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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

猪の厄日と猟犬の厄日と私の厄日?(妻女山里山通信)

2016-02-06 | アウトドア・ネイチャーフォト
妻女山へ来られる方へ。
 国道403号から上信越自動車道をくぐって右折して登った上杉謙信槍尻ノ泉のある最初のカーブが凍結しています。午前中は完全凍結しているのでスタッドレスなら登れますが、午後気温が上がって解けるとご覧のようにスタッドレスでも登れません。写真は午後3時頃。観光客の車がカーブで横向きになり動けなくなりました。毎年1月より、2月、3月にこの様な事故が多発します。ガードレールに激突の例も。午前中でもカーブの内側ではなく、外側を登ってください。表面が解けていたら登れません。『真田丸』で観光客が増えているので長野市に対策をお願いしましたが、充分注意してください。高速のトンネルの手前に駐車して徒歩で登っても15分ぐらいです。ドライバーの方に了解を得たので写真を掲載します。信州では403号の麻績へ登るカーブとか、雪解けの水が流れて凍りついてアイスバーンに。国道でもこうなる箇所があります。充分注意してください。

 最高気温が6度でほぼ無風というので、痛めた腰のリハビリにと妻女山へ。車を停め林道を登ろうとすると、まあなんということでしょう。檜林の林床がまるで耕うん機で耕したようにひっくり返されているではありませんか。

 雪は凍って解けてを繰り返しているのでほぼ氷状(左)。それをなんなく掘り返しています。それもかなり広い面積を。猪の仕業ですが、これはかなり大きな個体です。3年ほど前に140キロの雄が仕留められたのですが、それに次ぐぐらいの大きさでしょう。林道を登って行くと、途中にも数か所掘り返した跡がありました。林道に沿ってずーっと掘り返した跡も。さながらちょっとした土木工事です。北面の林道は雪がまだ10-30センチはあります(中)。長坂峠に来ると、峠の南面はずいぶんと雪解けしていました(右)。正面は斎場山。

 菱形基線測点のある陣馬平へ(左)。謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる平地です。ここにもその大きな猪の足跡がありました。これは珍しい。その猪の足跡をなぞるように歩いたタヌキの足跡(中)。猪の足跡の中に途中までタヌキの足跡がずっとついていました(笑)。これはタヌキが吐き出したのか(右)。ネズミか何か小動物の肉か内臓のようです。

 堂平大塚古墳へ。そこから見る千曲川(左)。例年なら見える辺りに鴨が飛来しているのですが。今年は見られません。暖冬が影響しているのでしょうか。古墳の上に咲き始めた福寿草(中)。雪がないので例年より早めです。日当たりの良い斜面に咲いていたオオイヌノフグリ(右)。大きな犬の陰嚢という意味ですが、実が似ているのです。しかし、わざわざそこに目をつけて命名しなくてもよかったんじゃないのとは思います。別名は、瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳などで綺麗なのですが…。明治初期に渡来した欧州原産の帰化植物です。

 妻女山展望台から北に見える戸隠連峰と飯縄山。飯縄山は拙書では3つのコースを紹介しています。豪雪の年は真っ白だったので、やはり雪は少なめです。水不足にならないといいのですが。

 翌日も日中は気温が上がったので再び山へ。斎場山を過ぎて御陵願平にある猪のヌタ場へ行ってみました(左)。猪が体についた虫を落としたり、猟で追われた場合に火照った体を冷やすために泥浴びをする場所です。雪で分かりにくいのですが、5m×4m位の大きなものです。最初は写真の木の根っこの大きさだったものを鼻だけでここまで掘り広げたのです。猪の足跡(中)。結構大きな個体です。斎場山(旧妻女山)山頂。512.8m。山頂は円墳で、上杉謙信が最初に本陣としたと伝わるところです。

 斎場山から千曲川と川中島を見下ろしたところ。落葉期の今が一番見晴らしが効きます。5月になり葉が茂ると展望はほぼなくなります。川向うの正面は合戦場という地名で、川中島の戦いの際に戦場になったといわれている場所です。千曲川の流れは、1742年(寛保2年)8月の大洪水、戌の満水の後に松代藩により大規模な瀬直しが行われたため、戦国時代とは流路が全く変わってしまっています。そのころはもっと激しく蛇行、分流していました。
上杉謙信が妻女山(斎場山)に布陣したのは、千曲川旧流が天然の要害を作っていたから(妻女山里山通信)

 長坂峠へ行くと猟師がいました。なんでも100キロの雄を仕留めたそうです。来る途中で見た大規模に掘り返した跡がその雄のものだそうです。これから帰るんだけれど、谷に下りた猟犬一頭が戻らないのだとか(左)。別れて陣馬平へ向かうと、下から猟犬が一頭登ってきました。こいつだなと思い、ご主人様が呼んでるよ。こっちだよといって峠へ付いてくるようにいうと、距離をおいて付いてきました。ところが峠へ戻ると車がいません。どうやら山を下りて尾根を回って谷底へ探しに行ってしまったようです。私は斎場山方面へ撮影に。猟犬はどこへ行くんだようと鳴いていましたが、向こうへ下りなといって私は斎場山へ。撮影を終えて下っていくと、さっきの車が。どうやら会えなかったようです。哀れな猟犬はまた谷に下りてしまったようです。
 仕留められた猪が掘り返した跡。彼の最後の晩餐の痕跡です(中)。隣には、私と仲間がやっている椎茸のホダ木が(右)。これを全部ひっくり返されなくて良かったと思いました。以前友人のホダ木が全部ひっくり返されたことがあるのです。結局また上に探しに行ったようですが、妻女山展望台の下にいると車が下りてきました。結局見つからなかったようで浮かない顔をして下って行きました。声ではなく遠くまで聞こえるホイッスルで猟犬を呼び戻すように仕込んでおかないと駄目ですね。どうなったのか心配です。

 最後に妻女山展望台からの松代方面。左には拙書でも紹介している奇妙山。右に保基谷岳。間の奥には根子岳と四阿山(あずまやさん)。両山とも拙書で紹介しています。真田と深く関係する四阿山は、『真田丸』効果もあって今年は登山者が増えるでしょう。特に目ぼしい被写体も見つけることができなかったので、もう少し粘りたかったのですが、寒風が吹き始めて神経痛が酷くなったので下山することにしました。

長野県鳥獣保護区等位置図 期間・狩猟鳥獣・連絡先等
 毎年11月15日 から 翌年2月15日まで
 ただし、ニホンジカ及びイノシシ(わな猟 ※)に限り、翌年3月15日まで延長。
 ※「止めさし」に限り、銃器使用は可能です。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。陣馬平への行き方や写真も載せています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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