"ひとり遊び"の記録

山歩きやMac、そして最近ハマったカメラ(リコーGRD4&シグマDP3Merrill)と写真の”備忘録”として

高山赤十字病院

2014-09-29 04:02:35 | 日記

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高山赤十字病院正面玄関

人生初めての長期入院も4週間目に入りました。
高山の人たちのゆったりした口調を聞きながら毎日をすごしています。

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玄関前の植込み

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綺麗な流れの小川

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昔沖縄へ仕事でよく出かけました。そのおり、沖縄の人の「・・・しましょうね!」と、ゆったりと喋られるの聞いて妙に落ち着いた気持ちになりました。
高山の多くの方の語り口もゆったりとして、落ち着いた気分になります。

そのまた昔、「丸いタマゴも切りようで四角、ものは言いようで角がたつ ・・・」という都々逸を聞いた覚えがあり、そのときは「そうなんだ!」と、感心していたつもりなのに、いつの間にか私は早口になり人の意見も途中で遮るようになっていたなあ。

これを機会に、まずゆっくり人の意見をじっくり聞き、ゆったりとした口調で受け答えできるようになりたいな!
 

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ピントのずれた写真もあるけど、病院構内のスナップでした。
来週中ごろには大阪へ帰れそうです。 

 


「我には日常。彼には非日常」

2014-09-25 13:33:54 | 日記

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私は自分の不注意から滑落事故をおこし、ただいま高山赤十字病院に入院中です。最初の1週間は首を動かしてはいけないので「絶対安静」。
 
その後は、頭と首の固定具「ハッピーベスト」を装着したので、不自由ながらも体は動かせるようになりリハビリも始まりました。が、骨折した顎の固定が始まり流動食しか口にできず、そのうえリハビリも始まりお腹が空いてしかたありません。
卑しいことです。 

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初めての入院生活を経験したこの3週間、看護師さんたちが献身的にわたしたちに接していただき日々感謝しておりました。
そんな思いを機会のあるごとに看護士さんに伝えていました。一人の看護士さんがこんな話をしてくれました。
 
「私は、昔この病院の救命救急センター勤務だったころ、その責任者が繰り返していました。
 ”私たちには、救急治療は日常のことで当たり前のことの繰り返しです。
けれど、患者さんやそのご家族にとっては突然ふりおこったとんでもない非日常です。
私は、”我には日常。彼には非日常”の言葉を忘れないように日々こころがけています”」と、スタッフに日々語り彼女もその言葉を座右の銘にしているそうです。

心のこもった言葉です、すばらしい精神の伝承です。
 
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病院6階のラウンジから。遠くに見えるのは、笠ケ岳。
 
高山は町を流れる川もキレイ。空気の澄んだいい町です。
 
 

新穂高温泉~双六小屋~槍が岳~北穂高~奥穂高(3日目)

2014-09-23 13:26:00 | 

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今日向かう北穂高の夜明け

  • 2014年9月3日(水)晴れ後曇り・6名で
  • 南岳山荘06:20 ~ 07:22大キレット最低部 ~ 08:01長谷川ピーク ~ 09:01飛騨泣き ~ 09:58北穂高山荘10:28 ~ 10:41北穂高分岐 ~ 13:12涸沢岳 ~ 13:31穂高岳山荘
     
今の時期は5時半が夜明けの時間。朝食の時刻と重なりますが、5時ごろ小屋の表に出てみました。
雲を下にしてキレイな朝焼けと夜明けの北アルプスを楽しむことができました。

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常念岳からの日の出

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朝焼けの槍が岳

小屋でヘルメットを貸し出してもらって、石川県の3名に滋賀県の2名を加わった6名で6時20分にキレットに向かいました。
先頭を行く石川件のリーダー格のTさんから、「浮き石注意!!」と、適切な指示を受け3点確保に注意をはらってキレットの最底部を目指して行きます。

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笠が岳

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最低鞍部からながめた南岳

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要塞のような北穂高

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A沢コルからの常念岳

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北穂高小屋に近づいてきてあたりで小休止。南岳方面。

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北穂高小屋に到着して、淹れ立ての珈琲を注文しました。

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小屋を出発したときは、周囲はガスの中。

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北穂分岐を過ぎて

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ガスの中、慎重に慎重にくだっていきます。

イワギキョウやミネウスユキソウのお出迎え。
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鎖を頼りに登って行きます。

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視界のきかない涸沢岳を越えると、突然に奥穂高小屋に到着。

天気予報によれば明日は天候も良くなさそう・・・。朝食をお弁当にしてもらって、奥穂高までむかい天候がすぐれなければジャンダルムは中止して、白出沢から新穂高温泉におりることにしました。

新穂高温泉~双六小屋~槍が岳~北穂高~奥穂高(2日目・後半)

