中医協が有料老人ホームやケアハウスへの計画的な訪問診療を認めるなど金銭的にも再編を後押しするようになっている。
療養病床を再編する環境は整いつつある。あとは、経営者がいかに利用する人の立場を考えた転換ができるかに大きな期待がかかっている。

誰のための生活保護か?

2006-07-19 23:00:34 | ノーマリゼーション
生活保護に対する不満が増加している。

生活保護の申請を却下されたり、受給額を減らされたりした人が、処分取り消しを求める不服申し立ての件数が全国的に増えている。2003年には370件だったのが、2005年には835件と2.2倍になっている。【朝日新聞7/16朝刊】

福祉事務所や役所の保護課において、なるべく申請を受けつけないように、理由をつけて何度も追い返しあきらめさせる『水際作戦』をとっているところが少なくないようだ。
今年5月下旬には、北九州で生活保護を申請しようとした身体障害者の男性が、申請書を渡してもらえず、自宅で亡くなっているのが見つかっている。
同様の孤独死の事例が相次いでおり、厚生労働省も調査に乗り出す姿勢を見せている。

また、今年2月に京都で起こった介護殺人の加害者である息子も、認知症があり介護が必要な母を殺す前に、生活保護の申請を申し出たが、受けれないとして帰されている。
上記の事件を、すべて生活保護の担当者のせいにすることはできないが、何らかの要因があったことは確かなことである。
実際に、生活保護の窓口の対応は冷たい。冷たいだけでなく、そこには権力が隠れているように見える。

誰のための生活保護か?

弱者が生活保護を受けることができずに亡くなる一方で、不正に受給している人がいるのも事実だ。
実際は働けるのに、働けないふりをして、いつまでも生活保護をもらっている人もいる。

だからといって、一行政職員が人の死を早めてよいということにはならない。生活保護は、人が生活を送る上での最低限の権利として保障されるべきものである。
すべてを認める必要はない。本当に必要な人に必要なだけの保障をするべきである。そのためにも、生活保護のケースワーカーなり相談員は、専門的な福祉の視点を持つべきだろう。自分の生活が当たり前だという感覚は、相談者を必要以上に切り捨てる危険性がある。世の中には、どうしようもできない現実があることを知ってほしい。

生活保護のケースワーカーが、その他の支援を教えることなく相談者を帰してしまうことにも問題がある。生活保護に該当しないなら、その代替の支援サービスなり、その担当部署を教えることが必要だろう。
また、4月にできた地域包括支援センターには、間に入って調整をする役割が期待される。地域包括支援センターの多くは委託であるのは残念だが、設置主体が市町村であることを強みに、生活保護が必要なのか、その他の支援で大丈夫なのか、対象者を中心に判断し調整を図る機能・能力を発揮してほしい。

生活保護を受給できずに死んでいく人がいる一方で、国は財政再建の名のもと社会保障費を1.6兆円削減する案を出している。その中には、生活保護費の削減も見込まれているだろう。財源を都道府県に移譲し、そこから生活保護費を捻出するようにする動きもある。そうなると、生活保護の出し渋りにますます拍車がかかる可能性がある。
お金がないことで死んでいく国民がいるのが今の日本であることを国は自覚してほしい。自分たちで勝手に作った枠組みの中で、いくら歳出削減のパズルをしたところで到底私たちは納得することはできない。

シリーズ 医療制度改革② 「増える負担」

2006-07-17 17:50:25 | シリーズ 医療制度改革
今回の医療制度改革によって、最も大きな変化と痛みを伴うのが高齢者になるだろう。

これまで70歳以上の高齢者が病院などの窓口で支払う患者負担は、一般的な所得の人で1割。現役並みの所得がある人は2割負担となっている。

この昭和58年に導入された老人保健制度が平成20年度に廃止になり、新たに広域連合(県単位で組織された)が運営する75歳以上を対象とする『後期高齢者医療制度』が導入される。

