15日は初めてしばた未来さんと奥能登・私の故郷入りです。金沢から同じ出身の元
金沢市議だった近松さんと朝6時に出発。柳田・天坂から北へ曽々木海岸の方に向か
います。大谷についたのは8時半、ちょっと早いので海岸線を宣伝カーで回りまし
た。大谷では私の弟と同級生で、知己の北野市議も応援にかけつけてくれました。柴
田さん、亀田と3人で訴える、今の野党共闘が珠洲市でも実現しています。しばたさ
ん相変わらず時間みて一人ひとりに名刺を配っています。
9時50分、私の出身地野々江町
(かつてJR珠洲駅があり、現在も出身校飯田高校もあります)のスーパー前。母も
来ています。「しばたさん、私の母です」「ええ、さっき紹介され、いつも亀田さん
からお母さんのお話聞かされますとご挨拶しました」。「今日、腰の曲がった母も来
ていてくれます、あの戦争でたった一人の兄なくした、しかも餓死、どんないつら
かったろう、あの兄さんの苦労に比べたら今の私はなんともない、と慣れない田んぼ
仕事に頑張りました。母と同世代の苦しみ、71年前の悲惨さが、戦争知らない安倍
内閣の下で再び繰り返されようとしています。若者を絶対に死なせてはなりません。
憲法を守るどころか、踏みにじる安倍首相は退陣しかありません。安倍ノーの声を今
度の選挙で示そうではありませんか」普通と違い、母を前にして話をするとすぐ、
ぐっと感極まってしまい、つい詰まってしまいます
「お前からハガキもらってきた、
チラシの写真はなんかジジくさい、今日のような若若しい顔をもっと宣伝してもらえ
よ、応援するよ」懐かしい高校同級生。飯田町のスーパー前でも「頑張らっし」「お
母さんも元気そうやね」。飯田町、松波、宇出津、穴水どの場所でもつぎつぎと住民
の皆さんが出てこられました。柴田さんってどんな素敵な人だろう、一度顔を見たい
の気持ちでしょう。しばたさんは自分の故郷北海道の田舎町の様子を語ります。珠洲
市・奥能登以上に過疎化が進んだ自分の故郷、だからこそ、どの町にいようと安心し
て住めるにするのが政治の役割だ、富める人が一層富む、東京一極のしくみを変えま
しょうと訴えます。「前か後ろかわからんように焼けたね」金沢に着いたとたん言わ
れました。女性後援会から頂いた日焼け止めクリーム もう無理かな?