What’s ノーマリゼーション?

福祉について考えるUMEMOTOのブログ

特養・老健の機能見直しの先には…

2006-11-27 23:14:14 | 介護保険
特別養護老人ホーム(以下、特養)と老人保健施設(以下、老健)のあり方が見直され始めている。
厚労省は社会保障審議会に「介護施設の在り方委員会」を設置し、それぞれの機能のあり方を議論することにしている。介護保険で受けられる医療サービスの適用範囲や医師、看護師の配置基準見直しなどが重要課題となる。

特養と老健が見直される背景には、介護型療養病床の廃止・医療型療養病床の縮小がある。現在の約38万床が、2011年には15万床まで縮小されることになっている。残りは、ケアハウスや有料老人ホームに転換するような方向性は示されているが、その際の補助金などの金銭的な支援は明らかにされていない。
医療報酬、介護報酬の削減が本来の目的であることを考えると、金銭的な支援が今後期待できるかも分からない状態だ。

そのような中、これまで療養病床において比較的医療ニーズが高かった利用者が、特養や老健で対応ができるようにすることが今回のあり方検討のねらいである。
現在、常勤医師のいない特養においてはできる医療行為はほとんどない。常勤医師が一人の老健でも、療養病床で行っている超音波検査やエックス線診断などはできず、医療行為は限られている。
このため、特養、老健が受け皿となっていくためには、看護師を含めた医療スタッフの拡大が必要との指摘があるが、社会保障費の抑制圧力が続くなか、介護報酬を増加することは考えにくい。厚労省としては、外部の医療機関や往診、訪問看護といった「外部サービス」を導入したいというのが本音のようだ。

そもそも、特養や老健のあり方を見直す議論は、療養病床縮小の受け皿の一面だけしか捉えていない。
未だに多くの人が待機している両施設に、療養病床からの退院者が優先して入居できることは難しい。その人たちの行き先はどこになるのか。
在宅療養支援診療所は、受け皿の一つである自宅での生活を支える制度として、今年度から始まったが、実際に動き出しているところはまだ少ないというのが実感だ。24時間の訪問というのは、かなりハードルが高い。
前述したように、療養病床からケアハウス、有料老人ホームへ転換する際の金銭的な補助はまだ示されていない。そのような中で、移行していくのはかなり難しいだろう。

日本における施設は、外国と比較しても少なくないというデータがある。しかし、介護が必要となる前に住み替え用としての高齢者住宅は圧倒的に不足している。これは、日本人にあまり住み替えの意識がなかったこともあるし、まずは特養や老健などの介護保険施設の整備が急務であったからだろう。
しかし、これからは高齢者住宅の整備に力を入れていくことになるだろう。その手始めとして始まっているのが、公営住宅の建替えである。現在、古くなってきた兼営住宅や市営住宅を建て直す際に、1階部分にデイサービスやヘルパーステーション、配食サービスなどの介護保険サービスの拠点を整備し、社会福祉法人等に運営を委託するケースがみられ始めている。
住居の何割かは単身独居の高齢者住宅とし、見守り体制を作っていくことになる。こうすることで入居している高齢者は安心を買うことができるし、安易に施設に入居することなく、自宅での生活を継続することができる。

このような高齢者住宅は、これから高齢者となる世代にはさほど違和感なく受け入れられるのではないだろうか。選択の幅を制限するだけではなく、私たちの選択の幅が広がるように整備をしてもらいたい。

認知症の告知について考える

2006-11-15 22:16:06 | 認知症
若年性認知症という言葉を聞いたことがあるだろう。65歳未満で発症した認知症を若年性認知症と呼んでいる。全国で約4万人の患者がいるとも言われている。

若年性認知症が知られるようになってきた一つには、映画『私の頭の中の消しゴム』や、『明日の記憶』の影響があるだろう。20歳代から認知症になる例も報告されているし、『明日の記憶』で渡辺謙、樋口可南子が役づくりのために参考にしたのも実際の若年性認知症の夫婦の姿だという。
もう一つの要因は、若年性認知症になった本人が、自分の言葉で話すことを始めたことにある。
徐々に失われていく記憶や、愛する人への想い、仕事を辞めざるを得なくなったことでの厳しい経済的負担。本人たちの言葉には、専門家が想像で考えていた言葉よりも遥かに重みがあり、認知症の人や支える家族、介護職などに大きな影響を与えている。

