数理論理教(科学教)の研究

数理論理(科学)はどこから来て、どのような影響を与え、どこに行こうとしているのか、少しでも考えてみたいと思います。人文系

米ロ戦争(1) ロシアとは何か?独ソ戦というジェノサイド合戦、そしてソ連が残った?

2016-03-22 20:55:45 | ロシア関連
最近、「米中戦争」よりも「米ロ戦争」の最終決着の方が差し迫っているのではないかと思うようになりました。
 米国はソ連崩壊で少し緊張が緩んだと思ったら、プーチン大統領の資源戦略を用いた巻き返しに、再度冷戦体制を敷き、徐々に真綿で首を絞めるような戦略を取ったようです。石油など資源価格を低迷させ兵糧攻めにし、「何とかの春」という手を使って、リビアを潰し、シリアを混沌させ、ウクライナを分裂させました。
 ロシアにとってウクライナに手を突っ込まれたのには我慢ならなかったでしょう。ロシアの内堀、脇腹を刺されるような緊急事態です。祖国防衛のためには核兵器でも何でも使っても防衛すると思います。またジリ貧になる前に一矢報いるということも全体国家では大いにありえる様に思います(太平洋戦争のように?)。
 クリミアに出兵、シリアにも出兵、ロシア国家財政が弱体化していく中、ますます耐力を消耗してしまうようにも思えます。

「 ロシアは、原油安で収入が激減し、失業率が上昇している。通貨ルーブルも急落し、もはや財政は破綻寸前だ。プーチンは、国内の矛盾を解決し、圧政から国民の目をそらすには戦争を始めるしかないと考えているに違いない。ヒトラーと同様、独裁者は皆そう考えるものだ。
 プーチンは、自らの立場を守るためなら戦争など厭わないし、人命を顧みない。なにしろ、自分に都合の悪い人物は次々に“消す”ような男である。(引用終わり)」


 シリアの問題は、複雑過ぎて私などには分かりませんが、CIAなど謀略機関がシリアを分裂させ、ロシアの数少ない同盟者のアサド政権を潰し、中東からロシアを完全に閉め出す狙いかと思います(イラクももはやいない)。ロシアは謀略機関同士の戦争では、もう劣勢を挽回できないので、正規軍を投入したように終えます。(消耗戦に巻き込まれてしまう危険もあるようです。)

 なお米国の「ロシア壊滅」の司令塔にして、その人生の全てを捧げているのは、以下の方のようです。
「ポーランドのワルシャワに「ズビグニェフ・カジミエシュ・ブジェジンスキ(Zbigniew Kazimierz Brzeziński)」として生まれる。ブジェジンスキ家は、現在はウクライナ領となっているブジェジャヌィを故地とし、3つのホルンをあしらった「トロンビィ」紋章を持つポーランドの名門シュラフタ。外交官だった父タデウシュ・ブジェジンスキは1931年から1935年までベルリンに赴任、ズビグニェフも父と共にドイツで過ごし、アドルフ・ヒトラー率いるナチス党の台頭とその強引な政治手法を目撃した。
 その後タデウシュは一家とともにモスクワに赴任。当時のソ連ではスターリンによる大粛清の嵐が吹き荒れており、ズビグニェフはまたもや独裁者による恐怖政治を目撃することとなった。その後父タデウシュは1938年にカナダへ赴任することになり、一家もカナダに移住、1939年にドイツがポーランドに侵攻したため、一家はポーランドに帰国できなくなった。第二次世界大戦後も共産主義者によって祖国ポーランドが支配されたため帰国が実現することはなかった。」

