数理論理教(科学教)の研究

数理論理(科学)はどこから来て、どのような影響を与え、どこに行こうとしているのか、少しでも考えてみたいと思います。人文系

毛沢東とはなんだったのか?中国共産党の出自?日本は最大の功労者?

2018-09-17 17:18:25 | 中国関連
『真説 毛沢東』ユンチアン著 講談社+α文庫 読了しました。
 
 
 以下、上記の本を読んで、私の感じたことです。あくまで個人的に感じたことですので、詳しくは各人検証していただきますようお願い致します。

1.毛沢東は本好きで、異常に自己中心的な考えをする、恐らく非常に高いIQを持っていた少年だったようです。どういうわけか中国共産党に入り、自己の支配を達成するためのゲームに没頭するようになります。毛沢東にとっては、人も思想も物もそのゲームのアイテムであり、自分以外のものにまったく情などありませんでした。他人をどのように支配するかの天才で、得意とするのは「究極の恐怖」の創出であり、心理的に従属させる狡知さでした。
2.毛沢東は度々集会で目標とする人物を吊し上げ、処刑も行いました。徐々に「恐怖」を広げ、また一人また一人と精神的に支配していきました。拠点とした農村では徹底的に食料などを没収して、強制労働と処刑を繰り返し潰していきました。まるで焼畑農業のように次から次へ村を廃墟にしていきました。
3.手駒になると見込まれた「軍隊」は、あれこれ悪知恵を働かせ、策を講じて、乗っ取って行きました。またライバルの軍隊にはわざと壊滅するような作戦命令を出して潰していったようです。
4.毛沢東がこのような破天荒な行為を行えたのは、ソ連(スターリン)に表向き絶対忠誠を誓っており、ソ連の無理難題の指令にも、それが中国共産党が壊滅するような命令でも忠実に応じていたため、スターリンからの信頼があったためのようです。
5.中国共産党は日本軍とはまったく戦わず、ひたすら国民党軍が戦っていました。ソ連は日本軍が中国本土に侵略するために、いろいろ謀略を行っていたようです。特に独ソ戦が始まると、それは死活問題になりました。東西から挟み撃ちに合えば、ソ連は間違いなく潰れていたでしょう。日本軍はソ連の望んだように中国本土に吸い寄せられて、国民党軍を蹴散らしました。中国共産党軍は、日本軍が点と線のみ占領した地域の大部分のう村地域を棚ぼた式に支配することができました。毛沢東はこの間も粛清に次ぐ粛清により、毛沢東個人に絶対的に忠誠を誓うロボットのような手下を増やしていきました。共産社会の理想に燃えて加わった若者の大勢が犠牲になりました。
6.日本が太平洋戦争を開戦したのも、ソ連が強く望んだことです。早く米国を対ナチス戦争に引きずり込むために必須な条件でした。またソ連に矛先が向かないために。ゾルゲ事件の闇は深いのではないでしょうか。「この組織の中には、近衛内閣のブレーンとして日中戦争を推進した元朝日新聞記者の尾崎秀実もいた。(引用終わり)」
「評論家としては、中国問題に関して『朝日新聞』『中央公論』『改造』で論陣を張った。 1937年(昭和12年)7月に盧溝橋事件が起こると、『中央公論』9月号で「南京政府論」を発表し、蒋介石の国民政府は「半植民地的・半封建的支那の支配層、国民ブルジョワ政権」であり、「軍閥政治」であるとして酷評し、これにこだわるべきでないと主張した。また、9月23日付の『改造』臨時増刊号でも、局地的解決も不拡大方針もまったく意味をなさないとして講和・不拡大方針に反対、日中戦争拡大方針を主張した。11月号では「敗北支那の進路」を発表、「支那に於ける統一は非資本主義的な発展の方向と結びつく」として中国の共産化を予見した。
 こうした主張は、翌1938年(昭和13年)1月16日の第一次近衛声明に影響を与えた。同年『改造』5月号で「長期抗戦の行方」を発表し、日本国民が与えられている唯一の道は戦いに勝つということだけ、他の方法は絶対に考えられない、日本が中国と始めたこの民族戦争の結末をつけるためには、軍事的能力を発揮して、敵指導部の中枢を殲滅するほかないと主張、また『中央公論』6月号で発表した「長期戦下の諸問題」でも中国との提携が絶対に必要だとの意見に反対し、敵対勢力が存在する限り、これを完全に打倒するしかない、と主張して、講和条約の締結に反対、長期戦もやむをえずとして徹底抗戦を説いた。
 第1次近衛内閣が成立すると、近衛文麿の側近として軍の首脳部とも緊密な関係を保った[6]。近衛は尾崎の正体を知った際に驚愕し、「全く不明の致すところにして何とも申訳無之深く責任を感ずる次第に御座候」と天皇に謝罪している[3]。尾崎が参加した昭和研究会は国策の理念的裏づけを行い、大政翼賛会結成を推進して日本の政治形態を一国一党の軍部・官僚による独裁組織に誘導しているが、昭和研究会のメンバーが同会から発展する形で独自に結成した「昭和塾」のメンバーは尾崎ら共産主義者と企画院グループの「革新官僚」によって構成され、理念的裏づけはことごとくマルクス主義を基にしていた[7]。(引用終わり)」