2014-09-23 09:19:13 | 

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槍が岳山頂から小槍

  • 2014年9月2日(火)晴れ後曇り・単独
  • 双六小屋05:56 ~ 06:29樅沢岳06:35 ~ 07:56左俣乗越 ~ 09:19千丈乗越 ~ 10:50槍が岳山荘11:15 ~ 11:46槍が岳山頂11:55~ 12:20槍が岳山荘13:00 ~大喰岳 ~ 16:16南岳山荘
     

ビールで乾杯した後は、山頂へ向かう人もそんなに多くなさそうなので山頂へ上がってみましょう。

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途中で登りと下りのルートに分かれています。混雑防止のようです。

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ほぼ垂直の岩壁

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狭い山頂の祠へは順番で撮影タイム。終ったら場所の移動。

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これから歩いて行く大喰岳・南岳方面はガスがかかり始めました。

山頂からの写真を何点か
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鷲羽岳・水晶岳・真砂岳方向

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立山方向はガス

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歩いてきた西鎌尾根

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野口五郎方向?

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常念岳方向

撮影が終れば混雑した山頂を後にし手、すこしガスがかかり始めた大喰岳・南岳方面に向かいます。 

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大喰岳まで上がってくると、すっかりガスの中。山頂は登山道から少しはずれたところにありました。
この付近から、単独のテント装備の若い女性と一緒に南岳に向かいました。

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展望はないけれど、白い花のお出迎え。トウヤクリンドウ?

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つがいの雷鳥もお出迎え。

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テント装備の女性 

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南岳小屋到着。
「この小屋は、小さな小屋ですの一人からでも予約を入れてくださいね」と、宿泊手続きのおりにやんわりと注意を受けました。

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小屋の夕食。

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笠ケ岳方面の夕焼けがきれいです。 

南岳小屋で出会った石川県からの3名が明日はキレットを越えて、北穂高から奥穂高へ向かわれるとか。
一緒させていただくお願いをして、快諾いただきました。 


新穂高温泉~双六小屋~槍が岳~北穂高~奥穂高(2日目・前半)

2014-09-22 13:12:29 | 

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槍が岳

  • 2014年9月2日(火)晴れ後曇り・単独
  •  双六小屋05:56 ~ 06:29樅沢岳06:35 ~ 07:56左俣乗越 ~ 09:19千丈乗越 ~ 10:50槍が岳山荘11:15 ~ 11:46槍が岳山頂11:55~ 12:20槍が岳山荘13:00 ~大喰岳 ~ 16:16南岳山荘
     
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朝日に映える鷲羽岳。

今朝は快晴です。
昨日同じ部屋だった青年は。「雲の平か黒部五郎まで足を伸ばしてみたい」とのこと、小屋の前で別れました。
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小屋から30分ほどで樅沢岳。
西俣乗越までは、遠くの山並みを眺めながら、なだらか気持ちの良い尾根歩きを楽しむ事ができます。

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双六岳方面

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三俣蓮華岳方面

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鷲羽岳

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槍が岳のシルエット

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笠ケ岳

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焼岳。遠くに乗鞍岳。

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なだらかな尾根の登山道

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硫黄尾根

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左俣乗越
左俣乗越を過ぎると、登山道に鎖が現れて少し急な斜面になります。

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硫黄尾根のむこうは鷲羽岳・水晶岳・真砂岳

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槍平方面

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千丈乗越。
いよいよココから槍が岳へむけての急勾配。

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槍が岳も近づいてきた!?

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槍が岳山荘到着。

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ビールを頼んだら、ヘリコプターもやってきた。
 

新穂高温泉~双六小屋~槍が岳~北穂高~奥穂高(1日目)

2014-09-21 14:42:22 | 

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水場から西方向 10:41

  • 2014年9月1日(月)曇りのち雨・単独
  •  自宅 02:45 =第二京阪・京滋バイバス・名神・東海北陸道「飛騨清美I.C.」・国道158号をへて= 07:15新穂高温泉無料駐車場 07:53 ~ 09:12ワサビ平小屋 ~ 09:32登山道 ~ 10:43水場 ~ 13:10鏡平小屋13:35 ~ 15:56双六小屋
     
7月に北アルプスに行きました。そのおり、槍ヶ岳が目に残って「次回は槍ヶ岳!」と思い定めました。ところが今年の夏は、8月は大雨で槍ヶ岳で死亡事故が発生するなど天候が安定しません。
月が変われば気候も安定しそうなので 、日程にゆとりをもって「新穂高温泉~双六小屋~西鎌尾根~槍が岳~南岳小屋~奥穂高小屋~白出沢~新穂高温泉」周回の予定です。

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平日なのに無料駐車場は、ほぼ満車状態。

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仮橋を渡って、笠ケ岳・双六岳方面を目指します。

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ワサビ平小屋

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このあたりのブナの森はみどりがキレイ!