「ブレジンスキーは1950年代より、ソ連の政治体制を、1) 全体主義イデオロギーの支持、2) 一党独裁、3) 秘密警察組織の浸透、4) マス・コミュニケーション手段の体制による支配、5) 武力の体制による独占、6) 中央集権的統制経済などの特徴を有する「全体主義体制」の一つであり、従来の独裁や権威主義体制とは異なるものと位置づけた。1940年代まで、全体主義という概念はナチス党政権下のドイツやファシスト政権下のイタリアを論じるために用いられる一方、ソ連研究には用いられていなかった概念であり、ブレジンスキーの研究は同時代に発表されたハンナ・アーレントの『全体主義の起源』などと呼応する形で、これらの体制間の比較研究に地平を開くこととなった。(引用終わり)」

「…背景としてはポーランドの小シュラフタの家系に生まれ、父親はエリート外交官でナチス・ドイツ時代のドイツ、スターリン大粛清時代のソ連に赴任、一家で赴任したためズビグニェフ少年は歴史の貴重な目撃者でもある
 父親の赴任でカナダに移った直後にドイツがポーランドに侵攻したので帰国できなくなって、アメリカに移りそのまま永住 。全体主義を憎む強烈な正義感・現実主義・マキャベリズムの共存はこの少年時代の体験からロシアの独裁者プーチンが内心最も怖れる人。」

「(1)ブレジンスキー著「セカンド・チャンス」(邦訳あり)
 ブレジンスキーによれば、一九八九年、ベルリンの壁の崩壊後、米国は世界唯一のスーパーパワー、世界の支配者たるべき第一のチャンスをみすみす逃した。その責任は、ブッシュ(父)、クリントン、ブッシュ(息子)の三人の大統領にある。この三人の大統領は、第一のチャンスを捉えることに失敗した。二〇〇九年一月から始まる米国の次の大統領は、第二のチャンスを捉えなければならない。
 第二のチャンスを捉える。  米英が、ロシアを滅亡させ、ロシアを占領し、ロシアの領土を・・・・そこで最高の戦略家たるブレジンスキーに任務を・・・・ブレジンスキーは、この戦略を実行させるべき次期米国大統領候補として、バラク・オバマを選んだのである。
 ブレジンスキー戦略によれば、米英NATOがロシアを滅亡させるためには、ロシアをロシアから見て、西部戦線、南部戦線、東部戦線と、三つの方向から包囲すべし、と成る。しかる後、決定的戦略的攻撃方面は中共とロシアを分裂させることだ。つまり、SCO(上海協力機構)を解体して、中共をロシアと敵対させるのである。このために、中共を包囲 して締め付けるべしと。 かくして、パキスタンの不安定化とパキスタンの解体が目標に上る。(引用終わり)」
 
 副島先生のお話はとても過激ですが、ブレジンスキーにとっては、ロシアは潰さなければならない存在のようです。カチンの森事件「、第二次世界大戦中にソ連のグニェズドヴォ近郊の森で約22,000人のポーランド軍将校、国境警備隊員、警官、一般官吏、聖職者が内務人民委員部(NKVD)によって銃殺された事件。(引用終わり)」などもあり、もう生理的に駄目なのかもしれません。ただただロシアを潰すために執念を燃やすのみかもしれません。

 なお中国もロシアと組んでいるように見えますが、ロシア弱体化を一番望んでいるのは、もしかすると中国かもしれません。沿海州の奪回はじめ、東部シベリアを虎視眈々と狙っているように思えてなりません。
 どうも中国はロシアをカモにし始めているようです。
「中国は当初、Su-35Sについて全4機の導入を希望。このあまりにもあからさまな“リバースエンジニアリング宣言”にロシアは難色を示します。しかし貴重な外貨収入を得るチャンスは捨てがたいとみえ、背に腹は代えられず、「中国が最低限戦力として運用できる24機を購入する」という条件で両国は合意に達しました。
 Su-35Sは、中国が以前にライセンス生産したSu-27SKと見た目はほとんど変わりませんが、強化された機体構造により3倍の約30年(6000飛行時間)の運用に耐え、また、新機軸のイルビスEレーダー、推力偏向装置付きAL-41F-1Sエンジン、そして最も重要な、搭載コンピューター上で動く戦闘用ソフトウェアなどを備え、別次元の高い戦闘能力を有します。戦闘機の独自生産路線を目指す中国にとって、Su-35Sは手本とするのに最適な機種といえるかもしれません。(引用終わり)」

