文芸春秋に「松本清張生誕100年特別企画 冬眠しない清張さんの魅力」。半藤一利、佐野眞一、宮部みゆきの3氏が語り合っている。
そのなかで、日本共産党について語った部分がある。
佐野 僕が知恵袋ではないかと思っているのは、日本共産党の幹部だった大野達三です。筆も立つ人だし、ずいぶん意見交換した形跡があります。本人は亡くなりましたが、奥さんは、ずいぶん主人を頼りにしていたみたいですね、と言っていました。
半藤 よく、清張さんは共産党員ではないか、と誤解されることがありますが、あくまで取材する立場でした。
佐野 昭和49年には創価学会・共産党協定の仲介もしていますから、共産党とのおつきあいはあったでしょう。協定にかかわった共産党の大幹部から「清張さんは宮本顕治を尊敬していた」と聞いたことがあります。宮本顕治は芥川龍之介論を「改造」の懸賞に応募し、小林秀雄を抑えて一席をとって文壇にデビューしている。愛読する芥川について、あれだけの精緻な評論を書いた文学者として評価していた、と。
(中略)
佐野 人物ものでは、共産党を壊滅に追い込んだ「スパイ�M�の謀略」は傑作です。
★
大野達三については、以前もこのブログで書いたことがある。・・・・
アメリカとの関係が焦眉の課題になっていますが、祥伝社文庫「アメリカから来たスパイたち」(大野達三)を読みました。昭和51年に発行されたものの文庫化です。
以下、抄録。
●「日本を無謀な侵略戦争にかりたて、日本人民とアジア人民を殺戮し、弾圧して投獄した旧参謀、旧特務、旧特高たちが、ほとんど敗戦と同時に、手のひらをかえすように、かつてかれらが鬼畜とよんだ敵国のスパイになりさがった。このことをわたしたちはけっして忘れてはならない」
● 「児玉誉士夫は1957年ごろから、全国のバクト、テキヤの親分によびかけ、金をばらまき、暴力団を政治団体化するオルグをくりかえした。全国に「憂国」「愛国」「桜」などの文字を名につけた右翼暴力団が輩出した。1973年、熊本で共産党宮本委員長を刺殺しようとした青年愛国党も、福井で共産党不破書記局長を暗殺しようとした憂国青年同志会なども児玉の金と息のかかった暴力団である。この児玉はアメリカCIAのエージェントと報道された。」・・・・・
・・・・・「右翼・反共産党の親玉がCIAのエージェント」だったことは、意味深長ですね。今日においてもCIAのエージェントが米軍基地を「永久に」日本国におかせるため、たんまりと条約上なんらの義務のない数千億円もの米軍への「おもいやり予算」確保のため、活動していることでしょう。しかし、かつての「沖縄本土復帰」を実現したように、国民のたたかいは、いわばこのような「暗黒面」の策動を打ち破る力があるのだと思います。・・・
★
なるほど、この人なら清張さんの知恵袋になったかもしれない。
共産党内のスパイ事件についてのものも読んだ。スパイ�M�の追跡については藤井さんの功績がおおきかったのではないか。
ただ、共産党と創価学会の協定については、公明党幹部が「池田会長の意図は共産党からの攻撃をやめさせるための作戦」だったことを明らかにしていることはこのブログでも書いた。清張さんは協定の労をとられたが、昭和の裏面史を地でいくような「謀略」にはめられた、と言うのは言いすぎだろうか。
清張の「後継者」に、この「謀略」については書いてほしいものだと思う。
そのなかで、日本共産党について語った部分がある。
佐野 僕が知恵袋ではないかと思っているのは、日本共産党の幹部だった大野達三です。筆も立つ人だし、ずいぶん意見交換した形跡があります。本人は亡くなりましたが、奥さんは、ずいぶん主人を頼りにしていたみたいですね、と言っていました。
半藤 よく、清張さんは共産党員ではないか、と誤解されることがありますが、あくまで取材する立場でした。
佐野 昭和49年には創価学会・共産党協定の仲介もしていますから、共産党とのおつきあいはあったでしょう。協定にかかわった共産党の大幹部から「清張さんは宮本顕治を尊敬していた」と聞いたことがあります。宮本顕治は芥川龍之介論を「改造」の懸賞に応募し、小林秀雄を抑えて一席をとって文壇にデビューしている。愛読する芥川について、あれだけの精緻な評論を書いた文学者として評価していた、と。
(中略)
佐野 人物ものでは、共産党を壊滅に追い込んだ「スパイ�M�の謀略」は傑作です。
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大野達三については、以前もこのブログで書いたことがある。・・・・
アメリカとの関係が焦眉の課題になっていますが、祥伝社文庫「アメリカから来たスパイたち」(大野達三)を読みました。昭和51年に発行されたものの文庫化です。
以下、抄録。
●「日本を無謀な侵略戦争にかりたて、日本人民とアジア人民を殺戮し、弾圧して投獄した旧参謀、旧特務、旧特高たちが、ほとんど敗戦と同時に、手のひらをかえすように、かつてかれらが鬼畜とよんだ敵国のスパイになりさがった。このことをわたしたちはけっして忘れてはならない」
● 「児玉誉士夫は1957年ごろから、全国のバクト、テキヤの親分によびかけ、金をばらまき、暴力団を政治団体化するオルグをくりかえした。全国に「憂国」「愛国」「桜」などの文字を名につけた右翼暴力団が輩出した。1973年、熊本で共産党宮本委員長を刺殺しようとした青年愛国党も、福井で共産党不破書記局長を暗殺しようとした憂国青年同志会なども児玉の金と息のかかった暴力団である。この児玉はアメリカCIAのエージェントと報道された。」・・・・・
・・・・・「右翼・反共産党の親玉がCIAのエージェント」だったことは、意味深長ですね。今日においてもCIAのエージェントが米軍基地を「永久に」日本国におかせるため、たんまりと条約上なんらの義務のない数千億円もの米軍への「おもいやり予算」確保のため、活動していることでしょう。しかし、かつての「沖縄本土復帰」を実現したように、国民のたたかいは、いわばこのような「暗黒面」の策動を打ち破る力があるのだと思います。・・・
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なるほど、この人なら清張さんの知恵袋になったかもしれない。
共産党内のスパイ事件についてのものも読んだ。スパイ�M�の追跡については藤井さんの功績がおおきかったのではないか。
ただ、共産党と創価学会の協定については、公明党幹部が「池田会長の意図は共産党からの攻撃をやめさせるための作戦」だったことを明らかにしていることはこのブログでも書いた。清張さんは協定の労をとられたが、昭和の裏面史を地でいくような「謀略」にはめられた、と言うのは言いすぎだろうか。
清張の「後継者」に、この「謀略」については書いてほしいものだと思う。