What’s ノーマリゼーション?

福祉について考えるUMEMOTOのブログ

人に求めるか 制度に求めるか

2006-09-27 20:43:49 | ノーマリゼーション
今年1月、山口県下関市でJR下関駅の駅舎が焼けた放火事件、放火の罪に問われている被告が事件前日に北九州市の福祉事務所の相談窓口を訪れていたことがわかった。
被告は「(出身地の)京都に帰りたい。お金はなくなった」と保護課で相談。話を聞いた職員は市の「行旅困窮者旅費」の取り決めに従い、隣接する自治体の役所までの交通費として、JR西小倉駅から下関駅までの回数券1枚と、下関駅から下関市役所までのバス賃190円を手渡した。
被告は同夜下関駅に降り立ち、「刑務所に戻る」ために放火したとされる。被告はその1週間前に刑務所を出ており、出所時は所内の労働で得た20万円を持っていたが、ほぼ1週間で使い果たしている。

上記の福祉事務所職員の対応に、福祉関係者からは「下関市に追い払ったようなもの」との指摘も出ているというが、問題はそんなに簡単ではない。
ここ最近、北九州市の生活保護に対する姿勢や対応が新聞などで批判を受けることが多かったことが、今回の事件を見えにくくしているように思われる。

今回の事件は、放火という犯罪で幕を閉じたことで、福祉事務所職員の対応がクローズアップされる結果となったが、本人の意思と市の制度の中で対応した結果であるため、それを批判することはできない。
問題は他の部分に多いように思われる。例えば、本人の性格の問題。刑務所を出た後の就労の問題。刑務所内での更正教育の問題。さまざまな問題が絡み合っていることを忘れてはならないだろう。

ホームレス対策でも同じことが言えるが、本人の意思・希望というのは何にも増して重みがある。相談を受けた職員が良かれと思っても、本人の意思が伴わなければどうしようもなく、板ばさみに悩むことも多い。
本人の意思を無視して対応すれば一定の問題は解決される反面、本人の心理に影を落とす危険性もある。一部からは「公務員の公権力の行使」「民事介入」という批判の声が上がる可能性もある。

公務員は制度・法律に則って対応している。むしろ制度・法律に則ってしか動くことができないとも言える。それゆえに、私たちの生活を守るためにさまざまな制度や法律が整備されてきているのである。堅実な(石橋を叩いて渡るような)対応が公務員の信頼につながっている側面もある。
しかし最近は、問題が複雑化していることもあり、制度・法律の枠内だけでは対応できないことが増えており、融通が利かない対応を非難されることも多くなっている。

『人に求めるか 制度に求めるか』

私たちの目の前にある課題である。制度や法律で対応しきれない問題の解決を、相談に対応した『人』に求めるのか、『制度』に求めるのか。人に求めれば、対応する人の裁量に大きく左右されることになり、安定さを欠くことになる。制度に求めれば、制度化されるまでに時間を要することになる。
結局は、人と制度のバランスの問題ではあるが、このような状況を認識しておく必要はあるだろう。
状況を踏まえずに、単に『人』を批判することだけは避けたい。

「負担増」で退所0.4%

2006-09-14 21:01:58 | 介護保険
昨年10月に介護保険施設(特養、老健、療養病床)の食費と居住費が自己負担になったことにより、「負担増」を理由に施設を退所した人が全国で少なくとも1000人以上いることが、厚生労働省の調査で明らかになった。

調査は、都道府県と全国の市区町村に、これまでに各自治体が把握した退所者数の報告を求め、24県44市区町から回答を得たもの。
それによると、退所者数は1267人で、調査した施設の入所者に占める割合は0.4%であった。利用者の所得段階では、低所得者ではない一般の所得層が大半を占めたという。
退所者のほとんどが、在宅サービスの利用などにより自宅での生活が可能な人や、より居住費の安い相部屋や他の施設に移った人ということで、厚労省は問題にはならないとしている。

低所得者でないとはいえ、「負担増」を苦にしたことには変わりない。介護保険施設においては、負担が増えたとはいえ、全体の費用は年金額から払えないほどにはならないのが現状だ。
数が少ないことと、深刻な状況が少ないことで、厚労省も問題視していないのかもしれない。しかし、療養病床23万床が整理されることになる6年後に、同じように暢気なことを言うことができるだろうか。