 ここで、そもそもロシアの正体とはどうのようなものか?少々調べてみましょう。 

 まず第二次世界大戦における独ソ戦の虐殺合戦を見てみましょう。
「ソ連では2660万が犠牲となった(全人口1億9670万の13.5%)
 ポーランドの被害は440万で、全人口2320万の19.0%。ポーランド国家記銘院の2009年調査は被害者数は560~580万とした」

「…ロシア人, ウクライナ人, ベラルーシ人についてはナチはスラブ人を下等人種(ウンターメンシュ)とみなし、ソ連の多数の民間人が殺害されたり、餓死、強制労働の被害者となった。
 …ディーター・ポールは、ソ連においてナチはパルチザン弾圧で50万を殺害、飢餓計画(英語版)で100万、ソ連兵捕虜300万、ユダヤ人100万が犠牲になったとしている。ゲオルギー・クマネフ(Georgiy A. Kumanev)は、ナチ占領のソ連では総計820万が犠牲となった(内訳はウクライナ人400万、ベラルーシ人250万、ロシア人170万)とした。
 1995年のロシア科学アカデミー報告ではナチの占領によって1370万の民間人(ナチのジェノサイドによって740万、強制労働で220万、飢饉と病気で410万)が犠牲になったとした。また赤軍パルチザンによる報復でも多数の民間人の犠牲が出た。(引用終わり)」

「1941年、アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツはバルバロッサ作戦を発動しドイツ国防軍を主体とした枢軸軍はソビエト連邦へ侵攻、ヨーロッパ・ロシアに広大な占領地を確保した、緒戦において赤軍は各戦場で大打撃を被り、敗れ孤立した将兵は百万人単位で捕虜となった。彼らの運命は過酷なものであった。ジュネーブ条約等国際条約で定められた捕虜に関する保護・待遇規定は何ら適用されず、即戦場で処刑された者、最前線からの死の行進で死亡した者、なお生き残った者も完全な根絶のために強制収容所へ送られ、非人道的環境の下で次々と死んでいった。
 米国国立ホロコースト記念博物館(USHMM)による予想では、約330万から570万名のソビエト将兵が死亡したとしている。これは捕虜となったソビエト将兵の57%であったが、それに対してイギリス軍、アメリカ軍の捕虜となった将兵231,000名の内、死亡したのは3,6%の8,300名であった[7]。いくつかの評価では不確定ではあるが、降伏直後に処刑された人数を含めて、500万名と見積もられている。この捕虜の内、ユダヤ系は5%であった。なお、ヨシフ・スターリンの息子、ヤーコフ・ジュガシヴィリも死亡した捕虜の一人であった。
 戦争初期から捕虜虐殺は横行しており、露天での完全な放置と飢餓、即時処刑を通じて、1941年6月から1942年1月の間だけでも280万名のソ連軍捕虜が殺害された。また、1941年9月まで、1日毎に総勢のソビエト捕虜のうち1%が死亡した 。USHMMによれば、1941年冬までに「飢餓と病気の蔓延は想像を絶する規模の大規模な死へとつながった」とされている。ヘルベルト・バッケ食糧相によって提案された「飢餓計画」に基づき、食料があるにも関わらず、多くの囚人にカニバリズムへ走らせるため、供給が行われることはなかった 。(引用終わり)」


