風に吹かれて アンマン

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エジプト旅行 3日目 その2(オールド・カイロ)

2009-10-19 | エジプト個人旅行記
イスラーム地区からオールド・カイロは10kmほどの距離であり,
オールド・カイロはカイロ発祥の地といわれている。

まずコプト教会に行く。

コプト教とはエジプトを中心とした原始キリスト教の一派である。


(コプト教会 ムアッラカ教会)

オールド・カイロ地区には、今でもコプト教徒がかなりいるそうで
教会は葬儀中だった。


(葬儀中の教会内部)

教会に隣接してコプト文化の芸術品や文書、フレスコ画、彫刻、壷、コプト織物
などがいくつもの部屋に分かれて展示されているコプト博物館がある。

時代的には古代王朝およびグレコ・ローマン時代から、アラブ・イスラーム国家へと
移行する時代の文物の展示である。


(コプト博物館)

また博物館の一角には、今は教会となっている聖ジョージ修道院がある。


(ドームが美しい聖ジョージ修道院)

新約聖書の伝承に、イエスの家族が難を逃れるためエジプトに渡ったということが
述べられているが、
そのとき一行が身を寄せた場所にこの修道院は建てられているそうだ。


(修道院内部)

内部は薄暗く、そのため厳粛さをよけいに感じさせる。


(ドーム天井)

オールド・カイロのコプト地区を離れてランチに向かう。

今日のランチはナイル川に浮かぶ船上レストランでとる。


(船上レストランからナイル川を望む)


(ランチ)

ランチをすませた我々はカイロ随一のおみやげ商店街といわれるハーン・ハリーリに
行くため再びイスラーム地区に向かう。

途中、イスラーム世界の最高学府をもつガーマ・アズハルを車中より見る。
このガーマ(寺院)はミナレットが5本もあることからも、その格式の高さをうかがえる。 

ガーマの創建は970年で988年には付属のマドラサ(高等教育施設)が建てられ
これが現在のアズハル大学となった。
今に残るイスラーム世界最古の高等学府である。


(ドーム、尖塔が印象的なガーマ・アズハル アズハル大学前身)

ハーン・ハリーリの歴史は古く14世紀末には市ができたらしい。


(ハーン・ハリーリ)

大半がみやげ物屋で、旅行者が必ず立ち寄る観光名所だ。


(路地より尖塔を望む)


(路地にあるみやげ物店)

ハーン・ハリーリ観光後、今日のホテルに向かう。

昨日までのホテルは空港まで遠いため、若干空港に近めのカイロ中心部に宿をとった。
明日はカイロ空港より9:00発のフライトでアスワン空港乗換えで
アブシンベル空港まで飛ぶ予定である。


(今日のホテル ビクトリア・ホテル)

こじんまりとした玄関とは違って、ホテル内はかなり広く古くからのホテルのようである。

室内もきれいだ。


(落ち着いた雰囲気の室内)

16時頃だったであろうか、まだ夕食には時間があるため6日後の砂漠キャンプに
行くためのバスの予約をするために長距離バス・ターミナルまで行くことにした。


(市内風景)

道を横切るのは慣れない我々にとっては大仕事である。


(道路を横切る人)


(車線のない道路)

ちょっと道を間違えたため20分ほどかかってターミナルに着く。

そのターミナルは想像した以上に大きく綺麗である。
最近できたものらしい。


(トルゴーマン 長距離バス・ターミナル)


(電光表示板のある乗車券売場)

無事、乗車券を購入した我々は一旦ホテルに戻る。

17:45 タクシーを拾い夕食に向かう。

今日の夕食は昨日行った韓国焼肉店の近くにあるタイ料理を考えている。

お店に入ってみるとそこは本格的なタイ料理を出してくれるようだ。
しかしタイ人のウエイターなどはいないようだ。

何品かの料理と、ビール、ワインを注文。


(タイ料理)

料理は期待を裏切らず美味しいものだった。

暫らくタイ料理からは遠ざかっていたのでよけいそう感じたのかもしれない。

20:30 ホテルに戻る。

明日は6:00起床の予定だ。

22:00 就寝。

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