What’s ノーマリゼーション?

福祉について考えるUMEMOTOのブログ

地域認知症ケア教室

2005-07-30 19:39:03 | 認知症
今日、地域の在宅介護支援センターで地域認知症ケア教室があったので参加をしてきた。
以前は、家族介護教室という名前で3ヶ月に1回の割合で市内の在宅介護支援センターが順番におこなっていたものを、名前を変えると共により認知症についての理解を広めることになり、地域認知症ケア教室ということになった。主催は市と持ち回りの在宅介護支援センターで、あとは各事業所からも応援が駆けつける体制。
地域住民の方が30名以上集まり、2時間にわたっておこなわれた。
内容は、主催する施設の紹介に続き、各事業所のスタッフによる認知症のロールプレイ(寸劇)、その後にお茶を飲みながら普段の悩みを話し合う“茶話会”という三本立てであった。
認知症のことをよく知らない人には、ロールプレイは効果的で、スタッフのアドリブ盛り沢山の寸劇に笑い声も起きていた。その後の説明として、認知症が特別な病気ではないこと、誰にでも起こりうることを説明すると、聞いていた人は真剣に頷いていた。
この教室は、厚労省が今年度から進めている認知症市民サポーター養成研修とは別のもので、以前から取り組まれていたものである。お茶を飲みながら気軽に、というコンセプトであるため、認知症初級編といった感じ。おそらく各市町村で同様の取り組みがされていると思われるが、この間の「認知症になっても安心して暮らせるまちづくり100人会議」
でも、川崎市の取り組みの紹介として、地元の劇団による認知症劇が取り上げられていた。
方法はどうであれ、認知症について広く知られるようになり、少しでも偏見がなくなることを望むばかりである。

ケア教室には民生委員の人も参加しており、今回は直接話を聞くことができた。民生委員として地域住民にかかわることは、簡単なことではないことが話からも容易に想像できた。外から見ていて、家族による介護が悲惨な状況いなっていても、直接訪問すると「うちは何もありませんから!」とドアをピシャリと閉められたりすると、それ以上なかなか中には入り込めないという。民生委員といっても普通のおばさんなわけで、それでもボランティアで困っている家を訪問して相談に乗っているのである。そんなことも、直接民生委員と話さなければ分からなかった。
民生委員は最初に相談に乗る存在であり、いろいろなところに橋渡しをする役も担っている。そのため勉強もしており、さまざまな知識を持っている。認知症に対しても、施設職員よりも詳しかったりする人もいるのである。
そんな民生委員は介護サービスを利用するまでの間のさまざまなケースを目にすることになる。認知症の家族を抱えて、家庭自体が崩壊するようなことも珍しくないという。「そんなところに今の福祉があることを忘れないでください」という民生委員の言葉は、サービス事業者に勤める私の胸に深く響いた。

ホスピスの現場から ―山崎章郎氏の話を聞いて―

2005-07-20 21:53:23 | 福祉雑記録
先日、『病院で死ぬということ 正・続』の著者でもある山崎章郎(やまざきふみお)氏の話を聞く機会があった。

話はホスピスに入院してくる患者の余命を把握するところから始まった。余命が「あと何ヶ月―」という具合に、月単位でみることができる患者。それが週単位になり、最後は日単位になっていくという。大きく3段階で患者を診ていくのは、それぞれの段階により患者自身・家族からのニーズが異なるからだそうだ。それに合わせて、医師、看護師が協力し患者や家族をサポートしていくのである。
認知症の診断にも共通の部分が多い。一概に認知症といっても、さまざまな種類があり、それに伴い経過も変わってくる。老人性認知症という曖昧な診断では、今後どのような経過をたどるか判断できないが、正しい診断名があると経過をある程度予測することができる。それにより、さまざまな症状が表出してもケアをする側は冷静に対処することができるのである。

ホスピスとは、癌の病に侵された患者が治療の術がなく、痛みを取り除く緩和ケアを中心に余命を過ごすための専門の病院である。山崎氏が声高に言っていた「私たちは患者が死を受容するのを手助けするのが仕事ではない。一瞬一瞬の受容を手助けすることが仕事である。その積み重ねの先に『死』がある」という言葉が印象深い。一見似ているようなことを言っているように感じるが、前者と後者には大きな隔たりがある。前者のほうは、死そのものが前提にあり後ろ向きなイメージがあるのに対し、後者はその時一瞬の受容の後には、自ずと希望がみえてくる前向きの姿勢なのである。

