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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

凍てつく寒さの里山で想う年の瀬(妻女山里山通信)

2013-12-31 | アウトドア・ネイチャーフォト
 善光寺平に夜間雪が降っても薄雪なので、日が昇ると溶けてしまいます。そのため平野部に雪はないのですが、妻女山の北面は、その薄雪がそのまま春まで根雪になります。日陰の林道は凍てつく寒さでした。

 高速下のトンネル前に駐車して展望台まで登り西を見ると、雪雲に覆われた北アルプスが見えました。爺ヶ岳も鹿島槍ヶ岳も、まだ尾根筋は真っ白ではありませんが、もう少し右の白馬三山は真っ白です。積雪がなくても、特に早朝は道や橋の上が凍結しているので、運転には充分注意が必要です。

 北を見ると、やはり雪雲に隠れた高妻山と飯縄山。しかし、雲は手前で山頂付近は日が当たっていました。手前の南長野運動公園の波形の体育館の右手では、長野パルセイロのホームスタジアムとなるサッカー競技場の建設が始まっています。サッカー不毛の地と言われた信州が、今や松本山雅と長野パルセイロで、信州ダービーと言われるようなサッカー県になったのは、元サッカー少年としては、夢の様で隔世の感があります。

 東を見ると、松代の向こうに真っ白な根子岳と四阿山。手前左には、10月に仲間と登った奇妙山の30mの崖が見えます。右手前の頂上に畑や家が見えるのは、皆神山。その手前が佐久間象山の命名の由来になった象山。本名は臥象山といい、中国の山名をとったものです。

 妻女山駐車場から6つ曲がりを登って林道を行くと、4WDの轍とマウンテンバイクの轍がありました。4WDのは、猟師でしょう。猪狩りか山鳥狙い。マウンテンバイクは、天城山林道を唐崎城跡に下ったのでしょうか。明るい長坂峠に出ると松枯れ病対策のために伐採された赤松の切り株に動物の糞がありました。テンの糞でしょう。テンの高糞(たかぐそ)といって、縄張りのマーキングやメスへのアピールのために、岩上や切り株等目立つ場所に糞をする習性があります。日当りのいい西面にはヤマコウバシがたくさん見られます。冬芽も膨らんで来ました。この時期、北面と南面では、全く別世界です。

 冬芽を探して歩くと、コバノガマズミの赤い実に出会います。枝も毛に覆われています。黄色みがかった冬芽が目についたので何だろうと思いましたが、先についている実ですぐに分かりました。コムラサキです。そして、小さな灌木に揺れるウスタビガの鮮やかな黄緑の繭。これらは、バーント・シェンナーやバーント・アンバーばかりの冬の里山を彩る数少ないアクセント。いつだったか、わざわざ横浜から来て、この天蚕の繭を集めている男性がいました。なんでも、これで織物を織るのだそうです。さぞ奇麗でしょうね。

 川中島合戦の折に、上杉謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる陣場平へ。すっかり冬景色ですが、春に向けて既に緑の葉がたくさん出ていました。蕗の若葉や春一番に咲くアオイスミレの葉など。そこから落葉松林を抜けて堂平大塚古墳へ。雪の上に点々と足跡が。タヌキです。もっと雪が降ると、アニマル・トラッキングの季節です。
 堂平大塚古墳から見る千曲川と北アルプスは、昔から変わらない風景のようで毎年少しずつ移ろっています。目に見えるものだけでなく、目に見えない放射能汚染も免れられてはいません。東京にも猛毒のストロンチウムが降下しました。2011年3月18日港区米大使館前 Sr-90=69715 Bq/m3。ストロンチウム90だけで5.6μSv/h(米エネルギー省国家核安全保障局)。これはとんでもない数値。全く除染されず環境濃縮を始めているはずです。5年10年の間に甲状腺癌や白血病、心筋梗塞が多発するでしょう。脳機能の低下や疾病の重症化も増えることは、チェルノブイリではっきりと証明されています。
 現在の日本は、軍国主義に邁進し始めた、1930年頃と非常に似た危険な状況にあります。2016年から、東京では晩発性障害によるパンデミックが必ず起きます。チェルノブイリ以後25年のウクライナのキエフでは、健康な子供は5パーセントしかいません。東京はそのキエフよりも汚染度が高いのです。プルトニウム粒子「ホット・パーティクル」の毒性 は極めて強く、微粉末1、2個が入るだけで肺ガンを起こしますが、2011年の4月に東京の人は1日当たり10個吸い込んだ計算になるそうです。