平成20年度からすべてがガラリと変わるのではなく、今年の10月からまず70歳以上の現役並み所得者の窓口負担を2割から3割に引き上げる。
現役並みの所得とは、現在は夫婦世帯で年収621万円(単身者では484万円)となっており、現在は約120万人が対象になっている。
しかし税制改正により、平成18年8月からは夫婦世帯で年収520万円(単身者で383万円)に引き下げられる。
そのため、新たに現役並みの所得になる人は約90万人おり、10月からはこれまでの1割負担から3割負担への急に負担が増えることになる。

さらに、10月からは慢性病などで医療型療養病床に長期入院する70歳以上の患者の居住費・食費が原則全額自己負担になる。平成20年からは65歳以上に引き下げられる。
それにより、現在自己負担が6万4千円の患者が、9万4千円に跳ね上がるケースもある。
また、高額療養費の自己負担限度額が4千円程度引き上げられることになる。低所得者は据え置かれる。

平成20年4月からは、75歳以上の一般所得者(低所得者も含む)は、これまで通りの1割負担のままだが、75歳未満の負担は2割へと増加する。

これだけ自己負担額が増えれば、医療を受けることができなくなる人が出てくることを考えなければならない。
その時に、医療や福祉はどのように対応するのか、モラルも問われることになるだろう。医療費を払えないからといって、無条件に医療の提供を拒むのか。
行政は、その状況をどう捉え、低所得者に対して向き合っていくのか。

先日示されたデータとして、全国の医療機関における治療費の未払いが100億円を超えた。1病院あたりにしても4,200万円になり、1.5倍増になっている。
理由に挙げられるのは、低所得世帯の増加や医療費の自己負担の増加があるだろう。支払う側の意思が低下していることも挙げられる。つまり、医療の責任に寄りかかり、患者側のモラルも低下しているのである。

低所得者やモラルの低下した患者に対して、どのようなフォローをしていくのか。
医療関係者のみならず、行政にとっても大きな課題である。

シリーズ 医療制度改革① 「なぜ今なのか?」

2006-07-07 11:20:35 | シリーズ 医療制度改革
『高齢者に重荷次々』
『高齢者 重い自己負担』

6月14日に成立した医療制度改革関連法を紹介する新聞見出しには、上記の言葉が並んでいる。
今年に入って、さまざまな形で診療報酬の引き下げが行われており、医療の分野でも大きな混乱がみられている。
特に整形外科病院では、術後180日以上経過した後のリハビリについては、医師の指示がなければ診療報酬が出なくなってしまう。一時期、病院側の不満、患者の不安がメディアを賑わせていたのを記憶している方も多いだろう。

13万床ある老人病院(療養型病床群)を今後6年間で全廃し、25万床ある医療型の老人病院も10万床削減、という目標値も示され、今から高齢者の行き場所や財源についての議論がされている。

大きな注目を集めているメタボリックシンドロームに照準を当て、2008年4月からの40歳以上の健康診断を義務付けたのも今回の制度改革の一面である。
その他にも、薬剤師による「宅配」を可能にしたり、訪問診療の見直しも図られている。

今回の一連の医療制度改革は、すべての面で抜本的な見直しが図られているが、同時に多くの痛みを国民、特に日々の生活も苦しい弱者に向く形になっている。

なぜ今なのか?
厚生労働省は、医療給付費の増大を挙げている。すべてはお金がない、という話からきている。
75歳以上の高齢者に新しく保険制度を創設するのも、お金がないからだ。

厚労省は、制度改革がなければ、2025年には、医療給付費が現在の倍以上の56兆円まで膨れ上がるとしている。
今回の改革で、それが48兆円に抑えられるという計算だ。

しかし、なぜ今制度改革をするのかという違和感を拭い去ることはできない。それは、この改革が、医療の制度内だけでのものでしかないからだろう。
少子高齢化は誰もが分かりきっているはずなのに、その対策と連動するわけでもなく、三位一体の改革により歳出削減を義務付けられ、決められた範囲内だけでの数字合わせをしているだけではないか。
そのしわ寄せをくっているのは、社会的弱者である。

それでも、医療制度改革は着実に進み、私たちの生活に大きな影響を及ぼすものである。
これから、改革の中身をひとつずつ見ながら、今後のあり方も含めシリーズで探っていきたいと思う。