 少し合理的に考えると、絶対負けると分かっている米国との開戦決定はなぜおこなわれたのか?ソ連・中国共産党・国民党の米国への工作もあったようですが、日本が「鬼畜米英」などとスローガンを掲げて無謀な戦争に突入していったのは、やはり何らかの謀略に巻き込まれてしまったのではないでしょうか?
 戦前ある新聞社は国民をして対米戦争に突き進むように煽っていたようです。
 どうも上記のような新聞社だけでなく、軍部の幹部にも親ソ連派がいたらしく、敗戦間際にも満州進攻の準備をしていたソ連に終戦和平の仲介を頼んでいたようです。日本の徹底的な破壊とその後の革命に期待していたのでしょうか。結局、民主主義や資本主義よりソ連やナチスの恐怖の全体主義に親近感があったんでしょう。まあ、確かに資本主義等もおかしいと思いますので、心情的には何となく分かりますが…科学戦争に勝ったものが「善」で、負けたものが「悪」なのであり、第二次世界大戦や米ソ冷戦では民主主義や資本主義国の方が科学戦争では強かったといことです。というか科学教と民主主義(人権主義)・資本主義は結び付いているように思います。次はどうなるのでしょうか?
7.日本への広島の原爆投下を見届けて、ソ連が満州に侵攻しました。毛沢東は飛び上がるほど喜んだようです。日本軍の武器はすべて中国共産党のものになり(ソ連より渡される)、東北地方に拠点ができました。日本はソ連や中国共産党のために多大な貢献をしてしまったようです。
8.国民党は蒋介石の夫人の宋美齢の姉の宋靄齢、その夫で財政部長の孔祥熙が蓄財に励み、人心が離れていたようです。またソ連が作った黄埔軍官学校出身の主要な将軍の何人かがソ連の冬眠スパイで、国共内戦で大活躍してしまったようです。また米国もソ連等の工作で国民党に冷淡だったようです。圧倒的に有利だったはずの国民党は負け、毛沢東が中国の支配者となりました。
9.毛沢東は革命根拠地でやっていた粛清・虐殺と食料強制徴収を全国レベルで行うようになりました。特にソ連から軍事技術や兵器生産システムを導入しようとして、その対価の支払いとしての食料を強制的に収奪する計画を行いました。無知な農民はいくら死んでも構わない?ということでしょうか?
数千万人の農民が餓死しても、毛沢東には所詮すべてが「ゲームのアイテム」のようなものでしかなかったようです。劉少奇ご夫婦のように農民のために命を賭して反対された方は、批闘集会で侮辱され、暴力を振るわれ、虐待を繰り返され亡くなられたようです。最期までその意志を曲げなかったとのことです。
9.文化大革命という無間地獄も、それまでの「粛清」・「虐殺」等による「恐怖創出」の総仕上げのようなものだったらしいです。文化は抹消され、政治的スローガンのみが会話になったようです。
10.結局、朝鮮戦争のあれほどまでの悲惨な結果も毛沢東の策略によるものだったらしいです。本では「朝鮮戦争をしゃぶりつくす」となっていました。世界大戦の恐れを演出することで、ソ連から軍事技術・兵器生産システムの一層の移転を狙っていたようです。犠牲になった中国義勇軍は旧国民党の投降者が中心で厄介払いができたとのことです。北朝鮮の金日成が度々停戦をするように懇願しても、まだまだと戦争を継続したようです。朝鮮半島は見るも無残な状況になりました。
11.どうもベトナム戦争の泥沼もインドネシアの共産党のクーデター(その結果、大虐殺される)も中国(毛沢東)の身勝手な命令があったようです。中国軍は数十万単位でベトナムに駐留していたようです。あれもこれも、悲惨でむごたらしい事件には、かかわっていたのでしょうか?カンボジアのクメールルージュは中国の真似を少しやったようです。
12.スターリンが死んでフルシチョフになると与しやすいと見て、台湾危機を起こし、中国一国でも米国と戦うから原爆技術をくれと脅かし、とうとう手に入れてしまいます。その後もあらゆるブラフをかけて、ソ連から高度な軍事技術や兵器生産システムを入手しました。
12.憂鬱なのは、毛沢東はもしかすると「科学教」に親和性を持っていたのではないかということです。毛沢東はソ連に留学していた息子に「今後は政治より科学技術を学んだほうが良い」と手紙に書いたようです(なお毛沢東は家族にも無頓着で、自分しか大事なものはなかったようです。)また科学技術者はあの粛清の嵐の中でも厚遇していたようです。それに数千万の農民の命を犠牲にして、とうとう原爆を手に入れ、結果として軍事大国となりました。
 これも数理論理革命の序章だったのでしょうか?

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