【1930年頃の日本】OLD JAPAN-1930s と 東京復興の父・後藤新平より抜粋。以下は左のリンクをクリックしてください。

 1930年(昭和5)年は、Wikipediaから引用すると、「大戦後の恐慌、関東大震災、昭和金融恐慌(昭和恐慌)によって弱体化していた日本経済は、世界恐慌の発生とほぼ同時期に行った金解禁の影響に直撃され、それまで主にアメリカ向けに頼っていた生糸の輸出が急激に落ち込み、危機的状況に陥る。株の暴落により、都市部では多くの会社が倒産し就職難の者(学歴難民)や失業者があふれた(『大学は出たけれど』)。恐慌発生の当初は金解禁の影響から深刻なデフレが発生し、農作物は売れ行きが落ち価格が低下、1935年まで続いた冷害・凶作、昭和三陸津波のために疲弊した農村では娘を売る身売りや欠食児童が急増して社会問題化。生活できなくなり大陸へ渡る人々も増えた。」という切羽詰まった時代。軍国主義が台頭し、国際社会からの孤立を深めていきました。

 文化的には、古き良き日本も残っていた時代ですが、都会では西洋文化(1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会で花開いたアール・デコ)の影響で、欧米化が進み「モボ・モガ」なる風俗が流行りました。男子の普通選挙が実施され、大正デモクラシーの流れがモダニズムを押し進めた(近代化推進)のですが、軍国主義と覇権主義の台頭の中で抑制され、短い期間で終わりを告げました。動画の中に出て来る運河沿いに建つ写真のビルのデザインに、その影響が見られます。しかし、この美しかった首都東京も、10数年後には焦土と化し、70数年後には放射能汚染されるのです。


 来年も、なんとなく今の生活が維持できるのではないかと思っている人は少なくないんじゃないでしょうか。先人に聞くと、徐々に戦争になるのではないのです。ある朝、目覚めたら戦争が始まっていた。それが事実です。そして、今は貞観、仁和の時と同じく、千年に一度の地震多発期。大地震の確率は極めて高い。たとえば東南海、南海大地震が起きれば、原発は必ず事故を起こします。そうなったら日本に住める場所はなくなります。日本は今、壮大なロシアン・ルーレットの中にいるのです。そんな国の総理が、小4の漢字も書けない米隷属の売国奴という事実。これは日本史上最高の悲喜劇です。国民が覚醒しないと日本は確実に滅びます。ニーチェが神は死んだと叫び、その後哲学も死に、ベルリンの壁崩壊とチェルノブイリと福一でイデオロギーも死にました。ポストモダンは徒花でしかなかった。馬鹿の壁はただの馬鹿だった。次の思想の基盤は真に生物学でないと人類は滅びることは必至です。

*ツイッターをやっていますが、ツイッターは議論には向いていません。権力により情報収集もされています。顔本は尚更危険。よって基本、リプもリツもフォロー返しもしません。バーチャル・フレンドを作るつもりもありません。せめてブログやHP、プロフを読んでからにしてください。会いたいという誠意あるメールをくれた人には、実際に会っていいます。来年が覚醒と革命の年になりますように。

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★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。樹木の写真はこちらにたくさんあります。
コメント (2)
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