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ストローバレイ家の介護奮闘記

90→→92歳の母を支える4姉妹の泣き笑い奮闘記・・とその後

トルコの旅(3):カッパドキア~イスタンブール

2014-01-26 15:42:43 | Weblog
              

<5日目:カッパドキア観光>

        

朝5時45分にアザーン(お祈りの時間を告げる詠唱)の低く歌うような声が聞こえ始め、部屋の外に出てみるとあたりは未だ真っ暗。坂の下にある町のモスクからのようで、周辺の洞窟ホテルや街灯の僅かな明かりが点る中、地の底から湧きあがるように岩山にろうろうと響き渡る声はとても幻想的で、異教の地に来たことが実感されました。

           

明るくなって朝食のために部屋を出ると気球が岩の間をゆったり動いていました。カッパドキアは気球観光のメッカ(イスラム的!)で、ガイドさんによるとカッパドキアの空からの眺めは絶景とのこと。去年5月の事故を受けてツアーがオプションを中止していたのが、止むを得ないとはいえちょっと残念でした。気球は風が穏やかな夜明け前から出発するのだそうで、我々が見たのはちょうど降りてきているところだったようです。

  

カッパドキアの奇岩地帯(世界複合遺産)は、数億年前にエルジエス山などの噴火によって堆積した火山灰と溶岩層が、長年にわたり風雨に侵食されてできたもの。大規模な奇岩地帯は米国などにもありますが、ここでは未だにその中に人々が住んでいることが驚きです。そういえばホテルの近くに”for sale”の看板が掲げられた洞窟住居がありました。魅力的でしたが、ちょっと崩れかかっていて維持費が大変そうだなので購入を諦めました(^^)。

  

ギョレメ谷の岩山の洞窟には、かつて迫害から逃れて各地から移り住んだキリスト教徒の教会や修道院が数多く造られており、その一部がギョレメ野外博物館(館というより、地帯ですが)として保存されています。それらの内部にはフレスコ画がかなり綺麗に残っており、また、入口に模様がかすかに残っている教会跡もありました。

  

また地下都市も多くあり、今回見学したカイマルクは最大のもの。地下深くありの巣のように掘り巡らされた地下都市は地下8階まであり、教会や食堂、食料貯蔵庫、ワイン製造所、家畜の飼育場、換気口まで備え、一時は5000人ほどが暮らしていたとのこと。未だ全てが発掘されたわけではなく、現在は地下4階まで見学ができるようになっています。

通路は非常に狭く、時にはかなり屈まなければ通れないほど天井の低い所もあり、事前に閉所恐怖症の人や心臓に問題のある人達は見学を避けたほうが良いと言われ、3人ほどが見学を見合わせていました。

命の危険があれば、人々はこの様な極限の生活をも選択し享受できるのかと、そのバイタリティと精神性には驚くばかりです。

        

<6日目:カッパドキア→ネヴシェヒル→カイセリ⇒イスタンブール>

朝起きてコーランの声につられて外に出ると、真っ暗な世界が白い濃霧に包まれていました。霜もおり、プールには厚い氷も張っていて昨日の晴天が嘘のよう。これが昨日だったらカッパドキアの奇観が何も見えなかっただろうから、「悪天候が移動日の今日でラッキー!」と喜んでいたのですが・・・。

        

ネヴシェヒル空港から12時発のイスタンブール行きの飛行機に乗る予定だったのですが、朝からの濃霧でイスタンブールから来て折り返す予定の便が来られずに、食べるものも何も無い田舎の飛行場でただただ待ちぼうけ。

結局、予定の飛行機がネヴシェヒルに降りられず、バスで1時間半ほどの距離にある、大きいカイセル空港に着いたとの知らせが来たのが4時間以上経ってから。一度預けた荷物を受け取ってバスに乗せ、濃霧の中をバスで移動。また荷物検査などを受け直してイスタンブールに向けて発つことができたのは、予定から遅れること7時間、19時のことでした。

        

その結果食事のプランが大幅に狂ってしまい、朝食後の長い空腹の後に、機内食のサンドイッチ、ランチ用のケバブで作られたサンドイッチ、夕食の海鮮料理という(添乗員さんの嗜虐的表現の)食べ放題状態に。誰のせいでもないけれど、くたびれた~。

午後イスタンブールに着いてからグランドバザールなどを楽しむ予定もつぶれてしまったし・・・結局「ラッキー!」とはいきませんでした。(四女)