「…進撃するソビエト赤軍の到着前に逃亡した東プロイセン、シュレージエン、ポンメルンのドイツ人の多くは、避難の途中で、寒さや飢えあるいは戦闘に巻き込まれ死亡した。犠牲者の大部分は避難民の集団がソビエト赤軍に遭遇した時に発生した。民間人は戦車による轢殺、射殺その他の手段で殺害され、また女性や少女は強姦され、遺棄された。これに加え、ソビエト空軍の戦闘爆撃機が最前線後方へ深く侵入して避難者の列を襲撃した 。
 ソビエト赤軍による、ドイツ東部占領の間の地元ドイツ人らに対する暴力行為は、1945年春に占領された小都市デミーン(英語版)でのような事件をしばしば起こした。デミーンでは降伏したにも関わらず、900名近い民間人が略奪、強姦、処刑の事例を知って自殺をした。
 ソビエト赤軍による民間人の大量処刑が公式報告されることは稀であったが、トロイエンブリーツェン(英語版)で発生した事例は知られている。このトロイエンブリーツェンの虐殺では1945年5月1日、少なくとも88名の男性が集められて射殺された。事件はソビエト赤軍による祝勝会において多数の少女が強姦された後、何者かによってソビエト赤軍大佐が撃たれた後に発生した。
 1989年、ドイツ政府によって発表された調査報告ではヨーロッパ東部でのドイツ民間人の犠牲者を635,000名と推測した。ソビエト連邦による戦争犯罪の結果によるものが270,000名、終戦後のドイツ人追放の間に各国で死亡したものが160,000名、ソ連における強制労働で死亡したものが205,000名である 。これにはベルリンの戦いで死亡した民間人少なくとも125,000名は含まれていない。
 1945年、ソビエト赤軍によってベルリンが占領されると、最大規模の強姦事件が発生した。伝えられる話では女性、果てや8歳の少女までもが強姦され、犠牲者総数は数万から200万と推測されている。1945年夏以降、民間人の強姦を咎められたソビエト将兵は処罰され、逮捕や処刑が行われた。しかし1947年から1948年にかけての冬まで強姦は続き、ソ連当局はついにソビエト赤軍部隊を厳しく警備された部署やキャンプに限定して配備し、ドイツ人居住区から完全に隔離した。(引用終わり)」


 どうもドイツに攻め入った兵士は「ケダモノ」のようになっていたようです。あるサイトでは、独ソ戦の初・中期の戦闘でソ連軍のスラブ系兵士らが死に絶えてしまったので、アジア系の兵士が多く、見境のない欲望丸出しの行動に出てしまったのではないかとのことですが…。

 もしかしたら、スターリンは以下のような理由でこの略奪・強姦・虐殺を許していたのかもしれません。
(1)兵士の消耗が激しく、根こぞぎ動員していたが、兵士の質もどんどん劣化していき、プロパガンダによっても戦意が乏しくなるため(祖国防衛・共産社会実現などのお題目では効果がなく)、敵国のモノなら何でも与えるという原始的なインセンチィブを与えたのではないか。
(2)ナチスのソ連軍捕虜などに対する惨い扱い(処分)の仕返しとしては、この程度のことはまったく取るに足らないことだ。
(3)敵国の女性との間に子供を作れば、民族浄化にもなり、その後のコントロールもし易くなる。またソ連の凄まじい兵士・民間人の消耗を補える?
(4)敵国のありとあらゆるもの(精神的・物的双方)を徹底的に破壊(略奪・虐殺・強姦)してしまえば、民族的な自尊心・アイデンティテーもなくなり、その後に政治的にコントロールし易くなる。

 スターリンは粗暴で知識など持っていなかったのではないかとも思っていましたが、どうも違うようです。まさに「超人」なのかもしれません。独ソ戦とはヒトラーとの「超人」合戦でもあったようです。
 
 それにしても。独ソ線による両者によるジェノサイド合戦は凄まじく、なにやらあの太平洋戦争の悲惨さもまだマシだと思えてしまうほどです。どちらも思想に対してピュアだったのでしょうか?神聖ローマ帝国の後継者戦争??