また、癌の患者に対しておこなわれている『告知』についても示唆に富んだ話を聞くことができた。私たちは告知と聞くと、医師から患者本人または家族に対しての一方的な情報伝達というイメージを持ってしまうが、山崎氏が言う告知とは『情報共有』ということであった。医師と患者、そして患者を支える家族と看護師が同席し、現在の状況や今後想像される経過などの情報を4者が共有し、今後の治療方針を定める場が告知であるという。そのうえで病院側として次なる道を示し、最後まで同行するという安心感を与える場でもあるとのこと。
これがすべての癌患者に対しておこなわれているわけではないが、私たち福祉の現場でもどれだけ同じようなことができているだろうか。ケアマネージャーが訪問した先で…、施設に入居する際の契約の際…、ケアプランを作った後…、さまざまな機会のなかで、私たちももう一度『情報共有』のあり方を見直すべきかもしれない。

最後にこんなことも言っていた。「今後、日本はアメリカ同様“訴訟社会”になっていくだろう。そうなると、否応なく患者本人に対して告知がおこなわれるようになる。そのとき、告知された人をどのようにサポートしていくかも、これからの大きな課題です」。

10年後 労働力は410万人減・・・ ヘルパーも・・・

2005-07-14 21:15:17 | 福祉雑記録
このまま少子化が進み、出産後の女性の職場復帰が難しい現状がこのまま続くと、10年後の労働人口が約410万人減るとの推計が厚生労働省の雇用政策研究会の報告で明らかになった。それに伴い、経済成長率も年率0.7%程度下がっていくという。

来年か再来年をピークに日本の人口は減少に向かっていく。少子化、高齢化、人口減少・・・ 当然労働力も減少し、経済も活性化せず社会保障のシステムも根本からの変化を迫られる。「人口減少社会」はもうそこまで来ていることを改めて感じさせる数字である。
研究会はその対策として、フリーターやニートの常勤雇用化や、出産・育児による離職者への再雇用の強化などいくつかの提言をしている。どれもが私たちがこれから直面しなければいけない課題である。

この労働力減少には、当然ヘルパーを含め福祉の現場で働く人も含まれている。ある試算では、日本の後期高齢者(75歳以上)が2千万人を超える2025年に、全国のホームヘルパーが12万人(パート換算)不足するという。現在115万人の訪問介護利用者に対してのヘルパーの人数は34万人(パート換算)。それが20年後には、利用者が156万人になり、必要なヘルパーが12万人増加するという。

大幅な人手不足が心配される背景には、介護事業者が安く人手を確保しようとするため、仕事としての魅力がない、という事情がある。現在、介護に携わるヘルパーの大半は、仕事ができる時間を事前に登録して、介護事業者から派遣の紹介を受ける「登録ヘルパー」だが、毎月の労働時間は短く給与も安定していない。労働力が社会全体で不足している20年後に、何人の人が収入の不安定な登録ヘルパーを選ぶだろうか。
パートのヘルパーにしたところで、現状の時給(平均1200円)のままでは、12万人を増やすのは難しいだろう。この試算では、40代から50代の女性をターゲットに絞って分析したところ、時給を1500円に引き上げれば12万人の雇用が新たに生まれるとみている。しかし、給料を25%アップするためには、毎月91億2千万円が新たに必要だとされている。
しかも、これは賃金の面からしかみておらす、ヘルパーという仕事をやってみたいという意欲や資質はまた別の問題でもある。単純に労働力が確保されたからといって、質がそれに伴うとは限らない。そして、福祉分野全体で見ると、さらに大きな労働力不足が懸念されるのである。すでに、現在フィリピンからの看護師や介護士の受け入れも始まっている。厳しい条件をクリアしたフィリピンからの人材は、否応なく必要とされる時代が来ているのである。今後は、フィリピンだけに限らず、さまざまな国から労働力を受け入れる状況になるかもしれない。私たちは近い将来、もしくはすでに現在、大きな課題に直面することになるのである。

第1回 認知症になっても安心して暮らせる町づくり100人会議

2005-07-11 07:12:26 | 認知症
7月8日に霞ヶ関東京會舘にて、「認知症になっても安心して暮らせる町づくり100人会議」が開かれた。
100人会議とは、厚生労働省が提唱する「認知症を知る1年」キャンペーンの趣旨に賛同し、その推進を応援する民間の個人や団体を中心とした運動体である。具体的な役割は、メンバーそれぞれの立場を活かしながら認知症に関する知識や情報の普及、認知症になっても暮らし続けられる地域づくりを応援することとなっている。
そのため、第1回の会議のメンバーとして、幹事である医療や看護・福祉分野それぞれの第一人者や団体、有識者として作家や俳優、映画監督、タレントなどの個人が参加している。そして特徴的なのは、今後さまざまな分野での支援が必要だとして、地域生活関連企業・団体、例えば学校関係や飲食店関係、博物館協会、石油商業組合なども参加していることである。合計82の個人・団体がメンバーに名を連ねており、そうそうたる顔ぶれであった。