当事者がそのような活動をすることができる背景には、『告知』の問題がある。本人に告知をするということは、早い段階での発見が欠かすことができない。その後、まだ何年もある生活をどのように送るのか。医師や家族、その他多くの関係者がどのように支えていくのか。
告知には、その人や周りの人のその後の人生を大きく変える力がある。

告知というと真っ先に思い浮かべるのは『癌』である。癌患者に対する告知もさまざまな問題を多く孕んでいるが、全体的には告知をするという方向に向いてるのではないだろうか。
一つには、癌は治る可能性もあるということ。もう一つの理由は、医療界におけるインフォームドコンセントの普及である。事前に事実を適切に伝えなかったことに対する、医療裁判の増加の影響もあるのかもしれない。

そう考えると、認知症においても告知をしていくながれになるのかもしれない。しかし、癌と認知症の大きな違いは、認知症は今はまだ治らない病気だということ。数年後にワクチン(根本治療薬)が開発されるかもしれないが、現状では告知をすることで大きな絶望を与えかねない。
また、癌は最期まで自分らしさを保つことができるが、認知症は自分を失っていく恐怖と向き合わなければならない。本人の絶望は計り知れない。
当然、誰でも告知をすればよいというものでもないだろう。本人を支える家族の存在や環境、もちろん本人の気持ちというものもある。

長崎県諫早市に住む若年性認知症の当事者である太田正博さん(56歳)は、初診から告知まで2年半かかった主治医に対して次のように語っている。
「先生も悩んでいるのが見えていました。また、うすうす自分が認知症ではないかと感じていたこともあったものですから。告知は、もう少し早くてもよかった。」

若年性認知症の人は、自分で病状から認知症であることを調べる能力を持っていることも多い。不正確な情報や他人からの情報で、自分が認知症であることを知るよりは、主治医から適切に伝えてもらったほうがよいのかもしれない。
そして何より、太田さんの言葉にもあるように、一緒に悩んでくれる医師の存在が重要なのは言うまでもない。

いつだって心は生きている ~認知症の絵本~

2006-11-01 18:41:57 | 認知症
『いつだって心は生きている』

このタイトルに、伝えたいことはすべて凝縮されている。
認知症について書かれた本はたくさんあるが、子どもたちに向けられた本はほとんどない。それだけ、認知症という病気が身近ではないということだろう。
それゆえに、地域の中での認知症に対する偏見はなかなか消えることはない。隣近所でおかしな言動をする高齢者がいれば、危ないからすぐに施設に入れたほうがよい、という意見を聞くことがある。
また、認知症の家族が恥ずかしいからと家に閉じ込め、介護サービスも使わずに自分たちだけで介護をしようとする家族も多い。認知症が病気ということすら知らない人も多い。

いつだって一番苦しいのは認知症になった本人なのに、その本人の気持ちなどは無視して、家族の辛さが前面にきてしまう病気。知識がないために、本人も家族も辛いという状況を作ってしまっている。

この絵本を作成した大牟田市の認知症ケア研究会は、絵本を使って、市内の小中学校で絵本教室を定期的に開催している。事前に子どもたちに絵本を読んでもらい、どのように感じたのか感想を書いてもらう。

子どもたちは物語の中から、おばあさんの「いいとこ探し」をすることが大切ということや、徘徊はおじいさんいとっては「冒険」なのではないかという本人視点の大切さを学んでいく。
絵本教室の当日は、絵本の朗読から始まり、認知症は病気だということを子どもたちが興味を引くやり方で話をしていく。その後、少人数のグループに分かれて「認知症とはどのような病気か」「自分たちには何ができるのか」を話し合い、最後に発表をする。

なぜ子どもたちと認知症の勉強をするのか。
それは、認知症は家族だけで支えられるものではないからだ。最終的には、地域の見守りの目や支える手が必要になってくる。その時に、子どもたちは大きな力になるのである。
子どもは純粋なので、しっかりとした知識があれば、先入観なしに接することができる。また、子どもが変われば、親も変わっていく。子どもを中心に、その輪が少しずつでも広がっていけば…というねらいがある。

そして何より、認知症の人を支えるということを真剣に考えると、認知症だけにとどまらず、人(相手)を理解しようとすることにつながっていく。隣に座っている友だちも『いつだって心は生きている』んだということに気付いていく。
認知症の絵本は、「思いやりの心」を教えてくれるのである。