トルコの旅(2):エフェソス~バムッカレ~カッパドキア

2014-01-26 12:07:44 | 日常
  

  

<3日目:イスタンブール⇒イズミール→エフェソス→パムッカレ>

エフェソス(ギリシャ語名、トルコ語ではエフェス)は、先日“ネコの部”で触れたように、トルコの南西部に位置するトルコ最大の古代都市遺跡。世界7不思議のひとつアルテミス神殿の建設から始まった都市は、かつてはエーゲ海に面する海洋都市としても大いに栄えたとか。未だ10%程度しか発掘が進んでいないとのことですが、神殿、図書館、劇場、市場、浴場、公衆トイレ、娼舘の跡などが見渡す限り広がっており、一大文化都市であったことを伺わせるに十分でした。

           

パムッカレでの宿泊先コロッセア・テルマル・ホテルには近隣のホテル同様温泉プール(写真は観光案内から借用)があり、夕食後、水着に着替えて軽く一風呂(?)。水温は39度くらいと低めですが久し振りにお湯に浸かってホッと一息つきました。時間が早かったのでプールにはツアー仲間が数人ほどしかいなかったのですが、そこに頭から足まで黒ずくめのイスラム衣装(アバーヤ)の女性が来て、そのままプールの中に。話に聞いていたとはいえ、近代的プールとの対比もあり、やっぱりちょっと驚きでした。

        

<4日目:パムッカレ→コンヤ→カッパドキア>

世界遺産(複合遺産)登録されているパムッカレの石灰棚は、台地の上から流れ落ちるお湯が下の平原に流れ込む間に冷却され、お湯に含まれる石灰分が結晶化してできたものとか。パムッカレとはトルコ語で‘綿の城“という意味で、バスで向かうと行く手にその名の通り真っ白な台地が突然現れます。

        

台地の上につくと目の前に、真っ白な石灰棚に薄水色の水を湛えた信じられないほど美しい光景が広がっていました。どうしてこんな光景が存在するのか、理屈では分かっても奇跡のようです。最近は周辺の温泉ホテルの開発ラッシュで湯量が減少してしまったため、石灰棚にお湯を流す時間・区域・湯量を調整していて、写真の“テラス”に水が無いこともあるとか。今回のように水を張った素晴らしい“テラス”の光景を見ることができた私達は「ついている」と、何度もここを訪れている添乗員さんが言っていました。

        

また、朝日に照らされて湯気が立ち上る様子もとても幻想的で、お天気も含めて訪れたタイミングが本当に良かったようです。

           

石灰棚は1部開放されていてその中を歩くことができます。ただ石灰棚保護のために裸足になる必要があり、靴と靴下を入れたビニール袋を手に持ち、パンツの裾を膝までたくし上げての散策となりました。

流れ入ってくるお湯は暖かいけれど、溜まっている水は外気で直ぐに冷やされてとても冷たく凍りそう。また当然手摺がない上にごつごつした岩床が場所によっては苔が生えていてすべることも。ころんで骨折した日本人客もいたとかで、まさに冷や冷やものでしたが(^^;、自然の驚異の中を、童心に帰って裸足で水の中を歩くのはなかなか楽しい体験でした。

石灰棚台地の上部には古代都市ヒエラポリスがあり、古代ローマ帝国時代には保養地として栄えたとのことですが今回はほぼ素通りでした。

  

コンヤは、かつてセルジュークトルコの都として栄え、現在も100万の人口を抱える大都市。旋舞祈祷(写真はトルコ観光局資料から)で有名なイスラム神秘主義メヴラーナ教発祥の地で、そのモスクと博物館(元霊廟)があります。トルコで最も宗教色の強いところと言われるだけあって、コンヤでは他の町に比べてベールを被ったりアバーヤを着た女性を多く見かけました。

  

カッパドキアのホテルはギョレメにある洞窟ホテルのアナトリアンハウス。きのこ岩と斜面を利用して造られたホテルの部屋は、それぞれの岩の形状を利用していることから大きさや造りが千差万別。公平をきすため抽選で決めた部屋をツアー仲間達と見せ合いましたが、多くの部屋がメゾネット形式の趣向を凝らしたお洒落なスィートルームで、どこの部屋を覗いても皆歓声を上げていました。

私的にはもうちょっと素朴な洞窟感“も”味わって見たかった気もしますが、この贅沢な空間ですら窓の小ささや少なさ、壁の厚さなどからちょっと圧迫感があったのも確かで、もっと洞窟らしい部屋では長居はきつかったのかもしれません。(四女)