島津亜矢さんが『戦友』を見事によみがえらせました。単なる軍歌ではありません。
「戦争は昔の出来事ではないのです!」
♪ ここは御国を何百里 離れて遠き満州の
赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下
思いもよらず我一人 不思議に命永らえて
赤い夕陽の満州に 友の塚穴掘ろうとは
朗々と歌い上げられる亜矢ちゃんの『戦友』は、かつての戦意高揚の為の軍歌ではなく、「戦争というものは斯くも悲惨なものだ」と語りかける反戦歌そのものでしょう。当時から歌詞そのものがそういう意味合いも込めて作られたのかも知れませんが・・・。
戦地に赴かれた方の実体験は語っても語っても語り尽くせぬ心の傷となってそれぞれの方の人生を大きく左右したのではないでしょうか。
そんな大きな心の傷を背負ったまま引き揚げ船は日本の港に次々と帰ってきたのでしょう。
バタやん(田端義夫さん)の『かえり船』は、やっとの思いで故国に帰り着いた安堵感と少しの希望と開放感と、そしてとてつもない心の傷に伴う哀愁感に満ちたメロディーとなって人々の心をとらえました。
♪ 波の背に背に 揺られて揺れて
月の潮路の かえり船
かすむ故国よ 小島の沖じゃ
夢もわびしく よみがえる
しかしその引き揚げ船で帰ってくることができた兵隊さんはまだ良かったと言うべきでしょうか。既に引き揚げ船の数もまばらになるほどに少なくなった5年後10年後にも、送り出した息子の帰りを信じて岸壁で待つ母の姿がありました。
「また引揚船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない……
この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか……」
『戦友』~『かえり船』~『岸壁の母』
戦友と他の2曲の時代は一連のものではありませんが、それぞれの時代に翻弄された国民・庶民の心の内をよく表している3部作のように聞こえてきます。
(この文章は著作権法上問題を含んでおりますが、先にお詫びを入れておこうと思います) m(_ _)m
「戦争は昔の出来事ではないのです!」
♪ ここは御国を何百里 離れて遠き満州の
赤い夕陽に照らされて 友は野末の石の下
思いもよらず我一人 不思議に命永らえて
赤い夕陽の満州に 友の塚穴掘ろうとは
朗々と歌い上げられる亜矢ちゃんの『戦友』は、かつての戦意高揚の為の軍歌ではなく、「戦争というものは斯くも悲惨なものだ」と語りかける反戦歌そのものでしょう。当時から歌詞そのものがそういう意味合いも込めて作られたのかも知れませんが・・・。
戦地に赴かれた方の実体験は語っても語っても語り尽くせぬ心の傷となってそれぞれの方の人生を大きく左右したのではないでしょうか。
そんな大きな心の傷を背負ったまま引き揚げ船は日本の港に次々と帰ってきたのでしょう。
バタやん(田端義夫さん)の『かえり船』は、やっとの思いで故国に帰り着いた安堵感と少しの希望と開放感と、そしてとてつもない心の傷に伴う哀愁感に満ちたメロディーとなって人々の心をとらえました。
♪ 波の背に背に 揺られて揺れて
月の潮路の かえり船
かすむ故国よ 小島の沖じゃ
夢もわびしく よみがえる
しかしその引き揚げ船で帰ってくることができた兵隊さんはまだ良かったと言うべきでしょうか。既に引き揚げ船の数もまばらになるほどに少なくなった5年後10年後にも、送り出した息子の帰りを信じて岸壁で待つ母の姿がありました。
「また引揚船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない……
この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか……」
『戦友』~『かえり船』~『岸壁の母』
戦友と他の2曲の時代は一連のものではありませんが、それぞれの時代に翻弄された国民・庶民の心の内をよく表している3部作のように聞こえてきます。
(この文章は著作権法上問題を含んでおりますが、先にお詫びを入れておこうと思います) m(_ _)m