療養病床の転換先は有料老人ホームである。
有料老人ホームの利用料は、安くて1ヶ月13万円からである。上を見ればきりがない。そのような値段になったときに、「負担増」を苦に退所せざるを得ない人がどれほど出てくるのか。
今回の調査結果を違った角度から見ると、近い将来の深刻さが滲み出してくるようである。

そもそも国のねらいは、より介護報酬が低い在宅サービスへの移行である。
厚労省の調査結果では、入院患者のうちの何割かが在宅での生活が可能だとしているが、果たしてそうだろうか。
療養病床では長期入院患者が多く、家を長く空けている人も多いだろう。また、障害を持った状態で生活できるような環境(内も外も含め)ではないかもしれない。
そのような人が在宅に戻るためには、適切なケアマネジメントが欠かせない。また、家族や地域の見守りの目も必要になってくるだろう。認知症があればなおさらである。
そして何より、本人が家で「生活をしたい」という意欲が欠かせない。生活がない入院生活を長く経た後、意欲を取り戻すことができるのか。家は患者を暖かく迎え入れてくれるのか。乗り越えるべき壁は多い。

以前も書いた通り、療養病床が転換されること自体は賛成できる。しかし、お金がなければ施設に入所したり、病院に入院することができない社会は反対だ。

高齢者虐待防止法 5ヶ月・・・

2006-09-04 22:23:56 | 福祉雑記録
高齢者虐待防止・養護者支援法が施行されてはや5ヶ月。これまでのところ、それほど劇的な変化の兆しはない。
市民の間に、この法律の影響があることはまだ実感できない。それは、高齢者虐待防止法自体がメディアで扱われないことにもよるだろう。そもそも、高齢者虐待は児童虐待とは異なり事件になりにくく、表面化しにくいという面があった。それに加えて、高齢者の虐待がまだ社会問題化する前の法施行ということもあって、未だに市民に認知されるには至っていない。
果たして、本当に法施行の影響はみられないのだろうか。

この5ヶ月の間にも、高齢者虐待防止法に違反する事件は多数起きているが、法律には虐待行為そのものに罰則規定がないため、報道にもその文字は出てこない。
『介護殺人』や『介護心中』という名でメディアを騒がす事件も、高齢者の虐待であることには変わりない。また、施設における身体拘束も虐待に当たる。
身体拘束においては①非代替性、②切迫性、③一時性の3要件をすべて満たさなければ、虐待に当たる。その上、本人や家族に説明し、記録もしっかりととることが要求される。
施設における虐待事件が報道された時は、さすがに法との関連性にも触れていることが多かった。

高齢者虐待防止法では、高齢者を65歳以上と規定しているが、65歳未満の人が虐待を受けた場合はどのように対応するのか。
その答えは『介護保険法』にある。介護保険法には、保険者の責務として虐待を防ぐことが明記されている。介護保険の被保険者は40歳以上であるから、市町村は40歳以上でも虐待に対して責任があることになる。また、被虐待者が障害者であれば『障害者虐待防止法』が適用されることになる。児童であれば『児童虐待防止法』だ。

そもそも、虐待とはどのような行為のことを言うのだろうか。
法では、養護者が高齢者に対して以下のような行為をすることを虐待としている。
①身体的虐待・・・殴る、蹴る、つねる、閉じ込める・閉め出す、身体拘束等
②心理的虐待・・・暴言、無視、友人から遠ざける等
③世話の放任・・・治療や薬を与えない、介護をしない等
④性的虐待 ・・・わいせつな行為をする・させる等
⑤経済的虐待・・・年金を勝手に使う、必要な生活費を渡さない等
ここで問題になってくるのは、養護者(介護している人)ではない人の虐待行為はどうなるのか。しかしそれも、上記のように介護保険法やその他の法律に基づき、市町村としては適切に対応することが望まれる。

今回の法施行の一番効果は、高齢者虐待における市町村の責務が明確になったことだろう。地域包括支援センターが同時期に創設されたことも相乗効果になっている。
事件にまではなっていないが、地域における高齢者虐待は確実に市町村まで届くようになってきている。法律ができたことで、行政の職員が無視できなくなってしまったのだ。相談窓口としては地域包括支援センターでもよいが、最終的な責任はやはり市町村が担わなければならない。
直営の地域包括支援センターでは、これまでよりもすばやい連携が可能になったことで、迅速な対応が期待できるだろう。問題は、すべての地域包括支援センターが委託しているところである。現場の職員と行政の職員の間の温度差が悲劇を生まないように、連携体制を構築していく必要がある。