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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

台風18号で千曲川が洪水に見舞われる(妻女山里山通信)

2013-09-16 | アウトドア・ネイチャーフォト
 台風18号は長野県南端で谷に沿って北上し、豪雨の地域が松本から佐久地方になったため。千曲川と犀川の上流に多量の雨が降りました。そのため千曲川では、2004年、2006年に続いて7年ぶりの洪水となりました。水は午後から増え始め、アッと言う間に堤防から堤防までを埋め尽くしました。河川事務所のライブカメラで見ていたのですが、確認のため現地に行く事にしました。

 まず、全体を俯瞰で見ようと妻女山展望台へ。既に約500mある堤防と堤防の間は灌水していました。堤防の上には、畑を見に来た軽トラが何台も止まっており、消防自動車が巡回していました。水没した河川敷に見える緑色の筋があるのは長芋畑です。長芋やゴボウなどの根菜類は、水が引けば大丈夫です。対岸の桃畑は、既に収穫が終わっているので、これも大丈夫でしょう。上流や下流にはリンゴ畑があるのですが、これは被害が出たでしょう。

 次に山を下りて赤坂橋脇の堤防へ。長芋畑が冠水しています。本来の流れは、写真の赤坂橋のアーチが見える部分の真下だけなのです。その手前は全て河川敷の畑や耕作放棄地の草原なのです。既に雨は止んでいたのですが、40~50分の間に水位が50センチ程上昇しました。

 そんな撮影中に、巡回の消防車が来ました。すると下流から来た軽トラの男性が、向こうの中州で老人がひとり取り残されているというのです。私も付いて行く事にしました。ちょうど赤坂橋から200mほど下流の50mほど沖合にある雑木林の中の木に掴まって、その老人はいるようでした。まもなく次々にサイレンを鳴らした消防車や救急車、パトカーが到着。ゴムボートを膨らませて消防隊員が救助に向かいました。林の背後には老人が乗って来たと思われる軽トラックが沈んでいました。林に着いたゴムボートからは、拡声器でなにか話しかけています。林の中の木に登っているようです。そのため、ゴムボートは中に入れず、救助に手惑いましたが、4時半の通報から30分後の5時に、無事に救助されました。畑が心配なのは分かります。サラリーマンだってたった一度の雨で年収が流れてしまうとなったら、やっぱり駆けつけるでしょう? しかし、命あっての物種です。くれぐれもプライオリティを間違えない様に。

 老人はすぐに救急車に乗せられ病院へ。野次馬やテレビの撮影クルーや新聞記者もやってきました。ところが、最初に通報した男性が去ってしまったため、そこにいた私が消防署やマスコミに事情を説明するはめになりました。まあ、それはいいのですが・・。この河川敷の畑の歴史は古く、江戸時代の初めまで遡ります。その頃は、河道が今より南にあったため、この辺りの畑は対岸の集落のものだったのです。川南川向新田という小字名が、それを物語っています。恐らく救助された老人も、対岸の人でしょう。
 1742年(寛保2年)の戌の満水という大洪水の後で、松代藩による大規模な河川改修(瀬直し)が行われるまで、千曲川は妻女山にぶつかる様に流れ、広大な河川敷と氾濫源を持っていました。千曲川旧流については、当ブログの「上杉謙信が妻女山(斎場山)に布陣したのは、千曲川旧流が天然の要害を作っていたから」をお読みください。

 赤坂橋から上流側(西側)を撮影しました。中央やや右に茶臼山が写っています。本来の千曲川の流れは、一番右側の70m程です。写っている堤防間500mのうちの7分の1ぐらいなのです。ただ、この場所は戦国時代から十二河原と呼ばれたところで、堤防のない時代には、河の流れが分かれ、十二もの中州があったとされるところなのです。斎場山から武田別働隊が山を下り、上杉謙信が信玄がいる本陣へ攻め込んだ対岸へ向かおうと甘粕隊と激戦を繰り広げた浅瀬でもあったのです。この上流には、犬でも渡れる戌ヶ瀬が、下流には猫でも渡れる猫ヶ瀬という地名があります。

 赤坂橋の本来の流れの上から下流側(東側)を撮影しました。本流の真ん中は流れが早く、流木やゴミが固まって流れて行きます。正面に見えるプリン型の山は、皆神山。左に奇妙山、右にノロシ山。皆神山の手前は松代。この辺りは、昔には松代小学校の水泳に使われたチャラ瀬があったそうです。江戸時代の戌の満水後に、大規模な河道の移動が行われる前は、松代SAの辺りは猫ヶ瀬といって、猫でも渡れるような浅く広い瀬があったということです。また、この2キロほど上流の岩野橋上には、犬ヶ瀬という犬でも渡れる瀬があったそうです。その上流が雨宮の渡になります。

 日没間近の千曲川。一見美しい風景ですが、実はこらえきれない程悪臭が凄いのです。洪水でありとあらゆるものが流れてきます。山間部の産業廃棄物や農薬や生活排水。軽井沢の放射能も流れ出しているに違いありません。佐久の放射性廃棄物処理場は大丈夫だったのでしょうか。幸い当地では、堤防の決壊は免れ被害は最小限で済みましたが、水が引いた後のゴミの処理を考えると頭が痛くなります。あまりの悪臭で頭痛もしてきたので帰る事にしました。

千曲川洪水の歴史

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