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林道で見かけた花々

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登山口
橋を渡った左岸に林道は続いていますが、今は熊も出没するそうです。(青春のおり双六小屋で6年間ボッカをしていた知人Tさんの情報)

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朽ちた古木

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左岸の林道

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水場

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トリカブト

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シシウドヶ原の花畑

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水場から2時間以上かかって鏡平小屋。ラーメンを注文しておにぎりとランチタイム。

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小屋を出発した途端に、本降りです。慌てて上下の雨具を着込みました。

双六小屋に到着する頃には雨も上がりました。
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8人部屋に、今日は広島からの青年と二人です。
雨具や服を乾燥室まで持って行って一安心です。

夜は、揚げたての天ぷらを美味しくいただきました。
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滑落事故のご報告

2014-09-21 10:44:18 | 

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2014.09.03 南岳山荘から槍が岳

  • 日時:2014年9月4日(木)午前10時半頃
  • 場所:北アルプス、穂高岳山荘から白出沢への登山道
私は、9月4日(木)午前10時30分頃に奥穂高岳山頂から新穂高温泉へ下山途中に私の不注意から登山道から沢へ約10メートルの滑落事故をおこし、現在高山赤十字病院に入院しています。
 
幸いにも
  1. 石川県からの三名に前日から一緒させていただいていたことから、その三人が初期の止血・保温・付添や救助要請を手分けしくださり
  2. 無線機持参の民間救助隊の方(穂高岳山荘のスタッフの方だそうです)がまもなく通りがかって、岐阜県警山岳救助隊に連絡をつけてくださったこと
  3. ヘリコプターの入ることのできない場所だったので、山岳救助隊の方が私を背負って林道まで1時間程で降ろしてくださいました。
  4. 救急車で1時間近く搬送されて高山赤十字病院の救急センターに16時過ぎに到着しました。
診察治療結果は、頭の傷はすべて外傷で脳はダメージを受けていない模様。
第一頚椎の骨折・下顎の骨折などがありましたが、四肢へのマヒやしびれもないので少し時間はかかりますが、また元の生活に戻れそうです。
 
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白出沢 09:14 

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白出沢 09:42

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白出沢 10:11

この写真を撮ったあとに、長い階段があり、その階段を下りきって登山道を歩きだしたときに踏み外して沢へ滑落しました。
気がついたときは、石川県のFさんが沢の中央へ私を引きずって移動してくださり止血や保温の処置を施してくださったあとでした。
 
「もう一人は、登山道で無線機を持った人が来ないか待機しています。一人は、下山して救援センターに向かっています。名前は分かりますか?」
「気をしっかり持ってください!!」と、励まされました。 

途中で「穂高岳山荘のスタッフの方が、無線電話を持っておられたので山岳救助隊に連絡がつきました」。
「山岳救助隊は、こちらに向かっているそうです。安心してください!」

私はすこし安心しFさんに「私に万が一のことがあれば
 、家内に”ありがとう!”と伝えてください」と、お願いしたところ「それは、貴方の口から直接奥さんに伝えてくださいね!」と聞かされて、生きて行くことに執着心が湧いたように感じました。
その後は、「自分の口で直接伝える」と念じ続けていたように思います。

翌日、家内が高山警察署にお礼に行ってくれたところ、担当の警察の方が「滑落した場所・頭部の出血状態・ヘリコプターが入ることのできない場所だったことから、非常に危険な状態と見受けました。救急車に搬入される前にご主人が『がんばります!ありがとうございました!』と、大きな声で救助に関わった者に声をかけられて、私たちも一安心でした」と、語ってくださったそうです。
本人ははっきり覚えていないけれど・・・。

また、高山
赤十字病院の脳外科の先生から「出血量も多くて、あともう少し多ければ危険な状態でした。最初の止血が適切でした」と、聞かされました

姉夫婦は二日後に高山まで来てくれて、新穂高温泉駐車場に置いてある私の車を大阪まで搬送してくれました。
息子夫婦も孫を連れて14日(日)に見舞いに来てくれました。

見ず知らずの多くの方々や知人、そして姉夫婦と家族に支えられて「あらためて生き戻す命」に大感謝です。

*加筆
昨日(9月21日)石川県のリーダー格の方からメールをいただきました。下に抜粋します。

倉谷さん おはようございます。
当日、最初は気がついておられなくて心配しましたが、その内気が付かれて少々お話が出来るようになって私達も少し安心していました。
後を歩いておられた若い単独行の方が落ちるところを見ておられたようです。
この若い人に先に携帯の通じるところに下りて頂いて、救助隊に連絡頂きました。
その後下りて来た穂高小屋の関係者が無線で連絡頂いた時には既に救助隊が向かっていると聞い安心しました。
ブログしっかりやられているのですね。私はデジブックを編集しています。
あのようなことがありましたが、今回の穂高岳縦走を3本のデジブックに編集しました。 
特に三本目の大キレット縦走には時々倉谷さんの姿が見えます。
治療の合間に見て下さい。
http://www.digibook.net/d/5c55a9b3b05ba80c380e01576830c4be/
http://www.digibook.net/d/2294a5bf91188849b40901531c3ac4b8/
http://www.digibook.net/d/df85a753901f8804306f0bd37e3884e8/ 
 
もう一人見ず知らずの方にお世話になっていたのですね?