還暦・・・ 60歳になりました。感慨は・・・ 特にありません。(^o^)
5回目の亥年、当たり年の誕生日を迎えるということはかつての人生50年といわれた時代からするとかなり特別な意味とか感慨を持って迎えられる年回りだったのかも知れません。でもねえ、人生80年の今、やっと4分の3を終え、これからが充実の、そして楽しみの、そしてまた自分の人生総仕上げの最終章です。いわばこれまでは基本を学んだだけ、これからが本当の人生なのではないかと・・・。(^o^)
喰うために、子を育てるために、少しでもいい暮らしが出来るようにと働いて働いて働き続けてきました。本当はここらで一休み、一度リセットして新しい人生の方向を見定めてみるのも必要かも知れません。今の時代はそういう意味で「還暦」という区切りを捕らえてみるのもいいかも知れない。
私達の年代が生きてきた時代というのは、戦後のどさくさの時期に生まれはしたものの、喰うものも贅沢を言わなければそこそこに与えられ、遊びも教育も一昔、二昔前と比べるとかなりの余裕を持って前向きに取り組んでもらったように思います。いわゆる「団塊の世代」としての不利や不当なこともあったけれど、まあそれはそれなりに楽しんできましたしね。
特に出世した訳でもなく、財産が貯まった訳でもないし、これからそんなものを求める気もないけれど、そんなものが無いなら無いなりに、これまでこの世に生かして頂いたお礼といってはおこがましいけれども、何か人のお役に立ててこの人生を終わらせることが出来ないものかと・・・。それも自分を犠牲にしたり苦しんだりといったものではなく、自分自身も目一杯楽しみながらというのでなければこれまで60年間学んだ基本を生かしているとは言えないし、意味がないと思うのです。でもそんな理想的な生き方、この世の中にあるのでしょうかねえ。
そんなことを急に思い付きもしませんが、逆に言うと、私が今目一杯楽しめることといえば・・・ そう、言わずと知れた『島津亜矢』さんの歌を聞くことですねえ。(^o^)
そしてまた、その『島津亜矢』さんを愛する方達との楽しい語らいの場ですねえ。
で、そうであるならば、その自分の楽しみが人のお役に立たないのか、それを考えてみることにしましょう。 続く---(かな?)
5回目の亥年、当たり年の誕生日を迎えるということはかつての人生50年といわれた時代からするとかなり特別な意味とか感慨を持って迎えられる年回りだったのかも知れません。でもねえ、人生80年の今、やっと4分の3を終え、これからが充実の、そして楽しみの、そしてまた自分の人生総仕上げの最終章です。いわばこれまでは基本を学んだだけ、これからが本当の人生なのではないかと・・・。(^o^)
喰うために、子を育てるために、少しでもいい暮らしが出来るようにと働いて働いて働き続けてきました。本当はここらで一休み、一度リセットして新しい人生の方向を見定めてみるのも必要かも知れません。今の時代はそういう意味で「還暦」という区切りを捕らえてみるのもいいかも知れない。
私達の年代が生きてきた時代というのは、戦後のどさくさの時期に生まれはしたものの、喰うものも贅沢を言わなければそこそこに与えられ、遊びも教育も一昔、二昔前と比べるとかなりの余裕を持って前向きに取り組んでもらったように思います。いわゆる「団塊の世代」としての不利や不当なこともあったけれど、まあそれはそれなりに楽しんできましたしね。
特に出世した訳でもなく、財産が貯まった訳でもないし、これからそんなものを求める気もないけれど、そんなものが無いなら無いなりに、これまでこの世に生かして頂いたお礼といってはおこがましいけれども、何か人のお役に立ててこの人生を終わらせることが出来ないものかと・・・。それも自分を犠牲にしたり苦しんだりといったものではなく、自分自身も目一杯楽しみながらというのでなければこれまで60年間学んだ基本を生かしているとは言えないし、意味がないと思うのです。でもそんな理想的な生き方、この世の中にあるのでしょうかねえ。
そんなことを急に思い付きもしませんが、逆に言うと、私が今目一杯楽しめることといえば・・・ そう、言わずと知れた『島津亜矢』さんの歌を聞くことですねえ。(^o^)
そしてまた、その『島津亜矢』さんを愛する方達との楽しい語らいの場ですねえ。
で、そうであるならば、その自分の楽しみが人のお役に立たないのか、それを考えてみることにしましょう。 続く---(かな?)