 しかし旧ソ連の満州での強姦・虐殺も凄まじかったようです。


 本当に惨たらしい行為だらけですが…。


 さて「ドイツのナチス」と「ソ連」は、双子のように思えてなりません。
(大日本帝国もナチスのコピーのように見えますが、両者のように徹底的に教条的な信念は持っていなかったようにも思えます)

 両者とも資本主義社会が進み、「労働者」という新たな共同体(階級?)が出き、その新たな共同体の連帯性(強制的に効率化された有機的構成の組織)に基づき形成されてきたように思えます。そういう意味では、本当に新たな政治・社会・経済システムだったのかもしれません。
 参考:国家社会主義ドイツ労働者党「国家社会主義ドイツ労働者党(こっかしゃかいしゅぎドイツろうどうしゃとう、独: Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei 、略称: NSDAP)は、かつて存在したドイツの政党。一般にナチス、ナチ党などと呼ばれる。1919年1月に前身のドイツ労働者党が設立され、1920年に改称した。指導者原理に基づく指導者(ドイツ語: Führer)アドルフ・ヒトラーが極めて強い権限を持ち、カリスマ的支配が行われた。1933年の政権獲得後、ドイツに独裁体制を敷いたものの(ナチス・ドイツ)、1945年のドイツ敗戦により事実上消滅し、連合国によって禁止された。(引用終わり)」

ソビエト連邦共産党「前身は1898年結成のロシア社会民主労働党で、同党がボリシェビキとメンシェビキに分裂した後、ボリシェビキは1918年にロシア共産党と改称、1925年に全連邦共産党となった。1934年よりソビエト連邦共産党の呼称が現れ始め、1952年に正式にソビエト連邦共産党となった。ソビエト国内では憲法により社会や国家における指導的立場が明記されて強固な一党独裁支配体制を築いた。(引用終わり)」


 マルクスの「資本論」の中で述べられていたように、資本主義的な競争の時代〔「相対的剰余価値の拡大競争」(科学技術の生産過程での応用や、それにともなう人的組織の効率化などを伴う)→「有機的構成の高まり」(労働者の効率的な融合など含め)〕の申し子とも言えるかもしれません。そういう意味では、どちらも「資本論」の申し子なのかもしれません。
 
 そして、この資本主義的競争のためには、絶えず「科学技術の研究」に重点投資して、その成果を生産過程に応用し(様々な機械・知的財産〔ソフト的なもの含め〕を発明・特許化、製造する)、また現場での生産性アップの様々な努力、効率的な人的有機的構成化、そしてそれらを統率する価値増殖魂を持った経営者という専門的な司令塔も必要になります(シュンペーターが説いた「創業者利潤」を生み出すイノベーターです)。
 しかし、その根本的な土台としては、自由で合理的な発想ができる民主主義的な環境が不可欠なものだと思います。精神の拘束された状況では、自由で独創的な活動ができない、まったく自由な数理論理的な思考が麻痺する。その結果、付加価値の相対的剰余価値が生み出せない、健全な競争がなくなり、他人の価値を不当に奪う絶対的剰余価値しか産み出せなくなる。社会は停滞し窒息していくことになると思います。

 ドイツのナチスとソ連は、ある程度有機的構成の高度化した労働者団体(新たな社会的団体)をベースに、理想的な労働者・国民の共生社会を目指し、旧来の伝統的な(保守的な)システムを破壊して、新たな合理的な政治・経済システムを構築しようとしたのかもしれません。またイギリス・フランスに比べて、遅れて資本主義・帝国主義化した独ソが前者らに対抗するため、上からの強制により合理的システムを築き上げようとしたのかもしれません。

 しかしその方法は、少数のエリートが統制し、上からもの凄いプロパガンダにより、強制的思想洗脳をしながら、全国民を矯正して実行したように思えます。

 そのため、既存宗教や古い慣習を捨てきれない人々などの矯正が不可能と判断した場合は、理想社会実現のため、「強制労働、餓死、虐殺」という手段で排除することを何とも思わなかった、いやそれが正当な(手っ取り早い)行為だと思ったのかもしれません?

