「島津亜矢」に魅せられて

大ファンの島津亜矢さんのことを中心に、日頃思うことなどを

CT検査結果

2006-08-19 00:57:10 | 躍動
今日、先日行ったCT検査の結果を聞いた。結局何事もないとのことでホッとした。こういう検査は結果が出るまでホントにドキドキものである。

今回は痛風の尿酸値確認のためにおこなっている血液検査で、膵臓の状態の良し悪しに関係があるという「アミラーゼ」(「アミリャート」ではありません)という項目の数値が高めだったので、一度念のためにということでCT検査を受けた次第。

普段は「膵臓」のことなど気に止めたこともなかったのでもちろん膵臓については何の知識もない。おまけに自覚症状も出にくい臓器らしく(自覚症状が出てきた時にはもう手遅れとか)、膵臓さんには申し訳ないけれどまったく意識の範囲外だった。検査を受けることになって始めて気になりだしたようなことで、ネットで少し検索もしてみた。もっと小さなものかと思っていたのだが、想像していたよりも大きいようだ。健康診断では超音波検査で診るらしいが、胃などに邪魔されて分かりにくいらしい。

いずれにしても何事もなくてよかったが、ネット上にある記事や資料を見ていると余計に不安が掻き立てられる。「膵臓癌は結構死亡率が高いらしい」「もし悪い結果が出たらこの先どうなるのだろうか」などということがチラチラと頭をかすめたりする。 (^o^;

「もしそうなったら?」「もちろんすぐに仕事をやめて思う存分亜矢ちゃんのオッカケを楽しもう。そして一日中CDやDVDで亜矢ちゃん漬けになって、悔いを残さないようにして静かに去っていこうか」「現実はそんな落ち着いたこと言っておれないだろうなあ」
まったく深刻なんだかノー天気なんだか自分でも自分の性格がよくわからない。 (^o^)

今夜は『プチ祝杯!』
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戦争は知らないけれど

2006-08-05 18:35:16 | 躍動
今日「CT検査」を受けてきた。
10年以上も前にも一度受けたことがあるように記憶しているが、その時は寝台を5mm単位に動かして身体を輪切り状に写し出していくものであったと思うが、今は寝台を一定速度で動かしながら線源を回転させ続ける撮影方式である。ヘリカルCT(らせんCT)と呼ばれているらしい。
このCT撮影、通常のX線撮影が自然被曝2日分程度であるのに対して、CTでは約3年分の放射線を浴びることになるらしい。(ヘリカル方式ではもう少し少ないかも)。検査自体は時間も短く、寝台に5分程度寝て息を吸ったり止めたりするだけであるが、被曝線量を考えるとあまり気軽に受けるものでもないようだ。
検査の結果も気になるところではあるが、それは神のみぞ知るところである。

明日8月6日は広島原爆記念日、そして9日は長崎である。
私には戦争の経験もないし、ましてや原子爆弾なるもので被爆してもいないが、この時期あの惨状を新聞やテレビで多く特集されているのを見るにつけ、心が痛む。
そして何よりもいまだにそのときに浴びた大量の放射線による傷害に苦しんでいる人たちがいるという事実がある。CT検査がどうこうというレベルではない膨大な放射線量である。国の補償・救済も遅々として進んでいないように見受けられる。「爆心地から何km以内の被曝者」と機械的に認定して平然としている神経が分からない。長い年月裁判をして最近になってやっと一部が、国が出した原爆症認定の却下を取り消す判決が出始めた。

A級戦犯の人達もお国のために戦って死んでいったのだという。そうに違いない(と思いたい)。日本国が生き延びる為にはその道しかなかったのだという。そうに違いない(と思いたい)。
しかし、戦争に突入した真相はどうであれ、戦後というか、被曝から61年も経った現在でも多くの方がその影響による障害や癌などの病気に苦しめられているのだ。

戦争を始めたのはお国のためであったとしても、だからこそ国民を何十年経った今でも、そして今後何十年も苦しめることになっていることの「戦争責任」は彼らにはないのか。彼らだけではなく日本という国自体にはないのか。なかろうはずはない。

「当時の若者たちは『今度会う時は靖国で会おう!』と心からそう思って戦地に出向いていった」と言い放った女性評論家がいる。「心から? そんな馬鹿な・・・」、それが私の実感である。人の心が、人の心の痛みが分かっていないんだなあ。それともあの歳になってまでも権力に擦り寄る姑息なおばあさんなのか。舞鶴港の岸壁に何年も立ち続けた母の姿はなんだったのか。『靖国』というフィルターで浄化したように見せかけて若者を戦地に送り出しただけではないのか。

そういう意味で、日本国の代表という公職をもつもの(特に首相や官房長官や外務大臣など)は、公人としてであれ私人としてであれ靖国参拝を「個人の自由、心の問題」という逃げ口上で誤魔化してはいけないと思っている。「個人の自由」ではなく「公人の不自由」を感じるべきです。中国や韓国の批判とは関係なく、靖国に参拝すべきではない。
こんなのを見たことがある。『戦争に 行かない奴が やりたがる』

日本国民はなんて寛大で優しい人々なんだろう。弱者にではなく強者にである。
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