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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

昨秋急逝した山仲間を偲ぶ会を彼が植えた満開の躑躅の園で・・(妻女山里山通信)

2014-05-19 | アウトドア・ネイチャーフォト

 妻女山山系では、氷河期の生き残りと言われるウスバシロチョウ(薄羽白蝶)が蜜を求めて盛んに舞っています。希少なホタルカズラ(蛍葛)が咲き、更に希少なギンラン(銀蘭)が林下に咲き始めた晴天の日、昨秋急逝した山仲間のKさんを偲ぶ会が、彼が愛した山で行われました。

 彼が植えたヤマツツジ(山躑躅)が満開のログハウスに、彼の遺族の方々と山仲間が大勢集まりました。ストーブこそ焚きませんでしたが、彼がいつもそうしていたように、焚き火を燃やし、3月に倒れた落葉松の枝落としや玉切りをして片付けました。

 そして、土口から藪山を登ってきた猟師のTさん達が到着したところで、堂平大塚古墳の脇にある石碑の除幕式を行いました。息子さんが見つけたという北アルプスの山の形をした石には、「山を愛した○○○○ 生地のここに眠る」と刻まれています。除幕式の後で記念撮影。私からは、昨年の9月にここで行ったパエリア・パーティーの写真を差し上げました。それにしても64歳。早すぎます。
 その前年には、私の隣家で彼の友人であり、Kさんと同い年の私が幼少の頃に可愛がってくれたTさんも亡くなりました。Tさんが亡くなる2ヶ月前、Kさんとこのログハウスで、次のBBQパーティーには彼を呼ぼうと話していたのです。Tさんが亡くなった後、あんないい人が亡くなって俺のようなヤクザな人間が生きているなんてと言っていたKさんが、その翌年急逝するとは・・。ヤクザどころか、我々の里山保全活動に最も協力してくれた恩人でした。本当に大切な人を失ってしまいました。
 福一以降、やはり何かが起こっていると思わざるを得ません。なにせ福一由来のホットパーティクルは、米西海岸どころか、ノルウェーでも確認されているのですから。殆どの場合因果関係が証明できません。情報弱者でいたら、安全性バイアスにかかっていたら、犠牲になるのはあなたかも私かもしれません。
 ただ、見えないもの、五感で感じられないものを持続的に怖がるというのは非常に難しいことです。知性はもちろん想像力をフル動員し続けないと無理です。だから放射能は怖いのです。本能に優れた野生動物さえやすやすと被曝するのです。たかがお湯を沸かすのに、そんな危険なものを使ってはいけないのです。
 大阪大学の深尾葉子さんの言葉を紹介しておきます。「この世の中は、まともな脳みそを持とうとする人は生きるのが本当に難しい。自らの感覚にフタをして、利権や保身をめざし役割を演じて生きることが有利であり、仕事であると錯覚されている。しかしそのような生き方こそが、人類を滅ぼす。原発問題はそれを極端に示している。」

 石碑は、彼が愛してやまなかった千曲川と北アルプスの方向を向いています。それはちょうど西の方角で、まさに西方浄土を指しています。石の形が、ちょうどここから正面に見える北アルプスの爺ヶ岳によく似ているので、皆ピッタリだね。よく見つけたねと言っていました。

 記念撮影を終えてバーベキュー・パーティーの開始。猟師のTさんが、鹿肉と猪の肉を大量に持ってきてくれました。鹿肉はロースで、刺し身でということでしたが、私は念のため焼いて食べました。旨かったですねえ。猪の脂身は甘くて、これもまた美味です。ご家族からも大量の差し入れが。私は自家製のジンギスカン*と、手作りのベーコン、陣場平で採った山蕗でキャラブキを。キャラブキはご母堂に好評の様でした。
 会話では、Kさんとの馴れ初めやエピソードなどが色々出てきました。初めて聞く話やお馴染みの話。いずれも彼に対するそれぞれの温かい想いがよく表れていました。今回は大安吉日でもあり、妻女山里山デザイン・プロジェクトの面々では、行事などで来られない仲間も多かったので、いずれ報告会も兼ねて、また集まろうと思います。
*自家製ジンギスカン=市販のものは甘すぎて添加物もあるので、ラム肉を買い求め、玉葱・人参・林檎・大蒜・生姜を摩り下ろし、赤ワイン・本みりん・醤油・胡椒・ミックスハーブで揉み込んで作りました。生姜が効いていて旨いと好評でした。手作りベーコンは、亡きKさんも絶賛してくれた自慢の味です。

 緑の濃くなってきた森は、最高気温も20度ぐらいで、風も爽風。本当に気持ちのいい日でした。ハルゼミが鳴いています。ログハウス下の草むらでは、ウスバシロチョウが何頭も舞っています。3時過ぎ、それぞれの思いを胸に、皆山を下りて行きました。そいいえば、昨年Kさんが、全く出ない我々の椎茸のホダ木を見て、材が悪かったんじゃない?と言っていましたが、今春見事にニョキニョキと出ました。彼に見せたかった。そうそう、椎茸と平茸はニホンカモシカも食べるのです。ジコウボウやムラサキシメジは食べませんが。

 彼はここで、生まれてから高校二年までを過ごしました。この美しい風景が、彼の原点であり、最も愛した風景なのです。私は井上陽水の『少年時代』を想い出しました。「夏が過ぎ 風あざみ 誰のあこがれに彷徨う 青空に残された 私の心は夏模様~」。ここでは、この地元、千曲市出身の歌姫・熊木杏里が植村花菜とデュエットしている動画を紹介しておきます。透明な歌声が、この風景とよく合っているように思います。
 彼との付き合いは短いものでしたが、亡くなるこの一年間に限れば、彼とこのログハウスで一番出会い語り合ったのは、間違いなく私でした。彼の突然の死に、生まれてこの方経験したことのない喪失感に襲われました。昨年末には父を亡くしましたが、一年以上前に末期癌の宣告をされていたので、心の準備ができていました。月曜の朝に彼から電話をもらって、木曜日に会おうと言って、木曜日に突然死んだと聞かされ、土曜日に葬儀。翌日の日曜日に私はひとりで預けていた荷物を取りにログハウスへ行きました。そこで片付けて掃除をした後で、この風景を見ていたのですが、葬儀を済ませたというのに、彼が亡くなったということが実感できず、ただ変わらぬ美しい風景を静かに見ているだけでした。

●少年時代 熊木杏里 植村花菜

 
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