 この奇妙な国家社会主義的手法は、ある程度上手く機能して、科学技術の向上、経済の発展などのメリットもあったようです。しかし「究極の自由」がなくなると、多様性がなくなり、ある全体的な方向に一気に進んでしまうこともあるのかもしれません(それが悪い方向でも)。

 とにかく、独ソ戦はソ連(連合軍)の勝利に終わり、双子のようなナチスは潰れ、ソ連(ロシア)が残ったことになります。

 しかし、最近「ドイツ帝国」が復活しているとの見方もあるようです。
「世界秩序の転換が既に明白化している。欧州においてはドイツが力を増し、ドイツ周辺には「ドイツシステム」が形作られ、それは既に膨大な物質的・人的リソースを手にしている-これが同書のライトモチーフだ。周辺諸国、たとえばウクライナは、非工業化する。「ドイツシステム」が周辺諸国に求めるものはただ人力のみ。その人力は、貪欲に吸い上げられるだろう。米国には既に挑戦状が叩きつけられている。米国に残された唯一のドイツ抑止策は、ロシアとの同盟である。(引用終わり)」
 「Sputnik 日本」では、このような記事がありました。「米国よ敵はロシアではなく、第二次大戦と同じくドイツだ!」という訳のようです?

    
 確かにドイツは上手くやっているようです。旧東ヨーロッパ諸国はEU(ドイツ主体?)経済・政治圏に入り、ロシアの東部戦線はなし崩し的に侵食され始めているようです(ただし東欧諸国は好んで(喜んで)ロシアから離れ、西欧に接近しています)。南部戦線ではチェチェンなどの独立問題でまたきな臭い状態です。シリアを失えばイスラム陣営が南部戦線で大反抗作戦を繰り広げるかもしれません。
 東部戦線異常あり? 
「…ロシアはかなりいらついている。何故なら、米軍空軍やイギリス軍がバルト三国や東欧に空軍機を展開しているからだ。
 4月22日、ルーマニアの Mihail Kogalniceanu空軍基地に、米空軍がF-22Aラプター戦闘機2機、KC-135の1機を展開。KC-135は、予備役の第916空中給油航空団(916th Air Refueling Wing, Seymour Johnson AFB, NC)所属の空中空輸機。
4月27日、米空軍は第325戦術航空団((325th Fighter Wing, Tyndall AFB, FL)/第95戦闘機隊((95th Fighter Squadron)の F-22Aラプター戦闘機2機、KC-135R1機をリトアニアの Siauliai空軍基地に派遣。
 4月28日にはポルトガル空軍のF-16 4機がリトアニアの Siauliai空軍基地に展開。この日、イギリス国防省は、英空軍のTyphoon戦闘機×4機をエストニアの Amari空軍基地に AB に派遣すると発表している。
これらバルト三国への空軍機を展開するのはNATOが実施するBaltic Air Policingと呼ばれる領空警備の一貫で、2004年3月から実施されている。
 NATOの空軍機展開だけでなく、ロシアのクリミア併合後、ポーランド、ウクライナ、ポーランド、ブルガリア、リトアニアなどの陸軍では合同旅団を編成して、ロシアの軍事的脅威に対抗しようとしている。またドイツ軍を主力とするNATOの大隊規模600人の戦闘群をリトアニアに配置する。ドイツはバルト三国との合同訓練、合同演習を実施することになる。最終的には、7月のNATO首脳会議で最終的に決定される。(引用終わり)」


 ロシアは経済で行き詰まれば、民衆が失望して、「○○の春」や「何色革命」などの謀略により内乱状態になるかもしれません。木村教授が『プーチンのエネルギー戦略』で警告されていたように、地道な経済政策(技術革新)を怠り、資源を兵器のように用いる戦略はやがて破綻する運命にあったのでしょうか?

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