このような豪華な顔ぶれ、幅広い企業や団体への参加への誘いは意味があって、まずは各界のトップが意識を共にし、その影響力をもって実際の活動につなげていこうという意図がある。
100人会議の今後の構想としては、2005年から10年後の2014年までを「認知症を知り地域をつくる10ヵ年」として、今年度、5年後、10年後と到達目標を決めて取り組むとしている。
5年後までに最も力を入れて取り組むものに、「認知症サポーター100万人キャラバン」がある。これは、キャラバンメイトと呼ばれる認知症について正しい理解・知識を持っている人が、住民や職域の集まりや学校などに出向いて認知症に関するミニ学習会(=認知症サポーター講座)を開催し、地域の認知症サポーターを育成する活動で、受講者にはサポーターの印として、オレンジのリストバンドが配られることになっている。

今年度は「認知症を知る1年」として認知症の知識の普及・啓発。2009年までの目標は、認知症について学んだ住民等(認知症サポーター)が100万人程度まで達すること。また、認知症になっても安心して暮らせるモデル的な地域が全国各都道府県でいくつかできていること。
2014年の最終の到達目標は、すべての町が認知症になっても安心して暮らせる地域になっている、という壮大な目標であるが、100人会議のスタートでその口火を切ったことになる。
何をもって認知症になっても安心して暮らせるのかというのは、以下の通り――
・ 認知症であることをためらいなく公にできる。(早期発見・早期対応)
・ 住民や町で働く人々による(ちょっとした助け合い)が活発。
・ 予防からターミナルまで、関係機関のネットワークが有効に働いている。
・ かかりつけ医を中心とした地域医療ケアチームがきめ細やかに支援している。
・ 徘徊する人を町ぐるみで支援している。

このようにある程度指針となる項目をまとめたことで、今後の町づくりに取り組みやすくなるだろう。10年後までにすべての町が認知症になっても安心して暮らせるようにするようにするのに、具体的なプロセスが明確になっていないことが気になるが、目標自体の方向性は間違っていない。少しでも達成に近づくためには、今回の参加者が率先して何らかの活動をおこなっていくことだろう。参加者はボランティアであるにもかかわらず、今回集まったのだから、これをただのポーズで終わらせないようにしてもらいたい。
また、今回の会議には尾辻厚生労働大臣や聖路加病院の日野原先生なども参加し、マスコミに対してのアピール度も十分であった。これまでの福祉分野では、プレゼンテーションの部分が不足していた感があるが、これで少しでも一般人の興味が引くことができれば今回の会議は成功したといえるだろう。
今後の予定としては、「認知症でもだいじょうぶ町づくりキャンペーン」として、全国から活動事例を募集・選考し、2月の第2回の100人会議の場で授賞式をおこなうことになっている。数多くの事例が集まり、その波が全国に普及していくことを願うばかりである。

グループリビングという考え方

2005-07-04 23:15:50 | 福祉雑記録
最近、「グループリビング」という言葉が流行のように言われ始めている。何をもってグループリビングとするのか明確な規定はないようだが、主に高齢者の共同生活の形態として使われているようだ。
認知症高齢者が共同生活をする場としてのグループホームとは違い、認知症ではない元気な高齢者がプライバシーや自主性を重んじつつ、支え合って生活する共同住宅で、現代の「長屋」と評する声もある。日本での普及のきっかけは、95年の阪神・淡路大震災。その頃はグループリビングという言葉はなかったように思うが、そこには仮設住宅のなかで支え合って生活する高齢者の姿があった。その仮設住宅の取り壊しなどに伴って、各地に広がりをみせた。

かつて「隣三軒両隣(となりさんげんりょうどなり)」という言葉があったように、喜びも悲しみも分かち合うコミュニティーが存在していた。隣近所の心配をし、思いやり、助け合い、祝い事も近所ぐるみで祝っていた。しかし、核家族が急速に増え、現在では隣近所との交流が希薄になったところが多いだろう。
こうした中で、高齢者に限らずグループリビング的な住まいが各地で見受けられるようになっているようだ。
まだ元気なうちに自分たちでグループリビングを設計し、気の合う家族同士が共同生活を送る。そんな光景もみられる。それぞれが独立したプライベートなスペースを持ち、いつでもお互いの顔を見ることができる共同のリビングを有する中での生活。

しかし、このような状況に疑問を抱いてしまうのは私だけだろうか。お互いが都合のいい時だけ人のぬくもりを求める擬似家族のように思えてしまうのである。いくらプライベートなスペースがあるとはいえ、共同生活である。いいことだけあるとは思えない。ましてや、大家族の形態を捨てて核家族化してきたことを考えると矛盾を感じてしまう。また、現状のように安易にグループリビングという言葉だけが先行してしまう状況では、本来の目的とは関係ないところで形だけが広がってしまう危険性もある。まるでグループホームのような形を取りながら、名前はグループリビングとしているところもある。営利目的のところも増えてくるだろう。
せっかくよい効果も報告され始めてる住まいのスタイルである。しかし、ひとつのスタイルでしかないことを忘れてはいけない。よくも悪くも、これからの舵取りで決まる。